誰かのいない3日目
とある日の事……やっぱり誰かのいないとある日の事。
四人はいつものリビングでのんびりと過ごしている。例えば留音はソファーに座って寛いでテレビのチャンネルを回し続けていて、衣玖の方はソファーの下、足元の部分の隅に寝転んでスマホでゲームでもしているのだろうか、画面を熱心に凝視している。それから真凛はいつも通り、キッチンで料理を作っていた。
「ちょっと皆さん……そんな感じでいいんですの!?心配は!?わたくし不安で仕方ないんですけれど!!」
西香だけがみんなと様子が違う。さっきから「はぁ、んん、ふぅ」とリビングのあちらこちらを行ったり来たりするたびにそんな声と吐息の間のような音を漏らしていたのだが、いよいよ堰切れたようにそう言った。
「全く西香は、本当に落ち着きがないわね。少しはあの子に対する信頼ってもんがないの?」
衣玖がスマホの画面を見続けながら言っているが、その通り、今日はあの子が一人で外出中だ。実は日帰りではなく、遠くの実家に呼ばれていて一泊するらしい。もうこっちを出て行ってから四、五時間経っているから、今頃実家のある地域にはいるはずだ。
「わたくしはあの子に対しては全幅の信頼を置いていますわ!むしろ信頼していないのはこの世界そのもの!!この不安定な世界であの子に何かあったらと思うともう!!」
頭を抱えながら足でドスドス床を踏みつける西香。そんなことをすれば大体真凛が叱るのだが、今日はそれがない。
「まぁわからないでもないけどさ。でもな西香、あの子にそういうのを乗り越える力があるって事を信じるのも、大切な事なんじゃないのか?」
留音がテレビから目を離し、諭すように言った。
「綺麗事ですわね、あの子はか弱い子鳥ちゃんなんですよ?……ところで留音さん、あなたやたらと貧乏ゆすりが激しくありませんか?ちょっと鬱陶しいんですけど」
その指摘に対してギクリとする留音。足元にほど近い場所でゴロゴロ転がりながらスマホをいじっている衣玖も同様に指摘した。
「そうよ、さっきからガタガタガタガタ。もしかして偉そうな事言ってるルーも不安なんじゃないの?」
実はさっきから足をゆすりまくっていたのだ。その速度は足で踏むタイプのビーチ用空気入れで大型のボートを五秒くらいで破裂させるくらいの早さだった。留音は両手で足を押さえつけ、無理やりゆすりを止めようとしながら言う。
「なっ……ち、ちげーし。あたしのこれは、あれだ、あれっ、止まんない……とま……うー!そうだよ!不安で悪りぃか!あの子なら大丈夫って思ってもなぁ!あんな子が世界の荒波に晒されてみろ!浜辺に作った砂城の如く一瞬で消えちまうかもしれないんだぞ!?そうなったらって事を考えるともう心配と不安でどうにかなりそうなんだよこっちは!!」
留音は足をガタガタさせながら偉そうに言い放つと、衣玖はやれやれと肩をすくませている。どうやら衣玖は全く心配していないらしい。彼女はIQ百兆の大天才なのだから、それが起こりうる確率なども把握しているのだろう。
「大体衣玖は心配にならねぇのか!?何かあったら怖いって思わないのかよ!」
「そうですわ、冷酷な鬼でなきゃそんな風にはふるまえないはずですわよ」
ここばかりは留音と西香の意見が一致する。まさにあの子は共通言語というもので、人類の意思を一つに統一することも可能な唯一の存在なのだ。
「失敬な。私は心からあの子を信じてるだけ。だからそんな、不安がる事なんて欠片もないわよ。ね、真凛。あなたはどう?」
一言も発していない真凛に問いかける衣玖。真凛は料理の時、歌うか誰かと喋りながら作っている事が多いのだが、今日はそれがない。というかなんか焦げ臭い。
「……え?なにか言いましたか?」
振り向いたら白い煙が蔓延していて、その向こう側にうっすら見える真凛の声が聞こえる。さすがの衣玖も動揺した。
「ちょぉ!何やってるの真凛!あなたまでそんな感じ!?」
「ほへ……そんな感じとは……?わたしはただあの子もいないし振る舞う料理のグレードを少し落として鍋焼き料理を作ってただけですけど……」
ぼやっとしながら鍋を空焼きしている虚ろな真凛。
「鍋しか焼いてねぇよ!うどんでも野菜でも何かしら入れろ!せめて水だけでもいいから!ご近所が火事かと思うだろ!」
「え……鍋焼き料理って焼いた鍋を食べる事じゃないんですね……」
「焼いた鍋を食せと?あの子がいないだけでそこまでグレード下がります?」
みんな総動員で真凛から鍋と鍋を取り上げ、禍禍しき鍋焼きの作成を阻止した。
「真凛、お願いよ、振る舞う相手が私たちだけでも食べられるものを作って頂戴……」
「はぁぁぁ……」
真凛がため息を付いて衣玖がやれやれとその手に持つスマホの画面がチラッと留音の目に入って、留音は指差しながら「あー!」と声を上げた。
「おい衣玖!なんだその映像!見覚えのある背中ってか、今のあの子じゃねぇか!?」
留音が見たのは上空から撮影されたあの子の姿だ。空高くからものすごいズームで捉えられ、斜め上から撮影されるあの子の姿……それを聞いて真凛と西香もギロリと寄ってきたので、衣玖は動揺しながらもとっさに携帯を両手で握って隠した。
「は、ん!?何よ!たた、ただの衛生写真じゃない!全然あの子なんてちょっとも映ってないわよ!私は単純にある場所の上空写真が見たくてたまたまページを開いていただけだし!ほら!ルーも見ればいいじゃない!ゴーグェの衛生写真なんて簡単に見られるでしょ!?それだけよ!超それだけ!」
機銃のように言葉を畳み掛けながら片手で自分のスマホのタスクを全て終了させ、もう片手で留音のスマホをもぎ取ってゴーグェアースのページを開いて見せた。世界的ウェブサイトであるゴーグェの衛生写真が確認できるページだ。でもあくまで写真。留音が見たのは動画だった。
「衣玖、あたしの目を誤魔化せると思うな……いいからさっきの映像を見せるんだ、可愛らしくも爽やか、暖かそうな白いファーのついたコートに、それを引き締める黒とところどころピンクで飾るコーディネートをした少女の映った映像をな……」
留音が一歩躙り寄る度、衣玖は少しずつ後ろに下がる。
「衣玖さん、そう言えば一昨日くらいに電話で軍用ドローンがどうたらって話してましたよね……?」
更に真凛がじとりと近づいていくと、いよいよ逃げ場がなくなった。
「つまりわたくしたちが心配でおかしくなりそうな中、衣玖さんは自分のスマホであの子の動向をチェックしていた……?!」
西香は裏切り行為を信じられないという語調だ。
「すまんな衣玖……閃手・点穴抜き!」
留音が大層な技名を呟き、衣玖のポケットから覗くスマホを一瞬にして抜き去る。最強の暗殺家の一人、クーショー斎によって編み出された一瞬で心臓を取り去る必殺の技を、留音の師匠の師匠が棒状のチョコ菓子「ポッティ」を最低限の穴で取り出せるようにと作り変え、進化させた技である。留音は既に極めたこの技で「細ポッティ」まで取り出せる以上、衣玖のポケットからスマホを抜き去るなど、まるで普通に開けたポッティの箱からポッティを取り出すのに等しい。
「あっ、だめ!」
慌てて取り返そうとする衣玖をひらりと避け、それらしいアプリを探すのだが、ゲームやアニメコンテンツ、音楽にとアプリが溢れていて見当たら……と思ったらホーム画面の真ん中にハートマークのアプリが置いてある。おもむろにタッチすると「ドローンに接続中」と書かれたロード画面の後、あの子を背後から映すビデオ画面になった。近代化に取り残されたような住宅街を一人で歩いているあの子が見える。
「あーらら、衣玖さんなぁ?」
じとー。留音の目線が冷たい。衣玖は目を逸らしているが、すぐに開き直る。
「何よ!ちょっと軍部の知り合いに頼んで軍用ドローンのルートを変えてもらっただけじゃない!そこにたまたまあの子が映ってるだけで……」
衣玖的にドローンくらい自分で作れるのだが、あの子の急な出発に材料が間に合わなかったのだ。だからニーズを満たせるドローンということで、軍用のすごいのを使わせてもらっている。
「せこい、せこいですわよ衣玖さん。自分だけいい思いをしようだなんて考え方は超せこいですわ。せめてわたくしにだけでも言っておいて下さったら擁護できましたのに」
悔しそうに言う西香。彼女には抜け駆けする心の用意が常にあったのだ。もしもここにいる他の二人より早く衣玖のアプリを知っていたら、それを守るためにもっと何かできたはずなのに……それが悔しい。
「なぁ衣玖……お前の気持ちは痛いほどわかる。あたしだってこの不安を消したい。でもあの子は心配しないで欲しいって言った。それを信じて待たなきゃ……」
留音は衣玖の手を片手にとり、もう片方の手を自分の心臓部分に当てて、真剣な眼差しと真摯な声音でそれを伝える。みんなであの子との信頼に応えるために。衣玖もそれはわかっているはずなのだ、ただやりきれない不安をどう処理したらいいのかわからない、行き場のない気持ちが彼女の口から出ていった。
「……そうよね。それが私のすべきことなのはわかってる……ただ本当に不安で仕方ないの……ルー!あなたはこの不安と戦えっていうの!?」
その不安を、まずは自分が受け取ってやると言わんばかりに留音は静かに頷く。
「あぁそうだ。みんなで一つになってあの子の帰りを待つんだ。みんな不安だってことがわかったんだから、それを共有して互いを励ましあって不安を和らげることもできるはずさ」
な?……優しくみんなを見回す留音。感動に頷くみんなの表情……なんてなかった。ふざけんじゃねぇ!と今にも叫び出しそうな真凛が詰め寄ってくる。
「馬ぁぁ鹿やろうな事を言わないでください留音さん!目の前に不安を消せる道具があるんですよ!?それを使えばいいだけの話じゃないですか!」
衣玖のスマホを指差して食い下がる真凛。あの子に気づかれないということ、つまり「みんなに心配させてるな」と思わせないでこちらの心配を打ち消せる道具があるのに使おうとしない留音が信じられないのだ。
「確かに、あの子にはわからないさ。だがお前だってあの子の信頼に応えたいって思うだろ?これを見ちまうってことは、あの子と自分を裏切ることになっちまうんだ……」
真凛はギリリと奥歯を噛み、行き場のない気持ちをどう処理したらいいのかわからない。
「うぅっ……ずるいですよぉ……わたしだってわかってます……でもっ、あんなか弱くい天使や女神に等しい子が一人でいるかと思うと……」
不安は心の問題……だが心の持ち方を変えようとしたって、すぐに変わるわけじゃないし、一度感じた不安はやはり残ってしまうものだ。留音だってわかってる。真凛を励ますように肩を軽く叩いた。
「大丈夫。信じて待とう……あたし達が思ってる以上にきっとあの子は強いさ……ほら、このアプリは消すからな。大丈夫さ、きっと何事もなかったように帰ってくるから……」
留音はスマホのハートマークのアプリを長押しして消去する。その指は震えていたし、留音自身最後にもうひと目だけでも見ておきたかった。でもあの子に言われた心配しないでという言葉を尊重し、なんとか消去ボタンを押したのだ。ゆっくりとした呼吸に合わせながら、意を決して。消えたことを確認し、それを衣玖に返すなり、みんなの力がドッと抜けたように見えた。
もう小細工なしで待つしかない。四人はいつものソファーに腰掛ける。表情は不安げだが、西香がさっきの留音の言葉に返すようなことを喋り始めた。
「……わたくしも信じます。まさかあの子の実家が実は借金まみれで、突然あの子を呼んだのはあの子を借金のカタに遊郭へ売るためなんじゃないかって……そんなことにはならないですわよね……」
「え?ま、まさか……」
留音はぎこちなく笑いかける表情だ。みんなは不安な表情を強めた。その表情のまま衣玖も喋りだす。
「私もね……あの子の帰宅後、突然列強国による世界征服計画が開始され、第一の蹂躙計画によるミサイルの斉射であの子の街が標的になったときのために盗撮に使っていた軍用ドローンにはミサイル迎撃装置を組み込んであるのを採用してたのよ……でもそんなことにはならないわよね……」
「んなばかなこと……」
もう留音の表情も凍りついてしまっている。そんな不安に同調するように、今度は真凛の番が来た。
「わたしだって心配です!あらゆる天災、人災、いつ何が起きるかわかりません、強盗や事件に巻き込まれる可能性だってあるんですよ?……でもそんなことにはならないですよねぇっ!?」
「……」
まばたきも忘れて凍りつく四人。誰も何も言えないで、それぞれが言った怖い妄想がそれぞれの中で膨らんでいく。ポツリと真凛が言った。
「あの子が……夜道を歩く……たった一人で……」
住宅街の中でも乱雑に建物が立ち並ぶような前世代の地域は街灯も少なく、道は薄暗いものだ。……そんな道を一人で歩く姿を想像してしまった。
「お、おいやめろ……」
衣玖は先程まで見ていたあの住宅街の複雑さを思い返している。ドローンからの視点でもグネグネと道が入り組んでいて、一方通行しかできないような幅の道も交通標識で整備されていないような状況を思い返し、呟いた。
「入り組んだ住宅街じゃ車を確認できなくて事故に遭うかも……」
「やめろって……」
また、西香もあの子の純粋さを思い、頭を抱えている。
「それよりも人の良いあの子なら誰かに声をかけられてホイホイついて行ってしまうかもしれませんわ……」
「やめろってば!」
留音自身どれもあり得ると思ってしまっている気持ちを自分の大声でかき消すようだ。その声がかけっこスタートの合図をするピストルみたいに全員の不安が爆発し始めた。
「ちょっと待ってよ!!もしサイコパスのシリアルキラーが逃げ込んでる地域だったらどうしよう!!大変!あの子のいる地域の犯罪係数を今すぐ割り出さなきゃ!!あぁぁあああ!」
「こんな言葉がありますわ……遠足は帰るまで遠足……そうですわよ!もし無事にあっちで過ごせたところで、こちらへの戻りの道でテロに巻き込まれてしまう可能性だって無くはないですわ!!ひぃいいいいい!」
「あの子に何かあったらすべてを破壊し尽くしてやります……でも待ってください、何かあってからではあの子に苦しみを味合わせることになってしまう……あれ?じゃあ今すぐにでもこんな危険な星、破壊しておくべき……?うぅぅうううう!」
「ああぁぁぁ!お前らもうやめろよぉぉぉ!」
我慢が限界に達し、両手で両耳を塞いで喚き散らす留音。その様子に驚くこともなく、心配で魂のすり減った瞳が向けられる。
「不安を共有しようと言ったのは留音さんじゃありませんの……」
「そうだけどさ!」
「それじゃあルーにはここまでの不安はなかったって事なのね……」
「はは……羨まし……」
皮肉っぽい言い方に留音は少し目元をピクつかせて言い返す。
「言っとくけどな!あたしにも心配はいっぱいあるぞ!もしかしたら両親から紹介されたお見合いの相手が政治家の息子だけど暴君で大変な目に合うかもだとか、もしかしたら突然両親が離婚してあの子が経済的にニッチも行かなくなって大変な生活を強いられるかもしれないとか、マジで考えたくないが昔あの子を好きだった男の子が数年ぶりに再開したあの子に惚れまくってラヴい展開が始まっちまうだとか、あたしだって色々考えてめちゃくちゃ不安なんだよ!!」
他の三人の目が白黒している。口もパクパクとしたり、短い呼吸でピクピクしていたりと、心的外傷にもなりそうなショックを受けて何も言い出せないという感じだ。留音は言い切った感があったが、自我を取り戻した衣玖から、目をカッと開いて言い返してきた。マジギレで涙目になっている。
「ルーのバカ!脳筋ゴリラ!マッドサイエンティスト!!どうしてそんな酷いことを考えられるの!?」
「マッドサイエンティストはお前だろ!あたしだってすげー不安なんだよ!!」
「酷いです留音さん……わたしたちをそんなに不安にさせて楽しいですか?」
真凛は口を手で覆い、震えた声と泣き出しそうな息遣いを隠している。
「外道ですわ……ちょっと気分が悪くなってきました……う、お腹も痛いですわ……」
西香は視点が定まらず、どうすればいいのかわからないようだ。ストレスが内臓系に来たのか自分の脇腹をさすって息を荒げている。
「だ、だからあたしが言いたいのは、こういう不安を共有してなんとかあの子が帰ってくるまで頑張ろうって……」
「無理よ!!自分の不安で精一杯なのにルーが余計なこと言うから余計怖い考えまで植え付けられてもう本当にどうにかなりそう!!オエー!嗚咽が止まんない!!」
「うっ……動悸がしてきました……嫌な汗が吹き出します……うぅっ、なんでこの世界はこんなにも残酷なんですか……やっぱりいっそなくしてしまえばいいのかも……ふふ、そうですよ……苦しいならいっそ……」
「あの子との過去のラインの履歴を読み返しましょう……ふふふ、見てください……ニコニコマークの絵文字……わたくしこのラインで初めて絵文字と言うものを見たんですの……あぁ、心の癒やし……本人は……だめです、考えてはだめ……そうだ、留守番メッセージがありましたわ……ふふ、これでいつでもあの子の声が聞ける……うぅっ、ぐすっ……」
「あぁぁぁぁぁぁ!!お前らがそう来るならなァ!!あたしだってもう布団被って世界を呪い続けてやるからな!えええええん><」
この数十分後、実家についたというあの子からの電話で全員の気力が全回復し、メッセージアプリで就寝まで話し続けたり、次の日になったら「今から帰る」という旨の電話をもらったりして、なんだかんだで世界には平和な時間が過ぎていく。
ただ、あの子が帰るという電話のあとに家へ着くまで連絡がなかったためにもう一度似たようなことが起きて地球が崩壊の瀬戸際に立つのだった。普段はほとんど描写すらされないあの子だが、この家で最も重要なのはこの子なのだ。
やや日常系に寄ったかなぁ……
ここまで読んでいただいてありがとうございました。シリーズにはこの他に感性によっては楽しい話や楽しくない話がありますので是非どうぞ。
また、ポイントや感想などをくださると超絶嬉しくなってしまいます。お目汚し失礼いたしました。