幸福な眠り
深い深い夜。
梅雨時だというのに空気が澄んでいる。
夏も近いというのに………例年と異なり、浮き足だって手持ち花火をしようという輩も居ない。
まだ9時になったばかりなのにベランダから見る限りどの家にも、マンションにさえ明かりは見当たらない。
みんな寝静まってしまったのか、何処かへ行ってしまったのか……朝も夜も賑やかなこの街がこんなに静かになることもできるのだと感心してしまう。
とにかく静かだ……とても静か。
雪でも降りだしそうなくらいに、空気が固まって微動だにしない。
こんなに静かだとこの世に俺一人って気になっていけない。
家族も恋人も仲のいい友達も居ないけれど、別に一人が好きだって人種じゃあ無いからな。
交友関係はちゃんと持っておくのだった、と後悔しても遅いな。ははは、面倒臭がるべきじゃ無かったな。今更ながらに寂しい人生だったと思うよ、反省もしてる。だから今度生まれ変わったら、少しはましな一生が送れると思うよ。
ああ。
世界って綺麗だな。
可笑しいか? 俺がこんなこと言うなんて。
でも本当にそう思ったんだから………いいだろう? 最後ぐらい素直になったって。
俺は君にさえ本心を見せないような根暗だったからね、こんなに急に色々言って…混乱してしまうかも知れないね。
ごめんよ、けれど寂しい男の一人言を聞くのは君の仕事だからね。あともう少し、付き合ってもらうよ。君はどんなアドバイスをくれるのかな? 楽しみはそれくらいだな。
今日は星が驚く程よく見える。
怖いくらいだ。
中でも一際輝いている、月の真上の緑色の星、………あれが例の星かな? とっても綺麗だ。
ねぇ、話は変わるけれど百鬼夜行って知ってるかい? 笑
君は優秀だから、勿論知っているだろうね。でも見たことは無いだろう?
実は俺は昔一度だけ見たことがあるよ。
君は反応に困るだろうね、だからこれは聞いてくれるだけでもいい。
あれは綺麗なものだったよ、決して怖いものなんかじゃなかった。溜め息が出るくらいに美しい異形のモノ達が……光に混じった列を成して……何処までも練り歩く様は………なんとも言い難い。
君に見せる動画が無いのがとても残念だ。
今まで誰にだって話したりしなかった。
誰も信じてくれるとは思わなかったし、自分だけの宝物にしておきたかったからね。
でもさ、やっぱり誰かに教えてやりたかったな。
きっと俺がこんなこと言ったって、誰も笑ってさえくれなかっただろう。
子供の頃からそうだった。いかにも根暗で空気の読めない俺は誰からも優しく接してもらったことは無かった。
どんなに陽気な人間も、俺を見る時だけは気味悪そうな顔をする。
よく虐められた、結構蔑まれたりした、人間が怖くて堪らなかった。
それでも………………教えておくべきだったな。
だってさぁ………こんなにも綺麗なのだから。
大丈夫。
ちゃんと君のためにディスクに焼き付けたから。
綺麗だろう? 光の行列だ。
お化けなんて理解できないかな? でもこれは事実だよ。映像を解析すればわかるだろうけど。
静かな星空に色とりどりの光の粒………空に雪が降っていくみたいじゃないか。
幾筋も………幾筋も。
この心が震えるような感覚を、誰かにも伝えたい。
でも、それはもう無理だ。俺は君に伝えることで満足するよ。
…………もしもの話だけれど、君が生き残れたとしたら………この情けない男の話しを忘れないでいて欲しい。
百鬼さえも逃げて行く。お化けも死ぬのが怖いらしい。
どうやら本当に地球は滅亡するようだ。
SF映画みたいな宇宙船は完成しなかった。宇宙飛行士がたった十人、地球を出て行った。
誰も今日人生が終わるとは思っていなかったはずだ。
専門家でさえ理解できないくらいの速さで……接近し出したのが六時間前。
その短時間に人類を十人も宇宙に吐き出したんだから、もうそれで十分だ。
さっきまでテレビでは煩く専門家やら評論家やらが罵りあっていた。
国は宇宙開発に何故もっと力を注がなかったのか、とかそういうどうしようもない罵りあいだ。
あともう少し資金があれば、宇宙船の開発は実行できたらしい…………が専門家の言うことだから、あてにならない。
それに、宇宙船が出来たからってどうだったっていうんだ?
どうせ乗り込めるのは専門家やら科学者やらだろう。
そんなに遠い話し、俺には関係無い。
まあでも、宇宙船に乗り込めたとしても俺は行かなかったね、絶対。
死なば諸とも。
俺はここが好きだからね、捨てて行くなんて出来ない。
それにね、別に怖く無いんだ。
強がりなんかじゃないよ、いや本当に。笑
ほらさっき、百鬼夜行を見ただろう?
あれと同じような感覚。
俺の田舎はどことなくしんみりとしていてね、百鬼夜行の日は絶対外に出して貰えなかった。この日に外へ出れば、拐われて喰われてしまう、百鬼夜行は恐ろしいぞ!って、ひい祖母さんによく起こられた。
実際消えてしまった級友もいたよ。
だけど、結局は、あんなに綺麗だった。
全然怖いモノじゃなかった。
ワクワクしてさえいるんだ。
あの星が落ちる時はどんなに美しいのだろうと。
さて、そろそろ答えて貰おう。
君はただのコンピューターだけれど、君を作ったのは優秀な何人もの科学者だ。
君に問うことは彼らに問うことになるはずだ…………多少強引だけれどね。
ねぇ、君は俺に何て言ってくれるんだろう。
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カチカチカチ、と文字盤を叩く音も消え失せた。
青いペンキの剥げかけたベランダで、ただ一人だけ草臥れた格好の男が、携帯用電子頭脳を抱えている。
携帯用電子頭脳KIKUYO。
つい一ヶ月前に販売された最新鋭のもので、悩み相談から家庭教師、健康診断など、幅広く便利な頭の切れる人工頭脳で、ロボットに組み込まれる計画もあった程のものだ。
コンピューターのバッファリングの音が考え込むように唸ってはいるものの、中々応えようとしない。
男は諦めたのか、そっと立ち上がってベッドへと向かう。
ベランダの硝子戸は開けっ放しにして電気を消すと、見たこともないくらいの星が豪勢に瞬きはじめた。
『生まれてくれて、有り難う。』
「えっ。」
突然女の子の声がしたので飛び起きた…………………………………がよくよく聞いてみればKIKUYOちゃんの電子音的な声がしゃべっているだけだった。
ただの電子頭脳がなぜこんな結論に至ったのかは分からない。
繰り返し続ける淡白な子守唄のお陰で、今夜はよく眠れそうだ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆