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現実

「今日からココが家です」


 そう言って志士に連れて来られた家は、家と呼ぶのが相応しいのかどうかすら怪しい代物だった。


 その家には、父親と母親、そして子供が居た。


 志士はその家の長男だ。


 それは城育ちの異形がはじめて見る『家庭』というものだった。


 父親は異形の姿を褒め、母親は食べ物を勧めてくる。


 子供は異形にじゃれつき、無邪気に遊んでもらいたがった。

 

 異形は状況の変化に戸惑いはしたものの、やがて慣れた。


 絹の衣はズタ袋に代わり、慣れない畑仕事に手肌は荒れた。


 貧しい土地からの収穫は、城で食べていたものとは違う食事に化けた。

 

 風の便りに王の死を知った異形だが、特に何も感じる所はなかった。


 新しい王は後継だ。


 それ以降、城の要求は上がっていくばかり。


 城外の民は、今まで以上に苦しくなった生活のなかで喘いだ。


 騒ぎの発端は知らない。


 用事のために志士が姿を消して幾日か経った頃、その事件は起きた。


 家にいた異形が騒々しい声を聞きつけて駆けつけると、子供と母親が震えながら玄関を見ていた。


 その視線の先で、一家の主である父親と城の兵とが、入り口を堺にして揉めている。


「帰ってください。」


 断固とした口調で父親は言うのだが、兵士の男が耳を貸す様子はない。


 力づくで家に入り込もうとしている男の目は、異様にギラギラしていた。


 その奥にある底知れぬ欲に異形は怯えた。


 その男は、明らかに飢えていた。


 飢えは人を狂暴にする。


 もともと力があり殺りくの術に長けた兵士に、農民である父親が敵うはずもなく。


 押し入ってきた男の胸倉を父親が押し返した、その瞬間。


 パァン、と、乾いた音がした。


 時間が止まったような、その瞬間。


 父親の胸倉から腹にかけては飛び散った。


 赤いスジを引きずり飛んでいく欠片たちは、子供の頬を掠め、異形の衣に降り注ぎ、母親の足元に音を立てて落ちた。


 叫びが、悲痛な叫びが、誰のものかも判別がつかないほど交じり合いながら上がる。


 男は何事も無かったかのように涼しい顔をして台所に入り込み、当然のように少ない食料を漁っていた。


 我に返った母親が、


「何をするんですか。それを持って行かれたら、私達は飢えて死ぬしかありません」


 と、食って掛かった。


 振り返った男の目には、やはり欲が浮かんでいた。


 怯えて動けない異形の前で、母親は男に連れ去られていった。


 乾いた風が吹く。


 乾いた砂を巻き上げて。


 異形は呆然と大地を眺めていた。


 と、突然。


 子供が泣き出して異形は我に返った。


 家には異形と子供だけが残された。


 志士は出掛けたまま戻らず。


 目前には父親の残骸が転がっている。


 異形は子供を抱きしめて、そこにある温もりを分かち合い、震えを収めた。


 そして、残骸となった父親を乾いた土の下に埋めた。


 悲しみに埋もれそうになっても、腹は減る。


 異形は台所に立ち、何か用意出来ないか探した。


 だが、もとより貧しい台所には何も無かった。


 仕方なく異形は畑に行き、まだ育ちかけの作物を少しだけ抜いて持ち帰った。


 それをなんとか食べられるようにして子供に食べさせた。


 自分も食べた。


 涙が零れた。


 それでも、生きていかなくてはならないのだ。


 異形は畑を耕し、家事をこなし、時折激しく泣く子供を慰めた。


 命が尽きてしまえば楽だと思う。


 だが、それは叶えてはいけない望みだった。


 いまとなっては、父親の分も、母親の分も、食料は要らない。


 それなのに何故、食料は足りないのだろう。


 異形は拙いながらも畑仕事を続けた。


 飢えは募っていくけれど、身体は動く。


 そこに死の影は無いように見える。


 だが、体は日々弱っていく。


 死の影は確実にちらついているのだ。


 神が居るとするならば。


 神は異形達を、どうしたいのだろうか。


 異形の中で疑問は膨らんでいくけれど、答えはなかった。


 変化は不意に現れた。


「お母さん……っ!」


 子供が叫び駆け寄った、その先に居た人はボロボロで。


 異形には、誰なのか一瞬わからなかった。


 久しぶりに見たその人は、崩れ落ちるように倒れながらも笑顔を見せた。


 母親は三日寝込み、四日目の朝、目覚めた。


 目覚めた母親が家の中を切り盛りし始めると、貧しいながらも回っていた以前のような生活が戻って来た。


 ひとり増えた分、生活は苦しくなっても不思議ないはずなのに。


 貧しいながらも食事は毎日、用意された。


 母親の腹が膨らんで急激に縮んだ日にも、食卓には食べ物が並んだ。


 異形はどうしても、それを飲み下すことができなかった。


 ごめんなさい。


 折角、用意してくれた食事を吐いてしまってごめんなさい。


 ごめんなさい。


 ごめんなさい。

 

 異形の頬を熱い水滴が伝って、乾いた土地に落ちた。


 乾ききった土地は、小さな水滴をあっという間に飲み込んで、何事もなかったかのように普段の顔に戻った。


 陽は昇っては落ち、日々は過ぎゆく。


 異形は生きた。


 今日を必死に生き延びた。


 生き残ることに必死だった異形は知らなかった。


 城の圧制に苦しむ人々がついに決起したことを。


 何の前触れもなく血相変えて飛び込んできた志士の叫び声を聞くまでは、異形は何も知らなかった。

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