本音と建前
「ところで、あの小桃様とはどういう方なんです?」
風見以外にからかわれることに慣れていない稲穂は、話題を変えるためにツンとすまして問いかけた。
「さっき話があったように、偶然今ごろ見つかった大神官の卵だ。例大祭を盛り立てる最高のネタができたって上層部は騒いでるよ。本物か疑う者もいたが、今日の面会で大神官のお墨付きももらえた。これで明日からは宣伝活動に大忙しだな」
風見は皮肉気に笑う。
稲穂にも告げなかったところを見ると、箝口令をしかれていたに違いない。
「それにしたって本当に今更。なぜ気づかなかったのでしょう」
「……あの子はどうも自分の力を隠していたような節がある」
「え?」
「そこはこのお二人のほうがよくご存じだろう」
目で促され、浅葱はこともなげに肩をすくめて言った。
「俺たちの妹分だよ」
「夏野家の姫君ですか」
「いやいや、そうじゃなくて! 妹みたいにかわいがってるってことさ。あの子は貴族じゃない、平民だ」
「……平民が貴族の妹分……?」
「や、こんな都会じゃあり得ないおかしな話なんだけどさ。俺たちがいるのは夏野の領地でも飛び地でね、国境近くなんだ。あるのは山と川と小さい村だけ。こんな都会に出てくることないからさあ、落ち着かなくって!」
あの『山猫のしっぽ』は彼らの故郷の酒場と雰囲気が似ているらしい。
正体を隠し、一時の安らぎを求めているのは、稲穂たちと一緒だったということだ。
「ただでさえ人が少ない場所だからさ、村の連中とはすっかり顔なじみになっちゃうんだよ」
「そうなのですか」
「それっくらいド田舎ってワケ! 信仰もおざなりになってるしね。たぶん、小桃は神々の声とか神力とかなにもわかってなかったんじゃないかなー。なんで当然俺も緋桐様も田舎者です」
「おい、浅葱……」
「稲穂ちゃんが正直にってくれたんです。取り繕ってたらフェアじゃないでしょ?」
浅葱の軽口に、緋桐は青年らしく少し恥ずかしそうに苦笑する。
「……浅葱の言うとおりだ。俺は一等貴族といえど三男坊だからな。貴族の華やかな付き合いも苦手な田舎者だ。今回の件も俺が一番ヒマだから選ばれたんだ」
「いえ、そんなことはありませんよ。緋桐様は稀に見る神気の持ち主であることは間違いありません。一等貴族でなかったら神殿総出でスカウトしています」
「どうせわたしは神気ゼロです」
風見が否定するそばでまたもや稲穂がすねる。
「お前もいちいちめんどうくさいね。そんなんで小桃さんの面倒みられるのか」
呆れ顔で言う風見に、稲穂はいたずら好き猫のように目を細めた。
「本当にわたしにまかせていいんですか? わたしは神官が大嫌いなんです。その上、彼女がいらっしゃったおかげでわたしは本当に『偽物』になってしまいました。その相手にわたしが優しくするとでも?」
その物言いに目を丸くしたのは緋桐と浅葱だ。神殿にいる者が、こんな露骨ないじめ宣言をするとは思わなかったのだろう。
しかし風見はニヤリと笑うだけにとどめた。
「でも適任はお前だ」
「なぜです?」
「神官たちは皆例大祭の準備で忙しい。お前くらいだよ、関係ないとばかりにむくれていられるのは」
「それならわたしが多少意地悪しても、だーれも気が付きませんよね」
「おいおい、神代の相貌をなめるなよ。一癖も二癖もある神々を虜にする器だぞ?」
その余裕顔からは、格の違いをわきまえない稲穂をバカにしていることがよくわかった。当然稲穂の機嫌は急降下だ。
「……よォ~くわかりました。ではさっそく小桃様にご挨拶に参ります。風見様はこれから護符を二百枚お書きになるんですものね。わたしは神官ではないので一枚たりともお手伝いできませんが、どうぞがんばってくださいませ。今日中に仕上げてくださいませんと予定に間に合わなくなりますからね」
「なに?」
稲穂の言葉に、風見はとたんに顔色をかえた。それに少しばかり気をよくする。
「緋桐様と浅葱様もわたくしがお送りいたします。さ、こちらへどうぞ、緋桐様」
「あ、ああ」
稲穂はこれみよがしに優しく緋桐をうながし、にっこりと風見に微笑みかけた。
「では失礼いたします、風見高等神官様」
「こら、稲穂、お前早く戻ってこいよ!?」
「失礼いたします!」
さっさと退出し後ろ手に扉を閉めると、稲穂はふうっと息をついた。これで少し反省すればいい。
くるりと緋桐たちを振り返り、稲穂は作り笑いをやめた。
「緋桐様はお帰りになるのですか? 表玄関までご案内すればよろしいでしょうか」
「ああ、頼む。……稲穂、あなたの気持ちもわかるが、どうか小桃のことを頼まれてくれないか」
緋桐はひどく真剣な面持ちだ。
「我が夏野の領地から栄誉ある人間を出せたことは喜ばしいが、なにか粗相があってはいけない。それに小桃は望んであの力を得たわけではないのだ。戸惑っていることだろう、助けてやってほしい」
妹分というのは本当らしい。
神殿という上下関係の厳しいせまい世界でしか生きたことのない稲穂にとっては、貴族が平民をここまで気に掛けるとは不思議な話だった。
ましてや一等貴族のくせに腰が低い緋桐も物珍しい。
だからつい、稲穂の口からは気安い言葉ももれてしまう。
「アレは冗談です、わたしだって無分別に将来の大神官様に意地悪なんてしません」
「そうか、よかった」
あからさまにホッとした緋桐に、稲穂は美しい笑みを向ける。
「小桃様がわたしにとって都合のいい相手なら、のお話しですけど」
緋桐の顔は一瞬で固まった。
稲穂のとことん上から目線の生意気発言にも関わらず、緋桐は怒ることなく「くれぐれもよろしく頼む」とだけ言い残して神殿を去っていった。
あれを大物というのか、愚鈍というのか、稲穂にはまだ判断がつかない。
人を怒らせるようなことを言って尺度を計ろうとするのは稲穂の悪いクセだった。味方を作る前に敵を作ってどうする、と風見にはよく叱られるが、稲穂はこの方針を変えるつもりはない。
さて、小桃はいったいどんな子だろうか。
稲穂は敵陣に挑むつもりで小桃の下へ向かう。
しかしその意気込みは、本人を前にポッキリと折れてしまうのだった。
「も~~~っ! こんなの覚えきれないってーの!!」
茜高等神官とすれ違い、最初の講義を終えたばかりだと教えられた稲穂は、小桃に与えられた個室を訪れた。
ノックをしようと構えたところで薄い扉の向こうから聞こえたのは、うめき声。
思わずびくっと動きを止めてしまったが、気を取り直して稲穂は声をかけた。
「失礼いたします。小桃様、入ってもよろしいでしょうか」
「あっ、はい! どうぞっ」
ゆっくりと開けた扉の向こうは妙に薄暗い。その先に、ぼさぼさになった頭のまま稲穂を迎えてくれる小桃の姿があった。
「小桃様、どうなさったんです。お姿が乱れているようですが」
「えー、いや、あの。ちょっと、その」
ごまかし笑いをする小桃に、まさかすでに自分以外の誰かから意地悪をされたのではないか、と稲穂の胸に不安がよぎる。
「誰かに何かされたのですか。まだ小桃様の来訪を存じないものもおります、ご無礼を働いたのでしょうか」
「え!? 違いますよ! これは自分で!」
「ご自分で……?」
信仰を守る者として身を取り繕うことには特に厳しい神官たちにとって、だらしない格好は絶対悪だ。その環境に慣れている稲穂には理解しがたい行動だ。
「あ、あの、稲穂さん、ですよね。さっきの場所にもいた」
「はい、これから小桃様の身の回りのお世話をさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
とっさに平静を装い、稲穂はうやうやしく頭を垂れた。するとまたしても小桃は寄声を上げる。
「うわあっ、そんなことしないでください! 稲穂さんみたいな人には特にっ!」
「……あの、なにかご無礼を。何かお気に障りましたでしょうか」
「そういうんじゃなくって! うう、こんなヒトを前に『神代の相貌』とか恥ずかしすぎる。ぜんぜん合ってない」
小桃は頭をぐしゃぐしゃに掻き回し、そのまま部屋の隅にあるベッドに突っ伏した。
どうやら髪や服の乱れはこれが原因らしい。まるで子どもの癇癪だ。
稲穂はあっけにとられ、敵対心もどこかへいってしまった。こみ上げるのは心配だけだ。
「いったいどうなさったというのです」
「ううう、もう消えたい……」
「どうしてです。どうか教えていただけませんか。なにがありましたか」
稲穂はベッドの傍らにひざまずき、小桃へ優しく問うた。
「ううう、女神だァ……。生きてる女神がいるぅ……」
「……ええと。そういう発言はちょっとここでは不敬にあたります」
「あっ、そうか! やばいっ、ごめんなさいっ」
稲穂のやんわりとした指摘にガバッと身を起こした小桃は、至近距離で稲穂と顔を合わせて再び倒れこむ。
「ああっ、もうっ、まぶしすぎるっ!」
「……困った方ですねぇ」
これはまた面倒な相手だ。
稲穂はやれやれと息をつくと、窓を開けてよどんだ空気を追い出し、光をいれた。
「大神殿は広いといえど構造は単純ですので、すぐに慣れますでしょう。よろしければ改めてご案内させていただきます。明日からは茜高等神官様による講義が本格的に始まるとのこと。とはいえ小桃様でしたら何の問題もないかと思います。どうぞご安心ください」
「……ご安心、できないんだよなァ……」
「はい?」
「あ、いえ、その……。独り言です」
やけに大きな独り言だ。かまってほしいくせに自分からはうまく言い出せないらしい。こんなところもまるで子ども。
しかし、これでピンときた。
浅葱の言葉、大神官への態度、あからさまな弱音。
稲穂は開けたばかりの窓を閉め、もう一度小桃の側へ寄った。
「小桃様。わたしは神官ではありません。ここだけの話、あまり熱心な信徒ではないのです」
「え……」
「世俗のことにも多少は通じております。そんなわたしがこの大神殿にいても、一度も神罰を受けたことはありません」
「い、稲穂さん」
「ですから小桃様。ここでなら、正直になんでもおっしゃってくださって大丈夫ですよ。神官たちへの不満でも……わたしの女神に勝る顔への賛辞でも」
そう告げたとたん、小桃のドングリ眼にはみるみるうちに涙が溜まっていく。
「い、稲穂さァあああんっ!!」
よくもまあ素直に感情を出すものだ、と感心する間もなく、稲穂は小桃に飛びつかれていた。
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