第一楽章・二、音の国ムズィーク
「さあローゼ様。行きましょう。夜が明ける前に」
ローゼに恭しく手を差し出すヴァイス。
「でも怪我してるから……」
「あ、そうでしたね」
あっけらかんと言われ、ローゼは少し黙った。
彼のせいで怪我したのに……。
「それでは」
そんなローゼに構わず、ヴァイスは彼女をひょいっと持ち上げた。
え? なにこれ? お姫様抱っこ!?
初めての事に恥ずかしさを覚え、足をばたつかせるローゼ。そして足の怪我が痛み、少し表情が険しくなる。
「大人しくしていて下さい。『すぐ』着きますから」
「へ? キャア!」
ヴァイスはおもむろに飛び上がった。
「ひゃあ! むぅっ……」
驚いているローゼの口を手で塞ぎ、妖しく微笑むヴァイス。
「静かにしていないと、この手を離してしまいますよ」
生い茂る木の枝を飛び移りながら、どんどん進むヴァイス。もちろん地上からはかなり離れていて……
ローゼはすぐに黙り込み、下を見ないように固く目をつぶった。
「ローゼ様、着きましたよ」
目をつぶっているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。
「うーん……」
ベンチの上へ静かにおろされたローゼは、少し背伸びをした。そしてゆっくりと目を開け……その目がまんまるに見開かれる。
「す、すごぉい……」
周りは中世ヨーロッパのような町並み。そこをがやがやと忙しそうに歩き回る人々。その人々にローゼは引き付けられた。
「人間じゃ……ない」
もちろんヴァイスのように人間らしい姿の人もいるが、ほとんどはそうではなかった。
もこもこの耳を生やした赤い目のウサギ。つやつやとした緑色のカエル。ブタに、ウマに、ゾウに……
それはまさにローゼの読んでいた本に出てきた、彼女の夢見た光景そのものだった。
「音の国ムズィークへようこそ」
ヴァイスは、恭しくお辞儀をした。
「ローゼ様……ローゼ様!」
「え? あ、はい!」
思わずこの不思議な光景に見入ってしまっていた。
「まずはその怪我を治さなければいけませんね。『治し屋』に行きましょう」
「『治し屋』?」
「行けば分かりますよ」
ヴァイスは微笑むと、慣れた手つきでローゼを抱き上げた。彼女ももう抵抗しなかった。
「ここです」
ヴァイスがある店の前で足を止めた。そこには、几帳面な筆字で『治し屋』と書かれている。
「『どんな怪我も一瞬で治します』って、普通怪我って何日もかけないと治らないものじゃないの?」
「いいえ。一瞬で治りますよ」
ヴァイスは足で器用に扉を開けて、中に入った。
「おぉ、ヴァイスはん、久しぶりやなぁ」
そこにいたのは、白衣を違和感なく着こなした……イモリだった。つぶらな瞳が可愛らしい。
──そんなことを思えるほど、ローゼは心にゆとりを持てるようになっていた。
「お久しぶりですね。アーツルトさん」
ヴァイスは微笑んで言う。
「あれ、その可愛らしい嬢ちゃんは?」
「私……」
「ローゼ様です」
ヴァイスが代わりに答えた。ローゼもそれを否定しない。
それを聞いたアーツルトの瞳が、みるみるうちに大きく丸く見開かれた。
「ローゼって、あのローゼか?」
「えぇ、そうですよ」
ヴァイスが微笑んで頷く。
「ローゼ……そうか、ローゼか。もうそんなにもなるんだな」
ぶつぶつとつぶやくアーツルト。そのつぶらな瞳は輝きを増している。
「彼女の怪我を治してほしいのですが」
「よっしゃ、任しとき!」
勢いよくそう言うと、アーツルトはローゼを白いベッドに連れていった。
白いベッドに腰掛けたローゼの足を調べるアーツルト。
「こーりゃあ派手にやったね。一体どこで何したんだい?」
答えられないローゼに代わって、ヴァイスが口を開いた。
「『迷いの森』です」
「は?」
アーツルトは気の抜けた声を出す。
「迷いの森っていうと、あの恐ろしい『フント』のいるあれか?」
「えぇ」
「はぁ!?」
「彼女を飛ばす場所を少し間違えてしまって」
未だに笑顔でそう言うヴァイス。
「間違えたって……少しって……」
アーツルトは頭を抱える。
「ヴァイスはんはいつも天然だからって……いや、天然を超える天然というか……」
「ねぇ、『フント』って何?」
黙って聞いていたローゼが口をはさむ。
「あぁ、『フント』っちゅーのはなんていうか、化け物っていうか……。簡単に言えば『雑食犬』ってとこやな」
「『雑食犬』?」
「なんでも喰うんや。人間でも、天使でも、わいのような動物でも。困ったことに、奴らはいつも腹をすかせとる」
「じゃあ私も……」
「喰われそうになってたっちゅうわけやね」
「でも僕が助けましたよ」
「だからって、ローゼを危険な目にあわせたんやろ。これを王子が聞いたら命は……」
「でも知っているのは僕とあなただけです。もちろんあなたは……」
ヴァイスはフッと微笑むと、右手の人差し指をアーツルトの首筋に当てた。ちょうど刃物を当てるように。
「いっ……言うわけないやろ! 昔からの付き合い……やし……さ。だから、その手を……」
「ですよね」
ヴァイスはあっさりと手を離した。
「では、急がなければならないので、早く治して頂けますか?」
「あぁ、はいはい」
アーツルトは怪我の部分を軽く撫でるように手を動かしながら、つぶやいた。
「治」
すると、ずっとあった痛みがスッと消え、それと同時に怪我の部分も綺麗になった。
「本当に一瞬だ」
「わいをなめたらあきまへんで」
アーツルトはウインクする。
「それに、ローゼにはこの美しい足が一番や」
ぽん。とやさしく背中を押されて、ローゼは立ち上がる。立っても歩いても、そこはちっとも痛まない。
「治療費は?」
ヴァイスが聞く。
「うーん、今回は無しでええよ。ローゼ様の怪我を治せただけでわいは十分や」
ローゼってそんなにすごいのかな? と思いながらも、「ありがとう」とお礼をすると、
「いいってことよ」
アーツルトはまたギザにウインクをした。
「またいつでも来な。どんな怪我でもなおしてやらぁ」
『治し屋』をあとにすると、ヴァイスはまた歩きだした。それに続いて歩くローゼ。
「ねぇ、どこにいくの?」
「次は、『仕立屋』ですね」
「仕立屋?」
「今の貴女の服では、この世界だと少し浮くでしょう」
確かに。今のローゼの服は、無地の白いぴったりとしたワンピース。周りはもっと華やかなドレスを着ていた。
「そうね……浮いてるかも」
そう言い、ローゼは少しヴァイスの後ろに隠れながら歩いた。
「ここですよ」
立ち止まった先にある看板には、『仕立屋』の文字。しかし、治し屋と違って可愛らしい丸文字であった。
チリン。と涼しい音を鳴らしながら、扉が開けられる。
「いらっしゃいませー」
「ませー」
「かっ可愛い!」
ローゼの前に現れたのは、可愛らしい二匹のリスだった。といっても、人間のように栗毛色の髪が生えている。片方は短く、もう片方は長い。それ以外は全く同じ顔、姿だ。
「あれー? ヴァイスさんじゃないですかー」
「あれれー? そちらのおねーさんはー?」
双子なのだろう。話し方までもそっくりだ。
「私はっ……ローゼです」
あれ? 今少し詰まった?
戸惑うローゼに構わずリスの二人は急に瞳を輝かせると、ローゼの手をとって回り始めた。
「ローゼさまだってー!」
「あのローゼさまだってー!」
「あえるなんてこーえいだー!」
「ボクたちラッキーだねー!」
「ま、待って、目が回るって」
「あ、ごめんなさいー」
「ついうれしくてー」
やっと手を離す二人。
「アタシはクライといいますー」
髪の長い方がお辞儀をする。女の子のようだ。
「ボクはドゥングですー」
髪の短い方が言った。こっちは男の子みたいだ。
「「ようこそ仕立屋へー!!」」
そして二人は同時に叫んだ。
「あの、ローゼ様の服はありますか?」
二人の興奮がやっと冷めた頃、ヴァイスが言った。
「あぁ、ありますよー」
「とっておきのですー!」
二人は「うんしょうんしょ」と大きな箱を持ってきた。
「ローゼさまのふくですー」
「どーぞおめしくださいませー」
二人に案内され、ローゼは服と共に試着室へ押し込まれた。
「ごゆっくりー」
「ふぅ……」
どうこういっても仕方ない。ローゼはとりあえずその大きな箱を開けた。
「わぁ」
その箱の中に入っていたのは、ピンクと白のレースがふんだんにあしらわれたエプロンドレスだった。
本格的というか、なんというか……。
お嬢様育ちのローゼでさえ、こんなに派手なドレスは着たことがない。
「とりあえず、今のよりはマシね」
ドレスを箱から引き出すと、他のものもばらばらと出てきた。靴、靴下、そして……
「キャァァァア!」
「どうか致しましたか? ローゼ様!」
焦ったようなヴァイスの声と、こちらへ近づいてくる足音。
「いや! 開けないで! てか、どうか致してないから! いや、してるのかもしれないけど……」
ローゼの必死の言葉で、試着室のカーテンが開けられることは免れた。
だって箱に入ってたのは……
し・た・ぎ☆
そう。下着。上下セットのアレ。
「なんで? そりゃあ今は上下合ってないけどさ……」
「大丈夫ですか?」
「だだだ大丈夫だって! うん、大丈夫だからぁ!」
危ない。無意識に声に出していた。
「ちゃんときてねー。ローゼさまー」
「そだよー」
二人はこの箱の中身知ってたのかな? それより……ええい、こうなったらやけだ。
ローゼは勢いよく服を脱ぐと、箱の中の服を身につけた。床に落ちた自分の服が消えていくのにも気付かずに。
《ローゼ……》
「え?」
今何か……
「ローゼさまあけるよー!」
そして、勢いよくカーテンが開けられた。
「やっぱりにあうねー」
「ローゼさまはこうでないとねー」
「ローゼ様。シュテルンをお忘れですよ」
ヴァイスが、試着室の床に落ちていたシュテルンをローゼの首にかけた。試着室の床には、それ以外は消えて無くなっていた。
「どう?」
「とてもよくお似合いですよ」
「よかった」
優しい笑顔のヴァイス。ローゼはさっきの声など忘れてしまったように微笑む。
「じゃあねローゼさまー」
「またきてねー」
可愛らしく手を振る二人に送り出だされ、ローゼとヴァイスはまた歩き出す。
「ねぇ」
「なんですか?」
「次はどこに行くの?」
「旋律の城です」
「旋律の城?」
「えぇ」
微笑むヴァイス。その悩殺スマイルにも、なんとか慣れてきた気がした。
*登場人物紹介*
《アーツルト》
『治し屋』の店長。得意技は、一瞬で怪我を治すこと。何故か関西弁らしき言葉を話す。見た目は大きなイモリだが、よく見るとつぶらな瞳が可愛かったりする。
《クライ&ドゥング》
『仕立屋』のオーナー。リスの双子。一応クライが姉で、ドゥングが弟。唯一見分けることが出来るのが髪の長さ。間延びした口調が特徴的。