第一楽章・十六、自由と犠牲
「……これが儀式の服なの?」
「そうですよ。何かご不満でもありますか?」
「いや、そうじゃなくて……」
目の前の鏡にうつるローゼは、豪華なフリルが沢山ついている真っ白なドレスを身にまとっていた。まるでウエディングドレスのようだ。
どうしてこの世界の服って、こうも派手なのかしら……
「とても良くお似合いですよ。僕の大好きな白ですから、貴女に似合うのは当たり前です」
ヴァイスの嬉しそうな言葉を聞きながら、ローゼは鏡の前でくるりと回った。
「まぁ悪くは……ないけど」
「そろそろ時間ですね。行きましょう」
ヴァイスが出した手に、ローゼは自分の手を乗せる。
「おっと、忘れていました」
ヴァイスは一度ローゼの手を戻すと、空気を掴むように手を動かした。
「それは……」
「儀式に必要不可欠な物です」
首にかけられたのは、相変わらず淡く薔薇色に光るシュテルンだった。
あの時、自分の過去を見る為に壊したシュテルン。
「さぁ、行きましょう」
思い出したくない、なのに記憶は蘇る。もう、シュテルンに記憶を制御する力はないようだ。
ならば、今シュテルンが必要なのは何故?
ヴァイスが腰にそっと手を置く。ローゼは全てを振り切るように首を振った。
「大丈夫ですよ」
全てを知っているかのように、ヴァイスは優しく言う。
「貴女の幸せは保障されていますから」
保障されている。同じ事をモーントにも言われた。
「分からないの」
「何がですか?」
「幸せって、なんなのか。私にとっての幸せが分からないの」
分からない
幸せの輪郭がぼやけていく
形が見えなくなる
「そんな事で、悩んでおられたのですか。どうりで顔色が優れないと思っていたら」
「そんな事って……」
にこりと微笑むヴァイスを、不審げに見上げるローゼ。
「では教えて差し上げましょう」
ヴァイスは右手の白い手袋を外すと、ローゼの頬に触れた。予想していなかったことに、びくっと反応するローゼ。
「幸せは一つとは限りません。例えば……」
ヴァイスはローゼの顎を持ち上げると、そっと唇を重ねた。
「『これ』も幸せです」
かっと顔が熱くなるのが分かる。ヴァイスは楽しげに微笑んだ。
「もっと知りたいですか?」
「──いいっ!」
「そうですか……残念ですね」
そそくさと歩いて先に行ってしまうローゼ。
『あんたも好きね』
音を立てずに廊下を歩き、ヴァイスの足元で止まったのは、黒猫のメーア。何か言おうとしたヴァイスを遮るように、メーアは続ける。
『二本足はやめたから。おかげで後ろ足はたくましくなったけど。記憶操作もブラウに解いてもらった。城を出るつもりもないから、国民に珍しがられることもないと思う。この城は日当たりが良いからひなたぼっこには最適だしね』
「それは、良かったですね」
歩き出そうとするヴァイスの足に絡み付くメーア。
「……どうなされたのですか?」
『あんた、ローゼを幸せにすると言ったね?』
「聞いていたのですか。えぇ、確かにそう言いましたよ」
『本当に出来るの?』
「はい」
『………』
メーアの腕が緩むと、また歩き出すヴァイス。
「いつかあの記憶が消えるまで、彼女に幸せを与え続けます。もちろん完全に消えたあとも、ずっと」
『……ほんと、好きね。あんたは』
「えぇ、愛していますから」
当然のように言うヴァイス。もちろん、にこやかな笑みも忘れずに。
『なら……しばらく任せる。最近のローゼは、表情が和らいでいる気がするからね。あんたらのおかげかもしれない。ただ……ローゼを不幸にしたら、許さないから』
「お任せ下さい」
ヴァイスはそう言った後、そういえば……と言いながら立ち止まった。
「あなたは、元の世界に戻ろうとは思わないのですか? あなたにも元の世界に戻る権利はあるんですよ。もともと来たくて来た世界ではないでしょう」
『確かに来たくて来た訳じゃない』
「では元の世界に……」
『戻らない』
ぷいと横を向き、歩き出すメーア。ヴァイスも歩き出す。
『あの日……ローゼがこの世界に連れて来られた日、渦の中に飲み込まれるローゼを見て、あたしは迷わずその渦に飛び込んだ。あたしの飼い主はローゼ以外にいない。だからあたしはローゼのそばにいる』
その言葉を聞いたヴァイスは、フッと微笑んだ。
「あなたも……ローゼ様がお好きなのですね」
『まぁね』
顔を上げるメーア。一瞬、天使と猫の視線が交わる。
『それに、向こうの世界に猫一匹が居ようが居まいがあまり変わらない』
「確かに、あなたの存在を元の世界から消すのは楽でした」
『……意外とその言葉傷付くな』
「そうですか?」
ヴァイスは、悪気の全くない表情で言った。いつの間にかドアの前に着いている。
「メーア、あなたは儀式を見学しますか?」
『うん。暇だからね』
「そうですか」
ヴァイスは重いドアを開けた。
「はぁ……」
モーントは偉そうに椅子に座りながら、ホールを見回す。
ここは、ローゼの白いピアノがあるホール。この部屋にいるのは、ローゼとメーア、そして六色の天使と王子だった。
「早く準備しろ。こんな形式上の儀式など早く終わらせてしまいたい。……そうだ、ローゼ」
「何?」
手招きをされ、モーントのところへ行くローゼ。
「君に一つ聞かなければならないことがあった」
「聞かなければ……ならないこと?」
「そうだ」
一呼吸おいてから、モーントはいつもと変わらぬ口調で言った。
「君は……『自分の名前を捨てる』覚悟はあるか?」
「えっ……?」
自分の名前を
捨てる──
「それって……」
「君はこの世界では、『ローゼ』として生きなければならない。それがこの世界の『ルール』なんだ」
「ねぇ……」
「なんだ?」
「ずっと気になってたんだけど、『ルール』ってなんなの? あなた王子でしょ。それくらい変えられ──」
「変えられないんだ。この世界のルールは。誰が定めたのかさえ分からない。ただ、ルールに逆らうことは許されないんだ」
そう言われた刹那、モーントの顔が寂しげに見えた。でも瞬時にしてもとの見下したような目つきに戻る。
「どうする? ……といっても、今更遅いが」
「私、は……」
生まれてきた時から、当たり前に呼ばれていた自分の名前『フリア』。
「モーント様。準備が整いました」
ヴァイスの声が聞こえる。
「さぁ、一言でいい。「ローゼとして生きる」と言え」
「私は……」
私は……
何かが溢れ出すように、今までのことが蘇ってきた。
幸せが砕け散り
一人ぼっちになると
たまらなく寂しくなる
寂しさを埋めたくて
空想に耽る日々が続く
「ねぇ、モーント」
「なんだ?」
「この世界は、『私の望んだ』世界なの?」
モーントは少し考えた後、静かに言った。
「そうだな。そうとも言えるが、少し違う」
「違う?」
「この世界は、ローゼという存在を必要としている。今も、『昔』も、ずっと」
「昔って……」
「今はそうとしか言えない。君には決断をしてもらわなければならない。さぁ、早く」
「私は──」
自分の名前も
何もかも
忘れてしまえば良い
この世界しか
私の居場所は無いのだから
だから……
「分かったわ。私は、ローゼとして生きる。誓うわ」
「……分かった。儀式を行う」
モーントは、一瞬だけ嬉しそうな表情をしたように見えた。
ローゼを囲むように、六色の天使達が等間隔に並ぶ。ローゼのすぐ後ろにモーントが立った。
「何も考えずに立っていれば良い。言葉も発するな」
言われた通りに黙り込むローゼ。モーントの手は、ローゼの肩の上にそっと置かれた。。
「今から儀式を始める。ヴァイス」
「はい」
ヴァイスは右手を前に出すと、そこに白い光が現れた。
モーントに名前を呼ばれるごとに、他の五色の天使も同じような動作を行った。
六色の光がゆらゆらと揺れる。モーントは片手をあげると訳の分からない呪文のようなものをぶつぶつと唱えた。
光がどんどん集まり、一つの塊へと変化していく。
「ローゼ、動くなよ」
モーントがそう言った瞬間、六色の色がうずめく光が、ローゼを包み込んだ。
一瞬のことだった。
ローゼを包み込んだ光は、すぐに大きく印の描かれた地面に溶け込むように消えていってしまった。
ドクン
心臓が高鳴る
何かもやもやとしていたものが、消え去っていくような
不思議な感覚
「う……」
胸元が熱くなる。驚いて見ると、実際には胸元のシュテルンがゆらゆらと熱を帯びていた。
「これ……は……?」
何かが弾けるような音と共に、ローゼの胸元のシュテルンからまばゆい光が溢れ出した。
「ああ……とうとうきたのか」
その様子を見ながら、ふんっと鼻をならすモーント。
キラキラと光るその光は、子供のうずくまったような形を形成し、ローゼが目を開いた時には、一人の女の子の姿になっていた。
思わずその場に近付き、手を伸ばすローゼ。
「触れるな。一人で立てる」
「……え?」
まだあどけなさの残る幼女の声。
むくりと起き上がった姿は、鮮やかなオレンジ色の髪をツインテールに結び、浅黄色の瞳を持つ、身長はローゼの半分くらいの小さな女の子であった。
「………」
驚きで何も言えないローゼ。そんな彼女に構わず立ち上がり、固まった腕や足をポキポキと解すオレンジ髪の少女。
「どうしたの? そんな不思議そうな顔して」
「………」
思わず少女を上から下まで見てしまう。可愛らしいフリルのついた黄色を基調としたワンピースを身に纏い、それに似合わない下から睨みつけるような鋭い眼光を向けてくる。
「あなた……は……?」
「今更聞くなんてアナタはどこまで馬鹿なの?」
「だっ……て」
その時、首元がスースーしていることに気付いた。あの宝石──シュテルンが、無い。首にぶら下がっているのは、役目を無くした細い銀の鎖だけだ。
「あなた……は……」
「やっと気付いた?」
「シュテ……ルン?」
「そうよ」
さらりと答えるシュテルン。
「でも色とか声とか……」
あの薔薇色の石だったとは思えない姿。未だに信じられないような声のローゼに、シュテルンはきっぱりと答える。
「色は『仕える人』つまりアナタに合わせただけ。これがワタシの本当の色。声はワタシが自由になった証拠……そう、自由」
胸に両手を当てて嬉しそうに呟くシュテルン。
「そうよ。ワタシは自由になったのよ。自由……じゆう……アハハハハハハ」
その場でくるくると回りながら、狂ったように笑い出すシュテルン。
「自由に、なったのよ。アナタのおかげで」
「私の……?」
「そう。アナタが私を石に縛り付けていた。アナタの元の世界への気持ちが」
ギラギラと輝くシュテルンの浅黄色の瞳。
「私の……」
「アナタが帰らないことを決心し儀式を行えば、ワタシの呪縛は解ける」
「………」
「ありがとうローゼ」
ローゼの足にギュッと抱き着くシュテルンを、ローゼはただ唖然と見つめることしか出来なかった。