表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/23

第一楽章・十七、何も知らない

「それくらいにしてやったらどうなんだ? シュテルン」


 不機嫌そうなゲルプの声に、ローゼはハッと我に返った。


「ワタシがアナタに指図される覚えはないよ。ゲルプ」


「てめぇっ! チビの癖に偉そうなんだよ!」


 グッと拳を握りしめるゲルプ。その拳の周りに小さな電流がバチバチと出ている。


「まあまあゲルプ、落ち着いて」


「あんたも一緒だ」


 爪先立ちでゲルプの肩をとんとんと叩くロートの頭を手で押さえるゲルプ。ロートは小さく「うえっ」と呻くと、手から炎を出して反撃しようとする。


「ゲルプ手にまだ雷残ってただろ! 痛いんだよ!」


「あちっ! てめぇ何すんだよ。人間なら火傷じゃすまないぞ!!」


「ゲルプは天使だろ?」


「二人とも、くだらない茶番はやめようか」


 ブラウのゾッとするような冷たい言葉に、ゲルプとロートは「ひっ!」と 言って固まった。


「よろしい」


 口元は笑っているが、目が笑っていないブラウ。


「まぁまぁ皆さん、ローゼ様が困っておりますよ」


 ヴァイスは場を和ませるように優しく言った。


「ご苦労だったな。シュテルン」


「いいえ。当然のことをしたまでです。王子様」


 モーントの言葉に、軽く(ひざまず)いて頭をさげるシュテルン。


「………」


 王子に対しての態度のあまりの変わり様に、ローゼは言葉を失う。ゲルプの軽い舌打ちが聞こえた気がした。




「これで全てが終了した。ローゼ、君は今日から音の国ムズィークの正式な住民だ」


 ローゼの顎に手を触れさせて、微笑むモーント。


「疲れただろう? ゆっくりと休むが良い。そうだ、シュテルン」


「はい?」


 可愛らしく返事をするシュテルン。首を傾げる動作と共に、オレンジ髪のツインテールもふわりと揺れた。


 黙っていれば可愛いのに……


 そう心の中で思うローゼに、一瞬突き刺さるような視線が向けられる。


「!?」


「話がある。僕の部屋に来て欲しい」


「畏まりました。王子様」


「………」


 さっきの視線はシュテルンのものであった。部屋を出ていく二人を呆然と見つめるローゼ。と、誰かに肩を叩かれた。


「わっ!」


「奴らにはあまり関わらない方が良い」


 急に叩かれて驚くローゼに構わず、背後に立って呟くように言ったのはシュヴァルツ。


「どういう……こと?」


 振り向くと、もう彼は居なかった。




「はぁ……とりあえず、せっかくローゼがここに残ると決心してくれたんだからな、今日はパアッと遊ぼうぜ!」


 ゲルプに腕を捕まれ、困惑した表情のローゼ。


「馬鹿が。今を何時だと思っているんだい?」


 ブラウが懐中時計を見て呆れたようにため息をつく。


「夜はこれからだろ?」


「ゲルプのばーか、変な事言うんじゃないよ。ローゼは疲れてるに決まってるだろっ!」


「てめぇ……!」


 再び二人の乱闘が始まる。


「気にしないで部屋に戻ると良いよ。ローゼ」


「ブラウ……」


「大丈夫! アレはボクが止めておくから!」


「グリューン。君は乱闘に巻き込まれたいだけだろう。君も部屋に戻れ」


「チェッ」


 ぶつぶつと文句を言うグリューンを引きずるようにしてドアに向かうブラウ。


「ほら、ローゼも」


「う……うん」


 三人がドアの奥に消えて行くのを、ヴァイスは黙って見ていた。ゲルプとロートは未だに激しい乱闘を繰り広げている。


「………」


 ローゼがドアから完全に離れたと知ったヴァイスの表情が、瞬時に冷たく変化した。


 コツ……


 ローゼの知らないヴァイスの姿。そう、ローゼはまだ『何も知らない』。


 コツ……コツ……


「ゲルプ、ロート」


 酷く冷たい声に、我に返ったようにヴァイスを見る二人。


「いつになったらそのくだらない遊びをやめるようになるのですか? ……お仕置きです」


「う……ヴァイス! それだけは……っうわぁあ!」



 そう、ローゼ様は


 何も知らない




「……ん?」


「ローゼ、どうかした?」


「ううん。ただなんか……誰かの叫び声が聞こえ」


「気のせいだよ」


 ローゼの言葉を遮るように言うブラウ。


「そう……よね。あれ? グリューンは?」


「さっき彼の部屋の前に置いてきたよ」


「置いてきた?」


 表現方法がおかしいと言おうとする前にブラウが口を開く


「気付かなかったのかい?」


「ええ……少し考え事をしていて」


「まだ迷っているのかい?」


 ブラウの手が、ローゼの髪を優しく梳く。


「考え過ぎは良くない。深い眠りにつけないよ。ローゼ」


「………」


「それなら俺が、何も考えなくさせてあげようか?」


 至近距離で微笑むブラウ。


「ブラウ……?」


「ふふ。今の君なら、簡単に俺の物にしてしまえそうだ」


 ふと、生暖かいものがローゼの頬を伝って床に小さな染みを作った。


「我慢してはいけないよ。ローゼ」


 一度出たら止まらなくなる、悲しみを形にした涙。

 ゆっくりと眼鏡を外すブラウ。ガラス越しでない深い色の瞳が、ローゼを見つめる。


「悲しい時は泣けば良い。苦しい時は、誰かに身を委ねるんだよ」


 親指で涙を拭われ、優しく、優しく、抱きしめられる。


「ローゼ、君は可哀相な子だ」


「可哀相……?」


「あぁ、可哀相だ」


「どうして?」


「それは君が、一番知っているんじゃないかい?」


 急に、何かを言おうとしたローゼの唇を冷たいもので塞がれた。ローゼの目が大きく見開かれる。


「さぁ、俺に身を委ねて」


 何度も繰り返される、冷たくて甘い、愛の行為。


「君の寂しさを」


 チュッ


「全て」


 チュッ


「俺が吸い取ってあげるよ」


「ブラ……」


 わざとらしいリップ音と共に、低い声で優しく囁かれる。それは耳をも犯していくようで……


「ブラウ……んっ」


 彼は、同情しているの?


 それとも……


「やめ……」


 初めて抵抗を見せたローゼの腕をいとも簡単に掴むと、廊下の壁に押し付けた。


「駄目だよ」


「ブラウ……」


「駄目だよ。今は言うことを聞くんだ」


「なんで……?」


 冷たいブラウの唇が、首筋を這う。


「なんっ……」


 鎖骨辺りをなぞるように舐められる。抵抗する気持ちを奪うようなその行為に、ローゼはただされるがままになっていた。


「そう、それで良い」


 ローゼの力が抜けて行くのを感じたブラウは、そのまま床に座らせた。


「はぁ……」


「そろそろ、眠たくなってくる時間かな」


 頬をゆるゆるとなぞるブラウの細くて長い指。ローゼはそれさえも気持ちが良いと思い、目を閉じた。


 私は、きっとおかしくなってしまったんだわ……


 こんな……姿を……


 他人に見せて……



「お休み」



 最後に覚えていたのは


 名残惜しそうに唇に触れる


 ブラウの冷たい指の感触──





「冗談じゃないです! 王子様!」


 モーントの部屋。焦ったように叫ぶのは、シュテルン。


「またあの子の御守(おも)りをしろと言うんですか!? そんな──」


「僕に逆らうのかい?」


「ちっ……違います」


 悔しそうに下を向き、唇を噛むシュテルン。


「ただ……ワタシが仕えたいのはあの子でなく──」


「なら問題はない」


「王子様!」


「嫌なら消えろ」


「王子、様……」


「彼女はまだ迷っているんだ。あんな形式的な儀式で彼女を縛りつけることなど出来ない。君には、彼女を縛りつける『縄』となって欲しい」


「王子様……」


 力無いシュテルンの声。


「どうしてそこまでして、あの子を?」


「さぁな」


「教えて下さらない……ということですね」


「ここは誰もが『ローゼ』を愛する国。君も彼女を愛さなくてはいけないよ」


「王子様は良いですね。この国の住人ですから。天使達だってそう。でもワタシは違う」


「ならば何処へでも好きな所へ行くと良い。ローゼを愛するという『演技』が出来ないのなら、ね」


「王子様……」


 シュテルンは顔を上げた。そのまま立ち上がり、モーントを真っすぐ見つめる。


「ワタシを『その程度』の召し使いだとお思いで?」


「その言葉を聞く限り平気そうだな。シュテルン」


「畏まりました。アナタのご意思のままに……」


 小さい姿と声に似つかわない言葉を言うシュテルン。


「期待しているよ」


 にこりと微笑むモーント。


「ローゼ……彼女はいつか僕の所有物となる存在だからね」


「所有物……人間に対して使う言葉では無いですね」


「そうかもしれないね」


 モーントは目を閉じ、うっとりと呟く。


「ローゼ、君は今頃どんな夢を見ているのだろうか……」




「はっ!」


 目を開けると、天井が目に映った。


「あれ……?」


 ゆっくりと起き上がるローゼ。服装はネグリジェに変化している。だが着替えた覚えは無い。ということは……


「……ブラウ」


 途端に顔が赤くなる。どうしてあんなに抵抗が出来なかったのだろう。おまけに、服まで……


「はぁ……」


 起き上がったら目が覚めてしまった。時計を見ると、午前四時を過ぎた所。あまり寝てはいないらしい。


「シャワーでも浴びてこよ……」


 もう一度寝る気も無かったので、ローゼは立ち上がった。




「ふぅ」


 あらかた乾いた髪を、櫛でとかす。


「何も気にするなって言われても……」


ゆらゆらと揺れる蝋燭(ろうそく)の火を見つめているローゼ。


 ドキン


 心臓の高鳴りと共に、背筋に走る訳の分からぬ恐怖。


 ここに留まる為には、過去の名前を捨てなければならない──


 ローゼはフリアという名前を捨てて、ローゼとしてこの世界に生きることを選んだ。

 何も迷うことはない。今頃両親は、元の世界で幸せに暮らしているだろう。



 両親の幸せが


 私のシアワセ



「だけど……」



 怖い


 一人でいることの


 耐え難い恐怖




「……起きていたのですか?」


 静かにドアが開き、ヴァイスが顔を出した。


「ヴァイス……」


「こんな時間に起きているなんて……眠れないのなら、ホットミルクでも持ってきましょうか?」


「ありがとう。でも大丈夫よ」


「そうですか」


 ベッドに向かって歩いて来るヴァイス。


「もう少し寝ていた方が良いですよ」


「でも……」


 無理矢理横にさせられ、シーツをかけられる。


「どうしたのですか?」


「あのねヴァイス……」


 心配そうに顔を覗き込んでくるヴァイス。


「私が眠るまで……傍にいてくれない?」



 一人であることの


 孤独であることの


 恐怖



 誰か傍にいて欲しい


 崩れそうな私を


 支えて欲しい



「えぇ、勿論いいですよ」


 ヴァイスは、白い手袋を取ると、そのがっしりとした手でローゼの手を包み込んだ。


「貴女は一人ではありません。貴女の周りは、貴女を必要としているのです」


「うん……」


 目を閉じると、ほのかに薔薇の香りがした。


「安心してお眠りなさい。僕はずっと貴女の傍にいますから……」



 ずっと、ずっと


 傍にいます


 この身が滅びる


 『その時』まで




「やっと眠れたようですね」


 スースーと静かに寝息をたてているローゼの顔にかかる髪をそっとのけるヴァイス。


「……無防備ですね」


 力の抜けたローゼの顔を、愛しそうに見つめるヴァイス。


「貴女の責任ですからね」


 そっと顔を近付ける。



 影が重なる瞬間、蝋燭の火が消えた。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
携帯小説Ranking †ラブファンタジー†←ランキング参加中 ぶろぐ←番外編、イラストなど
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ