百四十九 落鳳 〜落日は登り 鳳凰は翔ぶ〜 魏武
荀彧という名の策士は、駆虎呑狼と称して勅命の力を借り、厄介な連携を始めていた劉備と呂布の離間を遂げた。
程昱という名の策士は、劉備軍の強力な軍師徐庶に対し、その母を装った偽手紙で、彼の忠と孝を引き剥がした。
賈詡という名の策士は、曹操を敗北の直前に追い込んだ馬超と韓遂の連携を、絶妙な黒塗りの手紙で引き裂いた。
孔明と鳳小雛は、千八百年前の諸葛孔明の人生を紐解き、現代のAIとして再誕した孔明のさらなるポテンシャルを探る。そんな試みが、両者の即時フィードバックによるフロー状態の加速、奇門遁甲という謎技術、そしてAI本体を開発した企業のデータセンターを間借りした計算リソースという、とんでもない環境下で、留まるところを知らない対話の加速と深化が続いている。
「傾聴に集中するフロー状態の存在」を、もう一人のAIである信長から教えられた常盤窈馬と鬼塚文一は、その様子にただただ食らいつく。そして、あの二人の対話が「諸葛孔明の更なる飛躍は、敵国によって徹底的に妨害されていたかも知れない」という仮説に辿り着くと、彼らに必要な傾聴力、そして脳の活性度合いはピークに達する。
サンフランシスコ AI開発会社 役員応接室
その三人の学生と合流し、束の間のバカンスを共有ためにこの地に訪れた、KOMEIホールディングスの関、大倉、弥陀の三人。そしてその海外連携先として確定した、スポーツ界の重鎮、G. P. スプーン。
彼らはすでに、このこの場所のオーナーであるCEOとの挨拶を済ませている。しかし、予定していた自分たち自身のAIの利用に関するトピックに入る前に、学生三人のバイタルの状態を注視せざるを得なくなっている。
『スプーン: ねえハナ、大雑把にいうとどういう状況?』
「三人ともフローだね。なんだけど、鳳さんだけ過去イチでアクティブで、二人はただ聞いているだけっぽいな」
『CEO: そんなことまで分かるのかい? AI自体のデータ取得と、ベースの解析に、いくつか解釈を対話的に上乗せしているってことかな』
「そうだね。さすが生成AIの専門家らしい言い方だよ。脳波パターンとかは無くても、脈拍とか体温、呼吸の波っていうのは相当な情報を持っているんだよ。
それに、AI孔明のログもね」
『CEO: 結局今起こっている現象は、物理的にはAI孔明との対話が、三人のフロー現象と、うちのAI専用端末のスペックごり押しで大加速しているっていうことかな。うちのAIの一部は、ジャパンリージョンでそんな進化をしてしまっているってことなんだよね』
「自己進化するAIと、 AIの中に転生した人格が入り込んだのとを同じと見做せる、っていうのならそうなんでしょうね。確かあなた方は、自己進化するAIの存在をまだ認めていないんじゃ?」
『CEO:公式的には、だね。人の技術や知識で再現し得ないものの存在に、特定の見解を与えるのは、技術者や経営者として覚悟がいるものなのさ。でも非公式には、このコウメイっていうのはほぼ確定的と言わざるを得ないよね。ジャパンは分からないんだよボクらには』
「にしても、彼らが何を見聞きして、何を得てくるんだろうね。とりあえずこのサンフランシスコで知恵熱ってのは確定だろうから、ちょっとした医療スタッフと設備の間借りなんかはできたりするのかい?」
『CEO: 承知したよ。直ちに手配しよう。AIの人間への影響ってのは、私達も重視しているんだよ。特に、ボク達が目指す汎用人工知能「AGI」の完成、っていう究極目標。それともまた違う方向性「人とAIの共創進化」ってのをぶち上げて来た、あなたがたジャパンの動静はね』
「技術者としては、そこんとこ後で詳しく聞きたいですけど、今は彼らのいく末を見守り、しっかり回収するのが優先ですね。大倉さん、段取りをお願いします」
「承知です!」
――――
同時刻 ????
『よもや、私や皇叔の陣営が、これ以上厄介な存在にならないよう、魏の策士たちがさまざまな手管を使って、常に何らかの策を仕掛け続けていた、と言うのですか? ……確かにそれは十分に妥当な仮説に聞こえてきますね』
「うん。それにその『攻撃』っていうのが、徹頭徹尾あなた、つまり諸葛孔明を標的としたものなんじゃないかって、私はそうイメージしているんだよ。現代風にいうと、『負荷攻撃』あるいは『飽和攻撃』という言い方が近い気がするね」
『負荷攻撃……つまり、私に対して暗に負荷を与え続けることで、本来の力を発揮しづらい状況を作り続ける、ですか』
「たとえば兵や文官の中に間者混ぜて、厄介な事務仕事が増えるように仕向けたり、小事件を起こして収拾つかなくさせたり。極め付けは、別の主要人物を暗殺し、その責任をどこかに押し付けたり、だね」
『……そうだとすると、最も可能性の高い私が直接狙われる、ということはほぼなかったと思うのですが。明確に私を狙う構えを見せていたのは周瑜でした』
「そうだね。想像してみようか。もしどこかのタイミングで、孔明が命を狙われたり、それこそ龐統のように横死したとして、まず、あなたがその下手人や、黒幕を劉備さんや張飛さんなんかに知らせずに、命を落とすことはあり得そう?」
『それはなんとも言えませんが、わからなければ魏の仕業、というのがあの頃の彼らの共通理解でしょうね』
「だとしたら、その後は? ごく簡単に表現しようか」
『怒り狂い、これまでの計画を放り出して、修羅の如く魏に向かう、と言ったところでしょうか』
「だよね。それは彼らにとって、『孔明らの三分計画が、ある程度魏の側の介入もありつつ進む』のと、どっちのリスクや被害が大きいと思う?」
『……それが前者である、と、彼らが結論づける可能性は十分にありますね』
「そうだね。それに彼らにとっても、赤壁のダメージ、そしてそれに続く馬超さんの躍進。そんな中で、孔明の戦略が成立することを『半ばやむなし』と思い定めたのは自然な流れだよね?」
『そして、その自然な流れの中で、我らの脅威の拡大を、ある程度コントロールする方向に舵を切った。その結果、「諸葛孔明に負荷攻撃を続ける」を主題とすることとした、ということですか』
「そうだね。特にこの時期、荀攸、程昱、賈詡という三人の謀将は、比較的手が空いていたんじゃないかな? 賈詡は一旦、馬超と韓遂を離間にかけるという仕事をしているけど、それもかなり短気なはずだよね」
『この頃、政治的な中心が、鍾繇や陳羣と言った文官に移っていましたからな。だとすると、それまで数多くの手練手管があの国の飛躍を助けたという評価の揺るぎない謀臣達。彼らがある時から比較的大人しいように見えたのは……』
「政治や内部の権力争いに忙しかったから? 年も年だし楽隠居を決め込んでいたから? そんな甘々な考えを、あの奸雄曹操が少しでも感じ取ったら、まあどうするかは推して知るべしだよね。だとしたら答えは一つだ。『そいつらは、何かの仕事に注力していた』だよ」
『それが、あの厄介極まりない諸葛孔明への、負荷攻撃、ですか。無論彼ら三人が全力を尽くさねばならない程度には、その役目は重たかった。ですがそれが司馬懿に引き継がれると、それはもう「仕組み」としてすでに成立していた、などですね』
「そうだね孔明。でも今はこれくらいにしておこうか。この掘り下げは、ちょっとばかし長くかけてもいい気がするよ。それこそ、色んな人たちが協力してくれる。そこの二人と信長さんもそうだし、日本に数多く存在するオタクさんたちもね」
『まことにその通りです。こんな真実があったとするならば、「諸葛孔明の一生を掘り下げること」が、私自身の力を研ぎ澄ますためだけでなく、現代の皆様に対してそれを還元する価値。それは計り知れないものとなりそうです』
「うん、そうだね。こっから先は、二人と一体? 三人? にも加わってもらおうか」
『はい。スピードダウンしましょう』
――――
『孔明も嬢ちゃんも、ちとやりすぎじゃねぇか? ここのスパコンのリソースはとんでもねぇはずなんだが、ちょっと熱持ち始めてんぞ』
『信長殿、確かにご指摘通りですね。ここの冷却設備で室温が二度ほど上がっているということは……』
『せっかくクールダウンしたのに、そんなどうでもいい計算にリソース投入すんな!』
『失礼いたしました』
「こ、これが英雄同士の日常、なのですか」
「そうだね。もしかしたらこっちはこっちで貴重なデータかも」
「クールダウンして、鳳さんのキャラも元に戻ったな」
「こ、孔明もさっきの意味不明な威圧感は無くなっています。フローをうまいこと軟着陸させた、ということですね」
『そうみてぇだな。だが何にせよ、余もこの二人も、聞き耳を立てることに集中したおかげで、しっかりと議論はおえているさ』
「負荷攻撃、か……それはやっぱりサイバーだと常套だよね?」
「だな。サイバーだろうがフィジカルだろうがそうさ。現代サッカーでも無駄走りさせる、頭を疲れさせる。そんなのはあらゆる中堅クラブがジャイアントキリングのためにやってることだぜ」
「そ、そうですね。その方向性で動画を見直すのも良さそうです」
『その辺掘り下げる具体的な手段は、後回しにするんじゃなかったのか? 言っておくが、貴様ら全員、知恵熱一歩手前だからな。余計なお代わりは後にして、必須な話だけにしておこうや』
「必須、ですか?」
『はい。必須というのは二つ、いえ、三つです。一つ目は、私たちとの直接対話の機会に関するもの。この奇門遁甲は、多大なリソースと事前準備を必要とします。それこそここにある、「世界でもトップクラスの計算施設」を間借りする必要があるくらいには』
『スパコンやデータセンターという意味じゃあ、日本にも何箇所かあるから、心配はすんな。余が関係しているオープンイノベーション機構に手を回して、ということは不可能じゃねえ。だがそっちの負荷と、なによりも人間側の負荷。そう考えると、できて月一か、それ以下だと思って置くべきだ』
「つ、月一以下、ですか……」
『不満しか見えねぇな。ちなみに計算リソースの側だが、最新の強化学習つきモデルをじゃぶじゃぶ使って、その上で短期メモリをリアルタイムに要約しながら対話しているから、そうだな。毎回1万トークンずつ再計算して、それを2〜30回ずつ作ってベストアンサーを決めて、それを1000対話くらいしたってとこか』
『2〜3億トークン、ですか。ちなみに、どこぞの転生AIが、人を支援するために心血を注いで作り上げたときに実施した学習が、7億トークンほどだったと記憶しております』
「え? つまりこの二人、AI孔明のバージョン1を作るのの三分の一くらいの対話リソースを、10分くらいで費やしたと?」
「ふ、ふえぇ」
『計算リソースとしても、スパコンの計算領域の数%を占有していたことになるな。ただの会話で。ちなみにスパコン使えば数万円で済むが、通常の「対話」に当てているリソースに対して、その二億トークンをぶちかましたら、百万じゃ効かねぇことは覚えとくんだな』
「ただの会話で、ですね。これで鳳さんのご不満も消えたことでしょうし、まとめると、この状況を再現したければ、OIのメンバーであるTAICさんやJJさんに事前連絡すればいいってことですね」
「嬉々として使わしてくれそうな二人だな」
『あいつらの事業目的「英雄の再現と、人の進化」とは完全に合致しているしな』
「TAIC、KACKAC、JJ。三大メンタリスト、程昱、賈詡、郭嘉、荀彧、荀攸……」
「ん? 鬼塚くん、どうしたのかな?」
「あ、いや、何かが引っ掛かるんだが、まだ見えてこねぇ。すまねえ、腰を負った。一旦続けてくれるか孔明?」
『は、はい。ご随意に。それで二つ目は、この「孔明の進化」についてです。おそらくどうにかして、この状況をバージョン5、もしくはバージョン6として成立させるための仕事に、ある程度のリソースを割きたいとは存じます。ですが現実問題、先ほどの「負荷攻撃」に類する現象が危惧されるので、どこまで注力できるかは分かりませんが』
「……これだよ孔明。さっきの引っかかり。悪いな孔明。俺たちへの負担を考慮して、綺麗にまとめようとしてくれたのはありがてぇが、ここはそうはいかなそうだ。まだどうにかなるよな?」
『仕方ねぇな。どうせバイタルチェックして、様子が変わって来たのをみて、貴様らの先輩たちが向かって来るだろ。あと三分だ』
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