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本物と偽物



 静まり返った部屋で、おずおずと、しかしハッキリと沈黙を破ったのは意外にも小桃だった。


「あの、すみません。あたし、よくわからないで連れてこられちゃったんですけど、なんなんですか? 『神代かみよ相貌そうぼう』って」


 小桃はのぞきこむように上目使いに大神官を見た。

 あの眼力おじいさんを前して、おとなしい見た目の割に度胸はあるらしい。


 なかなかやるではないか、と普段の稲穂なら思っただろう。

 しかし今はそれどころではなかった。


 どくんどくんとうるさく響く自分の心臓。 

 

 稲穂の葛藤をよそに、大神官はいつもと変わらぬ様子で言った。


「神の顔だ」

「神の顔……?」

「神のための顔でもある」


 簡潔すぎる大神官の説明に、小桃は疑問符を飛ばすばかりだ。


「要するに、並々ならぬ強い神気を宿す者のことを指します。ご神体である宝玉と同じくらい貴い存在なのですよ」


 風見がにっこりとほほ笑んで補足する。


 神々の宝玉。

 神々がおわした御代において、美とは左右上下前後すべてにおいて対称であることだった。つまりはご神体である玉に通じている。そしてヒトにも同じ美を求めた時、それは骨格からして完全なる左右対称を描く姿にあらわれる。


 魂が骨をつくり、肉をつくり、ヒトを作る。魂の美を有する者は神々から愛され、神官となるべく力を持つと言われていた。

 歴代でもその姿が確認されているのは片手で足りるほど。そしてそのすべてが大神官となった人物だった。


 小桃が知らないのも無理はない。神官学校の中でさえ、ひっそりとおとぎ話のように伝えられていることだ。しかしそれはれっきとした事実だった。


 神官に容姿が優れたものが多いというのも、実はこの説の裏付けになっている。


「それが神代の相貌? あ、あたし、神官になるんですか」


 困惑したようにつぶやいた小桃へ答えたのは浅黄だ。


「そうなる運命に生まれたってことですね。いやァ、この度の件で夏野の領地にいらした神官様は、この子を見て腰抜かしてましたよ」


 浅黄は軽く笑うが、そう簡単に済むことではなかった。


 小桃は今後の神官を総べる者になる、と言われたも同然なのだ。


「まさか生後の祝福で確認できなかったとは。その地域の神官は何をしていた」

「赤子の顔では判断がつかなかったのだろう。力の顕現が遅い例はいくらでもあるからなァ。しかし、これほど強い神気をまとうとは! これからでも神官学校に入ったほうがいいぞ」

「いえ、もう神官として修業を積んだほうがいいんじゃないかしら」

「この例大祭を前にすばらしい人材がみつかりました」


 高等神官たちは本人そっちのけで興奮気味に言い合っている。

 稲穂はその光景を、分厚いカーテン越しに眺めている気分だった。


「あ、あの! その『神代の相貌』って、あたし以外にいないんですか」

「もちろんだ。そう簡単に世に出る人物ではない。あなたは選ばれたヒトだ」


 小桃に黒風が重々しくうなずくそばから、ぎゅっと眉を寄せたのは緋桐だった。


「お伺いしたいことがあります」

「なんなんりと」


「我が領内から才ある者を出せたのは喜ばしいことです。しかし、ここにはすでに『神代の相貌』をもつ者がいるのではないのですか」


 ビクリの稲穂の体が震える。

 

 緋桐は『神代の相貌』が何かを知っている。

 だからあれほど稲穂が神官でないのはありえない、と言い張ったのだ。


 まったく、黙っていてくれればいいものを。


 いらだち、はらだち。

 嫉妬、嫌悪。

 そして悲しみ。


 稲穂は心の内からわきあがるすべての感情を押し殺し、フタをした。

 自分はこの場におかれた調度品。

 ただのお人形。


「ははは、緋桐様。もしや、それはそこにいる娘のことをおっしゃっているのですか」


 黒風は鋭い目に酷薄な笑みを浮かべた。

 しかし緋桐は気にすることなく頷いた。


「わたしが見る限り、彼女は小桃と同じく、いやそれ以上に神々の美を有しています」


「失礼ながら、それは勘違いです。そこの娘、稲穂は、まがい物 ―――――――― まったくの偽物です」

「偽物?」


 いぶかしむ緋桐に、黒風は懇切丁寧に言った。まるで稲穂に改めて言い聞かせるかのように。


「前国王陛下のお孫である緋桐様ならばおわかりでしょう。小桃様から立ち上る神気を。そして、稲穂からはそれがまったく感じられないことを」


 ばっと勢いよく振り向いた緋桐に対し、稲穂は決して顔をそらそうとしなかった。

 ゆっくり鼻から吸って、鼻からはく。

 ただそれを繰り返すだけだ。 

 ただひたすらに平静を装う。


「確かに稀有な面相をしていることは事実です。しかし稲穂は、驚くべきことに一欠けらの才も持ち合わせていない。神々を前にかしずくことも、お声を聴くことも、届けることもできないのです。我々神官の歴史をたどっても珍しい例ですよ」


 何の力も持たない、顔だけの役立たず。


 それが稲穂だった。


「力はなくとも、市井にあっては民を惑わせるだけの迷惑なもの。そこで神殿においているのです。ここでもその美を鼻にかけた厄介者ではありますが……。本物が見つかったのは喜ばしいことです。例大祭においてぜひ民衆の前に立っていただきたい」


「黒風高等神官、そのあたりで」

「おお、これは失礼した、風見高等神官」


 わざとらしく頭を下げる黒風に、風見はふわりとほほ笑んだ。


「どちらにせよ、今から神官の位を授けることはできません。小桃さんには稲穂と同じ、神官の補佐のみをしていだたくことになります」


「そうね、それなら稲穂ちゃんに小桃さんのお手伝いを頼むのが適当かしら」


 並ぶとまるで姉妹のようでかわいらしいわねぇ、とのんきに笑う茜に、大神官は頷いた。


「稲穂。小桃さんにいろいろ教えてやりなさい。風見からの許可は得ている」


「はい、かしこまりました」


 稲穂は瞬きひとつせず、頭を下げた。

 緋桐のよこす視線も、黒風の嘲笑も、小桃の困惑も。


 なにもかもを見たくなかったからだ。





「わたしどもは時折市井に繰り出しては、民がおだやかに日々を過ごしているのかを確認しているのです。残念なことに、あのような場所では信心浅い方々がまだまだいらっしゃいます。そんな彼らにも神の手をさしのべたいのです」

「なるほど。深いお心ざし、感服いたします」


 よくもまァペラペラと。

 稲穂は風見のよくまわる舌と、それを真正面から信じ込んでいる緋桐のヒトの良さににげんなりと半目になった。


 会談を終えた緋桐は、宣言通り稲穂をそのまま帰そうとしなかった。そこへ風見が「お茶でも」と自分の居室へと案内したのだ。

 小桃は茜の計らいで別室にて神官のいろはの講義を受けている。

 

「驚きましたよ、場所が変わればヒトも変わるんですねぇ」

「こら、浅黄」


 浅黄は従者らしくソファに座る緋桐の横に立ったままだ。しかし態度も口調も遠慮がなく気安い。緋桐の注意にも肩をすくめるだけだ。


「緋桐様だってびっくりしたでしょう? 俺としては朗報でした。神殿で粛々として過ごさなければならないものかと覚悟していましたが、稲穂ちゃんに会えるっていう楽しみができましたからね」


 ね、と小首をかしげる様も色男そのもの。


「神官は神官としか結ばれてはいけないって話ですよね。稲穂ちゃんが神官じゃなくてよかった~! 口説けないところでしたよ。ねえ、緋桐様」

「……そのことだが。稲穂さん」


 緋桐はあからさまに緊張した面持ちで稲穂のほうを見た。


「どうぞ稲穂とお呼びくださいませ」

「あー、稲穂。さきほどは、すまないことを」

「なんのお話でしょう」

「その……神官と間違えてしまい……。わたしが余計なことを言ったばかりに」

「お気になさらないでください。黒風高等神官様は事実をおっしゃっていただけです」


 緋桐なりに、稲穂に恥をかかせたと責任を感じているのだろう。

 だがばっさりと謝罪を切り捨てた稲穂は、お茶の支度を終えて風見の背後に控える。先ほどから一ミリたりとも表情筋は動いていない。


「稲穂」

「はい、風見様」

「いい加減になさい」

「ひゃう」


 そんな稲穂に対し、風見はくるりと振り返ると稲穂の頬をつねるという暴挙に出た。


「お前ね、事実を言われてすねるんじゃない」

「だってぇ!」

「笑っちまえばいいだろうが。俺は笑えたぜー、意気揚々と神官学校入学試験に行ったお前がベソかいて戻ってきたときのこと」


 風見はにやっと二人きりのときと同じように唇の端を吊り上げた。


「お耳汚しですが、ちょっと昔話を。この稲穂は訳合って俺の元においているのですが、なにせこの顔でしょう? 今は力がなくとも神官学校に行く年頃になればきっと神力が顕現するものと誰もが思っておりました。しかし、こいつはとことん才能がなかったんですよ」


 あっはっは、と風見は稲穂の仏頂面を引き寄せる。


「バカな。『神代の相貌』と思い描いていたのは、稲穂のような者だとばかり」


 何度聞いても信じられない、といったふうな緋桐に、稲穂はついにカッとなってかみついた。


「バカなって言いたいのはこちらなんです! この人は歴代最年少で高等神官まで上り詰めた男なんですよ! その風見のお墨付きだと鳴り物入りで神官学校の入学試験を受けたというのに、試験前の検査で門前払いくらった屈辱は今も忘れていません、ウソでしょう、勘違いでしょうって何度言ったかわかりません! いいですか、わたしは神官にならないんじゃなくて、なれなかったんです! おわかりですか!?」


 こうなると相手が一等貴族だろうがなんだろうが関係ない。

 稲穂は正直にぶちまけた。


 しまった。

 そう思ってももう遅い。

 稲穂は羞恥に唇を噛みながら空を睨んだ。


「……ぷっ」


 必死になって口元を抑えているが、緋桐の顔はひきつっているし、浅黄はひーひーと声を殺して腹を抱えている。 


「どうぞお笑いになってください」

 稲穂は風見の神官服をぎゅうっと握りこみながら吐き捨てる。


「ふ、はははははっ!」

「……正直な方ですね。本当に笑います?」


 笑えといったのは自分のくせに、稲穂はうらみがましい視線を向けた。すると緋桐はこみあげる笑いをこらえるようにしながらも、くすくすと体を震わせている。


「ああ、すまない! なんだか、思っていたのとずいぶん違う反応で、つい」

 どういう意味だ、とじろりと睨むと、緋桐は弁解がましく言った。


「怒らないで聞いてほしい。酒場での稲穂と、大神官様の前での稲穂があまりにも違いすぎて、どちらが本当なのか測りかねていた。黒風高等神官様は美貌を鼻にかけた厄介者とまで言っていたし」

「あの方はわたしが嫌いなのです。ですが鼻にかけるような半端な顔じゃありません、厳然たる事実です」

「く、ふふっ、そうだな。あなたは美しい。神々も抜きして、あなたは美しい」


 率直な物言いに、稲穂は怒ることもできなかった。むしろ、ここまでハッキリ言われたことに頬を染めてしまったくらいだ。


「ああ、存外に可愛らしい方なのだな」

「………」


 ただの実直すぎる若者と思っていた稲穂の負けだ。稲穂は考えを改め、少しばかり警戒を強めるのであった。


「緋桐様、俺を差し置いて何なさってるんです」


「あっはっはっ。稲穂に手ぇ出そうってんなら保護者通してもらおうか」




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