01「入院苦心編」
――――――――――――
前書き
――――――――――――
――……うん。「コレ」を読もうかな。
そう思ってくださって本当に有り難う。
この物語は、筆者が実体験した経験を、時間を……想いをできるだけ、脚色無しに、でもエキサイティングに……なるだけ詳細に、だけど詳しい事はひたすら曖昧に……。
そういうへっぴり腰な前傾姿勢で書き上げた、ノンフィクションに近い、紛れもないフィクションです。
小説というよりは事実を元にしたフィクション自伝(謎)? ……に近いと言えるでしょう。
誤字脱字、小説の記法の知識、言葉の使い方・統一など、拙い点、多々あるかと思います。
ルビ振り、傍点振り、行間、レイアウト……読む人のことを考えきれていないでしょう。
でも今から始まる世界をノゾいてみて、もし何か感じるものがあれば、その時点で「コレ」を創った目論見は二百パーセント達成しています。
そもそも創った時点で、ほぼ自身の目的はコンプリートでした。
――ん~どうせなら……みてほしいなぁ~。
という幼稚で気軽な発想で、衒らかす様に世界に両手を広げよう、そう想わせてくれた「あの約三十二日間」に――
最大限の感謝と敬意を払って……。それではどうぞ!
――――――――――――
2021/03/16
――――――――――――
01
――――――――――――
――最早死のう。
そう決めて二十四錠の劇薬を日本酒と共に飲んだ。
俺は必死の心の訴えをメールで親に送っていた、されど二十四時間待って……返ってきたのは上から目線の労いと夜ご飯のメニューだけだった。
――どうせ誰も俺に注目しない。親でさえも……。
今振り返ると衝動的だったと思う。
しかし「俺」にとっては、自身の意志で動けた数少ない事例だったとも考えている。
最後の晩餐と言う名の夜食――レトルトミートソースwithパスタ――を二時三十分頃食べた。
可もなく不可もない、化学薬品臭いそれの味であった。
その後特に何の感情も無いまま、小さくてまあるい……よくある形状の粒を十錠飲み、酒を流し込み、そして十四錠飲み、また酒を流し込んで……。
計二十四錠の薬と酒と共に「俺」は死んだ。
十五日から、自身が部屋にいる時はベッドを利用し部屋を開けられないようにしていた。
この空虚なバリケードはそっくりそのまま俺の崩れた心を投影しているかのようだった。
――注目して欲しいのに拒絶したいとか……意味理解んねーよなぁ。
そう皮肉を心の中で漏らした。
ベッドの中の出来事は鮮明に頭に残っている。
眼を瞑り早く終わらないか、と願った事。
やがて来る酔い……激しくなる鼓動。
――止まらない。
薬を飲んで一時間三十分後、唐突に。
全身の感覚が「消えて」いき、心臓の鼓動も消えて「無くなって」いく。
迎えた静寂。
――これは死んだなぁ。
他人事の様に思った。
二〇二一年、三月一六日四時頃。年月にして二八年と三五九日。
――――――――――――
02
ところがそれで人生は終わらなくて――
まるで俺に第二の心臓があるかのように。
狂ったようにそれはまた脈打ち始め、無感動な俺をせせら笑った。
――死ねないのかよ……。
そうため息をついた。
その後はいつも通り、糞みたいな被害妄想と意味のない思考の羅列が頭を覆い続ける。
そうして気付けば七時、親が起きて来る音が聞こえる。
――こんなもんなのか……。
無味、無意味感。徒労、そして予期される約束された、苦痛。
二時間ほど迷い、俺は生きる為にバリケードを崩し、一階に降りた。
明らかな矛盾を真横から感じながら。
――――――――――――
03
九時頃、一階にて母と対面したとき、開口一番彼女は、
「ごめんね……」
と、弱々しく絞り出されるその声に、何の反応もできないまま、俺は事実だけを面面と述べた。
「薬をオーバードーズした。……ので、病院に行かないとたぶん……ヤバい」
対する母の行動は迅速だった。
手短に身支度を整え、車で二〇分――渋滞していると四〇分かかる時もある――通院していたそれなりに大きな病院に無理を言って当日予約をし、向かってくれた。
眺める車窓からのモノクロな景色。
病院内駐車場「だけの」不可解な渋滞。
……時折話しかけてくる母の声。
全てが薄い印象に感じ、ぼーっと世界が点滅する。
そんな意識の中、俺は一〇時三〇分頃精神科外来を受診。
三つか四つの質問の後、外来主治医さんの、
「それじゃあ、一度環境を離れると言うことで、隔離病棟に入院してみます?」
という一言。
……すぐに返事が出来なかった。
入院で掛かるお金の事、無職のくせにいっちょ前にあるくだらないプライド。
医師さんの暖かい、けれど真剣な雰囲気。
――流されていいのか……?
しかし一個しか選択肢のないルート。
変られない事実と、自身に都合良くあろうとする内面に頭をぐちゃぐちゃにされながら……俺はかろうじで、
「……はい。ありがとう、ございます」
とだけ答えた。
――――――――――――
04
薬を飲んで約八時間後の十一時からずっと、分厚く重たい硝子の眼鏡を上下ちぐはぐに掛けている感覚のまま、その日は幕を閉じた。
入院する準備として、必ず受けなくてはいけなかったレントゲンにたくさんの人が並んでいたのだが、限界を感じ受付の方に順番を早めてくださいと懇願しに行った時の、あのギョッとした顔が忘れられない。
当時の俺の顔は病院の無機質な白壁と同じ色をしていたらしい……。(母談)
覚えている事は、
・夕食が喉を通らなかった事。
食べたい訳でもなく、食べたくない訳でもなく。全身が、やる気をなくした感じである。拒否する事も、かといって受け入れる気も起きない。
少しは食べたが……見た目、味、匂い。全ての情報が霧に包まれていた。
・夢現としていているのに、聴覚、視覚の遠近や嗅覚の曖昧さを何処か冷静に自覚していた。
どこからか吹いてくるフラフラとした生ぬるい逆風を感じながら、トイレに向かった事がひどく記憶にこべりついている。
その感覚が現実かどうかは今でもわからない。
――――――――――――
2021/03/17
――――――――――――
01
入院して最初の夜が明けた。
直面した事実、それは自身が置かれた環境の「筆舌しがたい、疑似的な」劣悪さ――筆者の精神状態によって評価が頻繁に変わっていた為、この表現とする――であった。
それは主に「音」となって俺を悩ませた。
例えばそれは以下のようなものであった。
・遠くから聞こえる患者さんの野次や不平・不満の呟き。
・突然聞こえるどこかの病室の患者さんが発する笑い声。
・一本しかない廊下を何度も、執拗に行き来する足の音。
※看護師さんの足音は除く。
・全く一ミリも興味が無い遠くから聞こえるテレビの音。
――――――――――――
02
特に重要かつ、状況によって意味を持つものだったのが同室のある人が発する行動全てだった。
彼の名前をここで「甘臭王」と定義させて頂く。
※ギャグも当然含んでいるのだが、彼は間違いなくこの病室を掌握する『王』であった。また何故『甘臭』なのかはまだ書かない。
甘臭王は凄い。
一部脚色、著者の心理状態からくる幻聴も含んでしまうためあくまでフィクションとして、「こんな人ともし、病室が同じだったら……」と想像して読んで頂きたい。
①医療従事者さんに対し情報開示が消極的。
本人は辛く苦しい最中にいる。その前提を以てしても、解せなかった……。看護師さんや医師さんが質問しても、四分の三ほどの回答は「……んなもんわからんわ」である。
②大幅な救いを他人に求めてしまう。
繰り返すが……本人は苦しく辛い渦中にいる。彼は一刻も早くその苦痛――彼が四六時中何をしていようとも付きまとう、俺などでは想像もできないような苦痛、生き苦しさである……。――から抜け出したい一心で、看護師さん、医師さんに何度も救いを求めた。だが彼自身「こうしたり、ああしたりすれば……」等の改善姿勢がほどんど見られなかった。その上、求める救いは治療のステップを一気に十三段ほど飛ばした先のものであった。
そんな中でも何か、改善する可能性を模索し続けていた看護師さんや医師さんには、本当に尊敬の念を抱かずにいられなかった。
③夜間全く眠れていない、つまり夜中に頻繁に起きる。
④夜間起きた際、超高確率にて廊下に出る。そして看護師に不平・不満を漏らす。
⑤※1.の事実があるにも関わらず、ドアは高確率で閉めない。その為まぁまぁの光がダイレクトに病室にイン!
この三つはほぼ彼の鉄板コンボとして認識している。ようするに十八番である。
夜間、――あくまで俺の場合は……――寝ている時に光が急に差し込むと、まぁ……ストレスになる。懐中電灯を持った看護師さんの一時間毎の巡視に加え、彼の生み出す光線が容赦なく俺の瞼を透過し網膜を刺激する。
初日の俺の目は夜通しギンギンッ! であった。
※1.廊下は安全のため比較的明るい。
⑥個人的に出す音がそれなりに……いや普通に大きい。食事の咀嚼音、口から発せられる「ニチャァ……」や「クチャァ……」などの音。げっぷ、いびき、呟く独り言、地団太を踏む。極希に短く叫ぶ。立ちっ屁。座りっ屁。イライラしているので物に当たりがち。※2.
この「音」については「時間を問わない」。つまり夜起きた時も、早朝さえ……平然と音を立てる事に留意して頂きたい。
そして⑥はどうやら、「お世話になっている人が周りに存在しない状態」の時のみ、発生するようだ。
普段親身になってくださる、看護師さんや医師さん達の前では⑥は絶対に見せず、何の関係もない人達――つまり俺を含めた同室の患者さん達――や家族さん達の前だけの時に⑥が見られた。
ちなみに「彼がお世話になっていない医師さん」が病室にいる状態でも⑥の発生を確認している。
この⑥には……退院まで心底、どう付き合うか頭を悩ませられた。
俺ら同室の病人を何だと思ってるのか、一回彼に問うてみたい位である(苦笑)。
この⑥を以て俺は、
――甘臭王はッ俺達にッ攻撃を仕掛けているんダッッッ!
と被害妄想と共に設定付け、色々想像して楽しんでいた。
……今思うと一つも愉しくないが…。
※2.抱えているストレスが本当に、並大抵の物のではない事を念頭に置いて頂きたい。ストレスを抱えきれなくなると間違いなく人は「おかしく」なる。例外無く誰でも……である。
おかしくなった事が無い! なんて言い張る輩が居たらその人は既に強靭な狂人といえる。その強靱で凶刃のような精神・思考・言葉を是非見てみたいが体験したくは無い。
⑦周りから見ると「絶対的に」症状が変化しているように見えるのだが、本人曰く「なにも変わっとらん」の一点張り。
例えば、彼の症状から来るストレスによって、彼が我慢できず物音を立てる回数は、治療が進むにつれて確実に目に見えて減っていった。それらの「周りから看た事実」を看護師さんや医師さんが指摘しても、彼の実感にはあまり響いていないようだった。
この性質はとても興味深く、俺が甘臭王という人に強く関心を持つきっかけとなった。※3.
例えば以下のような事を、俺は体調回復後自問していた。
――この人はどうして、自身の変化を感じ取ることができないんだ?その上……他人からの指摘、つまり他人との世界感の共有もあまりできていないように見える……。彼をこう「させている」要因はいったい何なんだ?
が、こういった考えの回答はその人その人の深い、深い奥底にある他人に見せないモノを、本人の心の底から聞き出さなくては毛ほども見えてはこない。
隔離病棟では患者さん同士の接触は推奨されていなかった、まぁ……当然である。
心に傷を抱えた人達が入院しているのだから。
※3.嫌悪感もある、いやめっちゃある。しかしそれよりも興味、関心が湧く。言い換えると「その人の強烈なキャラクタリゼーション『特質』」としてこれら特性を認識できた事は、今後の人生に於いて大きな意味を持つ事なんだろうと確信している。
――――――――――――
03
何を述べていたかを整理すると、俺は一夜にして早急な発想の転換を求められることになったのである。
――病室は休む所ではない。堪え忍ぶ所なのだ…………。
という風に。
また入院当初から謎の縛りと言うのか……強迫観念と言えば良いのか。
俺は音をあまり立ててはいけないような気がずっとしており、その為――
・寝る時、寝返り一つ打つのにも神経を使う。ベッドに敷かれたシーツの音が異常に気になって仕方なかった、それにベッドが軋んでなかなかな音が出てしまう……対策として、同じ病室のほかの方の寝返りに合わせてそれを打っていた。
・看護師さん・医師さんの方と病室で話すことだけでも最初の内は苦手だった。特に真剣な内容を喋りたい時など、自身の声がコントロールしにくく……声が大っきくなったり小っちゃくなったりを繰り返す事もあった。
それは数年間、家族もしくは通院している病院のスタッフさん達としか最小限のコミュニケーションをとっていなかった為に、どう話せばいいかわからない……というのも勿論在る。
・食事、体調が良くなった後はお菓子も。あまり音を立てずにどう楽しむかを探求していた。例えば、飴一つ舐めるのにも「カラコロッ」と音が鳴るのを嫌っていた。
等々、なにかと苦心・錯乱していた事を覚えている。
一方で、甘臭王はどのように飴を食べていたかというと……。
(ガサゴソ……)←甘臭王がおそらく紙袋を乱雑に探る音。
(ビリィッ!バリガザッ!……カシャカシャ)←炸裂するビニール音&飴を取り出す音。
(ヒュヌチョッ!)←飴を吸い込みながら口に入れる音。
(ゴロゴロガリネチョ! カラッコロッガリヌチャ…!)←飴を頬張る音。
(ズズー……!)←飴を舐めたままお茶を啜る音。
(チャピネチャゴロガリクチャ! ガリッ……チャムチャム……)←啜ったお茶と共に飴を噛み砕き嚥下する音。
――流石ぁ~! 甘臭王! 俺たちのMPを的確に削って狂ゥッ!! ←そのときの俺の感想。
……そんなこんなで、少し複雑な面もちで真剣に今後の睡眠のことを考えながら味のしない朝御飯を少量食べ、不用心にうとうとしていると…。
夢が、
――知らない誰かと連れションしてる……?
唐突に俺を現実に突き落とした。
恐らく午後十時三十分頃、俺はベッドの上で失禁していた。
――――――――――――
04
――油断した……大の大人が……看護師さんを呼ぶしかないか?同室の方に申し訳ない、ほぼ二十九歳だぞ……。
ぐるぐる回る似通った思考。自分で自分を打ちのめしながらナースコールを押した。
「どうされましたー?」
快活な声。本当に、申し訳ない。
「すいません……その、しっき……おねしょしてしまいました……」
「伺います」
看護師さんの完璧な処置に、まな板の俺。
スピーディなそれに従って俺には紙おむつ、ベッドには防水シーツが装備された。
そして何よりも辛いと感じる事が追加された。
トイレがトイレで出来なくなった。
――――――――――――
05
昼食。
とてもじゃないが食欲など湧いてこない。
どんどん悪くなる体調……ヤケ喰いしたちゃっちい最後の晩餐が薬とどういう反応を示すのが不安だった。
そしてなにより美味しく感じない。
少しだけ顎を動かしている筈の食事の味も、病棟全体に漂う生暖かい空気さえも。
この頃から俺の精神は縮こまれるだけ縮こまり、
――如何様にご迷惑をおかけせずに退院するか?
がスローガンになっていた。
結果だけお伝えすると、まだまだめっちゃたくさんご迷惑をおかけするのだが、そのときの俺は、
――まだ挽回できる!
などと言う本当に滑稽な発想で俺自身を守ろうとしていた。
――――――――――――
06
そんな事を考えながらベッドに張り付いている午後、母がお見舞いに来てくれた。
会話の内容で覚えている事はたった一つ。
俺の古いスマートフォンの下取りを完了する為に、初期化をしたいのだがそのやり方がわからない。それを俺に操作して欲しいとの事だった。
正直、
――何故今?もうちょい期限あるんじゃないか?
とは思った、そして何よりも隔離病棟……通信機器の持ち込みは禁じられている。
その禁止を押し切ってまで親は滞り無く下取りが終わり、俺に利益がもたらされる事を望んでいたのだ……と今になれば思えるのだが、
――如何様にご迷惑をおかけせずに退院するか?
をスローガンにしていた当時の俺は、体調の悪さを仮面にしぶっきらぼうな態度で、しかしスマートフォンの初期化はしっかりと済ましたのであった。
――――――――――――
07
十七日の夕食はフルーツしか食べれなかったのではないだろうか。段々と自分の体が薬に侵されているのがしっかりと実感できるようになっていた。
――いよいよ、これは、やばい……。
その時の体調は下記のようであったと記憶している。
・十七日の夜からいよいよ一睡もできない。
寝れたとしても夢と現実の区別が付かず、寝れたという実感は皆無であった。
何よりも寝るのが怖いのだ。また粗相をしてしまうのではないか……と。
・トイレに行けないという苦痛。
行く……というか致そうとした時の看護師さん、及び同室の方に対して感じる申し訳なさ。
それらから来る、
――出来るだけ用を足す回数を減らそう!
という謎の結論。
・慣れない四人部屋のストレス。
後に医師さんから言われた事だが、四人部屋を初めて経験する患者さんは皆、ある程度のストレスを抱えるのだそうだ。
そして、「そのストレスにどう対処するか?」について「患者さん自身が向き合って――時に医療関係者さん達のお力を頼りながら――克服していく事」も精神科の隔離病棟では大切な事であるらしい。
退院した今なら理解できる。
個人個人の考えようによっては「外」はあそこより数億倍ストレスに溢れているのだから……。
・甘臭王の容赦ない音攻撃。
・ストレス――もしくは薬?――から来る幻聴。
・実際の音、幻聴及び錯覚から来る被害妄想の数々。
この三つの要素は、俺の主な自発ストレス要因コンボとでも言えるのだろう。
事実か否か判別できない状態での被害妄想の捗ること捗ること……幸いした事は、俺がその思考に浸れない程の苦痛に曝されている状況にいる、という悲しい事実であった。
十七日の夜に出した総合的な感想をタイトルにすると、
『地獄の毎日より死を選んだら、更なる地獄に迷い込んでしまった件について』
であった。
まぁ明日もっと酷くなるんだけどね…。(副題)
――――――――――――
2021/03/18
――――――――――――
01
起きあがれなくなった。全く以て不可。
昨日はまだ、スマートフォンの初期化も上体を起こした状態でなんとか出来ていたというのに……。
少しでも身体を起こそうとすると、血の気が引いて顔面蒼白。大音量の耳鳴りが世界を覆い、視界が廻るのではなく霞んでいく……起きていては恐らくそのまま気絶してしまうだろう。
食事も全く喉を通らない、第一起きあがれないのだから食べる難易度はバカ高い。看護師さん達が一生懸命にお水を勧めてくれた事を朧気に覚えている。
そして、恐れていた「それ」は最悪のタイミングに重なっていく。
腹痛である。
(身体起こせない) × (トイレに行けない)
=「ここで――大小の処理を――お願いします」
この日、挽回しようとしていた尊厳は簡単に粉々になり、俺は劇臭王になった。
――――――――――――
02
十八日を振り返ると思う事を列挙していく。
・十八日~十九日の早朝のうちに計四回、腹痛が来、大の処理に及んだ。
薬がお腹に溜まっている、従って痛いのは当然である。
むしろ薬を外に出せた方が回復に向かう速度は上がる、と言う事は理解できるのだが、実際の心境は不条理極まりない気持ちで一杯だった。
――いや自身が招いた種なんだから不条理もクソも無いだろ……。
というツッコミは当時の俺には効果が無い。そのように自身に批判的な考えを持つ余裕は持ち得なかった。
そして俺の精神の当然の帰結として、用を足す回数を減らそう――大小問わず――と言う気持ちはより強く継続された。
こういう時スッ…と割り切り、自分のすべき事ができる人は本当に尊敬できるし、できればそうなりたいと思う。
まぁ仮にそうなっていたとしたら、この隔離病棟に入院などしていないだろうが。
・二回目の処理が一番苦しかった。お腹が痙攣するように動いて辛い、よって反射的に身体を動くのだが、そうすると耳鳴りに襲われ、自動的に視界が霞んでいく。
俺はベッドの上で芋虫のように悶えていた。それを心配そうに見つめ真剣に思案する看護師さんの雰囲気……。
絶対に、忘れられない。
「本当に……申し訳ない気持ちで一杯です」
と、当時の心境を看護師さんと医師さんに打ち明けられる機会があった。
帰ってきた返答は、
「こういう体験が、あなたが『した』事の結果なんだって、あなたがもう一回……そういう辛い状況になった時、想い出して貰って。そうやって次に活かして頂ければ大丈夫です」
三回目に処理してくださった看護師さんの言葉を選びつつ、しかしはっきりと強い意志を感じた言葉。
「我々を侮らないで頂きたいです。いわば我々はプロです。看護師さん達はそういう状況になる可能性がある、という事も踏まえて覚悟・訓練は積んできています。……ですから、あなたは申し訳ない、なんて言わずに、思わずに、生きる為に正しい事をしたんだ。……そう考えてくださればいいんですよ」
後日、暖かく話を聞いてくださった医師さんの言葉。
……俺はこの二つの言葉が強烈に頭の中にインプットされたにもかかわらず、圧倒され、すぐには理解が追いつかなかった。
――どうして、ひどく冷たく言うと「利害関係でしかない俺」に対してこんな……こんな日溜まりのようなあったかい言葉を投げかけられるんだ?
当初の取りあえずの結論は、
――人間としての年輪が……違う。
であった、今でさえ結論は出ないが……。
同時に看護師さんや医師さんを始めとした、あの隔離病棟のスタッフさん達から頂いた言葉群を想い出す度、自身の価値・存在その他諸々が矮小に感じ、無性に恥ずかしくなり、あの人達のようになりたいと願うようになった。
――純粋な尊敬は自身の態度・認識をプラスに持っていくんだなぁ。
と二十九歳成り立てながら気付いたのだった。
――――――――――――
03
夕食にほど近くなった午後、点滴が始まった。水分を摂る事などが目的と仰っていた。
他にも重要な意味はあるのだがそれは割愛する。
どうも俺はこの「点滴」という行為に不安を覚える性分なようだ。
一滴一滴ポタポタ落ちる水滴。それが身体に無自覚的に入ってくるという事実。延びる管がなんとも不安を誘う。
――……点滴パック内の液体が全部無くなったらどうなるんだろう?大丈夫なのかな?いや、絶対大丈夫なんだろうけども……。
それだけ俺は不安を増長させる癖があるんだなと考えている。
また間違いないのは、俺がこの時めっちゃ弱っていたと言う事だ。
――――――――――――
04
夕食。……記憶がない。
夜はもはや、自身の自尊心と暴走する肛門との戦いであった。幻聴、甘臭王の音攻撃など思考の片隅にも置けない。
――今感じている腹痛は、本当にリアルな腹痛なのか?
意味が分からない。しかしあの日の夜の俺にはそれが全てだった。
何故なら一度勘違いして看護師さんを呼んでしまったからだ。
――もしこの腹痛が、また……フェイクだとしたら……。
また看護師さんに無駄足を踏ませてしまう事になる。同室の患者さんもきっと起きてしまう事だろう。俺は俺の目的を果たせないままに……。つまり、何度も何度も腹痛だから、と言ってナースコールを押すことだけは……絶対に避けなければならないという気持ちを改めて強く持つ。
それと同時に、当然の不安、
――でもコレが本当だとしたらっ……!
その場合はナースコールを押さねばならない。極めて速やかに、前日の失禁の二の舞を演じないように。
よって今日も眠れない……眠れるワケがないのだ。
この孤独なケツ断の雰囲気を纏った俺を心配しているのかそうでないのか……看護師さん達はめっちゃ心配そうに、巡視の度に俺の顔をライトでしっかり当ててくれた。
――お陰で眠気が吹っ飛びます! ありがとうございます!
……まぁ単純に俺の顔が真っ白な陶器のような血色になっていて、そのあまりの白さにビックリしていたらしい。その事実が夜勤・深夜勤の看護師さん達の間で広まり、怖いモノ見たさにライトをつい当ててしまっていたそうだ……。
のちにある看護師さんに心配と笑い混じりにそう言われた。
――――――――――――
2021/03/19 18:00まで
――――――――――――
01
早朝……眠れない緊張が自身を支配する中、少しずつ薬が抜けている事が何故か理解った。
――もしかしたら朝には歩いてトイレ行けるかも?
淡い期待は本っ当に幸運な事に現実となる。
元気になったことをアピールしたいが為にちょっと無理矢理多く食べようとした朝食後、起き上がった時の体調等を入念にチェックされ、俺は二日ぶりに自分の足でトイレに向かい、用を足すことが出来た。
――自力でトイレに行けることが……こんなに幸せな事だったなんて……!!
俺はトイレの中で若干涙ぐんでいた。
看護師さんの気配をすぐ側で感じながら……。
そう、看護師さんの付き添いが絶対条件だったのだ。
俺の性格上、ナースコールを押すのが憚られた事は想像に難くないだろう。
また、軽くではあるが身体を起こすことも可能になっていた。食事がとりやすくなり、歯も――まだ要介助であるが――磨けるようになった。
その様子を見て看護師さんはニコニコと、
「このまま調子良かったら、シャワーかシャンプーしてみますか?」
と提案してくださった。
思わず笑みがこぼれたのは言うまでもない。
同じく笑顔でいる看護師さんの、この言葉を聞く迄は――
「シャワーの場合は安全の為、看護師も付き添いますからね」
「……(顔が熱くなってしまっている事を徐々に自覚しつつ……)はぃ?」
眠っていた性欲が突如として起きあがり、俺は自分がどんな顔をしているか、わからなくなった。
超高速で駆け巡るご都合的エロ思考――俺にとってラッキースケベ展開を望む性的な俺――が暴走族のように頭の中を走り回っている。
「どうされますか?」
しかし、
「もし体調的に可能でしたら、シャンプーで、お願いします」
そう、俺ははっきりとそう告げた。
俺はこの時の俺をスタンディングオベーションしたい、している、これからもしていく。
やがて二十九歳になろうという、魔法使い一歩手前のガッチガチェリーボーイ。
その腐りに腐りきった醜い性欲に――
俺という理性・知性は、勝利したのだ。
――――――――――――
02
さて、歩いてトイレに向かえた事で、俺の自尊心は急速に取り戻された。
――我ながら現金だなぁ……。
苦笑しているのは内心の皮肉屋。
そうなってくるとどうなったか?
簡単に言うと周りが視えるようになっていったのだが……その体験は正に「異常」と呼べるモノだった。
以下に列挙していく。
・隔離病棟、つまり世界の匂いを「甘臭い」と感じるようになってしまう。この症状は十九日から二十一日の約三日間続いた。
これは本当に辛かった。家からずっと着けていた自分のマスクが生命線かつ精神安定剤だった。
しかし、着けても強く息を吸うと甘臭く感じてしまう事には注意しなければならなかった。
息が満足にできない事の辛さは、色々有りすぎて答えに困ってしまう。
唾液が口に溜まり飲み込みにくくなったり、肺に入りそうになって噎せたり……めっちゃ苦しい。全身に酸素が行き渡らないのでぼぅっとするし、身体もなんだか縮こまって痛くなっていた。
・十九日、昼食から、ご飯の味が突然変わった。
……甘臭い+ゴミみたいな味に変化☆
これも相当なストレスになった。
匂いは甘臭い。口に運ぶ→甘臭い。咀嚼中ももちろん甘臭い……が、飲み込む。
――そして見ろ!! 味がゴミのようだ!!
……この症状も、十九日から二十一日まで続いた。
――俺の身体を甘臭い匂いに汚染しようとしているのか……?この病院は!?
などと、有りもしない陰謀論まで浮かんできた始末である。
・甘臭王の攻撃の現実感がUP!
これも……辛かった。この頃の甘臭王は荒れに荒れていて、一番王国 ――つまり病室――が栄えていた頃だったのだ。
彼の屁は風圧となり、俺の身体まで届くかのようだったし、屁を認識する度に甘臭い匂いを強く感じ息が詰まる。イスをガタンガタンと響かせてみたり、深夜に大きい声を出して同室の皆を驚かせたり……。
ただしこれは俺の嗅覚異常、被害妄想等も「存分に」含まれている事に注意して頂きたい。
しかし、苦しい事実……当時の俺の現実は異常に感じる事が「正常」だったのだ。
――――――――――――
03
――今後この味覚と嗅覚の異常と、ずっと付き合っていくのだろうか?
そんな不安の中、点滴が終わり、看護師さんがシャンプーに連れていってくださった。
丸五日シャンプーしていない頭は大層……ヤバかったろう。俺も不快感で一杯だったので、お言葉に甘えシャンプーを二回、コンディショナーを一回して頂いた。
「もしシャワーを選択していたら?」
……考えない訳がない。俺の中の雄はそう言う風に考えがちである。
しかし、結論はいつも一つに決まっている。
――看護師さんの心にダメージを与える選択をしなくて良かった!
……いや、犯罪に走るとか、そう言うことはでなく。
「俺が看護師さんの立場だったら、俺のシャワーのお世話をして、どう考えるだろうか?」
という命題に真摯に向き合った、その結論である。
俺が看護師さんだったら間違いなく、不快感で一杯になってる事だろう。
そう言う訳で、シャンプーをして頂いた俺は晴れやかな気持ちで病室に戻るまでの廊下を過ごしていた。
――意外と短い廊下だ……。
その時初めて認識した。今後約一ヶ月間何度も何度も、喜怒哀楽迷引驚救、幸、謝……本当に色々で様々な感情を含め、行ったり来たりする事になる廊下である。
さっぱりとした解放感に頭が包まれていたこの時、俺は特別な……ゆったりとした時間を感じていた。
念の為、車椅子に乗せて頂いていたのだが、頬に当たる風が気持ち良く――しかし甘臭い事に気を付けて欲しい――目を細めた事を覚えている。
――――――――――――
後書き
――――――――――――
さて、此処迄――十六日の二時頃〜十九日のシャンプー終わり――を一つの区切りとして一旦物語る事を終えようと思う。
何故か?
たしかに今まで述べた事はかけがえのない経験であり、自身の人生を語る上で切っても切れないモノになる事は間違いないのだが……。
俺がその後体験・思考した事もまた「ベクトルが全く違う」特別なモノになっているのである。
よって一つの物語として此処に書くのではなく、別編として記せたらなぁと考えている。
それでは、よければまた……「十九日夜」編にて。
New!'n to the World! 01 「入院苦心編」 了
――――――――――――
NeL CiS
筆者 ↓ ↓
(僕と俺)
――――――――――――
よくわからん集団
↓
酔ウ止メノ距離。
(Distance of You to Me.)
↓
登録 No.1 & No.2
――――――――――――