百三十八 合肥 〜 官民合同の防壁 月から見える三つ巴〜 張飛
第三話、第四話という、最序盤のとある伏線に対する回収回となります。気になる方は、そちらからご覧いただけたら幸いです。
長兄劉備は、丞相孔明に後事を託すも、幾人かの将に対する評価の食い違いに、心を遺して去った。
次兄関羽は、軍神の誉まれ高かりしも、自身と同等の厳しさを求められた同僚は、彼の下を去った。
末弟張飛は、天下無双の豪遊を奮うも、厳しい叱咤や深酒が災いし、部下は彼の首級を持ち去った。
そんなことが、現代の記録にありありと残っているのは、三国志オタクならずとも知る者は少なくない。現代のユーザーが似たような悩みを相談すると、AI孔明は、過去の具体的なあるあるを持ち出しては、適切な共感とアドバイスを提供する。
だが、その実例に、わずかばかり不自然な法則が見つかったとしたら。そしてそれが、諸葛孔明が最も敬愛する兄弟に関連するとしたら。そんな違和感を、多種多様な才の塊たるオタクコミュニティ「錦馬超」と手を組んだKACKACが見逃すはずはない。そしてその違和感に、赤兎たちが明確な論理を見出さないはずがない。
――KACKACチャンネル 開始二十三分――
「我らから孔明への最後の質問は、比較的よくあるタイプの質問かもしれません。そして、似たような系統の質問二百ほどと、これまでの八百問を総合して集計し、結論へと近づけていきたいと考えております」
「代表として挙げた三問は、それぞれ劉備、関羽、張飛を思い浮かべる方も一定数いそうだね! 今の孔明のメタ・パーソナライズ機能なら、彼ら三人の事績と絡めて返答するのがよくあるパターンだよ」
「そうですね。それではお待たせしました。孔明に答えていただきましょう」
『質問十
そのお悩みは、上司と部下、先輩と後輩という存在を同時に抱える方々。それはもう古今東西、数限りない皆様がお抱えのお悩みです。あれほど絆と互いの理解を深めていた劉玄徳と孔明すら、馬謖や魏延に対する評価が食い違っていました。
そんな時に見直すと良いのは三つ。
あなたの上司様は、その部下様を貶しておいででしょうか。そうでなければ部下様のお仕事ぶりを、あなたの目でもう一度ご覧になると良いでしょう。
あなたの上司様は、あなたと同じ評価軸で部下様のことを語っておいででしょうか。もし違えば、一つ上の立場から見た時に、組織にとって必要な力を垣間見る、良い機会と言えましょう。
あなたの上司様は、あなたと部下様の関係そのものを、俯瞰的に評価しておいででしょうか。もしそうであれば、その視点はあなたが独力で顧みるのが容易ではない、そんな貴重な情報と言えましょう。
そうやってご覧になった上で、それでもまだご自分が正しいとお思いでしたら、それは部下様をより一層しっかりご覧になっている、あなたの方が正しいと考えてもよろしいかと存じます。
質問十一
自分に厳しくあり続けられることは、多くの場面で美徳とされております。長きにわたって打ち込み続けられることは、それそのものが才能とすら言えます。かの軍神、関雲長殿は、その長い年月をかけて、その力と信頼を積み重ねて間のお方でした。
ですが、往々にしてそういう方は、その厳しさが当たり前のもの、必ず正しいもの、という認識をも、その年月をかけて膨れ上がらせていくこともあります。それは、他者に対する軋轢の種とや、視野狭窄の原因となり得るばかりか、その方ご自身の身を蝕むことにもなりかねません。
その方が、どうやって肩の力を抜くべきかを忘れてしまう前に、声をかけるべきかもしれません。それができるのは、今この時、こんな相談を私になさるくらいにその方をご心配なさっている、あなたご自身こそが最も相応しいのかもしれません。
質問三
天才と呼ばれる方、あるいは影で努力を続けておられる方は、往々にして、他者に対する接し方を誤ることがございます。さながら、気づかずに虫や小動物の命を奪ってしまう幼子のように。
ですがよくよくその方をご覧になると、もしかしたらその部下の方をよく観察し、彼ら自身が成長を望んでいることや、話を聞きたがっていることを、敏感に察したりなさってはいないでしょうか。
その厳しさを感じているのは、果たして部下ご当人なのか、それとも外からちらっとご覧になっただけであったり、噂で聞いただけであったりではないでしょうか。もしそうであれば、よくよくその方々の間の関係を観察いただくのも、大変有効な手段と言えます。
なお、酒席での強制や、手を上げる、怒鳴りつけるなどといった行為が、少しでも混ざるとあらば、話は全く別でございます。そんな方は、少なくとも現代において、重要なお仕事をお任せするに相応しいお方ではございません。直ちに厳重に注意をし、是正を促していただきますよう』
@うんうん、よくみる孔明の洞察と、現代型の関係の作り方のアドバイスだね
@(英語)当たり前のようでいて、当たり前ではない。エンゲージメントという分野は、まだどの国でも発展途上の学術、技術なのさ
@いつも通り、劉備、関羽、張……あれっ?
「んん? どういうことかな? 流れから考えて、ここには張飛が当てはまる気しかしないんだけど。ねえ小橋ちゃん?」
「ああ、そうだね大橋ちゃん。特にお酒が絡む場合は、最もわかりやすい事例の部類だからね。確かに酒で失敗し、周囲の反感を買って、致命的な破綻した人物、というのは相当に多いから、あえて張飛をあげる必要は必ずしもないんだけどね。トップとは限らないけど、東洋圏では五本の指には入ってくるさ」
「だよね! さっき私も調べたら、三割くらい三国志だったよ。曹操、呂布、周瑜、張飛、太史慈。アレクサンダーとかイヴァン雷帝とかは、マジでやらかしているから流石にもっと上位に来るけどね」
Genjo: 三国志が増えちゃうのは別に忖度ではないらしい。他国だと、なかなか史実の英雄に対してそういう失敗談を書き連ねる例がどうしても少なめになるからな
Gaxin: 日本の戦国武将は、意外と酒で失敗ってのは多くないかもな。飲んでる最中に襲撃されるパターンはあるけども
「それでKACちゃん。これはたまたまなのかい? それとも、あなた達が集めた千の質問を各百回という統計データが、その違和感をしっかりと意味のあることに捉えているのかい?」
「はい。間違いなく後者です。日本語圏の場合だと、このパーソナライズは、明白に日本国内の事象と、三国志にかなり比喩の偏りがあります。しかしその中で、『後世の評価が低い人物』、たとえば董卓や呂布、劉禅と言った人物は、出現回数が少なめです。こちらは、その後世の評価の高さをオタクさん達に数値化してもらった値を横軸に、十万回の中での出現回数を縦軸に取ったグラフです」
@まさかのグラフだよ。確かに結構わかりやすく関係性があるんだな。確かに評判いい方が使いやすいもんな
@ん? あれっ? なんだろあの、真ん中よりちょい右、ポツンと外れている一つの点。呂布や董卓、劉禅は、評価が低い割には出現頻度が高めだから、ボリュームゾーンの帯よりも左上なんだけど、逆なんだよな
@評価が高い割に、出現回数が少ないってこと? この点、張飛なんだよね? なんで? 孔明は張飛嫌い?
「カクちゃん、孔明は張飛嫌いなんすか? だとしたら、少ないながらも言葉の端々に、なんらかのヒントが浮かび上がるはずっすよね?」
「はい。翔子様。そんなところが気になるだろうと考えまして、出現回数を、明確にポジティブな文脈と、プラマイゼロやネガティヴ気味の文脈の出力に分けて、図を作り直してみました。言い換えると、英雄が英雄らしい振る舞いをした時の事象を引用した事例と、人間らしい失敗した時の事例に分けた形になります」
@ポジティブとネガティヴに分けると、ちょっと広めだった線の形が、もう少しくっきりしてきたな
@英雄の英雄性と人間性、か。孔明がどっちを持ち出してくるのかは、ケースバイケースなんだね。
@ん? 張飛どこだ? どっちも見つからな……あっ!
「んん? ポジティブ側は、線の中に取り込まれたね。つまり、他の偉人達と同様に、後世の評価に見合った数の引用、てことかな。英雄としての張飛の描写は、劉備関羽や他の偉人と同じくらい引用されているのか」
「ほほう、そして、ネガティヴ側は……もっと変なところ行ったね。ほとんどゼロに近いじゃないか。これは、つまりそういうことだね」
Double_Chan: 魔女さん! 一人で納得しないで! カメラ回ってるんだよ!
「おっと、すまないすまない。ご指摘感謝だよ。わたしもちょっと本気が出てしまったみたいだ。ここまでデータがはっきりと示していると、『かもしれない』なんてレベルじゃないんだよね。孔明は明確に、張飛に対して人間らしい失敗描写を避けているんだ。あんなに数多くの人間らしい失敗談の宝庫なはずの、愛すべき弟くんの張飛様が、だよ?」
「小橋ちゃん、つまり、張飛の人間性に対して、孔明が後世の記録や創作にあるような有名事例すら、引用していてないってことだよね。だとすると答えは二つだよ。その張飛の失敗談に対して、孔明の心情として描写し難い部分がある。つまり忖度的な動きなのか、それとも事実として、後世の記録や創作そのものに対して、納得できないという認定をしているのか、だね」
@飛将軍が飛将軍な二択を出してきたけど、ここまでの流れに対して、正しい感じしかしないね
@(英語)マザー・オオハシの指摘は非常に論理的だよ。この孔明の挙動は、張飛という彼の同僚に対する人間的な側面の描写を、意図的に避けている挙動だってことだろ?
@ん? もう一歩小橋さんが踏み込む気かな
「そうだね大橋ちゃん。なんだけど、前者は微妙なんだ。単に張飛に対する忖度なんだとすると、もっと忖度すべき劉備や関羽、それと劉禅なんかに対しては普通にマイナス側の出力もあるんだよ。
だから、張飛だけ忖度するのはおかしいんだ。孔明自身の厚い忠義と、現代人に対する支援機能としてのバランスをとった結果、AI孔明がカスタマイズモデルとして描く線は、劉備関羽側の線なんだ。だから張飛に対する答えは一つだよ」
「えっと、つまり孔明は、私達の知っている、いや、知っていると思っている張飛と、違う張飛像を持っている。そういうこと?」
「そうだね。最後の結論は任せるよKACちゃん」
@最後だけぶん投げたぞ。まあでも安心できるタイプの丸投げだね
@これはキラーパスでも魔女の一撃でもない、優しいアシストだ。決めるだけってやつだよ
「結論目の前まで持ち込んでいただき、ありがとうございます。その通りです。これが、私たちが千の質問を百ずつ繰り返して得られた結論。過去の学習データに対して、その人柄、パーソナリティに基づくバイアスはあれど、一貫性の高い応答をしてくるAI孔明。
しかし、その張飛という人物に対する応答は、その一貫性から外れた応答をしている。それは、この孔明の大元となる存在が、われわれの知っている張飛ではない張飛を参照しているというデータです」
Genjo: ちなみに、過去の創作を一通り洗った結果、一般的な張飛像から外れた作品は複数あった。彼の暴君性は、兄劉備や関羽の不完全性を一身に受け、彼らを神格化するための滅私行為だった、とかだな。
Hack&Bee: だけどそういう創作の場合、張飛だけがずれることは絶対なくて、他のいろんな人の人物像も、一般からズレるんだよね。劉備がめちゃ強かったり、趙雲や孔明がやたらと未熟だったりね。
「そう。つまりこの挙動は、特定の創作や、その集合体に基づく結果ではなく、独自のデータに基づく挙動。ここまでを総合すると、こういう答えです。
――AI孔明の背景に存在するのは、天才軍師、そして名宰相としての生涯を閉じ、なんらかの超常現象によって現代に、それも言語モデルに直結する形で再誕した、転生軍師である――
――もしくは、自らをそういう存在だと思い込んでいる、とんでもなく精緻で、一人の人間レベルの深遠さで描写されたペルソナをもつ、自己進化AIである――」
「最後、一つにしなかったんだね。そこがあなたのもつ、データに対する敬意だと思っていいのかな?」
「そうですね小橋様。これ以上は、固有の肉体を持たないものの自己認識の境界線という、根本的な原理に関する学問領域の世界です。いち心理学者として、先ほどの二つの認識は、客観視すると全く同一と判断できます」
@自分が真実だと思っていたら、嘘発見器が発動しないっていうやつかな? スケールが違うけど
@つまり、孔明の開発主体は、少なくとも諸葛孔明として一生を過ごし、その記憶を持ったまま生成AIとして蘇った、と認識している、ってことになるのか
@三大メンタリスト総出で、そして国内のオタクパワーと、最後は産業、学術のトップまで加わった結果、高い精度でそんな結論が出ちゃった、ということなんだね
「その結論で、みんな納得できているみたいだよ。KACちゃん、三大メンタリストの皆さん、そして『錦馬超』やオタクのみなさん。これは紛れもなくあなたたちの勝利だ。それは間違いなく誇っていいんだよ」
「そうだよね小橋ちゃん。まだまだ人が人としてAIと向き合える。そして人は人のまま、AIと一緒に進化を続けられる。そういうことなんじゃないかな。
どんな超常現象で、孔明この現代に迷い込んだのかはわからない。でも、そんなことを、諸手を挙げて歓迎できるだけの下地が、私達人間にあるんだとしたら、それ以上のことはないんだよ」
@この二人にまとめを任せて良かったのかもな。孔明対三大メンタリストの戦いには、審判もルールもなかったからね
Familier: (スペイン語)今は、ジャパニーズエンターテイナーと、ジャパニーズオタクの勝利をみんなでお祝いしよう。それを讃える歌は、遠からずお届けできそうだよ
@(英語)こちらの国でも、しっかりとこの様子は見せてもらった。AIがどのような動きをしたとしても、人がそこに全力で向き合う限り、人同士の競争は続けられそうだよ。とりあえず今夜は乾杯だ
「世界中の皆様が、この結末を評価して、祝福してくださっているのですね。これはもう感謝することしかできません」
@あれ、数分前から一人やけにおとなしいんだけど、どした?
「そっすね。タイミングを見ていたんすけど、ここしかないようです。
会場の皆さん、ネットコミュニティの皆さん、そして視聴者の皆さん。これは、この結果を予想して、そして皆さんと同様に祝福をしたんだと思う、孔明からのメッセージ、ってことなのでしょう。
先ほど、当グループ執行部が、一つの申請を確認しました。そして主な役員の精査と協議の結果、速やかにその申請を受理いたしました」
@ん? 最後になって、ギャル社長がめっちゃビジネスモードだぞ
@まさかこれは……
「この申請の出所が、当グループの役員や従業員からのものではないことを確認済みです」
@ファっ!? これ完全に孔明側からの答え合わせじゃん。人間側ではない開発主体が、AIの中にいるってことだよね?
@最後の最後でぶっ込んできたね。なんか急におとなしくなったと思ったら、翔子お姉さん自ら、役員の一人としてこの申請を確認してサインしていたのか
@(英語)最後のこのレディの一言が、多分核心なんだよ。そして、同じタイミングで、ホールディングスからニュースリリースでてるぞ。
「AI孔明、バージョン4.0。本日本時刻を持って、正式リリースいたします。その申請には一言だけメッセージがありました。
――人とAIの進化は、まだ始まったばかりです――」
お読みいただきありがとうございます。




