ある日の転校生
“おい、今回の転入生は当たりだぞ”
グループチャットに書き出された文字を見て篤志は顔を上にあげた。
春が近いが肌寒い季節。
空気の入れ替えと称して窓が一つ開いている教室に、風が吹き抜ける。
カーテンがはためく中で篤志が見たのは、転入生としてやってきた髪の短くすっきりと整った顔の女の子だった。
涼し気な目元が印象的で、篤志のやや垂れ目がかった目とは正反対である。
彼女の後ろのホワイトボードには、教師に書かれた名前で、“元木遥”と書かれている。
「それでは…元木さんは暫定で、斎藤篤志さんの隣の席を使ってくれるかしら」
髪を後ろ手に束ねた30代半ばの女性教員が、そう転入生・元木遥に依頼した。その指の指す先は篤志の隣だった。
31人のクラス人数のため、端数の1人である篤志は一人だけ最も後ろの席、真ん中に着席している。
教師が指さすその隣は、32人目の席で空席だった。
ざわざわするクラスの中で、転入生は真っすぐにその空席に進む。
“篤志ずるいぞ”
教科書タブレットで被せるように隠したスマートフォンに、グループチャットから無音でそう表示される。篤志は口端をにやり、と吊り上げた。
「どうも…よろしくね、元木さん」
元木はちら、と篤志を見て
「よろしくね」
と爽やかな声と共に挨拶した。
―いいじゃん
篤志はグループチャットに連続で送られてくるメッセージの嵐を無視して、元木が着席するまで目で追う。
「………」
ところが彼女は、右手で椅子に触れる前に、ぴたりと動きを止めた。
「…どうしましたか?」
教師が聞く。篤志も元木を見上げた。
「…先生…机の中にペンがありますが、ここは誰かの席ではありませんか?」
そう言うと、元木は机からペンをそっと出す。女の子が好きそうな見た目の可愛い赤いペンだった。
「それ、近藤さんのやつだよきっと」
「近藤さん?」
元木は篤志の言葉を復唱する。
「そう。半年くらい前に元木さんと同じく転入してきた女の子だけど、ちょっと前から不登校になってて…でも家族の人が荷物取りに来たからペンとかなかったはずなんだけど」
周囲の生徒が同調して言う。
「そうそう。なんかいかついヤクザみたいな家族の人だったよなぁ。」
おいそんなこと言うなって、と周囲がざわめく。
「そうなんだ。じゃあこのペンは彼女のなのね。」
元木はペンを後でどうにかしようと考えているのか、それを机の上に置くと、椅子を引いて、篤志の隣に座った。
その瞬間に、彼女はふと、何かに納得したような顔をする。
「……そう」
篤志は元木がそう呟いたのを聞いた。
仄かに彼女の瞳の奥が光ったように見えた気がする。
「…どうかした?」
篤志は疑問で返した。
その声に並行して、教師が今日の予定を生徒に伝える声が教室に響く。
元木が口端を緩めながら篤志を見る。
「…これからもよろしくね、篤志くん。とりあえずタブレットないから今日は一緒に見てもいい?」
先ほどの問いへの答えはない。
「えっ…うんいいよって…あれ。俺、名前言ったっけ」
「遥でいいよ」
「あ、うん」
篤志がそれ以上考えるまでもなく、席を寄せてくる、積極的な元木遥のなんとも言えないいい匂いに、それ以上考えるのをやめてしまう。彼は単純だった。
遥は周囲の女子生徒からも「よろしくね」と声をかけられ、笑顔で応じる。その顔は普通の女子高生の横顔だった。
―――――
その教室の塀で覆われた外を、一台のSUVがゆっくりと通過する。
スモークフィルムが各窓のガラス貼られているため中は見えないが、明らかな違反車だ。
静音が施された車内には、男二人がいた。どちらもまだ若い。
「なんか…カナちゃん楽しんでますね!」
運転する男が、明るい口調でそう後部座席の男に言う。
後部座席の男と、運転席の男は骨伝導のヘッドセットを耳の横につけ、そこから実際に音はしないが、楽しそうな高校生活の声が彼らには聞こえているようだ。
「あいつ…楽しそうだな…うん」
後部座席に座る男はけだるそうに頬杖をついたまま外を見やっている。目の下にはくっきりとした隈があり、やや三白眼だ。
「俺、まだここにきて日が浅いですけど、あのレンさんとカナさんとお仕事一緒させてもらうなんて光栄です」
運転手は目を輝かせてそう言った。
「コージ…前見て運転して」
レンはくいっと指で、前を向け、と指示する。
「はいっ…すんません」
運転しているコージは、後部座席ばかりを振り返っていた頭を前に向けた。
「今回の仕事は…」
レンは窓の外を見やりながら言う。
「武闘派で名を挙げている“新龍会”現組長の娘の捜索だ。歳の近いカナが同じ高校に入り、捜索の先を定めた方がやりやすい」
――新龍会
東北で勢力を伸ばしてきた武闘派の集まりで、血なまぐさい抗争の噂は絶えない。組の人数は地方一団体のために多くはないが、構成員となる人間は、暴力の問題で他の組になじめなかった“はぐれ者”ばかりらしい。組長はそんなはぐれ者を統率し、その手腕を部下からも認められる男だそうだ。
その一人娘がつい先月に姿を消した。
白昼ずっと高校に通い、その後は組員を用心棒に据えて自宅まで帰宅するルートしか往復しない彼女だそうだが、帰宅後に忽然と行方知らずになったそうだ。なぜ、どうやって、は未だに不明である。組長を始めとする新龍会も、構成員全員を挙げて捜索するも一向に居場所が掴めず、最終的に自分達のような“はぐれ者”に依頼してくるなんて。きっと面倒なことには違いない。
「さて今回は何が絡んでいるんだか…うん」
レンは朝の青空を、車から見上げる。スモークに遮られてもその計り知れない青さと深さはわかる。
「まぁまだ…始まったばかりだ」
そう最後に呟くのであった。