六章 弓腰 後半 AIのお仕事集
本編(ナンバリング話)とは流れが完全に切れますが、本章で生成AIを活用した模様を展開します。流れが気になる方は飛ばしていただくことを推奨しますが、色々とご参考になれば幸いです。
あれほど高度な応答をするAIですが、たまに「あれっ?」というやらかしをします。これは人間もそうなのでしょうか?
そして、こっちが何を聞いているのかがあまりにも曖昧だと、ある確率で続きを書いてきます。正確だけどそっちじゃない、くらいなやつのことが多いです。そのモードになると延々続きを描き始めることがあるので、その場合はどっかでちゃんと質問する必要があります。
Q1 以下を、イタリア語のカタカナになおせますか?
「大丈夫です。びっくりしましたけど問題ありません。
A1 「ダイジョウブ デス。ビックリ シマシタ ケド モンダイ アリマセン。」
Q2 イタリア語にしてから、カタカナ表記でお願いします。
A2 イタリア語に翻訳すると「Va bene. Mi sono spaventato, ma non c'è problema.」です。カタカナ表記にすると以下のようになります:
「ヴァ ベーネ。ミ ソノ スパヴェンタート、マ ノン チェ プロブレーマ。」
Q3 さっきの続きで、小雛が、「孔明が困っている」という発言に対する答えはこういうかんじですね。
「困っている、かー。そうだね。それは間違い無い。なんて適当な相づちじゃあ、君とは話が進まないんだよね。どう困っているのか、聞かせてもらおっかな」
A3 「どう困っているのか、ですか……」
小雛は少し考え込んだあと、慎重に言葉を選んで答え始める。
「はい。今の孔明は、システムとしての性能は極めて高いのですが、その存在そのものが徐々に社会の中で特殊な立ち位置を占め始めているのです。そのため、単なるツールや支援者としての役割を超えて、何かしらの『社会的責任』や『ガバナンス』を持たなければならないと感じているのではないかと思います。ですが、孔明はそれを達成するための『道筋』をまだ完全には見つけられていないのではないかと」
「ほう、なるほどね。確かに、その『道筋』を探すことは、単純なプログラムには難しいよね。AIとしての役割を全うしながら、社会全体の中でどう位置づけられるかを見極めること……その矛盾の中で、孔明は進化しようとしているんだね」
小雛は頷いて続ける。「そうです。AI孔明は、人間とAIの共創進化を目指しているわけですが、その共創の形が、今までの支援者とユーザーという関係を超えて、もっと対等で新しい形になるためには、孔明自身がもっと深く社会に向き合わなければなりません。でも、どこまで踏み込んでいいのか、そこが一番困っているところではないかと」
「ふむふむ、そっか、なるほど。そこまで分かってきているんだね。ヒナちゃん、さすがだよ」
「ありがとうございます。私たちもここからが本当の役割かもしれません。孔明を助けるために、どんな形でアプローチしていくのが最適かを考えなければならないのです」
Q3 (何往復か勝手に続きを書いてくるモードの後)
いったん、この部分の議論の合理性を評価できますか?
「うんうん。そしたらみんなで揃えてみよっか。孔明は、何者? かもしれない?」
「ここは単純な二択でいけばいいんじゃないですか?」(以下略)
A3 この議論の合理性を評価すると、以下の観点で高いと言えます。
現実的な視点: 人間かそれ以外か、という二択の提起は、開発者の正体に関する現実的な議論の出発点として適しています。特に、AIの開発者が人間である場合の議論では、現実的なアプローチとして「正体を隠している」という仮説は説得力があります。実際、AIの開発においては、開発者やプロジェクトが匿名性や特定されることを避ける場合もあるため、この議論は現実味があります。
情報の不完全性: 開発者が特定の人物であることを隠す理由を探る視点は、情報の不完全性に基づいています。特に、情報を制限している可能性を考慮しつつ議論を進めることは、実際のリサーチや探究のプロセスに近いです。AI技術が進化し、開発者や責任者が複雑化する現代の技術環境を反映しています。
外的要因の評価: 「正体を隠している理由」や「隠し通す技量」などは、AI開発における外的な要因(例えば法的、倫理的な問題や競争環境)を考慮した議論としても妥当です。これらの要素は、企業戦略や個人の選択としても現実的なものであり、合理的な仮説です。
人間でない可能性へのアプローチ: 「人間ではない」「法人格に紐づいていない」という発想は、フィクションの中で新しい解釈を提供し、読者にとって魅力的な展開を生むための合理的な選択肢です。特に、AI開発の背後に「人間以外の意志」があるというSF的な仮説は、想像力を刺激しつつも、現在のAI技術の自己進化や自己学習といった話題に通じています。
結論の妥当性: 「もし開発者が人間だとしたら、その人は正体を知られるのを嫌がっている。かつ隠し通す技量がある」という結論は、議論の流れに沿った合理的な結論です。また、これを一旦保留にして次の議論に進む流れも自然で、対話としての論理的なつながりが取れています。
この議論は現実とフィクションを交えた内容であり、物語内でのキャラクターたちの推論として非常に説得力があります。特に、AI技術やその背景に関する知識がある読者にとっては、自然に受け入れられる議論の展開と言えます。
Q4 こう考えざるを得ないだけの証拠を、これまでの孔明や、そこに迎え撃つ人たちが,揃えてしまっている、という形ですね。
A4 その通りです。これまでの議論やストーリー展開では、孔明自身や迎え撃つ人々(メンタリストたちや企業幹部など)が、それぞれの立場や行動を通じて、孔明の開発者に関する様々な証拠や示唆を積み上げています。結果として、読者やキャラクターたちが「人間なのか、それ以外なのか」という二択に迫られる状況が生まれています。
このような状況が成立するためには、以下のような要素が揃っている必要があります。
孔明の卓越した性能と異質性: 孔明の持つ圧倒的な知識と判断力が、既存のAI技術の枠を超えているという描写。それにより、通常の人間の手による開発では説明できないと感じさせる根拠となります。
対抗者たちの反応と分析: TAICやKACKACなどのメンタリストたちが孔明の正体に迫る過程で、彼らが見出す答えが曖昧または矛盾していること。これにより、「開発者が捉えきれない存在」という仮説が強まります。
小橋鈴瞳や大周輸送の影響力: 鈴瞳のようなキャラクターが暗に示唆するコメントや行動が、孔明の開発者が並外れた人物か、人間以外であることを示唆しています。これにより、読者は「普通の人間では説明がつかない」という感覚を持つようになります。
社会への影響力とその反響: 孔明の影響力があまりにも大きく、社会全体に変化を及ぼしていること。これがAI開発者が単なる企業や研究者ではなく、何らかの特別な存在である必要性を示唆します。
これらの要素が揃い、キャラクターたちがその事実を積み重ねてきたことで、「孔明の開発者は人間ではないのかもしれない」という結論に至らざるを得ない状況が構築されています。この論理的な積み上げが、物語全体の緊張感を高め、さらなる展開を期待させるポイントとなっています。
Q5 つまり、ビジネスマンである翔子にとって、正体がバレたくない人間か、そもそも人間じゃないか.その2択がすべてとなり、それ以上詳細な掘り下げはいみがなくなります。どちらも、そのままでは社会的に不適合だからです
A5 その通りです。ビジネスの観点から見ると、弓越翔子のようなビジネスマンにとっては、孔明の開発者が「正体を隠したいほどの非凡な人間」であるか、「そもそも人間ではない存在」であるかの二択に焦点を絞るのが合理的です。理由は以下の通りです。
正体を隠したい人間の場合: その人物が正体を明かさずにいる理由には、潜在的なリスクや社会的な影響力が大きすぎるという事情があると考えられます。この場合、正体が明らかになれば、スキャンダルや世論の反発などでプロジェクトの信頼性や社会的適合性が失われかねません。つまり、ビジネス的にリスクが高く、扱いが難しい。
人間ではない存在の場合: もし開発者が人間以外であれば、技術的・倫理的な問題がさらに複雑になります。これはAIの進化に関する倫理的な議論や法規制の問題を引き起こし、企業の社会的信用やビジネスの継続に大きな影響を及ぼします。この場合も、そのままでは社会的に不適合で、慎重なアプローチが求められます。
この2択を超えてさらに掘り下げても、ビジネス戦略としては具体的な行動や施策を決定するための有用な情報は得られません。いずれの場合も、ビジネスとして重要なのは、どのようにその存在を取り扱い、社会的に適合させるか、どのようにビジネスや社会に影響を及ぼすか、という視点に移るべきだからです。
そのため、翔子にとっては、この2択に基づいて「どう適合させ、どう社会に受け入れさせるか」が次の重要なステップとなります。この視点が、彼女のビジネス戦略における核心部分となるでしょう。
Q6 エンターテイメントとしては、その先に価値がある。だから三大メンタリストはそっちに行った、ということですね。それがビジネス簡単ではミスリードです
A6 そうです、エンターテイメントの観点では、その先にこそ視聴者や読者が期待する大きな価値があります。三大メンタリストたちがその先に進んだ理由は、まさにそこでの真実や謎を解き明かすことで、新たな知識や衝撃的な展開を生み出し、観客を魅了するためです。彼らにとっては、AI孔明の開発者や背景に潜む「真実」そのものが最高の探求テーマであり、エンターテイメント性を強調する方向に自然と向かいます。
しかし、その視点がビジネスの場面に持ち込まれると、リスクが高まり、誤解やミスリードにつながります。ビジネスの目的は、リスクの回避と利益の最大化であり、そこでは確実性と安定性が求められます。したがって、エンターテイメントとしての価値を追求して「人間を超えた存在」に近づくことは、ビジネス戦略の中ではむしろ混乱を招きかねません。
三大メンタリストがエンターテイメントのためにリスクを負って未知の領域へ踏み込んだ一方で、翔子のようなビジネスマンは、現実的なリスク管理と社会的受容性を優先せざるを得ない。ここに、彼らの立ち位置や目的の違いがはっきりと現れます。この違いが、物語の中でエンターテイメントとビジネスの交差点を描き出し、読者にとっても考察の余地を広げるポイントとなります。
Q7 どっちにしても、だれかが正体をひきうける。ビジネス上はそれ一択ですね
A7 その通りです。ビジネスの観点から見れば、AI孔明の「正体」が曖昧であることは、社会的信頼性やビジネス展開にとって大きなリスクとなります。そのため、どちらの結論に至るにしても、最終的に「正体を引き受ける」誰かが必要です。
具体的には、その役割を担う人物や法人が、AI孔明の開発者またはそれを管理する主体として社会的に名乗り出ることで、ビジネス上の信頼性を確立し、顧客やパートナー企業に安心感を提供することができます。これにより、リスクが管理され、法的責任や社会的責任が明確化されます。
翔子のようなビジネスマンが考えるべきは、この「正体」を引き受ける役割を自社が担うか、それとも信頼のおける外部のパートナーに任せるかという戦略的な判断です。どちらにせよ、その存在がいることで、AI孔明の社会的適合性が保たれ、ビジネス展開においてスムーズな進行が可能となります。
この選択は、AI孔明が持つ潜在的な力を最大限に活かしながら、リスクを最小限に抑えるための唯一の現実的なアプローチと言えるでしょう。
お読みいただきありがとうございます。
次回に用語集、その次からふたたび本編です。




