第180話 突入、蜘蛛の巣穴
「ええと……こういうときは……」
何やらミモザがごそごそと鞄を漁る。そして取り出したのは魔具だ。
金属の取っ手がついたガラスケースのようなもの。
あれは中に魔石が仕込まれているカンテラ。その名も懐中の発光筒だ。
サッと魔法を起動させると、発光しだす。
それをミモザは蜘蛛が密集する穴の中に向けて照射した。
何をしているんだ。と思ったが、その理由は直ぐさま分かった。
明かりのついたソレを嫌がるみたく、蜘蛛たちが逃げ出していく。
まさに蜘蛛の子を散らすかのよう。
「霧蜘蛛は明かりが苦手れしゅから、こうすれば襲われなくて済みましゅ」
と、霧蜘蛛の巣穴に十分なスペースが確保できたところで、ミモザは思い切って穴の中へと飛び込んでいく。なんとまあ意外と度胸がある。
それに続くように我とヤスミ、そしてやや遅れてクラメが降りてきた。
「ふひぃ……中に入るとまた一段と、は、鼻が……」
「あまり辛そうなら無理しなくてもいいのだぞ」
「だ、大丈夫です。り、リコリスさんを探さないと」
大きな鼻を両手で押さえながら、クラメが鼻息を荒くする。
巣穴の中は色々混ざり合った腐臭でいっぱいだ。クラメでなくとも、こんなところに長居していたら本当に鼻がもげてしまう。
「あ、あと明かりは苦手でふけど、炎だけはダメれす。間違っても火を灯したらこの巣穴丸ごと燃えちゃいましゅので」
「ふひ? 土の中なのに燃える、んですか?」
「この巣穴の壁は霧蜘蛛の糸で固められてるからよく燃えるんでしゅよ」
土を掘っただけにしては随分と丈夫な気がしたが、補強されていたのか。そうでもないとこんなにワラワラと蜘蛛が行き交いしてるだけで崩れ落ちるか。
何にせよ、相変わらず火気厳禁なのだな。
「しかし、それにしても炎が使えないのは苦労しそうだな」
見回した感じ、よくよく見てみれば、壁や天井のあちこちに蜘蛛の糸が張り巡らされており、奥の方など網のようにビッシリと行く手を阻んでいる。
地上は蜘蛛糸まみれの森だったが、地下は地下で蜘蛛の糸でできた森じゃないか。
白いモコモコの塊も地上の比ではないくらいそこかしこに転がっている。
できることなら一気に燃やして進みたいところだ。
「見えない糸も多いれすから、こうやって光を当てて避けるんでふよ」
ミモザが手に持つ懐中の発光筒を振り回すと、僅かに光に反射する細い糸が見えた。トラップだらけか、ここは。
「皆しゃんにも予備を配りまふ」
ここから先は懐中の発光筒を手放せないな。
何せ、これを持っていないと霧蜘蛛は寄ってくるし、蜘蛛の糸も見えない。
「お嬢。この巣穴には何か特徴もあるのですか?」
「ふみゅぅ……私もあまり奥の方に入ったことはないれすが、クモしゃんの数によって階層が別れましゅ。二十匹くらいの集落なら三階層、百匹くらいなら六階層とか」
「明らかにそれより多い気がするのだが」
「ここは十階層くらいでふかね。最深部が餌の貯蔵庫になってるんれしゅよ。だから今頃リコリスしゃんもそこに運ばれていると思いまふ」
既に広大な洞穴になってるのに、これが地下十階まで続くのか。
しかもその最深部に行かないといけない流れじゃないか……。
「クモしゃんはこちらから危害を加えなければ基本的には大丈夫れす。必要以上に糸を刺激したり、卵に近付いたりしなければ安全でふから」
確かに今まさに蜘蛛の巣穴のど真ん中にいて、明かりを照らし回っているが、光を逃げていくばかりでこちらに敵意を剥き出しにしている様子はない。
必要以上の刺激って具体的にはどの程度なんだ。判断が難しすぎるぞ。
当初の予定では、こんなにも踏み込んでいくつもりではなかったのだがな。まったくリコリスめ、面倒な手間をどんどん増やしてくれる。
「ふひぃ……ちなみに、お聞きするのですが、あの、もし敵だと見なされたら、どうなってしまうのでしょう?」
「リコリスのように音も立てず静かに捕獲されて餌場行きだろうな」
クラメの顔が分かりやすいくらいに青ざめて、鼻をヒクヒクとさせた。
「ここは拙者が先導します。皆殿は拙者から離れず、ついてきてください」
ヤスミが片手に懐中の発光筒を、もう片手に武器を構え、警戒心を高める。
周囲からカサカサ音が絶えないせいもあって緊張感を煽られるが、明かりを振り回している限りは向こうから近付いてくることはない。
思っていた以上に、進行はスムーズだった。
「皆殿、ついてきていますか?」
頻りにヤスミが後方に確認を入れる。気付いたら一人、また一人と消えかねない状況だからそれも仕方ない。
「ちゃんといるぞ」
「いましゅ」
「ふっひ、ついてきてます……」
ミモザはいる。クラメもいる。当然ヤスミもそこにいる。もしやと思ってヒヤッとするが、ちゃんといることが確認できるとホッとする。
ただでさえ、巣穴の中は暗闇に満ちているから四人分の明かりがあっても足りないくらいだ。こういうときこそ松明なり、炎魔法なり使いたいのだが、本当にもどかしい限りだ。
「む、皆殿、足下に気をつけて下さい。この先、やや傾斜があるようです」
「下層へのルートでふ。ゆっくり進みましょう」
さすがに蜘蛛の巣穴に階段なんてものはないだろうな。
白い糸の束が垂れ下がり、視界の悪い中、下へ下へと進んでいく。
こんなのが後どれくらい続くんだと思うと気分も暗くなる。
また同じような風景が広がっているのかと思えば、それは少し予想と違った。
さっきの階層が白い森だとするならば、今降りてきた階層はキノコの森だった。
大小は様々だが、床からも壁からも天井からもキノコ、キノコ、キノコと、上下左右も分からないくらい生えていて気が狂いそうだ。そういえば、霧蜘蛛の糸には栄養があるんだっけか。地上とは比べものにならないくらい豊富のようだ。
「ふひっ、こ、これ、さっきの希少なキノコ? こ、こんなにいっぱい……」
何処が希少なんだというくらい、もっさもさに生えてるではないか。
「クラメしゃん、今のうちにこの薬を飲んでくらしゃい」
「ふひ? こ、これは、なんですか?」
「解毒薬でふ。フィーしゃんも、ヤスミしゃんも早く飲んだ方がいいれす」
そういうと、ミモザから結構な大きさの丸薬を手渡される。
解毒薬? その響きは穏やかではないな。
「分かった。ミモザがそういうなら飲もう」
口に含んだ途端、強烈な苦みが喉まで貫いてきた。なんだこれ、解毒薬というよりこれ自体が猛毒なんじゃないか。反射的に吐き出しそうになるほど。
いつだったかのカーネの薬を思い出して、不快度が蘇ってきた。
「うぇ……、なかなかキツい薬だな……。この辺りはそんなに危険なのか?」
「ここには沢山のキノコが生えてましゅから、毒の胞子も沢山舞ってるんでふよ」
「なるほど。お嬢の薬がなければここで倒れていたかもしれませんね」
ミモザの手慣れ具合に驚かされる。やはり森の民、エルフは伊達じゃない。
万が一のためにこんな薬も用意していたとはな。しかし苦い、苦すぎる。
「薬を飲み終わったら先を急ぎまふよ。ここにはキノコの匂いに誘われた他の生き物もいっぱいいましゅから」
さらっと恐ろしいことを言う。敵は霧蜘蛛だけじゃないのか。
確かにこんな穏便な奴らばかりだったら素材調達しに来てる冒険者でこの森ももっと賑わっているはずだものな。
ミモザとヤスミの表情がまた一層険しくなる。
一方、クラメは薬の苦さを堪えるように顔が険しくなっていた。
はたして、我の顔はどっちの意味で険しくなっているのやら。




