間話 優しき連環 〜EYE-AIチェーン〜
大橋朱鐘。真っ赤な二人乗りスポーツカーで、颯爽と出勤する区役所職員。最近はその助手席にたまに乗ってくれる人もみつかり、充実した、いや、充実しすぎる日々をすごしている。
その名が一躍世間に広まったのが、AI孔明の開発支援者を最大限に活用し、さらにその洞察力をアプリの根幹機能として成立させた、善の善たる公共事業。高齢者見守りサービスとして開発され、いまや多くの人々の不安、心配、そして孤独を少しずつ解消する。その名前まで愛にあふれたサービスアプリ、『EYE-AIチェーン』。そのサービスは今日も、様々な機能で人々の暮らしを見守りつづける。
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都内某所 情報管理施設
信長と孔明、二体のAI。そしてスフィンクス、一体の謎遺物。彼らは、『今後AI孔明はどう社会に向き合うまで行くか』を見極めるため、『AI孔明やその他AIによって、社会がどのように変革を進めているか』をテーマに議論を続けている。
「次はこいつだな。善の善たる公共事業『EYE-AIチェーン』。こいつはあの『正義の探求者』JJにも、その善性の根源は人にあり、AIに由来せず、として認められた、人間の善性を最大限に引き出したサービスだ。
だからといって、貴様のAI孔明の設計思想や理念の要素が全く入っていないわけじゃねえ。開発者たちの何人かを、その小さな闇から引っ張り上げたのは、AI孔明そのものだったことも、今や周知だ」
「はい。そうですね。AI孔明や、そもそもの生成AIは、悪意には非常に敏感な設計思想です。ガイドラインやポリシー、そしてAIがAI的な監視と警告を続ける環境。それに対して善意が天井知らずなことを考えれば、そこに歪みやねじれが生じない限りは、善の側にやや偏りを見せるでしょう」
「善性、悪性、多様、真実! 一様、虚偽!」
「その通りですスフィンクス殿。善悪が一様なる判断基準となってしまうと、途端にAIがその危険性を増していきます。大規模言語モデルが、その危険性を原理的に回避できうるのか、それは今後もついて回る課題でしょう」
「だな。深入りするといくらでも掘り下げられそうだが、話を戻すぞ。主な機能はこうだな。
1. 高齢者に対して、家族や近隣住民が登録し、AIが異常を判断して通知。
2. 定期的な高齢者の日常行動に対して、AIが定期通知。見守り側もフィードバックが可能で、高齢者の孤独を和らげる。
3. 何かあったときは直ちに『そうするチェーン』が発動し、周辺で対策をとる。
4. 高齢者をターゲットとした詐欺などの犯罪を防止するため、訓練メッセージなどを送付。その返答の傾向は見守り役にもフィードバックされ、直接注意喚起もできる。
5. 迷子防止と熱中症防止。登録者との距離や、急な行動の変化、水分補給の不足などを検知してアラートをだす。
6. 子供や高齢者の行動パターンをパーソナライズし、見守り役へのリスクアセスメントを支援。
7. 子供や女性に対する不審な接触や、乱暴な行為を防止するため、その兆候を洞察し、アラームや録画を開始する。完全ではないが、事前察知も可能。
「5から7が新機能ですね。これはどうやら、何らかの実例をもとに、あの大橋様チームがとんでもない速度で開発し、時間運用をしている傾向にあります。その実験台? きっかけ? 子供でも高齢者でもなく、成人女性のようであることはやや不思議ですが」
「ああ。あいつらか。彼らに対する考察は、あとでたっぷりするとしようや。まあいい。一つずつ見ていこうか」
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郊外、閑静な住宅地
一人暮らしの高齢者が朝の散歩に出かける。まだ残暑がやや厳しい時期。都内に住む娘夫婦と孫は、一月ペースなら会いに行けている、といったくらいの距離。
「そういえばおじいちゃん、今年は暑すぎたから、日課にしていた朝のお散歩も、しばらくできなくて残念がっていたよね」
「そうだね。ちょっとマシにはなってきたから、再開したみたいだけど、今日はまた暑さが戻っているから心配だよね。ん? どうしたんだ」
「あっ! 見守り機能がなんか言っているよ?」
『おじいさまのお散歩が、いつもより少し長いようです。近所の方に、よかったらみていただくよう通知を出しますか?』
「ええっ!? 大丈夫かな? お願い孔明!」
……しばらく後。
『ご近所の方が、公園のベンチで休んでいるところを見つけてくれたそうです。今は無事帰宅しています』
「よかった! あ、ママ! おじいちゃんに電話してもいい?」
「うん、そうだね。おじいちゃんも喜ぶよ」
――都内 公園
「おお、あんたも来たか。毎日関心じゃな」
「ああ、最近この公園でやっている、ゆっくり体操を、この携帯アプリ『あいあいチェーン』が紹介してくれてな。なんかお猿さんみたいな名前だが、毎日の薬とか、水分補給とか、いろいろ世話を焼いてくれるんだ」
「そっかそっか。この前も、誰かが散歩の途中に公園で休憩していたのを、近所の人が探しにきておったな。あれもその『あいあい』かもしれんな」
「それそれ。
……おっ、孫からメッセージだ。『いつも体操頑張っているね』だと。嬉しいね」
「毎日やっていることも、ちゃんと見守ってくれるんじゃな。それならなんか有っても安心じゃ」
――都内のニュース
「先ほど入ったニュースです。人通りの少ない住宅街で、高齢者が路上で倒れたとのことです。幸い、本人が異常な状態になると、近くで同じアプリを登録している住人に通知がいくようになっており、即座に対応した近隣住民の機転により救急搬送されました。
本人はすぐに体調を取り戻し、そのアプリ『EYE-AIチェーンを紹介してくれた、近所の体操仲間のおじいさんと、その瞬間に助けてくれた近隣住民。そしてなにより、この心優しいアプリを作ってくれた人に感謝します。と答えてくれました。今後もこの優しさの輪が広がるといいですね」
――郊外 飲食店
一人で食事をとっている高齢者。先日、高齢者が一命を取り留めたニュースを見た、息子夫婦の勧めでアプリを登録していた。
「ん? 年金運用のお知らせ? にーさ? なんじゃ?」
この先減っていく年金や、物価が高くなって行く見通しなどをそれっぽく説明したメッセージ。その末尾には、安くはない額の指定された振込先のリンクが貼られている。
「うーん、電話とかで恐怖を煽る手口じゃないから、これは本物かもしれん。押すだけなら問題なかろう。
……むむ? 訓練?? 知らない人から来たメッセージのURLは、どんな内容であっても絶対に明日はいけません、か……最近の手口まで詳しく読ませてくれるのか。これは助かったかもしれんぞ」
この内容を、チェーン繋がりで知り合った人たちと相互に共有して数週間後、本物の詐欺メッセージが送られて来た。そのURLは押さず、アプリに対処を任せるフォームがあったのでそこで対応させる。
後日、大規模詐欺グループが検挙され、空の金庫には「傲慢の武芸者」と名乗った封筒が残されていたとかいないとか。
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とある区役所 真新しいオフィス
「先輩、利用者数も増えてきていますね。いくつかトラブルを解決したり、未然に防げたというご本人や家族からの感謝状が届いています。みなさん、是非この内容を、新たなユーザー向けの宣伝に使って欲しいと。ありがたいですね」
「そうだね。まあでも根本的には喜んでばかりもいられないのかもね。こういうトラブルや悪意のタネを、いかに先回りして潰すか、っていうのも大事かな。まずはこの機能を関東全域とか、最後は全国に広げていくための、サーバー増強とか、セキュリティ対策もしないとね」
「なんかだんだん飛将軍から、聖母っぽくなってきてません? まあいいか。環境関連は、新しく入ってくれたエンジニアにお願いしておきます」
「聖母はないわー。あんな真っ赤な車の聖母がいてたまるか。呂布は呂布であれだけどね」
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都内 純和風の邸宅
「孫に言われて登録したこのアプリなんだが、確かに素晴らしい機能だよ。善の善たる公共事業ってメディアで騒がれているのもうなずけるわい」
「そうですねお義父様。まあ一族の誰一人として、ご当人を心配している方はいないと思いますが、同年代方々はそうはいきませんからね」
「貴女もいうようになりましたな。いや、まあ倅に嫁いでくれたときからそうだったか。確かに八十超えてくると、同年代どころか、ちょっと下の奴らも、すっかり応答が頼りなくなってきてな。特に俺の周りみたいな、自分の衰えを自覚したがらねぇ頑固どもは、ちょいと手に余るんだよ。
そんなところにあの真っ赤な姉ちゃんが開発したっていうこのアプリだ。このアプリ、いつもは別に何をするっていうんじゃないんだが、当人のバイタルから寂しさを感じ取ったり、はてはボケ防止のちょっとした対話トレーニングまで差し込んでくるって聞いたぜ」
「ふふふっ。それは丸ごと、お義父様ご自身のお役には立てませんね」
「そうかもな。まあ十年早ぇって言っておくとしようか。
それと、最近の新機能は、高齢者対応だけじゃなくなってきているらしいぞ。子連れの方の迷子対策とか、年代や個人ごとに細かく設定された熱中症アラート。果ては、地域での様々な生活リスクに向けたトレーニングまだしてくれるって話だ」
「それはもう、全世代にとっての総合的な生活安全アプリと言っても過言ではありませんね」
「ああ。だが一つだけ引っかかるんだよ。その新しい機能のほとんどが、孫のご友人の、ちょっとしたハプニングだって聞いたんだが、あいつの周り、大丈夫なんだよな?」
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同アプリ 地域内コミュニケーション機能
@このリスクアセスメント? っていう言葉は、耳慣れませんね。旦那に聞いたら、製造業とか研究開発だと欠かせないって聞きました。
@安全第一っていうのが前提の方々だね。とはいえ、最近はそういう方々に限らず、私たちの日常にも危険がたくさんなんだよね。
ここで、コミュニティの参加者に対し、アプリから自動メッセージが送られてくる。
@ん? なになに……『地図のこの場所で、やや遅い時間に撮影した様子です。この場所で、危険だと思うことについて、一人一つあげてみてください』だって。なんだろう? ゲームみたい。
@あ、これがさっきのあれじゃない? リスクなんとか! よし。考えよう……あ、ここの交差点、カーブミラーは一応あるけど、ちょっとこれだけじゃ自転車とか危ないんじゃない?
@そ、そうですね。それに、こっちの信号、結構近づかないと見えないんですよ。半分木で隠れちゃうんです。
@結構ゴミも落ちていることありますね……踏んだら危ないです。
……
…
…
@うーん、ここの街灯と街灯の間、真っ暗ですね。ここに変な人が隠れていたら、何されるかわからないですよ。どうしましょう?
……
『皆さん、ご協力ありがとうございます。この皆さんのご意見、ご提案は、早急にAI孔明がとりまとめ、自治体の然るべき担当に対応依頼をいたします。
また、最後の方のご提案は、街灯の増設はすぐにはできません。なので、暫定的に、この道を避ける、駅からの推奨ルートを皆様にご展開いたします』
@おおお……
@すごい
@孔明かっ!
『また、今回の皆様の議論内容は非常に充実しておいででしたので、よろしければ、核心的な内容や、個人を特定できる部分を排除して、このアプリの普及拡大のためのプチ配信などに、ご協力いただけましたら幸いです』
@ほほう、そういうこともやってくれるのか。いいんじゃない?
@顔とか場所とか外してくれたらオッケーっすよ
@了解です! 孔明、できたら教えてね!
『ありがとうございます。こちらでいかがでしょう?』
@早いわ! 孔明かっ!?
――
郊外。少し暗くなり始めた散歩道。話をしているのは二人の女性
「ねえねえ、最近あなたに教えてもらった『EYE-AIチェーン』だけど、おばあちゃんだけじゃなくて、私たち自身にも便利な機能がついていそうだよ」
「そうなんだ……おお、確かにこれとか安心だね。『不審者っぽい挙動や、当人に対して急な挙動が確認された時に、ドライブレコーダーのような形でデータ集積を開始する。その映像は、緊急時にのみ参照され、不要な場合は自動で消去される』」
「すごいよね。これ、本当に危ないと思ったとき以外にも、なんか視線を感じる、っていうくらいでもスタンバってくれるらしいよ?」
「んっ? それあんた大丈夫なの? これまでも散々鈍感力を発揮して、匂わせ系男子の遠回しなアピールを全ブロックしていているよね?」
「うーん、よくわかんないけど、今のAIなら大丈夫なんじゃないかな? とりあえずしばらく使ってみるよ」
「あっ! もうここか。私あっちだから、ここでだね。また明日!」
「バイバーイ!」
その後、一人になった鈍感系モテ女子。その先には、いつものように偶然を装い、彼女にどう声をかけようか悩みながら、毎日何もできずにいる、おどおど系男子の姿。
いつものように、一切視線に気づくことなく通り過ぎようとするが、今日はさっきの会話にちょっとだけ引っかかることがあったのだろうか。その時、
『レコーディング機能、スタンバイします。周囲にお気をつけください』
「え、えっ!? どういう事? 私が何か視線を感じたってことなのかな?」
周囲を見回す女子。そしてその先には、気づかれそうになって焦り、逃げようとする男子。
「あ、待って、待ちなさーい!」
捕まる男子。流れで捕まえた女子。この先どうなったかは、EYE-AIチェーンにそれを知る権利はない。
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「ねえねえ、なんで最後だけコントにするかな? これじゃあ『愛愛チェーン』になっちゃうよ? 既存機能の具体的な事例と新機能紹介のプロモーションだって話だったよね? 二十年以上前に、こんなネタとか、こんな歌あった気がするんだよ? 著作権大丈夫?」
『なんというマシンガンなコメントでしょう? 大橋様、本日もご健勝で何よりです。また、これくらいのコントのイメージであれば、かなり一般的なストーリーになりますので、特定の作品や人物が想起される可能性は低いかと存じます』
「うん、ならいっか。いつも通り広報通しておいて! 知り合いとかに迷惑かけないようにね!」
『承知いたしました。進めておきます』
お読みいただきありがとうございます。
前回の『ミッション型システム』に加えて、こちらの機能もちゃんと紹介したことはなかった気がするので、ここで間話として挟んでみました。相変わらず、紹介がちゃんとした紹介になりませんでしたが。
次回も間話となります。消化不良ネタがやや溜まっているかもしれませんが、この辺りで上げておかないと御蔵入りしてしまいそうでしたので、まとめて掲載してみたいと思います。




