せんさー らいと
突然の不幸にみまわれ命を落とす人間というのは、多かれ少なかれこのような体験をするものかも知れない。
私が歳末の進物の、配達バイトに応募したのは、新しい歳を迎えるに当たり懐具合に一抹の不安を覚えたからに他ならない。
そんな私が担当した配達区域は、人口10万にも満たない海に面した地方都市の市街地から北へ大きく外れた県境の町、車で上ることさえ困難を要するような急峻な坂道が多く存在する区域
一言で言えば「誰もが避けて通りたいと思う」そんなエリアだった。
それでも一週間もすると、町名と番地だけでテリトリーのほとんどの場所が頭に浮かぶようになるから不思議である。
1年で一番日照時間の短い日、24節季の一つ冬至を間近に控える年末も押し迫ったある日、伝票に記された名を初めて目にする町に向かわねばならない事態に陥った。
事態に陥るなどという御大層な言い方をした訳は、即ち集落もましてや人が住む人家など存在しないと決め込んでいた所。とでも言った方が的を得ているのかも知れない。
それはバイトの世話係の古参の社員にも同じことがいえ、住所確認の意味合いも込め配達先の住所をその古株に見せたのだが、
「この支店に転属になってからかれこれ20年、ただの一度もそんな僻地に荷物を配達した覚えがない、ましてや君と同じ様に、そんな所に家があること自体信じ難い」という返事だった。
しかしその後「配達荷物がある以上、たといバイトといえども速やかに落ち度なく客先に荷物を届けるのが宅配業者の責務である」
判で押したような模範解答が帰ってきたのには少々閉口せざるを得なかった。
ここでもう少し付け加えるならつい最近まで村と呼ばれたその場所は、最低源のライフラインが整備されているのかさえ心配になるような場所とも言えた。
舗装の行き届かない林道の、行き止まりの手前の住所が記された伝票を手にして私は、配達日の指定も、夜8時過ぎという時間の括りも無視して翌朝の配達に回わそうかと一瞬考えたのだが、大晦日が近づくにつれ配達件数がどんどん増え続ける現状を考慮すると、少し遅くなってでも今日中に配達を済ませることが寛容なんだろうと、考えを改めた。
町外れの、山腹の狭小地に立ち並ぶ最後の一軒の農家から更に車で向かうこと時間にして30分ほど、直線距離にすれば10キロにも満たないのだろうが、つづら折りの急峻な坂道の連続は、それでなくとも不安で一杯の私の気持ちを更に萎えさすような道のりに他ならなかった。
どれぐらい走ったのだろう、水銀灯はおろか街路灯の明かり一つ灯らぬ山道が、永遠に続くのではという思いに苛まれた次の瞬間、漆黒の闇の中に微かに光る人為的な灯りが目に飛び込んできた。
鬱蒼と繁る木々の中に、ひっそりと佇む時代がかった洋館、二階の屋根の一部以外は木立に隠れて確認できないが、闇が深ければ深いほど小さな光も人の目は捉えられるようにできているものらしい。
この屋敷は、表の林道から母屋までゆうに30メートルを越えるアプローチがあったが、二階の鎧戸から漏れる微かな光が住人の所在を何よりも強く言い表していると自分に言い聞かせ、足元も覚束ない庭先を先へ進んだ。
インターホンなど間違ってもなさそうな生け垣だけの入り口を後にし奇妙な包装の荷物を小脇に抱え先を急ぐと、二階の出窓に備え付けられたガラリの奥に一瞬人影が蠢く姿を見逃さなかった。
盲目になると人はこんな感じなのかと、手探りでたどり着いた堅牢な作りの方開きの木製ドアには、チャイムの代わりに、年季の入った真鍮製のドアベルが取り付けられていた。
最初は優しく、二度ほどドアベルを叩き、中の反応を伺ったのだが、時間をおいて2度3度と同じ行為を繰り返しても全く無反応だったので、少し気色ばんで続けざまにドアベルを連打しながら
「日付けだけじゃなく、時間指定までしておいて居留守かよ?たまったもんじゃねえよな」
と思わず悪態をつくと、あろうことか時を同じくして、ゆっくりと玄関ドアが、耳障りな軋み音を伴いながら開き始めた。
「おやまあ、かなりのご立腹だこと。宅配業者さんかい? こんな時間に山奥までお出ましいただき相済まないねえ。
いやねえ、今日に限って、人の気配を感じると灯るはずのセンサーライトが全く無反応なんでわからなかったよ」
今時珍しい奇妙な柄の紬の着物と、白髪が目立つ日本髪は一目見たとき、かなりの年配に思えたのだが、肌の艶、目の輝き、発する言葉の若々しさから推し測ると30代後半でも十分通用しそうな不思議な女といえた。
そしてそこから見える玄関先は、立派な表装を施した二曲屏風や、アール・デコ調の本場イタリヤ辺りで作られたような、ステンドグラスのスタンドといった1900年代前半に流行したような宝飾品の数々が、品よく配置されていた。
だがそれらの全てが、全く時代を感じない、まるでつい最近作られたような真新しさを感じる品々なのである。
女は、そんな私の思いを察したのか、人を小馬鹿にしたような態度と、悪意の感じられる冷ややかな目線を投げ掛けてきた。
そんな女の振る舞いに憤りを隠せなかった私は、無言で荷物を突き付け、マニュアル通りの「ありがとうございます」の一言の謝辞も述べぬまま、踵を返して林道に止め置いた車に向かった。
すると背後から意味深な声が聞こえてきた。
「50年近くこの家に住んできて、表のセンサーライトが全く反応しなかった客人は、あんたが始めてだよ。言っておくが我が家のせんさーらいとは、人の生気に反応する仕組みなんでね、若い子供や、活力漲る若者が現れると、眩しいばかりの光を放つようにできているのさ、だけど今日のあんたときた日にゃあ… どうしたものかねえ」
最早そんな戯れ言に、聞く耳も持たなかった私は、勢い勇んで車に飛び乗り帰りの道を急いだのだった。
帰路の山道も半分を過ぎた辺りだっただろうか、ほんの一瞬だけ、目の前の光景が真っ暗になり、次に目を開けた瞬間、辺りはすっかり夜明けを向かえ、行きとは変わり果てた林道の様相が姿を表した。
そして車に乗っていたはずの私は、少しだけ中に浮くような立ち位置で、目の前に広がる崩落した岩盤の下敷きになり原型をとどめない自分の車を凝視していたのだった。
何がなんだか現状を理解できないで思案にくれていた私の足元に何処からか一枚の新聞が降ってきた。
そして偶然開かれた三面記事の欄に次のような見出しと、記事が掲載されていた。
「昨夜未明、通行止めの○○町内の林道で、崖崩れが発生、△△運送のアルバイト男性が巻き込まれ、死亡が確認される」