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それからというもの、ラザルスは「硝子の姫君の代わりに」と言って、様々なものをエディスに食べさせた。
軟禁とはいえ、彼は王様に質素にするよう要求されているわけではないので、従僕に指示してありとあらゆるものを運ばせたのだ。
「これはイリジール公国から取り寄せたスクラール」
焦げ茶色のクリームを固めたような菓子は、口に入れると甘くとろけながら消えていく。
「南から送られてきた、珍しい魚だよ」
そう言って夕食に同席させられたこともあった。
さらにラザルスは一からナイフやフォークの使い方を指導してくれる。エディスも大小様々な食器の使い方を必死に覚えた。完璧に覚えるとラザルスは喜んでくれるのだ。その笑顔が見たかった。
更にラザルスは様々なものを着せようとした。
「貴婦人に付き添う侍女はね、貴婦人の恥にならないように着飾る必要もあるんだよ。我が婚約者殿にも着せてあげたいけれど彼女が着替えるのは難しいし、このままの姿が一番綺麗だからね。代わりに、彼女の侍女である君が、側で華やかにしていてほしいんだ」
そう言って切なげに姫君の手に触れるラザルスを見ると、嫌とは言えなかった。
またエディス自身も、立派な侍女になるべく暇を見つけては王宮へ行った。貴婦人達の侍女の様子や女官の立ち居振る舞いを観察して学んでは実践を繰り返す。
そうして青の月が終わる頃には、ソフィから「あんた最近どこかのお嬢様みたいになったね」と言われるまでになれた。
そんな折だった。
国王の許可を貰ったと言って、珍しく男性がやってきた。
西日で赤く染まった景色を背にした老齢の彼は、まるで炎の海の中にいるようだった。
幻想的な風景にも負けない威厳を持つ彼は、高い地位にいる人だろうとエディスは察する。
「ようこそおいで下さいました。お名前をお伺いしても宜しいでしょうか」
見よう見まねで覚えた礼をするエディスに、男性は困惑した表情になる。
「君は王宮から手伝いに来ているのかね?」
「はい?」
何と答えて良いのかエディスは戸惑う。
王宮の掃除係から、王命で離れに配置換えになったのだ。ラザルスの去就によっては元の掃除係に戻される可能性もある。となれば「手伝いに来ている」というのと同じだ。
そしてふと気付く。
そうだった。この幸せな生活も期限があるのだ。もし国王から硝子の姫君と暮らすことを許されたとしても、エディスはそこへ一緒に連れて行ってもらえるとは限らない。
胸に溢れてくる不安をこらえながら、エディスは答えた。
「左様でございます。どうぞこちらへ」
エディスはギルバートと名乗った男性を、ラザルスの元へ案内した。
「ようこそおいで下さった叔父上」
今までに何度か来た令嬢達と違い、ラザルスは心からの笑顔でギルバートを迎えているように見える。お茶もきちんとしたものを頼まれたので、間違いない。きっとラザルスの親しい人なのだろう。
あの青い茶に、赤い小花の器を添えてテーブルの上に出すと、ギルバートは穏やかに微笑んでくれる。
一口飲んだギルバートは、嬉しそうに目を細めてラザルスに言う。
「陛下から、殿下は侍女達を全て追い返してしまったと聞いていましたが……なるほど、この素晴らしい人がいるのなら、謹慎中で一人住まいの貴方には充分のようですね。ところで、どちらのご令嬢かお伺いしてもよろしいかな?」
最後の言葉は隅へ移動しようとしたエディスにかけられたものだった。
けれど素直に「実は掃除係だったんです」とは言いにくい。そんな人間を侍女代わりに使っているとわかったら、ラザルスや硝子の姫君が笑いものになる。
困っていると、ラザルスがギルバートに話してくれた。
「彼女には無理を言って侍女の役割をしてもらっているんですよ。ね、エディス」
「そんな、もったいないお言葉です」
エディスは恐縮して一礼する。
「え? ではどこかの令嬢ではないと?」
驚いて目を見開くギルバート。
「私にとってはそれよりも、この婚約者である硝子の姫君を大切にしてくれるかどうかが重要でしたので」
言われて、少し離れた窓辺に佇む硝子の姫君にギルバートも視線を向ける。
窓から柔らかに侵入してくる夕暮れの光で、硝子の姫君は薄赤く染まっている。そんな姫君を見るギルバートのまなざしは「こんな人形に」と侮っているわけでもなく、ただ感傷がにじみ出ているように思えた。
「本当のところ、私がここを訪れたのは殿下に硝子の像との結婚を思いとどまって頂くよう陛下に頼まれたからなのです」
「ええ。承知しているつもりです」
ラザルスは穏やかに受け答える。
「けれど殿下がこの像を大切に思って下さって、私は……実は嬉しいのです。これを寄贈したのが私だというのを殿下はご存じですか?」
「はい。それは一応」
「そもそもこの像は、亡き王妃様が造らせたものなのです」
これはさすがにラザルスも知らなかったようだ。珍しく一瞬言葉が継げず、ややあってから困惑するような表情になる。
「そこまでは知りませんでした。母上を亡くされて失意の陛下に、よく似た顔立ちと姿の像を贈られたのだとだけ、聞いていました」
「それはすべて王妃様のご指示によるものでした。王妃様が自分の病に気付いたのが、死の一年前でした」
ギルバートはとつとつと像について語る。
「陛下は深く王妃様を愛されていた。そんな陛下を自分が亡き後も悲しませないよう、そしてまだ幼かった殿下方に母親の顔を覚えておいてほしくて、王妃様は自分の像を造らせたのです」
「そんなことが……」
ラザルスも意外な事実に、神妙な顔で姫君の像を見る。
確か、国王は王妃によく似ていると言ってこの像を大切にしていたと言っていた。それならば王妃の願い通り、この像は彼女の代わりとして王やラザルスを慰めてきたのだ。
「ですから殿下がこの像と結婚すると言い出したと聞いて、私は別な方向で驚きましたよ」
「……母上と結婚するとだだをこねる、幼子のようだと思いましたか?」
拗ねた様子のラザルスは、エディスの目からも少し幼く見えた。
「そうですね。その後ですぐ思い直しました。あなたは愚かな人ではない。本気で硝子の像を妻にするつもりはないのだろうと考えました」
そう言ってギルバートは席を立った。
「今日はあなたを説得するのは止めに致しましょう。あなたが母上の身代わりを大事にしてくださったそのお気持ちに免じて。何かなさりたいことがあるなら、私が相談に乗りますよ」
では、と王子に対する礼をして、ギルバートは部屋を去った。彼を見送るため、エディスも彼の後ろに従って退出する。
「そういえばエディス嬢。あなたは元々王宮仕えの方なんですよね?」
叔父としてラザルスの周囲にいる人間のことを把握しておきたいのだろうとエディスは思い、素直に答える。
「王宮で下働きをしておりました」
「下働きを?」
振り返ったギルバートは、眉を跳ね上げた。
「その通りでございます」
下働きといえば、普段は貴族や王族の前に出られないような平民ばかりだ。さすがに働くに当たっては紹介が必要なので、身元は皆しっかりしているが。
「いくつの頃から王宮へ?」
「十一の頃だったと思います。両親を流行病で亡くして……父のご友人の紹介で職をいただくことができました」
「では礼儀作法などはどこで?」
尋ねられ、エディスは慌てた。
「あ……申し訳ありません。何かご無礼などありましたでしょうか。この離れに移ってから殿下に教えて頂いたり、他の方のやり方を真似ただけなのです」
謝るエディスにギルバートは「いやいやそうじゃないよ」と笑ってくれる。
「そんな短期間で身につけたとは思えないほどだよ。君は頭が良いんだな。ところで歴史なんかには興味があるかい? 私は歴史を研究するのが好きでね。それが高じて陛下に仕えるようになったのだよ」
「歴史……ですか」
エディスはふっと何かを思い出しそうになる。
女子の、それも平民には学など必要ないという風潮があるため、エディスは今の王様の名前以外はほとんど知らない。
けれどいつだったか。誰かが今の王様がどうして王様でいられるのかを話してくれた記憶がうっすらとある。数代前の国王のご先祖の偉業の話など、エディスは楽しく聞いたのだ。
「そうですね、いろんなことを知るのは面白いと思います」
エディスの答えを聞いたギルバートは、満足そうに微笑んだ。きっと彼の気に入る返事をすることができたのだろう。
そしてギルバートは立ち去る間際、淑女にするようにエディスの右手を持ち上げて一礼してみせた。
「妹を、大事に思ってくれてありがとう。エディス嬢」