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胡蝶の夢〜俺が郡王夫人(ぐんおうぶにん)になった件〜  作者: 垂水わらび
南都の郡王夫人
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第19話 別れ

 水仙は、本名を「徐五」と言う。よくある名前らしい。子どもに名をつけてやれないような家に生まれた子どもは、生まれた番号をつけられる。男児ならば「徐五郎じょ・ごろう」とでも呼ばれ、女児ならば「徐五娘じょ・ごじょう」と呼ばれるだけだ。侍女として南都に売られてきて、「水仙」という名前をもらい、奉公が明けたらその名前を使ってお屋敷に通いの髪結いをしていた。


 きょうだいは何人かいたらしいが、結局生き残ったのは三番目の「徐三」とこの「徐五」だ。奉公人として売られなかったが、軍に身を投じた「徐三」はいつしか階級が上がって、「徐傑」と名乗るようになった。


 たまたま南都に療養に来た皇帝に随行する禁衛隊で部隊長になっていた兄と、たまたま南都の郡王夫人の髪結いになっていた妹は、南都で再会した。


 兄は、郡王夫妻の不仲も、その夫人が太子の側室への申し入れを蹴って、郡王夫人になったことも、その夫人を長く周王が懸想していることも知っていた。


 これを利用して、太子に売り込もうとしたというのが、犯行理由とされている。


 犯行計画はこうだ。


 水仙が夫人の鞍に針を仕込んだ。馬に乗ると、鞍に仕込まれた針が夫人の体重で沈んで、馬を刺して馬が不快がって急に暴れるようにしたのだ。


 仮に夫人が死ななければ、周王が南都に飛んでいく。郡王夫妻の不仲は知られていることなので、周王はここぞとばかりに逢引をしようとするだろう。そこを押さえてしまえば良い。これが一番良い。


 仮に夫人が死んでしまえば、周王は郡王を責め立て、二人の間に亀裂が入るだろう。


 どのみち、夫人は太子の不興を買ったのだから、捕らえれば太子の機嫌が取れ、殺しても太子は不満には思わないだろう。次の禁衛隊には残れなくても新太后か新皇太后の警備隊に入れるのではないかと期待した。


 そしてこの趙小瑶傷害計画、それも殺人に未必の故意まである計画は実行されたのだが、趙小瑶は死なずに目覚め、周王は予想通り飛んできた。


 って、んなことあるかよ!


「太子の名前ってそんなに軽々しく出していいわけ?」


 俺は呆れ果てた。

 周王が答えた。


「いいわけがない。あと、本王のことをあまりに軽率と思ってないか?」

「実際に来たじゃないか」


 俺たちは知っている。太子に火の粉をかけない。それが俺たちが身を守る道だ。

 海蘭も飼っておく。だって、俺たちにはやましいところは何もない。


 ここで起きたときの、海蘭の体温と体重を思い出せば、置くしかなかった。


「婦人の仁にならねば良いが、」


 郡王は「史記」の韓信の言葉を引用して反対したが、俺は答えた。


「泳がせれば良いじゃないか。やましいことは何もないんだから」 


 実際には寝付くどころか、回復していた皇帝は、妙なことがあるので罠をかけたいという二人の息子の願いを聞き入れて、寝付いたということにしていたのだ。

 皇帝は郡王と陳亮の処理に満足した。郡王は正三品郡王に昇進し、陳亮も従三品に昇進して次期御史大夫に内定した。皇帝も太后も皇后も、この日の昼間に帝都に出発して、残ったのは周王だけだった。

 

 郡王が俺を優しくバックハグをしたので、周王は嫌そうに顔をしかめた。


 記憶を失った、新生「趙小瑶」は泉北郡王と小さな結婚式を挙げることにしたのだが、その前に、言っておかねばならないことがある。


「聞いておくれ。なぜ、この兄が最低位の郡王にとどまり、小瑶がこの兄を選んだのか」


 周王は俺たちの方に向き直った。


「本王は姜皇后娘娘の猶子であり、李皇后娘娘の猶子でもある。それゆえ、親王に封じられる予定であった。だが考えてごらん。太子殿下から見れば、血の繋がらぬ李皇后の立后はあまり好ましいものではない。ご本人だけが嫡出だったのに、九弟が庶子ではなくなり、親王になってしまう。そこに九弟と親しい本王まで親王になってしまうと、『周王派』が生まれてしまう。本王が無力な郡王ならば、仮に『周王派』とみなされても、ただの弟たちでしかない。父皇に申し上げて、郡王に留めていただいた」


 周王は膨れた。


 今度は俺の番だ。


「考えてみたんだ。なぜ、趙小瑶が太子殿下か、周王殿下かと問われて、名前が出なかった泉北郡王殿下と答えたのか」


 周王は聞きたくなさそうな顔をしている。


「母后娘娘に伺ったのだが、趙小瑶は太后娘娘の寵愛を笠に着ることはなかった。そうだろう?」


 周王は頷いた。


「まず、太子殿下を選ぶと仮定しよう。そもそも正妻じゃないのが気に食わないから選びたくないがな。即位後新皇帝は新太皇太后と遠い血縁にあり、貴妃も新太皇太后に近い。だが、三人とも新太后とは縁がないぞ。次第に新太后が迫害されるかもしれないんだ」


 そうはさせぬと周王が俺をにらんだ。


「無視される程度ならいい。直接迫害されるのはおそらく九殿下だぞ」


 周王は俺を恨めしそうに見た。


「仮に周王殿下を選ぶとしよう。即位後新皇帝は新太皇太后と遠い血縁にある。今の太子妃娘子は尚書令の令嬢で、母后娘娘との縁はない。新皇后ともども、新帝は新太后とは血縁がないってことになるな。ところが、新太后の実子の周王殿下は、新太皇太后の寵愛深い趙小瑶を正夫人にするんだ。新皇帝から見れば、なんと嫌なものだろうね」


 言葉にしなかったが、この場合、後宮が一番落ち着くのは、周王の即位と趙小瑶の皇后冊立だと郡王と意見が一致している。

 太后の実家の姜一派から見ても、趙小瑶は姜の血筋を引き、父親は太后に引き立てられて尚書になったのだもの、周王が即位しても趙小瑶を皇后にし、姜一族を害しない限りは反対しない。


「この場合、周王殿下への風当たりは、太子殿下を選択した場合よりもはるかに強くなるんだ。夫婦共々消してしまいたいだろうからね」


 周王は唇を噛んだ。


「選べなかったんだよ。友たる周王殿下のためには」

「……じゃあ、どうして八兄さまを……」


 もうちょっと考えておくれよ。


「いいかい。趙小瑶の両親が結婚したとき、親父さんはまだ侍郎にもなっちゃいなかったんだ。今工部で科挙に合格して数年の、二十五前後の男ってどれくらいの地位にいる?」


 周王は指を折り始めた。見当もつかないらしい。

 郡王が助け舟を出す。


郎中ろうじゅうというところだな」


 数年郎中にいて、ようやく侍郎への昇進資格を得る。昇進資格を得ても、昇進できるとは限らない。


「質問を変えるよ。正二品親王さま。官吏の中で正二品はどんな役職かい?」


 周王はこれならわかるらしい。


尚書令しょうしょれいだ」


 尚書省に六部は属する。尚書令がその尚書省の長だ。各尚書はその下だ。


「だろ?工部尚書すら正三品で、二階級下じゃないか。科挙に合格して、郎中まできても、従五品上だろ」


 周王は頷いた。

 あと少しだよ、九ちゃん。


「周王殿下は、従三品郡王の屋敷に来て、その妻と将棋を打ってあっという間にぼろ負けしたじゃないか」

「容赦なんかしないもんな、瑶瑶は」


 俺は手を叩いた。


「そう!あと一歩。じゃあ、従五品上の工部郎中の屋敷にだよ、その妻と将棋を打つためにだけに正二品親王が来られるかい?」


 周王は、口をポカンとさせた。


「逆は無理だろ、殿下。郎中の妻が殿下の屋敷に行けるわけがない」


 郡王が言った。


「夫のために勝ちを譲らねばならんだろうなあ」


 周王は抗議する。


「手加減されるとつまらないじゃないか!」


 そうなんだよ。九ちゃん。そこなんだ。


「勝ちを譲らずにすむなら、それなりの地位にいなきゃ。だが、太子殿下の側室のところに、九殿下が将棋を打ちに来たら、太子殿下は嫌がるだろう?」


 郡王も相槌を打ちながら続ける。


「本気で将棋を打つなら、せめて従三品くらいは欲しいじゃないか」

「従三品では御史大夫や大理寺卿だっけ。どいつもこいつも爺さんじゃないか。嫌だよ」


 泉北郡王が胸を張り、周王はようやく気づいたらしい。


「……八兄……」

「そうさ。八殿下しかおられなかったんだよ。そもそも仲も良いんだし。八殿下の正夫人なら、頻繁じゃないが、子どもの頃みたいに三人で将棋を打って遊ぶこともできなくはない」


 周王は納得したらしい。だが面倒なことを言う。


「やっぱり、記憶が戻ったんだね!」

「戻っちゃいない。だが、趙小瑶も記憶の中の俺も、同じ俺なんだよ」


 だから、同じ思考をするんだよ。


 周王は俺たちの前に深く頭を下げて言った。


「八兄さま、八嫂さま、九弟はこれでお暇いたします。今夜、西都に向けて出発いたします」


 郡王も深く頭を下げて答えた。


「周親王殿下の道中の無事を祈っています」


 俺は、最後に周王を抱きしめた。


「元気で。西都と南都じゃなかなか行き来はできないけれど、また将棋でコテンパンにしてやるから」


 周王はまた俺を壊れ物を扱うようにそっと抱き返した。


「本王は生涯妻を迎えぬと誓う。後継を二人産んでおくれ。一人は八兄の後継に。もう一人は本王の養子に迎える」


 この王朝においては、親王、郡王、郡公と位が落ちていく。そして、親王の子は一人だけ郡王として継ぐことができ、郡王の子は一人だけ郡公として継ぐことになる。周親王の養子になれれば、泉北郡王の子でありながら、父に並ぶ郡王になることができる。


「そんなことを誓うもんじゃない。人生は長いんだ」

 

 俺は最後に圭の体臭を嗅いで、周王と離れた。


「元気で過ごせ」


 圭には言えなかった言葉を周王には言えた。


 これで終わった。

 さよなら、圭。


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