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硝子の姫君  作者: 奏多
2/6

 こうして、エディスは硝子の姫君の世話をすることになった。


 憧れの王子の側近くにいられるという幸運をくれた姫君に、エディスは甲斐甲斐しく仕えようとした。

 とはいえ彼女は着替えをしない。食事もいらない。洗濯するものもない。

 せいぜい毎日二度ほどその体から埃を払って、花を飾ることしかすることがなかった。


 しかしエディスはそれほど暇でもなかった。

 ラザルスは自分の侍女を、移り住んだ北の離れの建物から追い出してしまっていたのだ。不自由な生活を送ってでも硝子の姫君と共に居続ける姿を見せたなら、国王も折れてくれると考えたらしい。


 その上他の召使い達は、硝子の像と結婚すると言い出した王子が発狂したのではないかと警戒し、近づきたがらなかった。そのため、硝子の姫君の侍女になったエディスがラザルスの侍女のようなことまでしている。


 花を姫君に飾り終わったエディスは、ラザルスのためにお茶の用意をしようとした。

 階下の台所へ行く途中で、この離れに残ってくれている召使いのソフィが廊下に出ていた。エディスの母親ほどの年齢のソフィは、ゆさゆさとふくよかな体をゆすって走ってきた。


「ちょっとエディス、どうにかしておくれよ!」


 え? と聞く間もなくエディスはソフィに手を掴まれた。

 そのまま連れて行かれたのは離れのエントランスだ。

 エントランスの大扉は半開きになり、困惑しながらも相手を通さないように立ちはだかっている衛兵二人がいる。扉の向こうには、金切り声を上げて兵士を威嚇する、青いドレス姿の令嬢とそのお付きらしい女がいた。


「殿下からは何人もお通ししてはならぬと命じられております」

「私は国王陛下に許可をもらっていると言ってるでしょう! 優先するべきはどちら!? そもそもあなたがたのような貴族でもない者が、私の進行を妨げるとは何事です! 私はヴィエン侯爵家の者でしてよ!」

「しかし殿下はたとえ陛下の命令でも、どなたも通さないようにと……」


 両者の言葉を聞いて、エディスはおおよその状況を察した。

 ラザルスは訪問客を全て断るようにと兵士に命じていたのだ。けれど令嬢の方は国王に許可をもらっているので、断られるとは思わなかったようだ。

 しかも彼女は、身分違いの兵士に自分の行動を制止されるのが我慢ならないらしい。

 兵士は言われた通りの職務を果たしているだけなのだが、貴族の令嬢相手に強硬な手段に出るわけにもいかず、何ともかわいそうだ。


「殿下の従僕は別な用で出払っちまってるんだよ。あんた代わりに殿下にどうしたらいいか聞いておいでよ」


 ソフィにも促されエディスはうなずいた。


「わかりました」


 エディスは素直にラザルスの元へ戻った。そこでお茶のことを思い出し、入室して最初にそれを詫びてから状況を伝えた。


「ヴィエン侯爵令嬢……レナディスか」


 ラザルスはやや渋い表情になったものの、通しても良いと答えてくれた。

 ほっとして玄関へ駆け戻ったエディスは、なるべく品良く映るように姿勢を正し、苛々と腕を組んで言い争いを続けていた令嬢に告げた。


「王子殿下がお会いになられるそうです。どうぞご案内致します」


 レナディス嬢は道を開けた兵士を睨みつけて、エディスの後ろに従った。

 エディスは苛立ったレナディスを早く案内しなくてはと急ぎすぎ、置き去りにしかけて彼女の侍女に声を掛けられて慌てて立ち止まる。

 当然レナディスは激昂した。


「私を侮辱するようなことをして、殿下からきっとお叱り頂きますからねっ」


 真正面から怒りを叩きつけられ、でも今のことはエディスも不注意だったので、何も言えなかった。小さな声で「失礼いたしました」と謝り、エディスはラザルスのいる部屋へ彼女を招じ入れた。

 扉が開いたとたん、レナディスは先ほどまでの悪魔のごとき形相をひっこめた。それどころか、内気な少女が恥ずかしがっているかのような様子で一礼してみせる。


「お久しゅうございます殿下。ご謹慎と伺いましたがご壮健な様子でなによりでございます。本日は侘びしい日々を送られている殿下をお慰めするよう、国王陛下から言いつかり……」

「私はそんなに寂しそうに見えるかい?」


 言葉を途中で遮られ、レナディスは困惑した表情にかわる。


「ご友人方の訪問も禁止されていらっしゃるとうかがいました。ご退屈など……」

「別にしていないんだけどね? まぁ、せっかく来たのだしお茶を一緒にどうかな」

「あ、はい、ではお言葉に甘えまして」


 ラザルスの素っ気ない対応には、エディスも驚いた。

 レナディスもこんな応対をされるとは思わなかったのだろう。混乱しきった表情で、ラザルスの座っているティーテーブルに近寄った。

 まるで席についているかのような位置に置かれている硝子の姫君を不快げにチラリと横目で見ながら。

 一方エディスは、ラザルスに指先で手招きされた。そして耳打ちされる。


「申し訳ないんだけどディネラ茶を」

「か……しこまりました」


 ディネラ茶は、市民にも広く飲まれているわりと『低級』な茶だ。

 当然ラザルス用に置いていた茶葉の中には無く、仕方なくエディスやソフィが休憩中に飲むため置いていた茶葉をお湯と共に部屋へ運んだ。

 なるべく湯の中で葉を揺らさないよう注意してそっと器に注いだのだが、やはり苦みが出てしまったようだ。

 レナディスはラザルスの前であることも一瞬忘れ、眉間に皺を寄せて渋い表情になった。


「あの……殿下。少しお飲みになるのをお待ちになって下さいませ」

「どうして?」

「侍女が殿下にお入れする茶葉を間違えたのではないかと思うのです」


 そして笑顔でいながらも、少しも笑っていない目でエディスを脅しつけながら、表面上は穏やかに言った。


「ねぇ、そこの方。これはディネラ茶だと思うのよ。もしかして近くにあった別な茶と中身を間違えたのかもしれないわ。私の侍女がついていきますから、一度確認を……」

「その必要はないよ」

「えっ!? あっ!」


 ラザルスはあっけらかんとした様子でカップの中の茶を飲み、にこやかに言った。


「私がディネラ茶を頼んだのだよ」

「え? ……ええと、殿下、もしかして侍女をお庇いに? なんてお優しい」

「おや、陛下から私の謹慎理由はお聞いているだろう? この道ならぬ恋を貫き続ければ、ますます陛下を怒らせることは確実だ。事によればとても高級な茶を飲めるような生活はできなくなる。今から慣れておこうと思って、茶は全てこれを出すよう頼んでいるんだよ」


 彼は楽しそうに、苦いはずの茶を飲み込む。


「けれど私の意地に他人を巻き込むのは気が引けるからね。それで面会は断るよう兵士に申しつけていたんだ。レナディス嬢、あなたもこの茶がお気に召さないのなら……」

「い、いえっ。私も久しぶりに少し苦いものが欲しかったんですの! お、おほほほ」


 気に入らないとは言っていない。

 そう必死にとりつくろい、レナディスは眉をひくひくさせながら再びカップに口をつけた。


「そ、それにしましても殿下。本当にこの……硝子の姫君とご結婚を?」


 別な話題を探してか、レナディスは彼に硝子の像について尋ねた。


「こう申してはなんですが、やはり殿下の妻となりますと、衣服を整えることから屋敷の采配までなさる必要がありますわ。でも、この姫君には難しいのではないでしょうか。宴に出る時のパートナーを勤めるのも難しいでしょうし」

「ああ、それでいいんだよ。彼女はただそこに在ればいい。その美しさを眺めて過ごせるのなら宴に出なくとも良いし、屋敷の用など私がすればいいことだ」

「いえ、でもそれでは役に立たない人形と戯れていると、殿下の外聞が……」


 戸惑うレナディスに、ラザルスは目を細める。

 笑顔ではあるけれど、眼光がするどく彼女を突き刺しているのがエディスにもわかった。察したらしいレナディスも言葉を飲み込んでいる。


「外聞を気にするなら、初めから彼女を妻になど望まないよ? あと……彼女を侮辱するのはやめてもらいたい」


 きっぱりと断られたレナディスは、ひどく衝撃を受けた様子だった。



 レナディスが帰った後、ラザルスは改めて別な茶をエディスに頼んできた。

 二つ返事で受けたものの、このお茶を用意するのはなかなか難しい仕事だった。

 ただの召使いだったエディスが一度も見たことのない茶葉だったのだ。青白い茎みたいなのが鞠の形に束ねられていて、それとは別に、赤い乾燥した小花が入った硝子の器が盆の上に用意されている。

 ポットはお湯の入ったものだけ。ではこの中に豪快に葉を投げ込めばいいのだろうか。赤い花も問題だ。こちらも一緒にいれていいのか、それとも飾りなのか。

 悩みながら葉を指先で摘もうとしたそこに、背後から声が掛かる。


「ああ、私がやろう」


 エディスより早くのばされたのは、緑石のカフスボタンのついた袖と大きな手だ。


「でっ、殿下っ!?」


 驚いて振り返れば、かなりの至近にラザルスがいた。エディスの頭がラザルスの顎にあたりそうなほどだ。


「あまりやらせてもらえないんだけどね、私もお茶を淹れるくらいはできるんだよ」


 ラザルスは楽しそうに茶葉を摘み、二つあるカップの中に一つずつ入れてしまう。

 そうして湯を入れると青い茎がゆるゆるとほどけて、花弁のように広がりながら湯を青く染めていく。


「綺麗……」


 青いお茶があるとは聞いた事があったが、しがない掃除係のエディスは今まで見たことがなかった。

 素直に感動していると、ラザルスはそこへ赤い花をひと匙散らした。すると花が触れたところから、湯が今度は綺麗なピンク色に変る。


 声もないエディスに「さぁこっちへ」とラザルスが言い、彼はカップを二つ運んでいってしまった。

 そして姫君の前ではなく、先ほどまでレナディスが居た席に一方のカップを置き、手招きしてくる。


「早くおいで、一緒に飲もう」

「えっ? でも、そんな」


 平民のエディスが王子と同席するなど、誰かに見られたら何を言われることか。


「お、畏れ多すぎます! どどど、どうかご容赦下さいませ」


 わたわたと意味もなく手を振って必死に断ると、ラザルスは楽しそうに笑う。


「でも君のために淹れたんだ。だから飲んでいるところをちゃんと見ておきたいんだが」

「みっ、ご覧になってしまわれるんですかっ!?」


 こんな所作も完璧な人の前で、平民育ち丸出しの飲み方なんてできるわけがない。

 ラザルスは、緊張するエディスをさらに説得してくる。


「ほら座って。飲んでみてごらん? そしてお茶を口にできない婚約者殿に、どんな味がしたか話して上げてくれると嬉しいな」

「あの、それでしたら先程のご令嬢の方が……。私よりいろいろなお茶を口にされていますし、的確に言い表せるのではと」


 ささやかな最後の抵抗は、ラザルスにあっさりと突き崩された。


「彼女だって自分の悪口を言う相手から、教えて欲しいと思わないよきっと」


 言われて、エディスも確かにそうだろうと思う。同時に硝子の姫君をあくまで人として扱い彼女を尊重する姿勢に、ラザルスの愛情を感じた。


(本当に、愛していらっしゃるのね……)


 ソフィなどは「母親と似た像に惚れるなんて、気の病じゃないのかい? 気味が悪い」と言うが、エディスはどうしてもそんな風に思えなかった。


「だから彼女を大切にしてくれる君が、我が婚約者に伝えてほしいんだ」


 説得に応じたエディスは言われた通りに席に着き、ラザルスの淹れてくれた茶に口を付けた。

 酸味がありながらもほのかに甘い、果実に似た味がした。

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