第197話 枝葉
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我は、自分が死んだことを自覚してからというもの、何処へ行けばいいのか分からずフラフラとしていた。
目につくのはそこにそびえ立っている世界樹だけ。そもそも我は生前、世界樹を見たことがあったが、こんなものではなかった気がする。
具体的にどうとかは答えにくいのだが。
「お疲れさまでした」
唐突に、真正面から声を掛けられる。
誰だ? こんなところに誰がいるというのか。
「私は天使です。女神様の使い、といえば分かりますでしょうか」
特に聞いてもいないのに自己紹介された。
それにしたって、ここは一体何処だろう。
空は青に近い紫色。まるで夜明け前。
下は、地面じゃない。真っ白な雲が一面覆っている。
目につくのは天使と名乗った奴と、その後ろにそびえ立つ巨木だけ。
さっきから何度見上げてもてっぺんが見えない。
ん。我の足がない。いや、腕もない。
そもそも顔も口も、というか体そのものがない。
「端的に申し上げますと、あなたの命は終わりました」
淡々と答えてくれる。
それは知ってるが、ここはあの世か?
「そうです。あなたは今、魂だけの存在となっています」
何を言ったわけでもないのに答えをもらった。
ああ、口がないのだから何も言えないのだが。
何かこう、分かるようになっているのだろう。
そうか、ここがあの世。死んだものが行き着く世界か。
まさか本当にこんなところがあるなんて。
「こちらは世界樹。ありとあらゆる世界にあり、全ての命が還るところ。ここにあるのはあなた自身の樹でもあります」
業務的に説明が始められてしまった。
というか我の知っている世界樹と何か違うような気がする。
「その通りですよ。今まであなたが生きてきた現世にあった世界樹とは違うものです。厳密には枝分かれしたうちのひとつですね」
ありとあらゆる世界にある、というのはそういう意味なのか。
死ぬのは二度目になるが、世界樹というのは死んだものが行き着く先という認識でしかなかった。てっきり我の知る世界の大樹に招かれて還元するものとばかり。
よもや、死後の世界にも世界樹があるとはな。死して尚も知らぬことばかりだ。
「この樹は生前のあなたの功績によって姿を変えます。平凡な何もない生涯であれば苗木のように小さく、偉大な何かを成し遂げていればより巨大になります」
見たところ、とてつもなく大きい。
そうか、これが我のやってきたことの全てだということか。
ひょっとすると、これが魂の還元という概念なのか?
生きてきた功績がそのまま形になると。
「概ねその通りです。あなたの生前のエネルギー全てが集約されています。あなたの命を持ってこの樹木を育てたため、あなたの分身といっても過言ではありません」
死んだら世界樹に成る――と漠然と考えていたが、どうも我の思っていた――というか、神職者のマルペルの言っていたこととも少し異なるな。
「この世界樹は、世界を構築するエネルギーとして各世界へと還元されていきます。あなたの世界にあった世界樹もまた、そのうちの一つ。このエネルギーはあなたの世界では魔力と呼んでいたようですね」
要するに我を含む月の民が、生涯守ってきた魔力の根源たる世界樹は、このように上手いこと巡っていたというわけだ。
逆を言うと、数千年も生きながらえてこんなにもバカデカい世界樹を育ててしまった我こそが摂理を壊していたのではないか?
「ええ。女神様もそのように考えておりました。そろそろ刈る頃合いかな、と」
そんな我を伸びすぎた雑草みたいに……。
「そして女神に見定められた者に聖剣を託すことを決意されました。予定調和です」
知りたくなかったぞ、その事実。
「これからあなたには、この世界樹の枝葉の数だけの選択肢が与えられます」
見上げた限りでは数えきれないほどの枝葉がある。それどころか、果実のようなものさえも見える。色も形も大きさも様々で、同じ木から生えているとは思えない。
「枝葉は新しい命の道。果実は生前に得てきたもの。あなたに与えられた選択肢は好きな命を選び、好きな果実を持っていくこと。あるいは何も選ばないことです」
好きな命。それはつまり、生まれ変われるということか。
「ええ、新しい命としてまた世界に還元されるということです。これもまた摂理」
だが、果実を持っていくのはどういうことだろう。
「この果実は前世の記憶であったり、魔力であったり、素養であったり、様々です。言ってしまえば、ご褒美のようなものです」
なるほど。
これだけ沢山実らせたんだ。好きなだけ持っていっていいということか。
「あなたにはその権利があります」
だが、選ばない場合はどうなるのだろう。
「命を選ばない場合、あなたの魂は世界樹のものとなり、消失します。そして選ばれなかった果実は我々が保管し、こちらの自由に使わせてもらいます」
ここで我の全てを終わらせることも可能ということか。
ただ、もうあの世界との未練は断ち切ったつもりではいる。
今さら生まれ変わっても何もないのだが。
「言ったはずです。枝葉の数だけ選べると。何も同じ世界に生まれることもありません。始まりを選ぶ権利もあなたにはあるのです」
なら平穏な世界で平穏な時を過ごし、平穏なまま生涯を終えることもできるのか?
「それは少し違います。あなたに選べるのは始まりだけ。そこから先はあなた次第。平穏な土地に生まれても、そこで生涯、争い事に巻き込まれない保証などありません。これはあくまであなたの命なのです」
そうか。それもそうだ。
これから我は新しい命をもらえるというだけに過ぎないのか。
これまでの我は死んだ。間違いなく死んで、もう我という存在はなくなったのだ。
今から選べるのは誰でもない、新しい我。
「さあ、あなたは何を選択しますか?」
無表情の天使が語りかける。
全く違う世界で生まれるのもいい。
このまま世界樹に飲まれて消失してしまうのも悪くないが、もし選択肢があるのなら、それを選ばせてもらおう。
我は選ぶ。
戦争のない平和な国に生まれ、前世の記憶と魔力、そしてその知識を持っていく。
「あなたの選択を聞き入れました」
願わくば、平穏な生涯を送れるよう祈ろう。
例え、争い事に巻き込まれようとも、前世の力を持って避けられる。
「確認しますが財や名声は選ばないのですか? 果実もまだ沢山余っておりますが」
そんなものは要らない。
貧しくてもいい。もう偉くもなりたくない。今の選択でも贅沢すぎるくらいだ。
それはお前ら天使の判断で勝手に何処かの世界に還元してやっておいてくれ。
「分かりました。それでは世界樹の中へどうぞ。あなたの新しい命が始まります」
目の前の大樹に、魂の体が飲み込まれていく。
体の全てを洗い流されていくかのような、そんな感覚。
ああ、我が我でなくなっていくんだ。
我は新しい我になる。
前世の殆どを削ぎ落として、来世へ。
目の前が真っ白に染め上げられていく。
何もかもが全て、綺麗に、無垢なる状態へと。
ああ、眩しい。
何も見えない。
太陽が目と鼻の先に突きつけられているようだ。
だが、不思議と心地良い。
母親に抱かれている、そんな暖かさを全身に感じる。
こんな気持ちになったのは、はたして、いつぶりになるのだろう。
いや、思い返す必要はない。
不思議なくらいに、心が踊るような気持ちだ。
さっきまで失った命に未練を残していた気がするのに。
それは前世の記憶。
我は今、生まれ変わる。
これから、我が始まる。
今までの誰でもない、新しい我になるのだ。




