芹沢優助の憂鬱
『大戸島高校のパシリ怪獣使い』という(あまりにもカッコ悪すぎる)異名で生徒達から知られている芹沢優助が、生徒会長のエミリア神宮司と怪獣バトルを行うという噂は、瞬く間に大戸島高校の全生徒の知る所となった。
「おい聞いたか?あの芹沢が生徒会長と怪獣バトルするって話!」
「おぉ、聞いた聞いた!何でも『芹沢が負けたら、芹沢の入ってる部活が生徒会に潰される』んだってよ!」
「芹沢が怪獣バトルで勝てる訳ねぇじゃん!完全に『公開処刑』じゃねぇかよ!」
「いや……案外『実は八百長試合で、生徒会長がわざと負ける』って可能性もあるぞ!」
「笑子ちゃんから聞いたけど、『芹沢君との怪獣バトル』は生徒会長さんが言い出したんだって!」
「うわぁ~……生徒会長もセコい真似するわねぇ~。今まで一度も怪獣バトルで勝った事の無い人を対戦相手に指名するとか……」
「聞いた?怪獣研の部長さん、部室に置いてあった私物の片付け始めたらしいわよ?」
「芹沢君がバトルする前から、もう負けた時の準備?薄情な部長さんねぇ~」
「でもさぁ……芹沢君が怪獣バトルで勝てる可能性なんて、確実に『0』じゃない?」
「あ、それは言えてる~♪」
「……『生徒会長が勝つ』に2000円」
「じゃあ、俺は『芹沢がぼろ負けする』に4000円」
「なら、『生徒会長が芹沢君を瞬殺する』に6000円と学食の無料券5枚!」
「……お前ら、それじゃあ賭けにならないだろう?」
学年もクラスも性別も関係無く……大戸島高校に通う全ての生徒が、優助とエミリアとの怪獣バトルに関心を寄せていた。
それは優助の関係者も例外ではなく……
「おい笑子!」
「……あ、シューちゃん」
エミリアからのバトルの申し入れから一夜開けた翌日の朝……
教室に入ろうとしていた山根笑子に、彼女と同じく優助の幼なじみである尾形秀一が話しかけてきた。
「例の話……本当なのか?『優助が怪獣研の存続を掛けて、生徒会長と怪獣バトルする』って?」
「あぁ~……うん、本当だよ」
秀一からの問いに、笑子は顔を苦笑いを浮かべながら答える。
その声にはいつもの人をからかうような明るさは微塵も無く、
不安と悔しさがない交ぜになったやるせなさがこもっているように秀一には聞こえた。
「……クソッ!生徒会長の奴、一体何を考えてるんだ!?優助は今まで一度だって怪獣バトルに勝った事無いってのに!!」
秀一は笑子以上に苦々しい表情を浮かべる。
笑子はそんな秀一の姿を見ると、すまなさそうに顔をうつむかせた。
「ゴメン、シューちゃん……ボクがもっと強めに反対してたら……」
「いや、お前の性じゃないさ……それで、優助はどうしたんだ?」
「……えっ?もう来てるんじゃないの?」
「それが……居ないんだよ。どこにも」
秀一の言葉に笑子は目を丸くし、教室内を見渡す。
確かに秀一の言う通り、席はもちろんのこと、教室内のどこにも優助の姿は見当たらなかった。
「……おかしいねぇ?ユー君、いつもホームルームの30分前には席についてるのに……」
「だよなぁ……アイツもアイツで、プレッシャーに弱いとこがあるからなあ……」
笑子と秀一は顔を見合いながら深いため息をついたのだった。
☆☆☆
その頃、件の芹沢優助はと言うと……
「ハァ……」
学校から歩いて15分程の距離にある多摩川沿いの河川敷で深いため息をついていた。
ブレザーの制服姿のまま、学校指定のリュックサックを横に下ろして体育座りの姿勢で青々とした草が生い茂る河川敷に腰を下ろしており、
その顔にはまるでこの世の終わりに絶望したかのような暗い表情を浮かべている。
「……」
優助は無言のまま、静かに流れていく川を眺める。
優雅に泳ぐ川魚や小石が散らばる川底まで見える綺麗な川を眺めていると……ふと、自分のパートナー怪獣のティアマトが、生徒会長のパートナー怪獣にボコボコにされる姿が脳裏に浮かんだ。
「……ハァ」
そして優助は本日何度目か分からない深いため息をつくのだった。
今朝から……いや、エミリアからバトルの挑戦を受けてからというもの、優助の脳内には自分がエミリアとのバトルに惨敗し、パートナーであるティアマトがボロボロになるシーンばかりが浮かんでは消えていた。
浮かんだ瞬間に頭を激しく振って忘れようとしても……ふと気づけばまた同じシーンが脳裏に浮かぶ。
考え方をプラスに向けようと別の事を考えても……思い浮かぶのはこれまで数え切れない程見てきた『怪獣バトルに負けて、地面に倒れ伏したパートナー』の姿ばかり。
優助は『きっとまた自分はバトルに負け、皆から笑い者にされるんだ』と思っていた。
いや、自分一人だけの問題ならまだマシだ。
今度のバトルの勝敗には、優助の所属する『怪獣研究部』の存続がかかっているのだ。
負ける訳にはいかない。
いや、
負けられる訳が無い。
しかし……優助には自分が勝つ姿など想像できず、負ける姿ばかりが脳裏に浮かんでいく。
もし自分が負けて怪獣研が廃部になったら……部長の松宮カナエは悲しむだろう。
新種の怪獣を一目見る為に無断欠席を繰り返して留年するような怪獣オタクだけど、あれで後輩思いな良い先輩なのだ。
カナエだけではない。
幼なじみである笑子や秀一だって悲しむに違いない。
優助はカナエや笑子、秀一が自分の性で悲しむ姿など見たくはなかった。
しかし……マイナス思考に支配されている今の優助に、事態を好転させるアイディアなど思い付くはずもなく……
「……ハァ~」
……マイナス思考の堂々巡りに、優助は体を丸めてため息をつくしかなかったのだった。
その時だった。
「……そこの少年、何を黄昏ているんだい?」
誰かが優助に声を掛けてきた。
若い……けれど、優助よりは年上の女性の声だ。
「……?」
ふと振り向けば、河川敷の砂利道に若い……けれど、優助よりは年上の女性が一人、体育座りの優助を見下ろすような形で立っていた。
外見年齢は20代後半から30代前半くらい。
新雪のように真っ白な髪を腰まで伸ばし、長袖のカーディガンとロングスカートを着用して、肩から紐付きの水筒を一つぶら下げている。
リボンの着いた鍔の広い帽子を目深に被っていて顔はよく見えなかったが、まるで我が子を心配する母親のような優しい眼差しを優助に向けていた。
「……いけないねぇ、若者が思い詰めた顔してため息ばっかりついてさぁ。知ってるかい?『ため息を1回すると、幸せが一つ逃げていく』んだよ?」
「……別に関係無いでしょ。ほっといて下さい」
優助は女性にそっぷを向くと、両足を抱えるように体を丸くした。
「その制服……大戸島高校の生徒だろ?ダメだよぉ~?学生が平日のこんな時間にこんな所に居たら……ちゃんと勉強しないと、ろくな大人にならないからね」
「……」
優助は女性の言葉に答える事無く、この世の全てに絶望したような虚ろな目で、ぼんやりと静かに流れていく川を眺めていた。
「ふ~ん、無視かい。まぁ別に良いけど……」
女性は静かに優助の隣に腰を下ろす。
水筒の中身を一口飲み込むと、絶望に染まっている優助の顔を眺めた。
「……イジメにでもあったのかい?それとも、家族か友達に不幸があった?」
「……」
「何があったのかは知らないけど、君にとって『受け入れられ難い事』があったのは分かるよ。そんな顔してたらね」
優助は知らず知らずの内に、まるで神に救いを求める敬虔な信徒のような目をしながら自分の隣に座る女性と視線を合わせる。
「……まぁ、私みたいな見ず知らずの人間には何もできないかもしれないけど……何があったか、聞かせてくれるかい?自分の中に溜め込んだままにしているより、思いっきり吐き出した方がスッキリするよ?」
「……」
優助は一瞬だけ躊躇したが、もう彼の心は限界だった。
「実は……」
自分に重くのし掛かるプレッシャーに耐えきれず、優助は目の前の女性にこれまでの経緯を全て打ち明けた。
「ふぅ~ん……部活の存続を掛けて生徒会長さんと怪獣バトルを……で、君は自分が負ける姿しかイメージできないでいるんだね?」
「はい……そうなんです」
自分の抱えているものを打ち明けたからだろうか。
優助の声には少しだけ覇気が宿り、顔色も明るくなっていった。
「僕は……今まで怪獣バトルで一度も勝ったことがなくて……学校の皆からも『大戸島高校のパシリ怪獣使い』って呼ばれていて……もし生徒会長とのバトルにまで負けたら……僕だけじゃなくて、部活の部長や友達にも迷惑が……」
そこまで話して、優助はまた暗い表情を浮かべて顔を俯かせた。
「……どうして勝負が始まる前から、『負ける』って思うんだい?『今まで一度も勝った事が無い』からって、=『これからも絶対勝てない』とは限らないじゃないか?それとも……君のパートナー怪獣はそんなに弱いのかい?」
「……そんな事ないですよ!」
優助は女性の発言に反発するかのように、顔を上げて声を荒げた。
「ティアは……僕のパートナー怪獣は『古代怪獣 ティアマト』なんですよ!弱い訳がないでしょ!!」
「ティアマト?あの『始まりの怪獣』かい?なるほど……確かに『強そう』ではあるね。だけど……」
女性は顎に手を当てながら何かを考える。
そして何を思ったのか、優助に手を差し出した。
「ちょっと、君のアドウェンテスを見せてくれるかい?」
「あ、はい……」
女性に促されて、優助はブレザーのジャケットのポケットから自身のアドウェンテスを取り出し、女性に手渡した。
「フムフム……」
女性は優助のアドウェンテスの画面に表示されたティアマトの姿とデータを食い入るように見る。
『?』
画面上のティアマトは、いきなり知らない人に見られて可愛らしく首を傾げていた。
「なるほど……流石は『始まりの怪獣』だ。データを見る限りでは、何の問題も見当たらないね……『データの上』ではね」
女性は優助にアドウェンテスを返すと、顎を擦りながら物思いに耽る。
「そう……そうなんですよ。なのに、僕がちゃんとした指示が出来ないせいで……」
「……いや、多分違うと思うよ」
「えっ?」
女性からの唐突な言葉に、優助は目を丸くした。
「そうだね……いきなりだけど、君にとって『パートナー怪獣』ってどんな存在なんだい?」
「えっ?」
「良いから答えて。君にとって、『パートナー怪獣』ってどんな存在なんだい?」
「……」
女性からの問いかけに、優助は暫し思案する。
即答できるような内容ではない。
だが、優助にとって答えは一つしか無かった。
「『大事な友達』……いえ、『掛け替えの無い家族』です」
「……うん。そう答えるなら、『バトルに勝てない理由』は明白だね」
女性は思わず見とれてしまいそうな微笑みを浮かべながら、優助の顔に人差し指を向けた。
「君は『優しい』。『優しすぎる』んだ。それが君が『怪獣バトルで勝てない理由』だよ」
「……え?」
優しすぎるから、バトルで勝てない。
予想外な言葉に優助は眼鏡の奥の目を丸くした。
「君とはたった今会ったばかりだけど……少し話しただけでも良く分かるよ。君は『自分』の事よりも『周りの人達』の事を優先している。さっきだって、自分が『バトルで負ける事』よりも、その性で『友達や先輩に迷惑をかける事』が嫌だって言っただろう?君は『自分より他人』を気にかけられる優しい奴なんだよ。じゃなきゃあ、パートナー怪獣をはっきり『かけがえのない家族』だなんて断言できないしね」
優助の性格を分析しながら、女性はウンウンと頷くが、優助にはまだ納得がいかなかった。
「あの……それと『怪獣バトルで勝てない事』と、どう繋がるんですか?」
優助からの問いに女性は「おっと、そうだった」とわざとらしく呟くと、本題に戻った。
「つまりだね……君は対戦相手の怪獣に攻撃するのを無意識に『躊躇って』いるんだよ」
「……えっ?」
「『相手を気遣っている』って言っても良いかな?『攻撃が当たって怪獣が苦しむ姿や、対戦相手が悲しむ姿を見たくない』っていう風に心のどこかで思っているから、無意識に相手の事を気遣って本気で攻撃する事ができないんだよ」
「そ、それは……」
女性の意見を優助は否定する事ができなかった。
言われてみれば……この間のブラッドザウルスとのバトル(※第一話参照)でも、すぐに攻撃していたら勝てたかもしれないのに優助はまず先制攻撃ではなく、防御の指示を出し、その後も防戦一方だった。
対戦相手に対して無意識に遠慮し、勝ちを譲ってしまったのだ。
しかしだからといって、優助は女性の言葉を『はい、そうですか』と受け入れる訳にもいかなかった。
「でも、でもそうしたら……僕はどうしたら良いんですか?」
「そうだね~……」
顔を伏せて拳を握りしめながら苦悩する優助の姿を横目に見ながら、女性は頭を捻り・・・ふと、頭の上で電球を光らせた。
「よぉ~し♪じゃあ、お姉さんが良い事を教えてあげよう♪」
「……え"?」
女性の言葉に優助は伏せていた頭を上げる。
その顔は流れ出る涙と鼻水で、グジュグジュになっていた。
「怪獣バトルはただ『力が強い怪獣だけが勝てる』なんて簡単なものじゃあないんだよ。本当に強いアトレテスはね、ある『5つのポイント』を守っているんだよ」
「5つの……ポイント?」
女性の言葉を聞きながら、優助は涙と鼻水をジャケットの袖で拭った。
「まず、その1!」
女性は芝居がかった大業な仕草で指を一本立てる・・・が、すぐに真顔で優助に向き直る。
「……メモ取らなくて大丈夫?」
「……え?あぁ!」
女性に促されて、優助は慌てリュックからシャーペンとスケッチブックを取り出し、メモを取る支度をした。
優助がメモの用意をしたのを確認すると、女性は話を再開した。
「……その1!『対戦相手の事をよく知る事』!どんなに強くて『最強』とか『無敵』って言われている怪獣でも、基本的には『生身の生き物』だからね。強力な能力にはその分制限や限界があるし、体質的な弱点を持っている事だってあるんだ。バトルの前に相手の怪獣のデータや情報を調べておけば、バトルではかなり優位に立てる筈だよ」
「なるほど……」
優助は女性の言葉に感心しながら、白紙のスケッチブックの紙にシャーペンで『対戦相手の事をよく知る事』と書き込む。
女性は2本目の指を立てた。
「その2!『負ける事を怖がらない事』!今回の君の場合は部活の運命がかかっている訳だけど、基本的に怪獣バトルは『健全なスポーツ』の一種だからね。負けたからって死ぬ訳じゃないし、財産を失くす訳でもない。『勝った方の命令を一つ聞かなければいけない』のがルールだけど、それだって犯罪や命に危険がおよぶような行為をやらせるのは禁止されているんだよ。勝っても負けても恨みっこ無し!勝ったら嬉しい!負けたら悔しい!はい、それでおしまい!それが怪獣バトルの基本さ!」
「……ちょっと今回は難しそうな気もするんですけど……うーん」
ブツブツと文句を言いながらも、優助はスケッチブックに『負ける事を怖がらない事』と書き込む。
続いて女性は3本目の指を立てた。
「その3!『自分のパートナーの力を信じる事』!アトレテスにとって、パートナー怪獣は無二の相棒で自分の分身!その力を疑ったり、信じられないっていうのは=『自分の力を信じていないし、信じられない』って事と同じ!例え世界中……いや、全宇宙の人間が君のパートナーの力を疑ったとしても、君だけは信じるだ。『自分のパートナーは強い』んだってね!」
「……なんか、少年ジャ○プのバトル漫画みたいですね?」
「細かい事、気にしないの」
優助からのツッコミを女性は軽く受け流した。
優助はなんとも表現し難い表情を浮かべながらスケッチブックに『自分のパートナーの力を信じる事』と書き込んだ。
それを確認すると、女性は4本目の指を立てた。
「その4!『相手と自分のパートナーとの相性を考える事』!」
そこで優助はメモの手を止めて、手を挙げた。
「……それ、その1とどう違うんですか?」
「おぉ~良い質問だね。これは言うなれば、『その1の応用編』みたいな物かな?じゃんけんと同じで、怪獣同士のバトルにも相性があるんだよ。例えば、地底怪獣は植物怪獣や冷凍怪獣には強いけど水棲怪獣や宇宙怪獣には弱いし、逆に水棲怪獣は植物怪獣や昆虫怪獣に弱い・・・って感じでね。対戦相手の事をよく知った後に、相手と自分のパートナーとの相性を考えて作戦を練れば、ただ闇雲に戦うよりも勝つ確率は上がるのさ」
「はぁ、そんなものですか……?」
優助は少々半信半疑気味になりながらも、スケッチブックに『相手とパートナーとの相性を考える事』と書き込んだ。
そして女性は掌を大きく広げた。
「そして最後にその5!『勝つ事をあきらめない事』!ほら、よく言うだろう?『諦めたらそこで試合終了だよ』って?」
その台詞を聞いた途端、優助はスケッチブックから顔を上げて真顔になった。
「……それ、昔のバスケ漫画の台詞ですよね?」
「おぉ~!若いのによく知ってるね~!」
女性は何がおかしいのか、優助からのツッコミを受けると嬉しそうに笑いだし、パチパチと楽しげに拍手をした。
「まぁ怪獣バトルに限った事じゃないけど……勝負事って言うのはね、最後の最後まであきらめずに『勝とう』と努力する人だけが勝てるんだよ。どんなに苦しかったり、相手が自分の何倍も何十倍も強くても、絶対に『勝つ事』を諦めない!勝利の女神様は『諦めの悪い人』にだけ微笑むのさ!」
「……」
優助は内心、『最後の言葉は余計じゃないか?』と思ったものの、口に出すことはなく、スケッチブックに『勝つ事をあきらめない事』とかきこんだ。
白紙だったスケッチブックには、今や女性からの5つのアドバイスがしっかりと書き込まれていた。
しかし、優助はまだ少し半信半疑気味だった。
「う~ん……本当にこの5個のポイントを守ったら、バトルで勝てるようになれるんですか?」
「そこはまぁ、君次第だね。信じるも信じないも自由だよ」
そこで女性は水筒を肩に掛け直しながら立ち上がり、優助に背を向ける。
「それじゃあ、私はこれで失礼するよ。頑張りなよ、少年」
「あ、はい。ありがとうござ……」
その時、真夏の日光のように熱のこもった一陣の風が吹いた。
「うわぁっ!?」
優助は突然の熱風に一瞬目を閉じ、風が止んで目を開けると……
「……あれ?」
……女性の姿は影も形もなくなっていた。
目を擦ってもう一度河川敷の周囲を見渡しても、やはりそれらしい人影は見当たらない。
夢でも見ていたのかと思ったが、優助の手の中には先程あの女性から教わった5つのアドバイスが書き込まれたスケッチブックがあった。
試しに頬をつねってみると、確かな痛みが走った。
「……」
優助はしばらくの間、口をポカンと開けて呆然となっていた。
まるでキツネかタヌキにでも化かされたような気分だった。
「……あ」
そこで優助は正気に戻り、スケッチブックとシャーペンを仕舞ってリュックサックを背負い直すと、河川敷を駆け足で去っていったのだった。
☆☆☆
「……で、この数式Aをこちらの数式Bに繋げると、このようになり……」
時刻は午前11時過ぎ。
大戸島高校・2年A組は、3時限目の数学の授業を行っていた。
昼休み間近の、それも理系の授業という事もあり、一部の勉強熱心な者を除いた生徒の約6割近くは、アクビをしたり、隠れてゲームをしていたり、教科書を読むフリをしながらマンガを読んでいたり、机の下でスマホをいじっていたり、早弁を食べていたり、堂々と居眠りをしていたりしていた。
どこの学校でも見られる平和な授業風景……その時である。
教室後ろの引き戸が突然ガラガラっ!という大きな音をたてながら開いたのだ。
『!?』
突然の音に生徒達はおろか、授業を進めていた教師までもが驚き、教室の後ろに顔を向けた。
そこには……
「ハァ……ハァ……」
……今朝から姿の見えなかった芹沢優助が、額から滝のように汗を流しながら立っていたのだった。
優助は額の汗を拭こうともせず、息を荒くしながら教室へ入っていった。
「お、おい芹沢!一体どうしたんだ!?」
「す、すいません、先生……すぐ済みますから……」
困惑する数学教師や呆然としているクラスメート達を尻目に、優助は他の者同様に自分の事を呆然と眺めている幼なじみの尾形秀一に向かいあった。
「……シューちゃん、ちょっと頼みがあるんだけど」
突然の事態に秀一は少し困惑していた。
「な、なんだよ優助?改まって……あと、『シューちゃん』は止めろって……」
「……特訓、お願いしたいんだけど」
「……はっ?『特訓』?」
優助の言葉をおうむ返ししながら、秀一は頭上に大量の?マークを浮かべる。
「そう、特訓……」
優助は覚悟を決めた目で宣言した。
「『生徒会長さんとの怪獣バトル』に勝つためのね!」
『ええええええ!!?』
優助の発言に、秀一や笑子のみならず、他のクラスメート達までもが驚愕の叫びを挙げた。
「ち、ちちちちょっとユー君、本気!?今の!?」
「うん、もちろん本気だよ」
驚きを隠さない笑子に、優助はきっぱりと言った。
「今のままじゃあ、生徒会長さんには勝てないからね……けど、今から準備をすれば、少なくても勝つ確率は0%じゃなくなる筈なんだ」
優助は秀一に向けて深々と頭を下げた。
「だからシューちゃんお願い。僕を、いや……ティアを鍛えてくれないかな?いや、鍛えてください!」
「優助……」
「ユー君……」
覚悟を決めた優助の姿を見て、秀一のみならず笑子も呆気に取られてしまった。
秀一と笑子だけではない。
「マジかよ芹沢……」
「おいおいおいおいおいおいおいおい!追い詰められ過ぎて、自棄になったのかよ?」
他のクラスメート達も優助の発言に驚愕していた。
「止めとけよ、芹沢!恥の上塗りになるだけだぞ!」
「そうだよ芹沢君!今まで一度も怪獣バトルで勝った事ないのに、本番一週間前に特訓したくらいで勝てる訳ないじゃないか!?」
「……ちょっと待ちなよ!なんでアンタ達、『芹沢が勝てない』って決めつけてんのさ!?」
「そうだよ!確かに一週間ちょっとの特訓なんてたかが知れてるかもしれないけど、何もしないで当日に『公開処刑』よりはまだマシでしょ!?」
「そんな事言ったって、芹沢は今まで一度だって怪獣バトルで勝った事ないんだぜ!?」
男子も女子も関係なく、2年A組の生徒全員が優助の勝利宣言に驚くと同時にわき上がっていた。
その一方……
「あの……今、授業中なんだけど……?」
……一人取り残された数学教師は、ただただ呆然とするばかりだった。
☆☆☆
その日から……正確にはその日の放課後から……優助とティアマトの特訓の日々が始まった。
「ティア!破壊光線!」
「グガアアアア!」
「リル!避けて噛みつけ!」
「ガウワァッ!」
秀一&フェンリルと実践形式の模擬戦を行い……
「よーし!いいよティア!もう一踏ん張り!」
「グッガ!グッガ!」
「ほらほら頑張ってね~」
「キュピィ~!」
優助は笑子を、ティアマトはフルサイズのリトルファルラを背負って校庭で夕日を浴びながらランニングを行い……
「……生徒会長のパートナー怪獣は水棲怪獣だからね。こんな感じに攻めるってのはどうかな?」
「あぁなるほど!」
空いた時間に松宮カナエ部長と共に部室で情報収集と作戦会議を行ったのだ。
「……ゴメンね優助君。君にこんな大役を任せちゃってさ」
「?突然なんですか、部長?」
いつになく弱気なカナエに、優助は首を傾げる。
「いや……本当なら生徒会長がなんて言おうが、部長のアタシがバトルのが筋ってものなのに……優助君一人に頼らなきゃいけないっていうのがね……情けないやら悔しいやらでさぁ。ハァ~……」
カナエは深いため息を漏らしながら顔を俯かせる。
その姿を見た優助は、胸の奥がチクりと痛んだように感じた。
「あぁ……その……気にしないでくださいよ、部長」
優助はカナエの肩にそっと手を置いた。
「……今さらなんだかんだ言ったってしょうがないじゃないですか。それに僕の事は気にしないで。勝つにしろ負けるにしろ、僕は最後まで悪あがきするつもりですから」
「優助君……」
優助からの励ましにカナエは豊満な胸の奥がポカポカと温かくなるような気がした。
「……よ~し!部員が頑張ってるのに、部長のアタシが弱気になってたらしゃーないね!優助君、こうなったら生徒会長なんて、ドッタンバッタン……じゃない、ギッタンギッタンにしちゃおう!」
「う~ん……あんまり自信はないけど……善処します」
さて、その頃エミリア神宮司生徒会長はと言うと……
「~♪~♪」
……すでに勝ったつもりでいるのか、鼻歌交じりに書類の山にハンコやサインを入れていた。
優助の怪獣バトルと謎のお姉さんの正体は……?
次回をお楽しみに!