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「隣に座ってくる女子高生」シリーズ

毎朝電車で隣に座ってくる元女子高生の話

作者: 墨江夢

 ガタンゴトン、ガタンゴトン……。

 電車に揺られながら、俺・藤澤琢馬(ふじさわたくま)は一人動画を観ていた。


 下り方面というノーストレスな電車の中でゆっくりしながら、高音質のイヤホンを使って『汚職探偵』を視聴する。これに勝る至福はない。

『汚職探偵』を第1シーズンから試聴していくことが、俺の通勤時の日課になっていた。


 電車が駅に到着した。


 それと同時に、『汚職探偵』も解決編へと入っていく。

 物語が佳境を迎えたところで――俺は動画を停止させた。


 展開が気になるところではあるけれど、今朝はこれで終わりだ。これからは、ドラマではなく彼女を見る時間なのだから。


 お馴染みの会社員や学生が乗車してくる中で、俺は一人の女性の姿を探すのだった。


 満員電車じゃあるまいし、乗車人数は少ない。彼女の姿は、すぐに見つけられる。

 スーツに身を包んだひと際可愛らしいその女性は、俺と目が合うなり胸の前で手を振りながら近づいてきた。


「おはようございます、琢馬さん」


 挨拶をするなり、彼女は一切の迷いなく俺の隣に座る。


 俺の隣(ここ)は彼女の特等席だ。そんなの、数年も前から決まっていることである。


 ただし、数年前と何もかも同じというわけじゃない。

 例えば、彼女の服装。今の彼女は制服ではなく、スーツ姿だ。

 

 そう。あの頃とは違い、彼女はもう女子高生じゃない。立派に働いている社会人だ。

 そして今はもう、隣に座ってくるただの女の子じゃない。彼女――元JKは、俺の恋人になったのだ。


 毎朝同じ電車で、元JKが隣に座ってくる。そして始まる恋人同士の甘いひととき。

 これもまた、俺の日課になりつつあった。


 スマホを内ポケットにしまうと、元JKは「あー!」と声を上げる。


「琢馬さん、また『汚職探偵』観てましたね?」

「……悪いかよ」

「悪くないですよ? ただ、私も観たいなーって思って」


 そういえば、元JKも『汚職探偵』のファンだったな。

 新作のスペシャルドラマが放映される時は、いつも一緒に観ていた。


 俺の部屋で。二人きりで。


「昔やっていたやつだけど、良いか?」

「最近のは網羅しているんで、寧ろその方がありがたいです。ほら、早く早く!」


 急かす元JK。その姿も、愛らしい。


 だけどドキドキしていることを知られたら、何を言われるかわかったもんじゃない。

 平静を装いながら、俺はワイヤレスイヤホンの片方を彼女に渡した。


「……」


 しかし元JKはイヤホンを一向に受け取ろうとしない。


「……観なくて良いのか?」

「観たいですよ。でも、そのイヤホンを使うのは嫌です」

「……汚くないつもりなんだが?」


「あなたのイヤホンなんて、使いたくない!」と恋人に言われたら、そりゃあ傷付くに決まっているだろう。

 再起不能に陥る自信があるし、実際そうなりかけていた。


「いや、そういう意味じゃなくてですね」


 俺や俺の使用済みイヤホンを汚物扱いしているわけじゃないと否定してから、元JKは鞄の中をあさり出す。

 取り出したのは、有線のイヤホンだった。


「折角なら、恋人らしいことしたかったりして」


 何だよ、それ。可愛いかよ。


 ワイヤレスイヤホンが主流のこの時代、それでも有線には無線にはない良さがあって。

 二人で一つのイヤホンを使い、そして一つの画面を覗き込む。

 

 イヤホンの線は意外と短く、スマホの画面も然程大きくない。

 一見欠点のように思えるそれらの事実も、俺から言わせればイチャイチャする為の良い口実だ。

 

 だからこれは、不可抗力だ。自分にそう言い聞かせながら、互いの顔をくっつくんじゃないかというくらい近づけて。俺たちは甘々な時間を堪能するのだった。





 今朝は一段と、冬の寒さが厳しかった。

 

 吐く息は白いし、手はかじかむし。駅までの道中で、凍死してしまうんじゃないかと思った(大袈裟な話である)。


 しかしながら、そんな日であっても俺の日課は変わらない。

 この日も俺は元JKの乗車する駅に着くまで、スマホで『汚職探偵』を視聴していた。


 今日は彼女と会うまで、解決編をノンストップで観るぞ! そう息巻く俺だったが、その決意も僅か一駅で砕かれることになる。

 なんと俺の隣に、誰か座ってきたのだ。


 ある程度混雑している電車ならば、なにも不思議なことはない。だけどこの下り電車は、今日も今日とて空いている。

 間違っても、椅子取りゲームが行われる事態にはならない。

 

 そして元JKはこの駅で乗車して来ないから、誰かが俺の隣に座るなんてまず考えられないのだ。


 一体何が起こったのか確認する為、俺は隣を見る。隣では……見知らぬJKが俺のスマホの画面を覗いていた。


「『汚職探偵』、好きなの?」


 尋ねられた俺は、つい「あぁ」と返してしまう。

 するとJKは、


「私も好きなんだよね。いや〜、妙な偶然もあるものだ」


『汚職探偵』は人気ドラマだから、かなりの確率でファンと出会うと思うんだが? 

 ……いや。こうして通勤途中も視聴している人間は、思いの外少なかったりするか。そういう意味では、確かに「偶然」なのかもしれない。


「しかもそれ、シーズン1じゃん! 主演俳優、めっちゃ若くない!?」

「……お前、これがシーズン1だとわかるのか?」

「勿論! なにせこの頃から大ファンだったからね。当時は深夜枠だったから、小学生だった私にはリアタイがキツかったよ」


 深夜故に視聴率が芳しくなかったシーズン1から、リアルタイムで観ていただと? 

 間違いない。このJK、ガチ勢だ。


「ねぇねぇ。一番お気に入りの話って、どのシーズンの何話目?」

「そうだなぁ。やっぱり、シーズン4の最終回かな」

「あー。特にラストシーンは、最高だったよね。「俺はお前に対してだけは、清廉潔白でありたい。汚職もしないし、探偵でもない。単なる一人の男として、向き合いたいんだ」」


 このJK、主人公がヒロインに言ったセリフを一言一句覚えてやがる。そのシーンを何度も見返さなければ、出来ない芸当だ。


「他には? そこ以外に好きなシーンはないの?」

「そんなもの、まだまだあるに決まっているだろう? 例えばだな――」 


 俺は『汚職探偵』の中の好きなシーンを、列挙していく。

 その全てにおいて、JKは「私も好きだ」と同調してくれて。いつの間にか俺たちは、『汚職探偵』談義で盛り上がってしまっていた。


 恋人である元JKも、『汚職探偵』のファンだ。

 しかしその愛や知識量は俺の域に達しておらず、それ故に俺が彼女に教えることばかりだった。


 でも、このJKは違う。

 俺と同等か、下手したらそれ以上に『汚職探偵』の知識がある。そんな人間と初めて出会ったわけだから、正直この会話がめちゃくちゃ楽しかった。


 ……だから俺は、気付かなかったのだ。『汚職探偵』の時間は、もう終わりだということに。


 駅に着き、電車の扉が開く。

 いつものように乗車してきた元JKは、今日は俺の隣に座らなかった。


 正しくは、座れなかった。その席には、既に先約がいたのだから。


 隣合って座る俺たちを見て、元JKの表情から笑みが消える。


「……「泥棒猫」って罵るべき? それとも「ロリコン」って軽蔑するべき?」

「ちょっと待て。一回落ち着け。話せばわかる」


 あっ、マズい。このセリフは、「問答無用!」と言われてバッドエンドを迎えるやつだった。


 だけど何も言わなくても、修羅場ルートは確定だ。ならばみっともない言い訳をしてでも、事情を説明するべきだろう。


 俺はこのJKが隣に座っているのは偶然だということと、つい『汚職探偵』の話題に夢中になってしまっただけだと説明する。


 必死さも伝わり、取り敢えず元JKは理解してくれた。……納得はしていないみたいだけど。


 その証拠に、元JKは翌日から、同じ電車に乗ってこなかった。





 俺は元JKが好きだ。

 別れたいなどとは、これっぽっちも思っていない。


 仮に別れるにしても、俺の浮気や怠慢が原因で、愛想を尽かされるのなら諦められる。でも……こんなバカらしい誤解で破局するなんて、到底受け入れられなかった。


『一度ゆっくり話したい』。俺の送ったメッセージに対する彼女の反応は、『今は無理』だった。

 しばらく距離を置きたいらしい。だけど、その「しばらく」っていつまで? 本当に終わりがくるの?

 俺は不安で仕方なかった。


 騒動から数日経った今でも、元JKの姿は車内に見受けられない。きっと俺と会わないようにする為に、違う時間の電車に乗っているのだろう。


 そして俺の隣にはというと……ここ数日間は、毎日JKが座っていた。


「あれ? 『汚職探偵』観てないの?」

「……どうにも、そんな気分になれなくてな」

「ということは、彼女さんとの喧嘩は継続中なんだ」


「ごめんね」と、JKは謝罪する。


「喧嘩したのって、どう考えても私のせいだよね」

「いや、そんなことないさ」


 きっかけはそうだったとしても、元JKを今なお不満にさせているのは俺の不甲斐なさが原因だ。

 未成年の女の子に責任転嫁したり八つ当たりするつもりはない。


「謝罪はいらない。その代わりに、アドバイスが欲しい。……こういう時、女の子になんて言えば良いんだ?」


「好きだ」とも「愛している」とも伝えた。それでも元JKは、返信をしてくれない。

 距離を置きたいというのは本心みたいだし、ならば今は「会いに行かない」というのが最適解なのだろう。そう思っている。


 でも正しいと信じて距離を置き続けた結果、このザマだ。事態は何も好転していない。

 俺としては、万策尽きたと言っても過言じゃなかった。


「そうだねぇ……。サプライズで会いに行くのなんて、どうかな?」

「……いや、それはダメだろ? 向こうは距離を置きたいと言っているんだぞ?」


 それともその言葉が、嘘だったとでも言うのだろうか?


「「距離を置きたい」っていうのは、多分本心。でも同時に「早く会いに来て欲しい」とも思ってる」

「……何だ、それ? 矛盾していないか?」

「女の子の心とは、常にジレンマと隣り合わせにあるものなんだよ」

「女心とは、難解かつ厄介難解ものだな。探偵でもない俺には、到底解き明かせそうにない」

「そうだね。ついでに言うと、あなたは汚職もしていない。……清廉潔白なら、一人の男として正々堂々向き合うべきじゃないのかな?」


『汚職探偵』の名シーンを引用して、JKは俺に助言する。なんとも粋な計らいだ。


 やるべきことは決まった。あとは実践するのみだ。


「悪い。明日は同じ電車に乗れそうにない」

「わかってる。その代わり明後日は、二人ともこの電車に乗ってきてよね」


 明後日は土曜日なので、残念ながらその約束を果たせそうにない。週末は愛しの恋人と目いっぱいイチャイチャするつもりだ。

 

 だから週が明けた月曜日は、3人で仲良く『汚職探偵』の話で盛り上がるとしよう。





 翌朝。

 俺はいつもより1本早い電車に乗車した。


 俺と会わない為に、元JKは朝乗る電車の時間を変えた。

 それが1本早い電車なのか、1本遅い電車なのかは賭けみたいなものだったけど……真面目な彼女ならば、きっと前者を選択するだろう。


 案の定、元JKはいつもの駅で乗車してきた。


 いる筈のない俺の姿を見て、元JKは目を見開く。


「何で、ここに……?」

「いい加減寂しくなってな。会いにきた」

「……距離を置きたいって、言ったのに」


 そう言いつつも、彼女の口元は綻んでいた。

 どうやらJKの助言は正しかったみたいだ。 

 元JKは俺の隣に座る。

 たった数日だけなのに、もう長いことこうして隣同士で座っていなかった気がする。

 懐かしさと安らぎと、そして幸せが俺の心を埋め尽くしていった。


「……まだ、怒っているのか?」

「二人のことを見た時はカチンとしましたけど、事情もわかりましたし、今は怒っていません。ただ……拗ねているだけです」


 頬を赤らめ、プイッと顔をそらしながら、彼女は言う。


「彼女は私なのに。琢馬さんの隣は私の特等席なのに」


「それに」と、元JKは続ける。

 

「その内私は捨てられちゃうんじゃないかって、不安になっちゃったんです。だって……あの子、現役のJKですし」


 ……何を言っているんだ、こいつは?


 拗ねている理由は、まぁ理解出来なくもない。

 でも彼女の悩みに関しては、見当違いも甚しかった。

 

「言っておくけど、俺はJKだったからお前を好きになったわけじゃないぞ? お前だから、好きになったんだ」


 俺はJKに隣に座って欲しいんじゃない。他でもないお前に、隣にいて欲しいんだ。


 これからも。いつまでも。


「……もうあのJKと会わない?」

「それは……」


 つい昨日、月曜日に会うと約束したばかりだ。


「二度とJKと会わない」と明言しない俺を見て、彼女は溜め息を吐く。


「まったく、あなたという人は。……わかりました。会っても良いですよ。だけど、条件があります」

「条件?」


 元JKは、俺の肩に頭を乗せる。


「彼女が座るのは、私の隣。この特等席(あなたの隣)は、絶対に譲りません」


 ……もう一つ、元JKの勘違いを正しておかなければならないな。


 隣同士で座りたい。この席を譲りたくない。

 そんな風に思っているのは、案外俺の方なのかもしれない。

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