ギブソン侯爵・4
王国を名乗るからには当然王族が存在する。
しかしマガルがそれを然して気に留めなかったのは、関わる気が無かったからだ。
無論王室御用達ともなればその国での成功は約束された様なものだが、特別なコネでも無ければ地道に実績を積み上げなければ目に留まることは無い。
その実績を積む段階である問題に直面したマガルは撤退を決めた為、残留している今も王族のことなど忘れ去っていた。
「嗚呼…やはり御存知でしたか」
連れであるラニが知っているならマガルも同様と判断したらしく、侯爵は力の無い笑みをマガルに向けた。マガルは敢えて肯定も否定もせず、鷹揚に笑って見せる。
「第一王女殿下が最近、お忍びで夜な夜な城を抜けているという噂を耳に致しました。行き先については様々な憶測が飛び交っていますが…殿下と同じ髪色の女性の話を聞いて、結び付けた方がいるのですね」
ラニの問いかけに、侯爵は素直に頷いた。
───また噂かと、マガルは心中のみで溜め息を吐く。
商売において評判は大事だ。特に競合相手が多い場合、評判で差が着くこともざらにある。
それ故にマガルも立ち居振る舞いには気を配り、身なりにも意味を込める様になったのだ。値段を問わず質の高さを求めた衣服を身に纏い、財力が目に見えて分かるよう宝石で指を彩って着飾った。
結果、いつか若かりし頃に嫌った成金風の趣味の悪い出で立ちになったのだから笑えない。
それでも見た目で侮られることが無くなるとやり易くなったのも事実で、止め時が見つけられず今日に至る。
そうしてマガルも一目置く評判は、貴族にとっては即ち噂なのだろう。実態とニアイコールの関係にある情報という意味だと思えばまだ受け入れられる。
「我が家にいるのは娘が二人。息子はおりません。エルアリス王女殿下が我が家に夜な夜な出入りしているという噂は、つまりその相手が私だということを示唆しているのです」
「…まあ、流石に使用人が相手とはなりませんね。王族との逢い引きの場に雇用先を選ぶなんざ大胆不敵を通り越して只の馬鹿だ」
せせら笑いながら吐き捨てれば、侯爵から見えない位置をラニに小突かれた。本性が出ていると言いたいことはよく分かった。
「お話は分かりました、侯爵閣下」
居住まいを正し、マガルは思案する。
王族とのスキャンダルは社交界において今最も注目されている噂だろう。
第一王女の夜歩きの噂と、青い髪の女の噂が結び付いて生まれた副産物。
噂が事実を指し示しているかもしれないとなれば人々の興味は過熱する一方だ。ならば。
「ご息女の御髪の色を伺っても?」
「は? あ、いえ。上の娘が金で、下の娘は茶色ですが…」
「第一王女殿下と歳か、もしくは背格好が近いのは?」
「───上の娘です」
マガルの狙いをある程度は察したのか、侯爵の瞳に力が戻る。
「こちらでは馴染みが無い様ですが、私の故郷であるヤトラファでは毛染めの習慣があります。目的は白髪隠しであったり身嗜みの一環であったりと様々ですが、二つの難点を除けば大したことではありません」
シルヴァリオ王国では美しさを宝石に例え、その有り様に倣う風習があった。
毛染めの習慣が無いのもそこに起因するとマガルは見ている。何せ宝石の色を後から変えることなど出来はしない。
「難点とは…?」
「相性もありますが、回数を重ねると髪が傷みます。しかし狙い通りの色にするには試行錯誤が必要となるでしょう」
その難点に加えて風習のこともある。娘当人は嫌がるだろうが、家門を貶める醜聞を払拭する為だと言い含めればいい。
「…エルアリス王女殿下の御髪は、ブルーサファイアの輝きです。苦労するでしょうか」
思わずマガルは破顔する。すると再びラニに小突かれた。悪い顔をしていると、そう言いたいのだろう。
「こちらで腕利きの美容師を用意致しましょう。毛染めの為の薬剤も刺激の少ない良質な物を。ご息女のご心労を慰撫する為の贈り物のご相談にも乗りますから、どうぞご安心ください」
つい畳み掛ける様な早口になってしまったが仕方が無い。つまらない茶番だと思っていた用事が商談に化けたのだ。
マガルの頭の中にのみある商品リストが捲られていく。全ての段取りを整えるには五日もあればいい。
「嗚呼…なんと有難い。感謝します、ハラジムア殿。あなたに相談して本当に良かった」
「お役に立てて何よりです、侯爵閣下」
固く、固く手を握り交わす。出会い頭のそれなど比にならない強さは成功を意味しており、マガルは久方振りの充足感に高揚していた。そう、商売とはこうでなくては。