戦う決意
翌日、いつもより早く寝たせいか早めに起きた俺は重大なことに気が付いた。
「宿題やってない」
厄妖め、ここまで俺を苦しめるとはなんてやつ。関係ないことで気を紛らわしつつ、焦りながらも宿題をやった。
「千代婆ちゃん、時間無いからすぐ食べられるやつない」
「あんたが慌てるような時間に来るなんて珍しいねえ。ほれ、パンでもお食べ」
「むぐ、あふぃがお」
結局出る時間ぎりぎりまでやってなんとか終わらした俺は、急いでパンを食べ終えて家から出て走り出す。
「直ってる」
蔵も道も塀もあんだけ強力な触手の一撃で壊れていたのに、まるでなかったかのように厄妖に出会う前のままだ。でも厄妖と戦った証拠として俺の胸にはペンダントモードの悪断がかかっている。だから夢じゃなくて現実なんだ。
「じゃなきゃこんなぎりぎりまで宿題残る訳ねえもんな」
悪断を握りしめ俺は学校まで走った。
「はぁ……はぁ……なんとか間に合ったか」
「薫がぎりなんて珍しいな。昨日なんかあったか?」
なんかあったかと言えば、化け物に襲われて蔵にあった刀で変身して化け物を倒して疲れたから眠った。なんて言えるか。
「まぁちょっと色々あってさ、ぎりぎりまで宿題やってた」
「そうか。なんか困ったことがあったら言えよな。いつも助けられてばかりだし」
「そん時は頼むよ」
少し武は訝しげな様子だったが特に詳しく聞かないでくれた。ふと昨日武のせいで死に際で浮かんだ委員長のことが気になった。座席は武が俺の前で、俺の斜め後ろ側に委員長がいる。後ろを振り向いてみると
「……おはようございます」
「ええ、おはよう」
目があってつい出た言葉が挨拶だった。そのまま無言で正面を向いた。後ろに委員長がいるのだから振り向けばこうなるのは当たり前だ。俺は何をしているのだろうか。気恥ずかしくなって机に突っ伏した。
「刀花君。宿題を出してくれない」
お昼休み、委員長から宿題の提出を求められた。彼女は皆が嫌がる仕事の多い教科の先生の係を引き受けてくれていて、昼休みの宿題回収もその一つなのだ。
実は俺が今朝急いでやったのもこの教科で、今日の昼休みに回収されるので慌てていたわけだ。
「はい委員長」
鞄を漁って委員長に宿題を渡す。
「刀花君もよしと、次は斎藤君ね」
「ああ、武のはこれな」
武から予め受け取っていたものを委員長に渡した。委員長は俺たちのが最後だったらしく、集めた宿題を机に叩いて端を揃えた。
「ありがとう刀花君」
委員長は教室から出て行った。それを見計らって武が席に戻ってきて弁当を広げた。俺も千代婆ちゃん手製の弁当を広げる。
委員長は女子で武の恐怖症の対象にもちろん入る。そのため女子に手渡すときはできる限り俺が代わりにやっているのだ。それでも俺が出てくるのが怪しくどうしようもないときは、女子に触れあわないようにして渡したりしている。
「いつも悪いな薫」
「悪いって思うならこれくらいやれよ、って普通言うだろうけどお前の症状の重さを考えたらこれくらいなんでもないって」
「本当に恩に着るぜ。自分でもどうにかしなきゃとは思ってるんだけどな」
「こればっかりはしょうがないって」
本気で俺も武の恐怖症をどうにかしたいとは思うが、俺は医者でもないし、ましてやそんな職業でも難しい精神的な問題だ。それでもいずれはなんとかしてやりたいと思っている。
放課後、武との帰り道。
「やっぱりこんなのどかで暇な感じっていいよな」
「突然なんだ」
「いや、こうやって学校に通って武みたいな親友といるのって結構大事なんだなと」
「気持ち悪いぞ、今朝の遅刻といい昨日なんかあっただろ」
思いを武に話したら気持ち悪がられた。地味に心に突き刺さりつつも誤魔化す言葉を考える。
「いや、実はな」
「実は?」
「時間を忘れて漫画読んでてさ、寝るの遅くなっちまっただけ」
その場で考えた嘘を吐いた。心苦しいけどあのことは武を巻き込んではいけない気がした。実際死にかけたし。
「……まぁいいか。お前がわけもなく隠し事するはずないからな」
「う、嘘じゃねえって」
「そんなに慌てることか? やっぱなんか隠してるのか」
「う、嘘じゃ……ないぞ?」
「なんでお前が疑問形なんだよ。別に隠し事してようがしてまいがいいけどよ。あんましお前の婆ちゃん心配させるようなことはすんなよな」
嘘があっさりばれた上になにも知らない武に心配された。
「やっぱりお前はそういうとこも含めてイケメンだな」
「お前なあ」
こんなにいいやつなんだから早くトラウマを克服して女子に怯える生活から脱してあげないとな。
分かれ道に差し掛かりいつも通りに俺たちは別れる。
「それじゃ薫。あまり自分で抱え込むんじゃないぞ。役には立たないかもしれないけど話だけなら聞くから」
「いやだから大丈夫だって。またな」
最後まであいつは俺の心配をしてくれていた。自分の方が深刻な悩みを抱えているくせに。俺の方が心配だってのに。
ため息をつきながら歩いていると、とてつもない嫌な気配を感じて立ち止まった。
「なんだこれは、昨日のみたいな」
だけど俺の近くではない。自分自身に降りかかるものではなく、なにか大切なものが壊されてしまう恐怖。
「まさか」
慌てて来た道を引き返し、武が帰っているはずの方を見ると、そこから先が不自然に暗くなっていた。
まずい。このままだと武が厄妖に殺される? 俺は家の蔵に悪断があったからなんとかなったものの、そんなほいほい厄妖殺しの武器があるはずがない。たった一人で厄妖に襲われて感じる死の恐怖を味わうのは俺だけでいい。
暗い空間に入ろうとすると、境がひどくどろっとした水みたいな感触がして入るのを躊躇ってしまった。
「厄妖が作る結界、みたいなもんか」
おそらくこれで獲物となる人間を囲いこんで嬲り殺しにするんだろう。外からはぎりぎり入れるが中からは出られない構造……なのかもしれない。この中に入ったらまたあんな化け物と戦わなくてはならない。正直恐い。だけど武を失ってしまう方が恐い。
意を決して俺は厄妖の結界に飛び込んだ。
別れてからたいして時間は経っていなかったので、すぐに武に追いついた。だが目の前に俺の恐怖を体現するものがいる。
それは俺が倒したやつとは少し形が違っていた。全体の形と大きさや顔、生える触手は同じだが手足の代わりに耳と目がびっしりと体中にある。こっちのほうがより気味悪いのかもしれない。
来るのが遅かったらしく武は足を怪我して動けないようだ。そんな逃げられない獲物に止めを刺すかのように厄妖は触手に力を込めている。
ちょうど今俺がいるのは厄妖を挟んで武からは見えない位置だから変身するのに都合がいい。俺は武を助けたい一心で悪断を握りしめる。
光をほとんど出さずに俺はミニ丈着物の美少女になった。すぐさま武の正面に回り込み、鋭い勢いの触手を切り捨てる。慌てた厄妖がさっきのよりも甘い攻撃の触手を次々と出すが全て切り落とした。
「獲物を簡単に仕留められないからって」
刀を収めて厄妖に向けて全力で駆けだし
「狼狽えてんじゃねぇよ!」
厄妖の顔面を飛び蹴りで蹴り飛ばした。やつは悲鳴を上げながらかなりの距離を吹き飛んでいった。
「おい、大丈夫か!」
吹き飛ばして時間を作った俺は武に声をかける。もちろん油断せず厄妖の方を向いたままでだ。
「あ、ありがとう」
「あいつをぶった切ったら助けるから待ってろな」
「ちょっと待て、あれは一体?」
「オレも知らん!」
「はぁ!? そんな自信満々に言うことか」
「いいから話は後だ。這いずってでもいいから少しでもここから離れてろ」
武との問答もここまでのようだ。厄妖は体勢を立て直し、ゆっくりとこちらに近づく。どうやら俺に対してかなり怒っているらしい。触手の動きがかなり荒ぶっているからきっとそうだろう。目の前の楽しみを邪魔されたら俺だって怒る。だがその楽しみが命を奪うものだったら話は別だ。ましてそれが親友の命なんだから怒るのはこちらもだ。
狙いは俺に定まったがほとんど動けない武を戦闘に巻き込むわけにはいかない。俺は近づいてくる厄妖に向けて跳んだ。
着地際を狙って触手が来るがそれを斬り、やつの後ろに高速で回り込んで真っ二つにしようとした。
しかし体中の全ての目に見つめられると体の自由が効かなくなった。
「な!?」
止まる俺を黙って見ているはずもなく、あっけなく触手に弾き飛ばされ塀に衝突した。
「く、かはっ……いってぇなあ」
口の中が血の味で一杯になる。骨や内臓がやられたってやつのせいか、激しい痛みで体が震えて動かせない。だが俺には自己再生能力がある。じわじわと痛みが引いていき体も普通に動かせるようになる。しかし、いくら勝手に治るとはいえ痛いものは痛いものだ。
塀も壊れたがこの結界から出れば多分元通りになるだろう。だけど人はどうなる。厄妖によって殺された後、そいつを倒したらなかったことになるのだろうか。仮にそうでも死の恐怖を味あわせたくないし、戻らなかったら終わりだ。試したくもない。傷が勝手に治り、厄妖を倒せる武器を持った俺が特別なのだ。
「あいつの能力はやっかいだな」
手足の時はただ蠢いているだけだったのに目はばっちり働いてやがる。耳もきっと位置を把握するとかに役に立っているだろうか。さっきの奇襲には意味なかったが、それは武に意識が向けられていたからか。
律儀に俺が立つのを待っているあたり相当余裕があるんだろうな。いや、致命傷を負わせたと思って油断している? 前のやつみたいに調子に乗ってるところをぶった切ってやる。
「らぁっ!」
ゆったりとした動きで立ってからの全力移動でやつの側面に行って斬るがまたしても目に睨まれ硬直。そして触手に殴られ、飛ばされる。
「ぐう」
やっぱりだめか。武に集中していたからさっきの攻撃は効いただけで、一対一で近接攻撃の俺とは相性が悪い。普通の人間なら死にかけるところを立ち上がったからだろう、今度はしっかり俺のことを警戒してやがる。
二回も食らったあいつの能力の予想だが、目を合わせると硬直するか、あいつに見られただけで硬直するかのどちらかだ。今のところは目を合わせているのでわからないが後者だったら勝ち目が薄くなる。だが俺が負けると武も死んでしまう。意地でも勝たないといけない。
三度目の突撃。厄妖には近づかず、飛んでくる触手も躱しながら高速で周囲を走る。しかし視線は俺のことは全く追わずそのまま変わらなかった。俺のことを目で追って目を回すと思ったがそんなことはなかった。駄目元の戦法だから構わない。
そのまま走り続け、正面に来たときに止まり、やつの顔面めがけて刀を突き刺しにかかる。
一歩一歩近づくたびにどんどん時間が遅くなる感覚がした。もうやつの一挙一動が完璧に読み取れる。こちらの突撃に相手は触手を寄越したりはしなかった。それだけ能力に自信があるのだろう。
「それは……命取りだっての!」
俺が刀を突き刺そうと腕を伸ばしたのと同時にやつの目が一斉にこちらを見ようとした。すかさず俺は目を閉じる。
鈍い感触を感じると成功したことを確信した。前の厄妖みたくカウンターを食らいたくない俺は顔面に深く刺した刀を切り上げ胴体を横一閃に切り払う。
後ろに跳んで悪断を鞘にしまい目を開くと黒い液体を吹き出す二つの不気味なものがあった。それらはひとしきり液体をばら撒いた後、全てを黒い塵に変えて消えていった。
「はぁ、なんとかなったか。にしても厄妖って実際なんなんだよ」
自分の先祖と関わりある化け物ってこと以外わからない以上考えても無駄だった。
「そうだ、武は!」
武のところへ向かうと、武は呆然とこちらを見て固まっていた。ただ先ほどよりは距離が空いていたので俺の言うとおりに這いずって移動したのだろう。
「おい、大丈夫か」
「あ、ああ。君のおかげで助かった。ありがとう」
「そんなの気にすんなって。助けるのは当たり前だ。ほら、立てるか?」
「……」
俺は自分の今の姿を忘れて怪我をして立てない武に手を伸ばしたが、武の顔色が青ざめ始めたところで思い出す。
「ごめんな。ちょっと人を呼んでくるから、じゃあな」
「あ、ちょっと」
すぐさま手を引っ込めてその場から立ち去った。
「親友にあんな顔をさせるとは。まさか実際に自分で見るとは思わなかったが、あんな顔をされると結構くるな」
分かっている。あいつがなぜ女性恐怖症なのか。だけど自分のせいでその症状を出させたなんて。どれだけ自分は愚かなんだろうか。俺は人目がいないことを確認してから男に戻り、急いで武のもとへ向かった。
「武!」
「彼女が呼んだのは薫か。悪いな、ちょっと足を怪我しちまって一人じゃどうしようもなかったところだ」
「足以外怪我はないか」
「ああ大丈夫だ。彼女から聞いたのか」
「そ、そうだ。着物を着た女の子が俺に人が怪我しているから助けてやってくれってな」
咄嗟に嘘を吐いて、武に肩を貸して彼の家に向かって歩き出す。
「それでか。そこまで心配されるものではないけど、明日は歩くのが辛くなるくらいだ」
「十分心配ものだろうしそんな程度ですむ怪我じゃないだろう。一体なにがあったんだ?」
俺は知らないふりをして武に聞く。
「不気味な化け物が現れてそいつに襲われたんだ。足をやられて殺されるって思った時に着物を着て刀を持つ女の子に助けられた。信じられない話だけどな」
信じるも信じないもそれは俺だからな。
「それに助けてもらった彼女に悪いことをしてしまった。差し伸べられた手を掴めなかったんだ。普通は気分を害するところを、彼女は申し訳なさそうに手を引いて誰かを呼んでくると言ってどこかへ行ったんだ。そのあと彼女の言う通りお前が来た」
たしかに差しのべられた手を見て顔を青ざめるとか、事情を知らない子がされたらあまりいい気分にはならないだろうな。けれど事情を知っている俺は武のために立ち去った。
「また彼女に会えないものかな」
「お礼か?」
「ああそうだ。化け物から救ってくれただけでなく、無理に俺に触ろうとしないで立ち去ってくれた優しいあの子にな」
「お前まだ無理なんだろ」
「今は無理だ。けど俺はあの子のためにも早く克服しようと思う。一目惚れだ。恋とは人を成長させるものなんだな」
うわあ、まずいな。あのまま去っていけばよかったか。いや、どちらにせよ化け物と戦い武を助けたことで女の俺を探そうとするだろう。悪いことしたと思いながらも、命を助けられたし本人が恐怖症克服を目指したいと言っているんだからまあいいかと考えることにした。
目標の理由が女になった俺だったとしてもだ。
武を家に送ったあと俺は一人歩いていた。
武の家族には足の怪我のことをなんとか誤魔化せたがとても怪しんでいながら俺らのことを信じて黙っていてくれた。今日はあんなのに襲われた後だから病院には明日行くことにして学校も休むそうだ。
「俺だけじゃなく武も襲われるなんて。あのとき気配に気づかないで戻らなかったら……」
武がいなくなるなんて考えたくもない。厄妖となんて戦いたくない、痛いのは嫌だ、恐いという気持ちもある。だが暇で何気ない日常にいる周りの人が一人、また一人といなくなっていくのはもっと嫌だ。
俺が戦うことで身近な人が守れるのなら俺は戦う。どうせ暇を持て余していたんだ。死なない力もある。
たぶんご先祖様だって悪断を持って厄妖と戦った。ならば俺も同じように厄妖と戦ってみせる。
そんな決意を俺は抱くのだった。