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ハッピーエンドで終わらせよう  作者: いねむり
3/10

ギブソン侯爵・2


冴えない男だなと言うのがマガルの率直な感想だった。


「ようこそハラジムア殿、よく来てくれました。オルト・ギブソンと申します」


白髪混じりの茶髪に、灰色の瞳。やや痩せぎすの体付きは加齢による窶れもあるのだろう。幽霊がどうのこうのという噂による心労を感じる様な相手であってくれるなと祈りながら、マガルは営業用の笑みを浮かべた。


「お招きありがとうございます、ギブソン侯爵閣下。マガル・ハラジムアと申します」


とは言え、元より愛想も愛嬌も望めない顔立ちだ。過剰な笑みを作るより、少し口の端を上げるだけの方が格好も着く。

差し出された手を取り、緩く握り合って放す。

それから後方に使用人らしく控えていたラニを視線だけで振り返り、侯爵の視線も誘導した。


「おや、そちらのお嬢さんは…」

「身の回りの世話から仕事の雑用を任せている使用人です。この国の事情に疎い私にとっては有り難い存在でして」


生粋の王国民であるラニの知識は実際のところ役に立っている。

が、そもそもこの国に居残るきっかけが彼女だということを思えば有り難いかはかなり疑問の残るところだった。己の言葉につい嗤う。


「成程…ええ、構いません。お二人共、こちらへどうぞ」


そんなマガルの含むところなどいざ知らず、侯爵は自ら邸宅の扉を開けた。

正門前には門番を配置しているのに対し、来客に際して使用人が追随して来ないのは違和感がある。

露骨に眉をひそめてみせたマガルに、侯爵は苦笑を見せた。


「今日は人払いをしております。何分、慎重な話ですので」


どうぞと促されるままに扉をくぐろうとして、躊躇う。引き返すなら今しかない。

どうやら痴情のもつれでも夫婦間の悩みでも無さそうだが、使用人さえ出払わせているあたり只事ではない。

関わるなと訴える第六感に従うべきか───そう悩んでいた背を、とんと押された。足が敷居を踏み越える。


「…おい」

「大変失礼致しました、旦那様。背に糸くずがついておられましたもので」


悪戯に成功した子供の顔で笑う使用人ことラニを怒鳴りつけたい衝動を我慢して、前へ向き直ったマガルはのそのそと歩を進める。もうどうにでもなれ、という諦めが勝った瞬間だった。


「恐れ入ります」


侯爵へ一度頭を下げてから敷居を跨いだラニが傍らに来るまで、マガルは侯爵をじっと観察していた。

使用人だと紹介したにも関わらず、ラニが入るまで平然と扉を支える姿は全く貴族らしくなかった。

しかしこの国の貴族に婿として迎え入れられ、あまつさえ当主の地位を与えられたのだから平民の出身であるはずがない。シルヴァリオ王国近辺にはまだ一つ二つ、貴族制度を残す国があったはずだ。


「こちらです、お茶の用意だけはさせておきました」


マガルの探る視線を知ってか知らずか、扉に鍵をかけ終えた侯爵の先導に従って邸内を行く。吹き抜けのロビーを通り抜ければ、区切りとして壁を入れればそのまま部屋として使えそうな程に幅広い廊下が広がっていた。

しかしマガルからすれば無駄でしかない。廊下は通路である。行き交うのに十分な幅があり、障害物が無ければそれでいい。

貴族とはこういう点で相容れないと改めて確信した。機能美ならまだ理解も出来たが、購入にも維持にも金と手間をかける美には無駄という感想が先立つ。


「素晴らしいお庭ですね」


左手の少し後ろで発されたラニの声音は余所行きのものだ。澄ました調子に慣れないのはマガルの方で、ラニ当人は使用人然とした振る舞いに慣れつつある様だった。

侯爵が肩越しに振り返り、柔和な笑みを寄越す。愛想笑いよりも気さくなそれは、どこか照れている様にも見えた。


「ああ、ありがとう。今朝はピンクのクレマチスが綺麗に咲いてね。ギブソン家のエメラルドとの調和が美しいだろう? 妻の趣味なんだ」


マガルも二人に遅れて右を見る。

中庭に面して張り巡らされた窓の向こう側には、煉瓦道で囲われて成形された円形芝生の中、緑のオブジェが───いや、宝石の実る木が植えられていた。


「…木に宝石が実る眺めは、いつ見ても魔法の様ですね」


木の背は低く、太い枝振りは重厚な構えを見せている。その枝のそこかしこから咲いた花の中から顔を覗かせている、燦然たる新緑のきらめき。紛うことなきエメラルドの大粒だった。


「ええ、私も婿に来たばかりの頃は本当に驚きました。話には聞いていましたが、実際に目の当たりにすると衝撃が違いましたから」


花から落ちたエメラルドは、下に咲くクレマチスに受け止められている。薄桃色の花びらとエメラルドの新緑は確かに春の色めきに似て美しく、正しく御伽噺の様な光景にマガルは目を逸らした。どうしたってこの違和感には慣れそうもない。


「この部屋です」


夢の様な光景に気を取られている間に、知らず歩みが遅れていたらしい。先程より侯爵との距離は空き、彼は両開きの扉の前で微笑みを湛えて待っていた。

ラニが隣に進み出てくる。


「眉間の皺、すごいことになってるけど大丈夫? ただでさえ悪人面なんだから気を付けて」


潜めた声は侯爵には届かないだろう。それをいいことに暴言を寄越す使用人擬きを睨み下ろす。


「貫禄がある面構えって言うんだよ、覚えとけクソガキ」

「やめて笑うでしょ」

「ァあ?」


素知らぬ顔で悪態を返してくる真黒の旋毛をいつもなら小突くところだが、侯爵の面前ではそれも出来ない。ぐっと堪えて歩を進め、侯爵と同じ扉の前に辿り着く。

───何の変哲もない扉だ。

廊下の左側に並ぶ扉は同じ意匠で揃えられており、侯爵が示したこの扉も例外では無い。

この中でどんな相談を持ちかけられるのかと思うと頭が痛かった。人払いまでしているのだから幽霊がどうとは言い出さないはずだが、この王国の常識はマガルの経験を尽く覆してくる。油断は出来なかった。

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