第一楽章・十、悲劇の少女
薄暗い森の中──
しばらく走ると、急に騒がしい音と声が聞こえてきた。
「これは……」
歌?
ギターみたいな音と、それに合わせて歌う楽しげな声。
誘われるように歩いて行くと、急に明るくなった。森が開けたのだ。
「音楽大好きムズィーク〜♪」
「気楽に歌っていても怒られやしない〜♪」
「俺ら気楽な歌い手さ〜♪」
「さぁ踊ろ……ん?」
数人の男女の若者達が、一斉にローゼを見た。
「お嬢さんどうしたんだい? ここらじゃあまり見かけない顔だが」
「あ、すみません、私……」
「まぁ、いいや」
一人の若者が、ローゼの手を引いた。
「踊りましょう。お嬢さん」
「で、でも……」
「この国ではみんな歌って踊って仲良くなるのよ。だから一緒に踊りましょう」
「そうよそうよ」
「一緒に踊って仲良くなろうぜ」
傍においてあったギターが鳴り出す。やはり人がいなくても、勝手に音楽を奏でることが出来るようだ。困惑するも、言われるがままにローゼはみんなと踊り出す。
「俺達〜気楽な歌い手〜♪」
「歌って踊って楽しい毎日〜♪」
ワルツの三拍子とまた違った愉快なリズムに、心まで踊り出しそうだ。
「どうだい? 踊るのって楽しいだろ?」
「えぇ。凄く」
そんな楽しい時間を過ごしていると、不意に肩を叩かれた。
「え?」
振り向くローゼ。
周りの若者達は、踊るのに夢中で気付いていないようだ。
後ろには、さわかな笑顔の男が立っていた。
「お楽しみ中失礼。突然だが、君はピアノを弾くのは好きかい?」
人の良さそうな笑みの男性に心を許したローゼは、答える。
「えぇ、大好きよ」
「それは良かった」
その男性は、少し声を潜めて言った。
「家にピアノがあるんだが、弾ける人がいなくなってしまってね。せっかくの良いピアノが可哀相だと思っていたんだ。だから今、弾ける人を探していたんだが……」
ローゼをちらっと見る男。
「弾いてもらえないかな?」
ローゼは少し考えた後、答えた。
「いいわよ。あなたの家のピアノ、どんな音がするのか楽しみだわ」
「良かった!」
男は目を輝かせる。
「そしたら、こっちへ来てくれるかい?」
ローゼはその男についていった。
「この国の人は、いい人達ばかりね」
そんなローゼの後ろ姿を見ていた黒い人影が、音をたてずにスッと動いた。
「ここだよ」
「え……?」
何も考えずについていった矢先、いつの間にか暗い洞窟のような所に来てしまった。
「ピアノは?」
「君、ローゼだろう?」
ぼうっと燃えた松明のような火が、男性の顔をうつし出した。相変わらず爽やかな笑顔。
「君は、ローゼなんだろう?」
迫る男性。ローゼは少し後ずさりする。
「答えなさい」
優しい声。だが、有無を言わせぬ迫力がある。
「う……ん」
小さく頷くローゼ。にこりと微笑む男の顔が、怪しげに歪む。
「マジかよっ!」
暗闇で、その男とは違う声がした。
「ボスは本当にローゼを見分ける力があるんだな」
「やっぱりボスは凄い!」
ぼわっぼわっと次々に明かりが灯る。ゆらゆらと揺れる火にローゼは囲まれていた。
「どういう……こと?」
「大したことでない」
炎に照らされた男性の顔が、更に怪しく歪む。
「君は知らないだろうね」
「何を……?」
「昔からの言い伝えだ。ローゼの『肉』を食べるとね……」
その瞬間、数人の手で腕を押さえつけられた。動かそうとしても、びくともしない。
「不死身になれるんだ」
「なっ……」
地面に取り押さえられる。目の前に光るのは
短刀
口をパクパクと動かすローゼ。恐怖で声が出ない。
「絶世の美少女と聞いていたが、その通りだ。首から上だけは残しておいてやろう。なあに、一瞬のことだ。痛みなんて感じない」
ニヤリと笑う男は、明らかにさっきと様子が違う。
「さぁ、殺ってしまいなさい」
振り上げられる短刀。ローゼは瞬時に目をつむった。
「………」
だが、予想していた痛みはいつまでたっても訪れることは無かった。
恐る恐る目を開けるローゼ。
「うっ……」
黒い人影が、短刀を振り上げた男の腕を掴んでいた。
「あら、ごめんなさい。か弱い女の子に刃物を向ける人を見かけたら、我慢ならなくって」
つんとした、女の人の声がした。
ギリギリと骨の軋む音がする。男の僅かな呻き声と、短刀が手から滑り落ちて軽い音をたてたのはほぼ同時であった。
「っ……邪魔物だ! 殺せぇ!」
さっきのボスと呼ばれていた男の合図と共に、沢山の足音がこちらに近付いてきた。
「逃げるわよ。お嬢様♪」
腕を強く握られる。そのままローゼは、引っ張られるようにして走り出した。
途中で「かはっ」や「ぐぇっ」といった呻き声が聞こえる。追いかけてくる人々を、その女が蹴散らしているのだ。
「見ちゃダメよ」
血しぶきに驚くローゼを庇うように走る女。
「しつこい人達ね」
しばらく走ると、誰も追いかけて来なくなった。
「この辺でいいかしら……」
もう夜も遅くなっていた。暗闇を淡い光で照らす街頭の傍で止まる二人。
「大丈夫?」
膝を屈めてローゼを見る女。あんなに走ったのに、少しも呼吸は乱れていない。
「可哀相に。怖かったでしょう」
ローゼは、泣いていた。
急に走ったせいで未だに上下する肩を優しく撫でながら、涙を拭ってやる。その女の優しい声と仕草で、ローゼは少し落ち着いてきた。
「あなたは……?」
「私? 私はルプラ。この国の警備を生業としているわ」
そういうルプラをまじまじと見つめるローゼ。凹凸の激しいスタイルの良い体に、ピッタリとした黒い警備服。瞳とボブカットの髪は、鮮やかな茶色だった。
「警備?」
「そう。この国はまだまだ物騒な人が多いのに……。さっきの話だと、貴女はローゼなの?」
「……えぇ」
「本当に!?」
さっきとは打って変わった驚きの声で、ルプラは叫んだ。
「てっきり向こうが間違えていたのかと思ったわ。そうなの……じゃあ貴女は、城を抜け出して来たの?」
静かに頷くローゼに、ルプラはくすりと笑った。
「ローゼって、そんなに好奇心旺盛な人だったのね」
つられてローゼも笑顔になる。しかし、すぐに暗い表情になった。
「あの……」
「何?」
「さっきの人が言っていたことって何? 私を食べるとか……」
先程のことを思い出し、震える声で聞くローゼ。
「あぁ……」
ローゼを落ち着かせるように金色の髪を撫でるルプラ。
「そんなのはでたらめよ」
「デタラメ……?」
「そう、貴女を待っている時間があまりにも長すぎて、あらぬ噂が沢山たってしまったの。私はその取締役もしてる」
「取締役……」
「そうよ。もう夜が更けてしまったわね。本当はいち早く城に連れていってあげたい所だけど……仕方ないわ。今日は私の家に泊まりなさい」
「でも……」
「いいのよ。遠慮しないで。それに、一人じゃまた危険な目に遭うわよ」
ウインクをしながら言うルプラ。
「ありがとう」
「その笑顔、素敵よ」
じゃあ行こうと言われながら、ローゼは手を引かれた。
ドク……
「どうしたの?」
急に足を止めたローゼに心配そうに聞くルプラ。
「何でも……ない」
心臓が跳ねた音。何かに近付いているのに。確かに近付いているのに。それを阻止されているような。
「そう」
そんなローゼを見て、一瞬だけ表情を歪ませるルプラ。ローゼに気付かれないように、一瞬だけ。
「じゃあ行きましょう」
ルプラはあまりローゼを見ないようにしながら、手を引いて歩いて行った。
「この部屋、自由に使っていいわよ。どう? 悪くないでしょ」
ドアを開け、ローゼの背中を優しく押すルプラ。
「うん……ありがとう」
「後で夕食運ぶわね。そんな、遠慮しないで。貴女はローゼなんだから」
ウインク一つ残し、ルプラは部屋のドアを閉めた。
「………」
眠れない。
あの後夕食を食べ、シャワーを浴び、ベッドに潜り込んだのだが……
眠れない。
頭の中では、答えのない疑問がぐるぐると回る、回る。
前にもこんなことあったっけ。何を考えていたのか忘れたけど。
冷静な考えとは裏腹に、頭は疑問で埋めつくされる。
私を、待っていた?
以前にみんなと会ったことがあるの?
なんであんな物騒なでたらめが?
ローゼって何?
「ローゼ……」
その名を呟いたとたん、不思議な気持ちに捕われる。
確かにその名前は自分のものなはずなのに、別の人の名前を呟いているような感覚。
この手も、頭も、足も、目も、髪の毛一本にいたるまで、自分のものなはずなのに。
違和感。
どこからともなく沸き出す、不可解な違和感。
「私は……」
コンコン
急にドアがノックされた。
「はっ、はい!」
いきなり現実に引き戻されたローゼが、引きつった声を出す。
「私よ。入るわね」
声と共にドアが開けられた。
「やっぱり眠れないのね。当たり前よね。あんなことがあった後だもの」
『あんなこと』の所で目を伏せるルプラ。同情しているのだろうか。そのままベッドの脇にある椅子に座る。
「ホットミルクを持ってきたわ。飲んで温まって。きっと落ちつくでしょう」
「……ありがとう」
白いマグカップを受け取り、中身を一口飲むローゼ。
「今度町を出歩く時は、天使達について来てもらいなさい。一人じゃ、またあんな目に遭うわよ。今回はたまたま私が通りかかったからよかったけど」
心配そうな目で見つめられ、ローゼは黙って頷くことしか出来なかった。
天使……そういえば、みんなどうしてるかしら。私のこと、怒ってる? 黙って逃がしたシュヴァルツは、責められてないかしら。それに……
あれ? 眠気が──
「今は何も考えずに、ぐっすり眠ったほうがいいわよ」
からっぽになったマグカップを、ローゼの手から外すルプラ。
急に訪れた眠気に驚くローゼをよそに、そっとベッドに横たわらせ、ブランケットをかけてやる。
「疲れたでしょう。ゆっくり眠れば、すっきりするわよ」
まるで何もかも知っているような言い方。
「何で……」
その後の言葉を言う前に、ローゼは意識を失った。
「………」
しばらく小さく寝息をたてているローゼを見つめるルプラの瞳が、少し暗くなる。
「相変わらず良く効くものね」
白い液体の入った小びんを目の高さまで上げるルプラ。そこに手書きで書かれた文字を見る。
睡眠薬
「ごめんなさいね。こんな方法でしか貴女を守れなくて。でも、答えの見つからない疑問で眠れなくなるよりはマシだと思うの」
深い眠りに堕ちた美しい少女。
「全ては、貴女──そう、ローゼの為」
誰かに言わされているかのような言い方。でも、すぐに優しい言い方に変わる。
「明日は天使様が迎えに来てくれるでしょう。それまでは……」
ローゼの頬にそっと手を乗せた後、椅子から立ち上がるルプラ。からになったマグカップを持って。
「ゆっくりお眠りなさい。『フリア』」
ドアが閉められる音と共に、静けさの訪れた部屋の中、ローゼは夢を見ていた。
あなたのせいよ
あなたのせいで……
あなたのせい
あなたが殺した
殺した
コロシタ
わたくしの
タイセツな人を……
「違う! やめて!」
責められる
「痛い! やめて!」
叩かれる
「嫌だ! やめて!」
強制される
私は……私は……っ
「ローゼ」
近付かないで
「ローゼ」
そんな目で私を見ないで
「ローゼ、起きな──」
「やめてっ!」
ベチン。と鈍い音がした。
「ローゼっ!」
手首を捕まれ、大声で名前を呼ばれる。
「はっ……!」
目を開ける。日差しが眩しい。目を慣らすように何度か瞬きをすると、頬に赤い痕があるルプラが視界に入った。
「ルプラ? 私は一体……」
その声を聞いて、安心したかのように掴んだ手首を離すルプラ。そのままその手の甲を額にあてる。
「聞きたいのはこっちよ。まったく、びっくりしたじゃないの」
その赤い痕が自分の付けたものだと悟ったローゼは、ガバッと起き上がった。
「ごめんなさい!」
「謝らないで。貴女は寝ぼけていただけよ。悪い夢を見ていたのね」
悪い、夢
本当にそうなの?
本当に、それだけ?
「さっき城に連絡しておいたから、多分そろそろ迎えが来るわ。着替えなさい」
寝ぼけ眼なまま、ネグリジェからルプラに渡されたドレスへと着替えるローゼ。
そのままルプラと朝食をとっていると、ルプラのフォークを持った手が、ぴくりと動いた。
「……来たわね」
首を傾げるローゼに、ルプラは言った。
「天使様のお出ましよ」
その瞬間、近くの窓が勢いよく開いた。
「お迎えにあがりました」
何事もなかったかのように、窓を閉めながら言うヴァイス。
「なんで窓から!?」
そんなローゼをよそに、白の天使に恭しくひざまずくルプラ。
「ヴァイス様。この時間まで『安全に』ローゼ様をお預かりしておりました」
「聞きましたよ。危ない所を助けてくれたそうですね。感謝します」
「勿体ない御言葉」
完全な上下関係が分かる瞬間でもあった。
「しかしヴァイス様」
さっきヴァイスが出てきた窓を見つめながら、呟くように言うルプラ。
「貴方のような高貴なる天使様が、窓から現れるとは思いませんでした」
ローゼの疑問はちゃんと聞こえていたようだ。
「だって、窓からの方が早くこの部屋に着くでしょう」
真面目な顔で言うヴァイスの言葉を聞いて、ぷっと吹き出すローゼ。
「何がおかしいのですか? ローゼ様」
「……別に」
思わず下を向くローゼに、一瞬だけ視線を向け、表情を緩ませるルプラ。
「なら良いのですが……急いでいるので、もう連れて行きますね。行きましょう、ローゼ様」
そのままローゼを抱き上げるヴァイス。
「ルプラさん。貴女は引き続き取締と警備を頼みます」
ルプラが無言で頷くのを確認すると、ヴァイスはローゼを抱えたまま勝手に開いた窓から飛び降りた。
「………」
開いたままの窓を、しばらくぼうっと見つめるルプラ。
「まったく、困った天使様だわ」
涼しい風の吹き込む窓を閉めると、何事も無かったかのように自分の仕事──資料の束を片付ける作業に取り掛かり始めた。警備役の仕事は、現場仕事以外にもあるのだ。
「あの子……」
可憐で美しい、薔薇の花がとてもよく似合う少女。
しかしその裏に隠された、黒く濃く刻まれた悲しみ、苦しみ。
「悲劇の少女」
一人呟くルプラ。というより、勝手に口から漏れた言葉だと言うべきか。
「私が守ってあげなければ」
絶えず動いていた、資料の上の万年筆を持つ手を止めるルプラ。そのまま目をつぶる。意識を集中させる。
何か辛いことや、困ったことがあったら、私の所に来なさい。天使様に言えば、連れてきてくれるでしょう
「えっ……?」
白い翼をはためかせるヴァイスに抱き抱えられたローゼは、戸惑いの声を発する。
今、確かにルプラの声が……
「どうかいたしました?」
飛んでいる時のヴァイスとは、あまり言葉を交わすことはない。
「ううん。何でもないわ」
きっとルプラよ。私を心配してくれていたのね。
不思議な国で、こんなありえないことにも驚かなくなった。それはこの国に馴染んだのか、それとも……
精神感応。
それがルプラの持つ『能力』だということを、ローゼはもちろん知るはずも無かった。
《ルプラ》
スタイル抜群なキャリアウーマン。国の警備役で、大人の女性。か弱い人を放っておけないタイプ。並外れた戦闘力があり、テレパシーを使うことが出来る。