瓢箪の巫女 ~ 国境の旅籠
がちゃん、と鍵を開ける音が、薄暗い地下に響いた。
妙に大きく聞こえるのは人がいなくなったからだろう。買い叩かれたものもあるが、今回は上々の売り上げだった。
「さて、最後の商品の、ご機嫌はいかがかな?」
扉を開けると、女が部屋の隅で静かに正座していた。昨夜食事を持ってきたときと同じ姿勢だった。まさか一晩中こうして座っていたのだろうか。
「覚悟はできたかい?」
「覚悟、と言われてものぅ」
女が静かに目を開け、私を見た。すでに売られていった奴らとは一線を画す落ち着きっぷりは、正直舌を巻く思いだ。
「昼過ぎにお頭がくる。大事な取引相手だ、失礼のないようにね」
射抜くような女の視線に気圧されないよう、私は意識して大きな声を出した。
「裏に温泉がある。汗を流して、着替えてきな」
「ほう、湯浴みをさせてくれるのか。食事も出たし、囚われの身としては至れり尽くせりじゃな」
「大事な商品だ、見栄えよくしないとね。その薄汚れた服は、着替えるんだよ」
私は手に持っていた風呂敷を女の前に投げた。
風呂敷の中は、女が持っていた巫女服だ。薄汚れている旅装束と違って、巫女服は洗い立てのように美しかった。神を祀るときに着る服だ、きっと丁寧に扱っていたのだろう。
「あきらめて、せいぜい自分を高く売りつけるんだね。そのきれいな顔で媚を売れば、そこそこ贅沢な暮らしができるかもしれないよ」
「別にそんな暮らしは望んではおらぬがな」
女は小さくため息をつくと、風呂敷を手に静かに立ち上がった。
「とはいえ、せっかくじゃ。この旅籠自慢の湯を浴びさせてもらうとするかの」
◇ ◇
玲と名乗る旅の巫女がやってきたのは、一昨日の昼過ぎだった。
この国境にある旅籠が、今や荒くれ者たちのアジトとなっていることを知らなかったのか、ノコノコという感じでやってきた。
一目見て、上玉だ、高く売れる、と思った。
アジトに残っていた男たちが総出で女を取り囲み、地下室へ閉じ込めた。ちょうどすべての「商品」が売れてしまい、お頭へ売る商品をどうしようかと悩んでいたところだ。渡りに船とはこのことだろう。
「……ふん」
湯を浴び、巫女姿となった女を見て、私は軽く嫉妬した。
きれいな女だ。旅の巫女には器量よしが多いが、この女はかなりのものだ。正直、山賊崩れのお頭にはもったいない。町へ連れて行き、金持ちの商家や貴族にでも売った方がずっと金になりそうだ。
「少し前にお頭が到着した。宴席でもてなしているからね、そこへ行くよ」
ついてきな、と促すと、巫女はおとなしくついてきた。
「ひとつ、聞いてもよいかのう」
「なんだい?」
「この旅籠の主人たちは、どうなったのかね?」
「とっくに死んだよ」
国境の景勝地にあり、隣国を行き来する人でにぎわった旅籠だった。だが、この国でお世継ぎ争いを発端とする争いが始まり、やがて国中が戦火に飲み込まれると、人の流れが途絶え旅籠は廃れた。
それでも旅籠の主人たちはがんばっていたが、荒くれ者たちに襲われ全員が殺された。
「そうか。全員のう……」
「もう十年も前のことさ」
私は旅籠で働く女中の一人だった。当時十八だった私は、命だけは助かったものの、さんざんに荒くれ者たちの慰み者にされた挙句、今ではその手下に成り下がってしまった。
いっそ死んでいれば、楽だったのにと思う。
だが、生き残ってしまった。自ら命を絶つほどの度胸はなく、みっともなく生きるしかなかった。神様に助けを求め祈ったこともあるが、その神様が戦さの原因だと教えられて、祈るのはやめた。
「ま、あきらめても、それなりの人生が待っているさ。あんたもがんばりな」
「あきらめろと言った口で、がんばれと励ますのかね」
どちらにせよと言っているのかのう、と巫女がクククッと笑った。
癇に障る笑いだったが、大事な商品だ、ひっぱたくのはかろうじてこらえた。
◇ ◇
宴の間に巫女が入ると、騒がしかった男どもが静まり返った。
巫女の美しさに男どもが見とれている。これはいい値がつきそうだと、内心でほくそ笑んだ。
「こちらが、本日の目玉商品でございます」
私は巫女の背中を押し、中央へと進ませた。巫女はゆったりを歩みを進め、部屋の中央にふわりと正座した。
二十名近い荒くれ者に囲まれているというのに、怯えた様子も、媚びた様子もない。こんなことは慣れていると言わんばかりの様子に、私は負けた気がして軽く舌打ちした。
「巫女か」
「はい。旅の巫女です」
「なるほど、器量よしなわけだ」
上座に座ったひげ面の大男、お頭が、巫女を見て舌舐めずりした。ギラギラと輝く目を見れば、お頭が巫女を気に入ったのが見て取れた。
さて値段交渉だ。
私は、巫女の荷物をお頭の前に並べた。
巫女の荷物は瓢箪と行李のみ。行李には、着替えと日用品の他、薬箱と、手のひら大の古びた箱が入っていた。荷物の中にも値がつくものがあれば買い取らせたいところだ。
「旅の巫女は、御神体となるものを持ち歩くと言うが」
お頭が古びた箱を開けた。入っていたのは小さな木槌が一つだけ。
「こんな子供のおもちゃみたいなものが、御神体か?」
巫女は何も答えない。お頭は鼻を鳴らし、古びた箱を投げ捨てた。
「旅の巫女なら知らぬだろうから教えてやろう。俺は『神憑き』でな。俺に逆らう奴は、俺を守る神に祟られて死ぬぜ」
お頭が、酌をしていた女を抱き寄せた。先月、私が売った女の一人だ。確か夫婦で売ったはずだが。
「なあ、そうだよな。お前の夫がそうだったよな?」
抱き寄せられた女が、今にも泣きそうな顔になった。その顔を見てお頭はゲラゲラ笑い、女の着物をはだけさせてその体をまさぐった。
ゲスが、と吐き捨てたい気持ちを、私はなんとかこらえた。
「おもちゃの小槌が御神体なんざ、聞いたことねえな。女、お前の神はどこの田舎の神だ」
お頭の問いに、巫女は静かに微笑んでいるだけだった。何か機嫌をとるようなことを言えばよいのにと、見ているこっちがヒヤヒヤした。
「はん、澄ましやがって。まあいい」
お頭が女を離した。女が慌てて身繕いをするのを横目に、お頭は薬箱を手に取った。
「薬もありきたりなものだ、たいした値はつかねえな」
いけない、と気を取り直し、私は媚びた笑顔を浮かべた。
「瓢箪はどうだい? けっこう立派だと思うけどね」
「あん? まあ、そうだな……」
お頭が瓢箪を手に取り、振った。
ちゃぽん、と音がして、お頭が首をかしげる。
「中身が入っているな」
「ああ、それは……」
「それは死者のためのもの」
黙っていた巫女が、私の言葉を遮るように、静かな声で告げた。
「お主には、無用のものじゃよ」
「それを決めるのはお前じゃねえよ」
お頭が不機嫌な顔になり、身繕いを済ませた女に瓢箪を渡した。女は慌てて瓢箪を受け取ると、お頭が差し出した盃に中身を注いだ。
注がれた透明な液体の匂いを嗅ぎ、「むう」と目を見張って、お頭が盃をあおった。
「おいおい、なんだこの上等な酒は!」
は? と私は首をかしげた。だがお頭は二杯目、三杯目と盃を重ね、「たまんねえ」と破顔する。
「こんなうまい酒、俺は初めてだぞ!」
「おい、そんなにうまいのか?」
「俺にも一杯くれよ!」
取り巻きどもがざわめいた。お頭はしぶしぶと言う感じで女に向かって顎をしゃくった。
女が立ち上がり、男どもの盃に瓢箪の中身を注いでいく。注がれた男たちはすぐに盃を口に運び、誰も彼もが驚嘆の声を上げた。
「なんだこれ!」
「うめえ、なんてなめらかな!」
「たまんねえぞ、この酒!」
酌をして一回りした女が、お頭のところへ戻って瓢箪を返す。受け取った瓢箪はずいぶん軽くなっていたようで、お頭は舌打ちした。
「やれ、飲んでしもうたか。困ったものじゃ」
巫女の両手がゆるりと上がった。
ぱんっ、と軽やかな音を立てて、巫女の手が鳴る。何事だ、とこの場にいた全員の視線が巫女に集まった。
「瓢箪の中身は死者のためのもの。妾はそう言うたぞ」
「あん?」
お頭が眉をひそめ、他の男たちがきょとんとする。
そんな男たちに向かって、巫女は軽く肩をすくめ。
「お主ら、酒だと言ったのぅ。妾の神は、そなたらを死者とみなしたようじゃな」
◇ ◇
バタバタと男たちが倒れていった。
ほんの瞬きの間だった。
倒れて行く男たちを冷ややかな目で見ていた巫女は、最後に一人残ったお頭をひたりと見据えた。
「ほう、まだ起きていられるか」
「て、めえ……」
酌をしていた女が、悲鳴を上げてお頭の側から逃げ出した。お頭は獣のような唸り声をあげ、巫女を憎々しげに睨みつけた。
「毒でも、盛ったか?」
「盛っておらぬよ」
巫女がクククッと笑う。
「瓢箪の中身は、死者のための鎮魂の酒。思いを残し荒ぶる魂を、鎮めて安らかに眠らせるもの。妾の神に死者とされたのじゃ、お主も永遠の眠りにつくとよい」
「な、なにぃ……」
「しかし、さすがは『神憑き』。まだ生きておるとはの」
「てめえ……俺の神が、祟り殺すぞ……」
「無理じゃよ」
お頭が倒れた。巫女はお頭に冷ややかに告げる。
「お主に憑いておる神程度では、妾にかすり傷一つつけられぬ。さて、妾の神はどうやらお怒りじゃ。お主の神ごと、贄となるがよい」
その言葉が終わるや否や、巫女の足元から、ぶわり、と闇が広がった。
底知れぬ闇。一度飲み込まれたら絶対に逃げられない、真の闇。その闇が、倒れた男たちを次々と飲み込んでいく。
「な……な……」
「ひっ……ひぃぃぃぃぃっ!」
私と酌をしていた女は、その場にへたり込み身動きできなくなった。そんな私達に、巫女が「静かに」と唇の前に人差し指を立てた。
「口を閉じて、そこから動くでないぞ。妾の神は少々見境がないのでな。下手に騒ぐと、お主たちも贄となるぞ」
男たちを飲み込んだ闇の底から、咀嚼するような音が聞こえてきた。なんだ、この闇の中に何がいるんだと思い、恐怖で狂いそうになった。
咀嚼が終わり、闇が消えるまで、たいした時間はかからなかった。
宴の間に残ったのは、私と酌をしていた女、そして巫女だけとなった。
肉片すら残らず、男たちは消えた。宴の間には食べ散らかした跡と、静寂だけが残った。
ぱたり、と酌をしていた女が気を失って倒れた。私はかろうじて意識を保っていたが、腰が抜け立ち上がれそうになかった。
「さて」
巫女は立ち上がると、散らかった荷物を行李に入れて背負い、瓢箪を拾い上げた。
「思わぬ長逗留となったが。出立するかの」
りん、と瓢箪の鈴が鳴り、巫女が歩き出した。
そして、へたれている私の前で足を止める。
「あそこで倒れている女の介抱は、任せてもよいかの?」
私が慌ててうなずくと、巫女は表情を和らげた。
そして、ふわりとしゃがみ込み、転がっていた椀に瓢箪の中身を注いだ。
「これをお主にやろう」
「ひっ……」
ブンブンと首を振って拒否すると、巫女は優しく微笑んだ。
「そう怯えるでない。お主も飲んだが、水であったろう?」
巫女の言う通りだった。私が飲んだ時は水だった。だから、お頭たちが酒だと言って驚いたのだ。
「これは死者のため酒。ゆえに、生者が飲んでもただの水じゃよ」
「そう……なの?」
なら平気なのだろうか。だが、目の前で男たちがバタバタと倒れたのだ、怖くて仕方ない。
「さきほど湯を浴びているときに、裏の岩の陰に小さな墓が見えての」
「墓?」
「この旅籠の主人たちの墓であろう? この酒を供え、その無念を鎮めてやっておくれ」
「な、なんで、私……が……」
「お主が墓を作ったのじゃろう?」
巫女の言葉に、私はハッとした。
そうだった。
何もかもを失って行く日々の中、すっかり忘れてしまっていた。
仕事には厳しかったが、よく面倒を見てくれた主人夫婦。子供がいなかったこともあり、私のような孤児を何人も引き取って旅籠で働かせてくれた。
贅沢はできないが、それなりに幸せだった日々。
それが、荒くれ者たちによってズタズタにされた。
殺されて打ち捨てられた主人夫婦の死体は、日に日に腐っていった。囚われて嬲り者にされていた私は自由に出歩くこともできず、主人夫婦をちゃんと埋めてやることはできなかった。
だから、せめて体の一部だけでもと思い、隙を見て手の骨をむしり取り、旅籠の裏にある岩陰に埋めて墓とした。
「あ……ああ、私……」
ポロリ、と私の頬を涙が流れる。泣いたのなんて、一体何年ぶりだろうか。
「頼まれてくれるかの?」
私は泣きながらうなずき、巫女から鎮魂の酒を受け取った。
「では、達者での」
りん、と鈴が鳴り、巫女が歩き出す。
私はボロボロと涙を流しながら、その背中に深々と頭を下げた。
◇ ◇ ◇
「はてさて。国境を越えた途端にこれか」
旅籠を後にし、街道を歩きながら私は嘆息する。
この国の神は、よほど私に来てほしくないらしい。いや、正確には私に憑いている神に。まあそうではないかと考えていたが、入った途端にこれでは先が思いやられる。
「この先、女一人ではきついかのう」
腕に覚えのある、共に旅をする者に出会えればよいと思う。だがそういう者は戦場で活躍するのに忙しく、私の護衛など引き受けてはくれないかもしれない。
「まあ、なるようになるか」
私はずいぶんと軽くなった瓢箪を振った。
りりん、といつもより軽やかに鈴が鳴り、その心地よさに笑顔が浮かぶ。
「さて。まずは中身を補充するかの」
清水が湧くところが、この近くにあっただろうか。
私は古い記憶を呼び覚ましながら、街道をそれ、森の中に入って行った。