お狐さまと返礼ちゃん
「欲しいもの?」
お狐さまの出し抜けな質問に、ぱちりと瞬きしておうむ返しする。
「それって、トリック・オア・トリートってこと? それならお菓子が欲しいかな」
「とりっく? なんだいそれは」
ああ、やっぱり知らないんだ、今日がハロウィンだってこと。一応お菓子も持ってきたんだけど。
でもじゃあ、やっぱりどういう意味?
「意味も何も、言葉通りだ。何か欲しいものはないかい?」
「急に言われても。どうして?」
「なに、恩返しさ」
「私に?」
ますます混乱してきた。何か勘違いしてない? 私の誕生日ならもう過ぎたよ。
「誕生日とは関係ないんだが……。なんだろうな、風呂敷をたたむ準備とでも言えばいいのか」
「――ああ、お別れの」
婉曲的な一言で色々察せるくらいには、私だってその件に無関心じゃなかった。
「お狐さまからその話題なんて珍しいね」
「いつまでも避けて通れるわけでなし。もう秋だからね。俺ばかり目をそらしてもいられん」
同感、と心の中で相槌を打つ。
私たちには片付けなきゃいけない話がある。この十余年で語り尽くしたどのテーマとも違う、けじめのための会話が。
「その第一歩さ。お前に恩返しをしよう。何か欲しいものは?」
あらたまった口調で再度尋ねられたから、何かないかと頭をひねってみる。
欲しいもの。思い浮かぶのは本、靴、食べ物なんかだけど、どれも正直もらって嬉しいほどじゃない。
「お狐さまがくれるなら何でもいいよ」
「無欲な子だ。一度だけ、一つだけ、何でも好きなものをあげようと言っているのに」
「何回聞かれてもおんなじだって。お狐さまはないの? 私にあげたいもの」
「質問に質問で返すか。……さて、では、何をあげようか」
今度はお狐さまが思い耽る番だ。思考の邪魔をしないように、「別に無欲じゃないよ」って言葉は喉の奥にしまう。
無欲じゃないよ。ただ、他人に叶えてほしくない願いって、誰にだってあるもの。
「……ああ、そうだ」
お狐さまがさも名案をひらめいたという声を出した。
そしてひらりひらりと二回、尻尾を振る。九本の尾がいっせいにうねる様は稲刈り前の稲穂が揺れるのに似ていた。
一瞬まばたきをすると、そこに彼はいなかった。代わりに長身の男が立っている。もうすっかり見慣れた、变化したお狐さまだ。
「これを」
上から声が降ってきて、すっと手が突き出される。反射でこっちも手を出すと、手のひらの上に冷たい金属の感触があった。
ピアスだ。金色の。
「これが何かわかるか」
お狐さまがまろい笑みを浮かべる。あやしい。何か変だ。じっと目を凝らしてお狐さまを見つめると、背後に半透明の尻尾がちらついて見えた。だけど。
――一本、少ない?
尾が九本ゆえの九尾狐。なのに目の前の尻尾は八本しかないように見える。
その瞬間、ピアスから電流が走ったように腕から力が抜けそうになった。
「ねえ、ひょっとして」
お狐さま、これは重いよ。
「そうだ」
まだ何も言ってないのに、お狐さまが肯定の返事をする。やっぱりそうなの。
これがその、消えた一尾の行方だって?
「こんなの、もらえるわけない」
「俺からもらえばなんでもいいんだろう」
「そうだけど、違うでしょ!」
「違わない。言ったろう? 恩返しだ。"返す"だけさ。俺がお前から貰った分を」
ギュッと握った拳を、お狐さまが緊張をほぐすように包み込む。指先が温かかった。
「お前が俺に捧げたモノや、時間や、心――その不毛な十年の見返りだ。貴重な青春の半分を貢がせておいて、こちらが何も差し出さぬというのでは天秤が釣り合わん」
恐る恐る顔を上げる。お狐さまは凪いだ表情だった。それはもう、人間にはできないくらい。
「でもっ」
私には、不毛なんかじゃなかったのに。
「ならば言い方を変えるか?」
一変して、静かな表情に波が立った。ぱっと手が離される。
「それは俺の一部だ。俺の寿命や、運や、力や、感情の。俺の魂の九分の一をお前に押し付けてやろう。俺の重い愛の成れの果て。お前を外に送り出すのを承諾する代わりだ」
不遜な態度でピアスを指差すお狐さまは、だけど目だけはずっと優しかった。たぶんこれは強制じゃない。選択権は私にある。それがわかっているのに、私の口はNoの形に動かない。
「お狐さま、これなくなったらどうなっちゃうの」
「どうにも。少し存在感が薄くなるかもしれんが、どうということはない。九つのうち八つは残るのだから。本来お前が俺から奪っていくのはその比ではないが、全て贈るのはさすがに生々しい。自重というやつだ」
お狐さまが曖昧に濁したものが、何となく見える気がした。たぶん、私が十余年拒んできたであろうものの輪郭が。その欲の色が。
「……私、ピアス開けてないのに。なんでピアスなの」
「これくらい小さければ簡単になくしてしまえるだろう」
「なくしちゃだめじゃない」
「いいのさ。なくなればそれまで。俺は一生お前の重荷になりたいわけじゃないからね。ただ今この一瞬、お前を呪えればいい」
呪うなんて言葉を、まさか自分がかけられる日が来ようとは。
呪うなんて言葉が、こんなに睦言めいて聞こえようとは。
「いいの? お狐さまの、大切なものなのに」
「それゆえさ。俺から中核をこそぎとって、罰をくれてほしい」
マゾヒズム。そう言おうかと思ったけど、どうせ通じないから代わりに「毎回こんなことしてるの? 私と別れるたび、毎回」そう尋ねる。
「まさか、それならとっくに俺はいない」
「じゃあ今回に限ってそんなことしなくてもさ。危ない橋でしょ、やっぱり。これがなくなってタイムスリップに失敗でもしたら」
そんなリスキーな賭けの片棒を担ぐなんて勘弁願いたい。それこそ一生モノのトラウマだ。人間には目に見えない枷もある。
「それくらいではさしたる問題にはならん。心配いらないさ。俺はお前だからもらってほしいんだ」
「十二回目なのに?」
「関係ない」
お狐さまがあまりにきっぱり言うものだから、虚を突かれてとっさに言い返せなかった。
視線が熱を帯びる。
「――一回目のようだったと言えば、お前、信じるかい」
「うそ」
「嘘ではない。本当に、どれもこれも初めての気分だった。初めての気持ちだった。初めての体験だった。俺はね、お前とはじめてらあめんを食べたんだ。美味しかった、本当に。それだけじゃない。絵を描かれたのも、一緒に花火を見たのも、贈り物をするのも。この十年、何もかもに不慣れで、本当に楽しかった」
お狐さまがはにかんだように笑う。眉がきゅっと下がって、無邪気な顔。
「それまで俺は、たった一人に尻尾をくれてやるほど、自分がバカではないと思っていた」
金のピアスが鋭く光を反射する。
その輝きに思わず目を細めた。
「……ほんとに馬鹿だよ、お狐さま」
ピアスをつまんで空にかざす。「耳に穴あけろって?」嫌よ、そんな痛いの。
お狐さまにピアスをぐっと押し返して、その視線を抜いとらんばかりに強くねめつけた。
「くれるならもっと実用性のあるやつにしてよね。櫛とかさ」
その時、人に化けたお狐さまの顔がゆがむのを初めて見た。
鼻の穴が少し膨らんで、ひゅうっと息を継ぎ、唇を噛む――ずっと笑顔しか見せてこなかったくせに、なんだ、ちゃんと表情筋あったんだね。人間みたいに。
「お前が許すなら」
お狐さまが両手でピアスを包んで、それからゆっくりと掌を横に滑らせる。中にはきつね色の櫛があった。
きっとこれなら失くせまいという、手のひらサイズの柘植の櫛。
「これを、お前に」
改めて差し出されたその櫛を、今度はためらいなく受け取る。
「歯が欠けたらすぐに捨てちゃうから」
「それでもいい」
「そうだ、交換にハロウィンのお菓子食べる?」
「もらおう」
ポケットからキャンディーを二つとり出して一つをお狐さまにあげる。
包みをあけると黄色と青の毒々しいカラーリングがお目見えした。
「甘いね。なんの味だろ」
「喉が乾きそうだ。砂糖の味しかしない」
「私のはレモンかも。そっち外れだね」
「まあいいさ」
お狐さまは文句も言わずキャンディーをなめている。それを横目で盗み見る。
櫛の意味は知ってるのにキャンディーの意味は知らない、大妖怪さま。
わかってる? 二人で過ごせるのはあと半年もないんだよ。
なのに今さら、その殺し文句は、ずるい。
胸焼けしそうな甘さのレモン味の塊が、口のなかでゆっくり溶けていく。




