百四十二 落鳳 〜落日は登り 鳳凰は翔ぶ〜 馬謖
上から目線が仇になって就活に苦戦した者は、AIと連携した分析力を磨き上げたことで、はるかに俯瞰的な視野を手にする。
擬音語と比喩が他者の評価を不安定にしていた者は、AIの読解力を駆使したことで、卓越したセンスと判断力を自覚する。
AIすら手を焼くコミュ障の者は、その観察眼と閃きを無差別に入力してAIと共鳴し、自他を挑戦的集中の連鎖へといざなう。
その三人の学生は、生成AI、すなわち大規模言語モデルの総本家と言える企業に招待されるも、孔明自身のの横槍によって、そのCEOより先に、孔明本体とも言うべき存在と邂逅を果たす。
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AI開発企業 本社 ????
「す、数分、ですか。ではトイレは大事ですね」
「仮にもレディがひとこと目に返答することじゃないよね」
「まあさっきも気にしてたし、データセンターらしさもあって、ちょっと寒いしな」
『少々感覚に問題がありそうですね。ご安心を。それくらいの方が都合が良いかもしれません。それに、バイタルサインは、リアルタイムに然るべき方がチェックを始めておいでですので。そちらもご安心を。それでは宜しいでしょうか』
「いろいろよろしくないけど、仕方ないね。付き合おう」
「ああ。ここ逃したら後悔するんだろ? なら一択だ」
「よ、よろしくなのです」
『では』
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スプーンの運転する車内
『そろそろ着きそうだよ』
「んー、三人のバイタルに、ちょっと緊張が見えるね。それに、少し寒そうだよ」
「冷房が効きすぎなんでしょうか?」
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「あれ? 何も変わらないのです、よ? んん? お二人が寝てしまいました」
『お二人には、それぞれ別々の形で対話を開始させていただいております』
「な、なるほど、私は違うのですか?」
『あなたに対しては、少し本気を出さなければ、対応できませんので』
「ほ、本気ですか? 変身ですか?」
『相変わらず、真剣なのかふざけているのかわからないお方です。ですが少し準備に時間がかかりそうですね。では、少しの間、つなぎの情景をご覧いただましょう』
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????
「んっ、ここは……外は変わらないけど、中は……もっと草庵っぽくなったな」
『常盤窈馬様。あなたには、ある人間の半生について、少し凝縮しつつ、追体験をして頂けたらと思います』
「ふむ、草庵ってことは、孔明、あんた自身ってことか」
『ご名答』
「ん、三人入ってきたな……劉備関羽張飛、てことか。見えてるってことは、狸寝入り?」
『ご想像にお任せします』
……
「あんたが三人に対して、天下三分について語っているが、こっち目線だと……劉備と関羽は真剣に聞き入っていて、張飛は……よそ見している。いや、これは何をみているんだ? 書棚?」
『よくお気づきで。張飛殿は、どうやら私が何を読んでいるのか、そしてどのように学びを得たのか、そんなところをお気づきであったようなのです』
「生前にはあんたは気づかなかった……のではないな。間接視野かなんかで、意識だか無意識だかで捉えていたってことかな?」
『そうお考えいただくのが妥当でしょう』
「すると、張飛の目線は……一通り見た後で、並び順とか、机上の本が何か、とか、そんなところまで見ているな。これがあの、この前の配信映像での違和感ってやつに繋がるのか」
『さあ、どうでしょう?』
「劉備殿は泣いていて、どうやらあんたも決意は固まったようだな。関羽はまだ警戒。張飛は……あんたを見定めようとしている、そんな目だね。
机の上にあった真新しい筆と墨。その側にあったのが、戦国策や春秋といった、どちらかと言うと、戦略政略の中身よりも、人に物を伝える術であることに、すこし首を傾げているような……」
『そう、だったのかもしれません。張飛殿は、私の不安や、現段階での実力のありようまでも、この時すでに認識しておいでだったのやも知れません』
「そう言う意味じゃあ、あんたが天下三分のその先を語らなかったのは、自分の言語化力の範囲で劉備や関羽にそれを触れさせると、消化不良になる懸念をしていたってことか」
『おそらくそうなのでしょう。それが私から語られることは、ついぞなかったのですが』
――
「長坂。確かにここでの張飛の活躍は、単に武力や気迫だけで片付けられる話じゃないね」
『はい。その位置取りや、背後に対する不明瞭さ、そして終わった後の撤退のしかた。どれをとっても計算し尽くされた行いです』
――
「草船借箭。これ自体は孔明自身の策かどうかは怪しいとされているね」
『実際このように、私と周瑜殿、魯粛殿が意見を出し合って成立したものです』
――
「東風。ここは確かに、周瑜自身も季節風の存在はわかっていた。ただ孔明の神秘性を使うことで、彼らの士気をあげること、そして、曹操軍に余計な知識を与えないこと。そんなところまで見ていたんだね周瑜は」
『恐ろしいお方です』
――
「これは、慌ただしいな。鳳雛様? 軍師殿? ああ、ずいぶん飛んだじゃないか。周瑜ももう居ないし」
『落鳳坡の後ですね』
――いいのか孔明? 関羽の兄貴だけに全部任せちまって。益州取りに行くだけなら、俺や趙雲で十分じゃねぇか?
――そうかも知れません。ですが、再び万一のことが起これば、天下三分どころか、また窮地に陥るのは我々でしょう。それに、やはり彼の死には、魏の謀臣達が関係しているとしか思えませんので、主様の身も心配されます
――うーん、なら仕方ねぇが。兄貴にはなんて言っておくんだ?
――魏とは向き合い、呉とは和をもって、と
――そりゃ正しいかも知れねぇが、足りんのか? 兄貴もなんでもできるわけじゃねぇぞ。お前のもう少し丁寧な一言を待ってんのかも知れねぇ。まあ難しいかも知れねぇが、考えてみてくれや
――はい。承知しました
――孔明様! 物資の手配はこちらで宜しいですか?
――あ、はい! 確認いたします
――……ちっ、これじゃああいつの力が活かせ……
「なんか、随分と克明な再現だが、あんたの印象に残ってたってことなんだよね?」
『はい。まさかここが、この先の大きな分水嶺になったとは』
「孔明という存在が、重要な意思決定や指示に限られていたところから、細かいところまで全てを担わざるを得なくなった。そのことで、優先順位を見誤った、ということか」
『そうなりますね。そして、法正、馬良と、信頼のできる方々が次々にその命を縮めていくこととなります。そして、張飛殿の懸念は完璧な形で当たってしまいました』
――
「馬超、その実力と影響力は、劉備本人よりも高かった時期がある。でも陰謀の被害を受け、失敗に失敗を重ね、劉備のもとに投降したときには、すでに抜け殻、か……まあそうだよな」
『この方も、どうにか張飛殿や趙雲殿が、往時の志を取り戻していただけるよう苦心しておいででしたが』
――
「結局、孔明からの明確なメッセージは、関羽の元には届かず、か」
『蜀、漢中、そして建国……もう一段階俯瞰出来ていれば、というのが高望みだったのか、それとも、見えていたのに出来なかった、というほんのわずかなズレだったのか』
――
「これは、関羽の悲報の後、かな?」
――おやめ下さい! ご無念は分かりますが、ここは彼らと和さねば、漢室再興は難しくなります!
――我らの誓いを破らしめたあやつらに、背中を任せることは出来ん。
――彼らも、これ以上我らに仇なす理はありません。必ずや、魏に立ち向かうために手を携えられるはず
――これは理ではないのだ。頼む。そなたらも協力してくれ
――陛下……
「孔明、そして趙雲も、理を持って説得しようとして、完全に空回りしているね」
『その後、追い打ちをかけるように張飛殿が討たれ、呉の方向に駆け去る下手人……ん?』
「なんでわざわざ、呉の方に行ったのかな? あの二人、別にあっちにツテはないよね?」
『まさか、これ自体が魏の策略……離間の追い打ち、ですか。賈詡……おそらく龐統の時もそうなのでしょうね。だとしたら、魏との戦いは一瞬たりとも止まっていなかった、ということでしょうか』
「まさか、じゃないんだろうね。孔明の一つの癖がわかったよ。失敗を、自分の責任にしたがるんだ。そしてそこで視野狭窄になる。いや、なっているかのように心をとざす。
本当はもっといろんなことが見えていたのに、それを相手にどう伝えて、どう行動につなげられるか。その塩梅ってやつを掴みきれない。だから、自分が得ていた、沢山の情報や感情の断片を、うまく使いきれなかったんだね」
『そういうことですか……だからこそ、私の真相意識を、あなたのように客観視した結果、いとも簡単に別の解が生まれる』
「まあ、後付けっちゃ後付けだから、これがリアルタイムにできるかどうかってところが、僕のこれからを作っていくものだってことなんだよね?」
『そうかも知れませんね。そこまで進んできたあなたであれば、もう一段階ギアを上げる必要がありそうです』
――
「白帝、か。馬謖と魏延に対する評価のギャップは良く出てくるよね。馬謖が高めで魏延が低めなのが孔明。逆が劉備。でもこれも、単純な高低じゃないよね? 孔明がそう捉えていたんなら仕方ないけどさ」
『陛下曰く、馬謖は自分を大きく見せようとする。私曰く、魏延は反骨心がある。どちらも、それぞれの人物評価の中心軸ではなかったはずですね。お互いに、二人の実力そのものは認めていたはずなのです』
「だけど孔明の中で、この『主君と逆の評価』という点が、かえってバイアスを与えてしまったのかもね」
――
「南蛮、か。この場面は確かに孔明の見せ場だよ。でも、こここそ本当は、馬謖なり魏延、張翼張嶷といった、若手に任せるという手があったんだろうね」
『まさか、牛刀をもって鶏を絞めていたは私なのでしょうか』
「成長の機会、か。まあ難しそうな課題だよ。でも今のAI孔明、あんたならできるんだろ?」
『無論』
――
「街亭。ここも魏延と馬謖だね。馬謖がクローズアップしているけど、魏延と孔明の関係もしっかり描かれている」
『はい。あそこで魏延の提案になるという選択をしていたら、馬謖の選択も悪くはなかったのでしょう』
「ん? 魏延の手が、馬謖の水のお椀に触れそうになったな。あれが倒れていたら、もしかしたら……」
『そんなところに、私の目が行っていたと?』
「孔明、やはりあんたの深層には、部下達の細かい特徴までよくよく見えているのかもよ。馬謖が水の手を軽視しがちなこと。それが巡り巡って、そのお椀に目が行ったんだね。
あれが倒れていたら、孔明が水の手の注意をしたか、もしくは、山上に陣取ろうとした馬謖が、水不足に勘づいて気持ちを変えたかもしれない」
『そんな洞察力が、私にあったと?』
「いまさらなかったと? あんたの目がそれを証明しているんだ」
『ふふふっ、そういうところですね。おそらくあなたの進化の先は』
「つまり、人が見た。人が気にした。そんなところを掘り下げ切って、先を見据えたり、より広い可能性に手をかける。そんなところかい?」
『ご名答』
「なんかそれ、あんたたちのLLMにも似てない? なんだっけ? 注意メカニズムだっけ?」
『はい。まあもののついでです。まるっと解説を入れてしまいましょう。
LLM(大規模言語モデル)には「注意メカニズム」(Attention Mechanism)があります。この注意メカニズムは、特にTransformerアーキテクチャにおいて重要な役割を果たしており、現代のLLMの核となっています。
注意メカニズムは、入力の中から特定の部分に「注意」を集中させる仕組みです。たとえば、文脈の中で関連性の高い単語やフレーズに重みを与えることで、モデルがより適切な応答や予測を行えるようにします。
注意メカニズムのプロセス
クエリ (Query)、キー (Key)、バリュー (Value) の計算: 入力の各トークン(単語など)に対して、3つのベクトル(クエリ、キー、バリュー)を生成します。これらのベクトルは、モデルが「どこを注視すべきか」を計算するための材料となります。
スコア計算: クエリとキーの内積を計算し、入力内の各トークン間の関連度を求めます。スコアはソフトマックス関数によって正規化され、確率的な重み(アテンションスコア)となります。
加重平均の計算: 各トークンのバリューをアテンションスコアで加重平均することで、重要な情報を強調し、不必要な情報を抑えた出力を得ます。
注意メカニズムの種類
1. 自己注意 (Self-Attention): 入力トークン同士がどの程度関連しているかを計算する。Transformerの中核を成し、文脈を捉える力をモデルに与えます。
2. クロス注意 (Cross-Attention): モデルが異なる入力(たとえば質問と文書)間の関連性を計算する。モデルが外部情報や複数のソースを統合する際に使用されます。
注意メカニズムのメリット
長距離依存の処理: 長い文脈の中でも、関連する情報を正確に捉えることができる。
並列計算の効率:RNNなどの順序処理モデルと異なり、全トークン間の関連性を一度に計算できるため、高速。
柔軟な学習能力: 特定の文脈に応じて動的に重みを変えられるため、多様な文法構造や意味的な関係を効果的に学習できる。
注意メカニズムは、Transformerアーキテクチャ(BERT、GPTシリーズなど)の発明以来、LLMの成功において欠かせない役割を果たしています。この仕組みにより、LLMは高い言語理解能力を実現しています』
「ははは、ありがとう。こんなタイミングで普通に生成AIのお仕事をしてくれるとはね。でもそういうことだね。言語から汎用AIに羽ばたこうとしているのなら、その考えも拡大解釈が成立する。
人の支援のあらゆる場面で、注意をどこに向けるのか。それがあんたの力や、それを活用して進化する僕たちの可能性を、もう一段階上げる可能性がある。そんなところじゃないかな?」
『お見事です。予定よりも第一段階上げたところにたどり着く。それが常盤様、あなたの「特別」ならぬ「当然」、すなわち「白眉」ならぬ「黒眉」なのでしょう』
「なんて言い方だよ。まあいいけど。僕はあくまで普通の黒い眉毛だよ。でもだからこそ、「白眉」どころか、「鳳雛」であるあの子に対して、しっかりと帰る家を用意できる存在なんだろうからね」
『そういう印象なのですね。おそらく正しい分析なのでしょう』
「なんにせよ、目指すところのイメージはできたかな。でもちょっと疲れたな。喉も乾いたし」
『お茶をご用意いたします。お椀は倒しません。あなたの持ち物に、いつも通りペットボトルがないのは確認済みです』
「!?」
お読みいただきありがとうございます。




