第一楽章・七、赤色の純粋
「あの……」
派手に転んだ赤い髪の少年を見つめるローゼ。
「大丈夫?」
動かなかった少年は、しばらくして勢いよく立ち上がった。
「わっ!」
「ははっ。驚かせてごめん」
困ったように笑いながら、頭をかく少年。
「ローゼが来たっていうのは聞いてたんだけどさ、廊下を歩いてたら、ローゼみたいな人を見つけたから、嬉しくって」
ボサボサの赤い髪。同じように赤い瞳。着くずしたスーツも真っ赤。そんな少年は、ローゼよりも少し歳下らしい。顔つきがとても幼かった。
「やっぱりローゼだ」
嬉しそうな笑顔を向ける少年。
「あなたは……?」
「俺? あぁ、ごめん。名前を言ってなかったな。俺はロート。赤の天使だ」
ローゼは心の中で考える。
白の天使 ヴァイス
青の天使 ブラウ
黄の天使 ゲルプ
緑の天使 グリューン
赤の天使 ロート
確か天使は六色と言っていた。
……ということは、もう一人いるということね。
「あー! ローゼ怪我してるじゃん!」
ローゼの右足を見て言うロート。
「治し屋に連れていってあげるよ!」
「え?」
「ほら、肩貸すから」
──ほら、肩に掴まれ
大丈夫、すぐに病院に連れていってあげるからな
誰かが優しく手を差し延べている
顔は歪んで見えない
ねぇ、あなたは誰なの?
あなたは私の……何?
「ローゼ?」
心配そうに顔を覗き込むロート。
「はっ! あっ、何?」
今のは……?
一瞬で煙のように消えていく『記憶』。
「肩掴まりなよ! 連れていってあげるから」
それとも、おんぶがいい? なんて一人で言っているロート。少し頬を赤らめて。
「あの……大丈夫だから」
「大丈夫なはずがない! 第一、足を引きずってるじゃないか!」
ローゼの足を指差して言うロート。
「そうだけど……」
「早く治さないとっ! 治し屋じゃ済まなくなったら困るよ」
ほらっ。と肩を差し出すロート。
「う……ん」
ローゼは遠慮がちに手を伸ばす。と同時にその手が強く引かれて、肩に組まされた。そして、ローゼの手を掴んだ方と反対の手で、彼女の腰を支える。
「じゃ、力抜いてねー」
「ひゃっ!」
ロートの背中から、綺麗な赤の翼が現れた。
それは、天使の翼。
さすが天使。やっぱり翼が生えるのね。って!
「飛んでる!!」
ゆっくりと動かされる翼。ふわりと浮いたかと思えば
「きゃあ!」
もの凄いスピードで廊下を滑るように進んだ。
「力抜けって言ったじゃん。落としちゃうって」
腰に回した手の力が強くなる。
「──っ」
あまりの驚きに声にならないローゼ。
「はっ☆」
ロートは目の前に現れたガラス窓に手をかざす。すると、手を触れていないのに勝手に窓が開いた。
「ぅわっ!」
急に出た外の空気に、エプロンドレスの裾がはためく。ローゼは慌てて押さえた。
飛んでるよ! 私!!
「力を抜いて、楽にするんだよ。風が勝手に連れていってくれるから」
ロートがしっかりと支えてくれているおかげで、ローゼにも小さくうごめく下の人々を見ることが出来るほどの余裕が出てきた。
「うん。そうそう。いい感じ」
支えていない方の手でローゼの頭を撫でるロート。
「そろそろ着くよ」
小さな光景を夢見心地で見つめながら、ローゼは頷いた。
『治し屋』の看板の前に降り立つロートとローゼ。周りの人々は人が飛ぶのに見慣れているのか、二人を気にせずに歩いている。
「よっ! 治し屋のおっさん」
ロートが治し屋のドアを開けた。
「わいはまだ若い!」
奥からドタバタと現れたアーツルト。
「なんだよ。顔しわくちゃのくせに」
「うるさい! 生まれつきや! おめぇもまだそんなチビ面しやがって」
「チビって言うな!」
鋭い罵声が飛び交う。
「あの……」
「「関係ない奴は黙っとけ!!」」
同時に叫ばれた。その瞬間、ローゼの中の何かがブチッと切れる。
「もう……」
また繰り広げられる激しい言い合い。
「いい加減にしてよ!!」
ローゼは傍のテーブルをドンと叩いた。
シーン──
動きを止め、驚いたようにローゼを見る二人。
う……今日はどうも調子が狂うわ。
こめかみを押さえ、ため息をつくローゼ。
「私の怪我を治してもらうために来たんじゃないの?」
「お! そーだったそーだった。おっさん頼ん」
「んぁ?」
アーツルトに睨まれるロート。
「……アーツルトさんよろしくお願いします」
ロートがおとなしくそう言ったのは、隣にいるローゼも彼を睨んでいたからだ。
「承知や!」
アーツルトは機嫌良さそうに奥へと案内した。
「また一瞬で治ったわ。なんかの手品なの?」
綺麗になった足をさすりながら、ローゼは呟く。
「治し屋は怪我を治す場所だよ」
頭の後ろで手を組みながら、ロートは言った。
「ふーん」
深く考えない方がいい。そう思ったローゼはそれ以上聞くのをやめた。
「これからどうする? 城に戻るか?」
「うーん……」
今まで色々なことがありすぎた。少し休みたい。と思っていると
「あ! コンフィテューレだ!」
ロートが店の看板を見て、嬉しそうな声を出した。
「なに? そのコンフィ……って」
「おいしいよ。小腹も空いたし、食べてく?」
「でも私お金持ってない……」
「俺が奢るよ。行こ♪」
強引に連れて行かれる。ローゼはその強引さに勝てなかった。
「……うん」
ロートに手を握られたまま、ローゼは頷くしかなかった。
「おいしいでしょ」
「うん……おいしい!」
コンフィテューレというのは、どうやらお菓子の一種のようだ。丸いクッキーに、色とりどりのジャムが乗っかっている。
「このジャム、凄く甘い」
「ジャム?」
ロートが首を傾げる。
「じゃあこれはクッキーじゃないの?」
「クッキー?」
また首を傾げた。
「そのお菓子はコンフィテューレだよ。俺はその、クッキーだとかの名前の食べ物知らないな」
その言葉を聞いて、世界が違うことを改めて思い知らされた。
──そういえば、お茶会の時も知らないものばかりだったかも。
「ねぇ」
ロートが身を乗り出す。
「なに?」
「ローゼは、相変わらずピアノ弾いてるの?」
「なんでそれを……?」
「だっていつも弾いてたじゃん」
「え……?」
ローゼの顔を覗き込むロート。その瞳は、嘘を言っているように見えない。
「私とあなたって、前に会ったことあるの?」
何か言いかけたロートは
「あ……」
口を押さえて黙った。
「いや、なんでもないっていうか……」
「え?」
「出るか。ここ」
ローゼの手を掴み、立ち上がるロート。
「ちょっとっ」
「行こうぜ」
逆らえない自分に、ローゼは困惑する。
「なんで……?」
引っ張られるようにして、ローゼは店を出た。
「ここは?」
「うーん。公園ってとこかな」
気付かないうちに、日はかなり落ちていた。オレンジ色の空が、ローゼのスカイブルーの瞳にうつる。
公園の端にある白いベンチに、二人は肩を並べて座った。
「さっきのはなんなの?」
「あぁ、気にしないで。詳しくは王子が話してくれるだろうし」
「王子?」
「この国で一番偉い人だよ」
「ふーん」
しばらくの沈黙。ローゼは、風になびくロートの鮮やかな赤い髪を見つめていた。
綺麗……
吸い込まれるような赤。見ているだけで、くらくらとしてしまいそうなくらい綺麗な赤い色。
「なんか俺の髪についてる?」
「あっ! ううん。別に」
我にかえったローゼが慌てて取り繕う。
ロートは、夕日に照らされて輝くローゼの髪を、くるくると弄んだ。何気なく二人の距離が縮まる。
「ねぇ、一つ聞いても良い?」
「な、何?」
少し顔を近づけ、小声で言う。
「俺のこと、好き?」
「へ?」
「好き? 答えて」
覗き込むロートの好奇心旺盛な瞳から、目が離せなくなる。──まるで、何かに操られているかのように。
「嫌い……じゃ、ないよ」
苦しまぎれにそう言った瞬間、ロートはいきなり立ち上がった。
「やったー!」
そのままガッツポーズ。
「え?」
「だって『嫌いじゃない』ってことは『好き』ってことでしょ」
「いや、それとこれとは……」
「ありがとうローゼ。すっごく嬉しいよ!」
無邪気に笑うロート。その笑顔に、ローゼも自然と笑顔になる。
「あなた、単純すぎよ」
とたんに、喜んでいたロートがベンチに座り、ローゼ頭に手を乗せた。
「今の笑顔、すごく可愛い」
真面目に言われ、思わず頬を赤く染めるローゼ。
「俺もローゼのこと……」
ロートの手が、ローゼの体に触れる。そして、ゆっくりと抱きしめた。
ローゼの体が一瞬、強張る。
「……嫌?」
少し体を離したロートが、心配そうに言った。
体が、心が、寂しさを訴える
胸が苦しくなる
息が上手く出来なくなる
彼が欲しくなる
「嫌じゃない……よ」
力の抜けたローゼの体を、ロートはしっかりと抱きしめた。
ローゼの言動の一つひとつに
一喜一憂してしまう
それは俺だけに言ってくれた言葉だから
ねぇ、もっかい言ってみて?
俺が好きって
「ローゼ、俺も……」
夕日が完全に沈み、街灯のない辺りは暗くなる。
「大好きだよ」
ローゼの顔を確かめるように、輪郭をなぞるロートの指。
そして……
柔らかいものが、一瞬だけ唇に触れた。
暗い公園の中。さわさわと揺れる周りの木々だけが、二人を優しく見つめている。
相手は自分よりも子供
なのに
どうしてこんなにドキドキするの──?
迷いを捨てるように、ローゼは目を閉じる。
見たくないのなら、見なければいい
闇に溶かしてしまえば
もう何も見えない
ほら、今だって
そんな言葉を、誰かから聞いた気がする。ぼんやりとした頭で、ローゼは考える。
何故私は今
抱きしめられているのだろう──
抱きしめられた腕は、とても暖かい。
答えも出ないまま、ローゼの意識は途切れた。
《ロート》
火を司る赤の天使。その実体は単純天使。年齢不詳だがローゼより年下の子供。子供の癖にませていて、一人よく動くし、よく喋る。