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ハッピーエンドで終わらせよう  作者: いねむり
9/10

キャロル嬢・1


ラニがその手紙を見つけたのは帰宅直後のことだった。

樫の木の扉に画鋲で留められた、一枚の紙片。明日の朝に再度訪ねるとだけ書き記されたそれを手に取って、ラニは直ぐ様来た道を戻った。


「…差出人がねえな。筆跡に見覚えは?」


いつもの黒い毛皮のコートではなく、毛足の長い白のガウンを羽織ったマガルは嫌な顔をしながらもラニのとんぼ返りを受け入れてくれた。

すっかりオフモードだったのだろう。コートの中は常に釦付きのシャツとベストで纏めていたが、ベストは取り払ってシャツは上三つまで釦を開けている。

船乗り上がりの商人だと言っていた通り、隆起のある胸板はハリボテには見えなかった。


「無い。訪ねて来るような人もいない」

「あ? 男爵家から使いとか来ねえのか?」

「来るけど、私がいない時は大家さんに伝言預けることになってるから」


ふんと気の無い返事をして、マガルは紙片に鼻を寄せた。ラニもやってみたから言えるが、取り立ててて変わった匂いはしなかった。


「貴族ってのは普通、商人をどう呼び出す?」


テーブルの上に放られた紙を揃って見下ろす。無論、こんなやり方ではない。


「商人に限ったことじゃないけど、女性は女性宛に、男性は男性宛に手紙を出すことが多いかな。用事があるのが異性相手でも、相手の家族の中にいる同性宛に手紙を出して取り次いでもらうの」


この王国に商人がいないことを思えば、貴族が商人を呼び出すなどという想定はしない。

だがマガルは、ラニに心当たりが無いのなら自身に用事がある人間が接触してきたと考えたのだろう。奇しくも貴族の作法に則った形である。


「筆跡からして女だな。字を書き慣れてる」


平民でも読み書きの出来る人間はいるが、書き慣れているとなるとやはり貴族の可能性が高い。社交の一環として、貴族の女性は手紙をよく書いた。

が、それにしては何の匂いもしなかったことが気にかかる。香水か香油か、貴族の女性が好むそれらしい香りの残滓さえ無かったのだ。


「明日の朝はこの女を待ってから来い。連れて来るかどうかはお前の判断に任せる」

「たぶん連れて来ることになると思うけど」


藍色の濃いインクと、切り立った紙片の切り口を見る。きちんとした文具品を揃えられるのなら相手はほぼほぼ貴族と考えていい。

貴族を相手にするならマガルにも一枚噛ませておいた方がいいだろう。

ラニは既に紙片の差出人を客として捉え、ここに連れて来るつもりでいた。


「…そう早く来るなよ?」


早朝から働くと損をした気分になると、マガルは船乗りらしからぬことをよく口にする。身に余る財を築いて尚あくせく働く気にならないという言い分は分かるが、正直爺むさいというのがラニの率直な感想だった。

そんなマガルの念押しに、ラニはうんと気軽に頷けないでいる。恐らく女性であろう訪問客を、例えば昼前までどこで待たせたものか考えあぐねて。

来客用の椅子もティーセットも無いラニの部屋では力不足であることは言うまでも無く、かと言って馴染みの喫茶店なども無い。この港町にあるのは夜には酒場になる食堂だけである。


「…ほら」


そんなラニの葛藤を汲み取ったのか、マガルが金貨を一枚寄越してきた。接待の為の資金と言うなら申し分の無い金額に、ラニは迷わず食い付いて胸を叩く。


「お釣りもらっていい!?」

「どうせなら靴買い替えてこい。穴空いてんだろ、それ」

「え。分かる?」


上手く補修出来たと自負していただけに、指摘されたことにラニは心底驚いた。


「歩き方がおかしい。怪我してる訳でもねえのにやたら右足庇ってりゃ分かるだろ」

「ああ…それで」


靴底が抜けたのを、針と糸で縫い合わせて間に合わせるのは珍しいことではない。平民の殆どはそれで三度は靴を復活させて使う。


「…マガルの靴は高そうだね」

「当たり前だ。俺が間に合わせの安物なんぞ身に付けると思うか?」


マガルの衣服は装飾品に至るまで、その全てが本物の一級品だった。マガルについて回る様になってから多少目利きが出来る様になったからこそ分かる、その上質さ。

その十指全てを彩る指輪だけは、このシルヴァリオ王国においては決して珍しくない品質に落ちてしまうが、それでも平民が手を出せたものでは無い。


「…やっぱりマガルが見て。まだ靴の善し悪しは分かんないし」

「ハッ」


港町での生活を始めて暫く経つが、マガル以外に革靴を常用する者を見たことがない。一流の物を身に付けられるようになれと常々言われているが、ラニの様な労働者には実用性の方が優先される。

しかし、もしかしたら両立させられる物があるのかもしれない。

そんな期待に負けて、ラニは鼻で笑われるという屈辱を甘んじて受けた。遠慮の無い嘲笑をそっと睨み返す。出会った時から変わらない悪人面は、きっとこれからも変わらないだろう。

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