新龍会組長の娘
元木遥は学校の授業が終わるとすぐさまに荷物をまとめ、家路に着こうとしていた。
校内にはこれから部活に行く生徒や、ただ話し込んでいる生徒もまだ多数いる。
教室の扉の方を向いた彼女の視界を遮るような角度で、隣の席の篤志が彼女の前に立ち、声をかけた。
「元木さん…今日暇だったりする?…ほら引っ越ししてきたばかりなら、俺が何か案内するからさ」
遥は、はて彼はどんな様相の人間だったかな、と重い篤志を見上げる。
篤志は、率直に言うと平均的な顔に平均的な体格の高校2年生で、際立った特徴のない青年だと今わかった。しかし朗らかな笑顔で笑う青年だ。人柄の良さが滲み出ている。
「篤志君…ありがとう。でも…大丈夫よ」
遥は帰宅の身支度を整えながら、そうやんわりと断った。
「それに学校の授業から、噂されている…行方不明になった内藤彩さんの話まで聞けて今日は助かっているの」
荷物をまとめる遥の視線は篤志の方向にはない。
篤志は捨てられそうな犬のような表情をした。
別段、篤志が嫌いというわけではないのだが、今日は本当に用事があるのだ。
「…じゃあまた今度っ」
「うん…また、今度ね」
次の機会の予定を組もうと試みる篤志を、まるで子供の言葉を繰り返すように、遥は彼が言い切る前に言葉を返していた。
そしてカバンを肩にかけた彼女は、教室の出口まで歩みを進めていくのだった。
下校時間をとうに過ぎでも立ち会わせ場所に一向に来ない人間を、レンとコージは待ち続けていた。苛立ちこそ強くないが、なにせ見知らぬ土地のため心配ごとの方が思いは強い。
まだ初夏には早い季節のため、二人は薄めのコートを羽織っている。
二十代中盤の年齢に、端正な顔のパーツが並ぶ顔をしたコージは、ちらりちらりと、外を見やっていた。落ち着きがなく、コージは心配性に見える。
対するレンは後部座席から窓を少しだけ下げ、ただ外の空気を感じているだけに見えた。三十歳近傍の年齢で少し白髪の混じった癖のある髪をしている。三白眼の瞳は猛禽類のように鋭い。
コージは、V8エンジンを搭載した白い高級車の運転席からおもむろに出ると、周囲を警戒しながらも、待ち人の来るであろう方向を、つま先で背伸びをしながら眺めるのであった。
「…カナさん来ませんねぇ。まさか道わかんなくなっちゃった…とか?」
こんな可能性を閃きましたよと、革新的な物を見つけたかの表情でコージがレンにそう言った。
ないない、とレンは手を横に振る。
「事前に集結先と時間は理解しているあの子が間違えるわけはないよ…うん」
レンは落ち着いた声でそう静かに言った。
コージとレンの年齢はそう変わらないようにも見えるが、性格や持ち合わせる空気は正反対のように感じられる。
そんな会話をしている中、一人の女子高生が彼らに真っすぐ近づいてくる。
彼女は元木遥だった。学校を出たそのままの姿で、足早に彼らの車に近づく。
そして歩いてきた彼女は彼らの車の脇で足を止めた。
「遅い」
一瞥して、レンが一言だけ呟いた。
「ほんとっすよ。カナさん道わかんなくなっちゃったのかと思いました」
コージが続けてそう言った。
カナは無言で肩にかけていた学校指定カバンを、狭い車の窓の隙間から押し込む。そのカバンはするりとレンの膝の上に着地した。
「…あのね、私は学校でお仕事をしていたの、わかる?」
カナはなぜこうもわからない奴らなんだ、と首を振った。
レンはカナに置かれたカバンを脇にずらし、カナに車に乗れ、と手で合図する。
コージが急いで後部座席のドアを開く前に、カナは颯爽とドアを自分で開けて乗った。
「…で、成果は?」
レンは表情の読めない顔でカナに聞く。
カナは佇まいを正し、一から順を追って、今日得た情報を話していく。
「新龍会組長である内藤幸次郎の一人娘・内藤彩は埼玉県立北東第三高校の二年生として昨年の12月に転校―」
時系列ごとにカナは事実を語る。
内藤彩はカナが転校した高校に昨年末に転校してきていた。
転校当初は普通の生徒に同じく学生生活にも馴染んでいたが、部活動にも放課後の生徒同士の校則違反である遊び歩きにも応じない人間だったそうだ。しかも、校門から数百メートル離れた公園の近くで、毎日のように黒塗りの高級車が、付き人のようなスーツ姿の男たちを連れて迎えに来ていたらしい。その噂が広まった結果、物静かな彩の周りにはあらぬ噂が増え続け、友人はおろか近づく人間もなくなったそうだ。ただ、噂が噂なだけに誰も近づかないだけであって、虐めや悪さを行う生徒はいなかった。しかし突然ある時から、彼女が何かに怯えるような行動を取るようになり、急に不登校となったというのが、篤志がぺらぺらとカナに説明してくれた内容であった。
そう、とその話をレンは深くは興味なさそうに聞いていた。それは彼の興味の矛先が他にあったからに違いない。
「…それで何か視えたの?」
彼の三白眼が一直線にカナの目を見る。光のない彼の瞳には底知れない深さが存在し、畏怖と嫌悪を相手に感じさせる雰囲気を持っていた。
カナはその目をそらさずに言葉を紡ぐ。
「内藤彩の思念が残留するもので触れたのは二つで、机とペン。それから視えたものは、さっき説明した内容に告示することと――」
「―と?」
カナが言葉を続けなかったために、レンがその後を催促した。
カナは含みを満たせるように一拍置いた後、話始める。
「……内藤彩は好きな子がいたみたいでね、同じクラスの斎藤篤志って子なんだけど」
恋バナっすか、とコージが嬉しそうな顔で話題に食いつこうとする。しかし結果は期待外れだった。
「違うよコージ、そういう方向じゃない。人間ね、恋とか強い感情で想い入れがないと思念なんてすぐに蒸発しちゃうものなの。内藤彩は学校生活にほとんど思い入れがなかったせいか、他は全くと言っていいほど思念が残留していなかった。でも、恋愛感情は強く思念が長期間に渡って残るはずだから、斎藤篤志が何かしらの“残り香”を持っているかもしれないと思う」
つまり残留思念を視るために、篤志は期待値として存在するのだ。
彼女がクラスの席に着いた瞬間に感じたのは、内藤彩が横に座る篤志に心臓の高鳴りを感じている想いだった。そして彩は気が付くたびに、篤志の方をまるで瞳に姿を焼き付けるように、しかしなるべく気づかれないよう見ていたようだった。
―恋していたのね、内藤彩さん
思念で自分の感情が上書きされることは基本的にはないが、カナが視る内藤彩の横顔はカナの横顔に重なって見えた。
―恋していたのならなぜ斎藤篤志に何も言わず失踪したのかしら…想いは通じていないのに
きっとどこかに答えは潜んでいるはずだ、と彼女は考える。
この場にずっと居ては不可解に思われることも想定し、コージが車のエンジンを入れ、車を静かに発進させた。
――
走る車内でレンの腕時計が振動した。着信の意味だ。
彼が腕を見るとテキストメッセージが表示されていた。送付元は“笠井さん”と記載がある。
「笠井さんから連絡だ。カナを連れて新龍組の本邸に迎えだと」
なんで?とカナとコージが表情で返す。
「さぁね。でもそれが仕事だ…うん。笠井さんのことだから、向かった先で全てが仕組まれているはずだ」
レンはさほど興味ないと言う口調で、二人の疑問にそう返した。
「…笠井さんの命令だと絶対に行かなきゃいけないっすけど…すぐに車まわしちゃっていいですか?」
コージは一応の上司なのか、レンに答えを求めた。
「あぁ…でも」
レンはちらりと、カナの姿を見る。その目は少し奇怪な物を探るように見る目だ。
カナは、ふん、とレンが思うところを言い当てる。
「そうね、確かに学生服だと目立つかしら」
そうそう、とレンは頷く。
「どこかで服買って着替えた方がいい…うん」
そのとき、思い出したようにコージが口を開いた。
「大丈夫っすよ。こんな時もあるだろうって笠井さんが後ろにカナさんの普段着入れておいたって…」
「え」
カナとレンが同時に言う。両名は不穏な空気を感じた。
とりあえずは論より証拠なので、近場の空き地に車を停車させる。若干の緊張を覚えながら三人は車のトランクを静かに開いてみた。三人が興味深そうな瞳が動く。
トランクを開けると茶色い紙袋に何やら女性ものらしい服は入っているようだ。
静かにその中身を覗いたカナは、案の定、という顔をするのであった。