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再会とウソ


緋桐ひとう様。こんなところにいらしたのですか」


 まるでふわふわの真綿のような優しい声に、ほっと稲穂の緊張がゆるむ。


 臙脂―――― もとい緋桐はさっと居住まいをただし、その声の主に向き直った。


「茜高等神官。道に迷ってしまったのです」

「まあまあ。申し訳ありません、わたくしが庭園なんてご案内するからですね」


 美しいのでご覧になっていただきたかったのだけれど……、と茜は眉尻を下げる。

 彼女がこの度の客の接待役であったらしい。


「いいえ。具合の悪い者がいて、休ませようととつい奥まで来てしまいました。民間人を立ちいれてはいけないと思いながらも、つい。ご無礼お許しください」

「あら大変! どなた? 大丈夫ですか」


 のぞきこもうとする茜から隠すように、緋桐は稲穂を自分の背後に追いやった。

「いえ、ツレのようなもので。外にわたしの馬車があります。もうだいぶ良くなったようなので、そこへまず連れて行きたいのですが」


 稲穂は二人の奇妙な会話を聞きながら首をかしげてしまう。


 緋桐とやらは本気で自分をかばうつもりらしい。それもこんな苦しいウソをついてまで! いったいなんのつもりなのか。


 気持ちはありがたいが、このウソは突き通せるものではない。稲穂は緋桐のウソの軌道修正をすべく動き出した。


「茜高等神官様!」

「あっ!」


 あわてる緋桐を尻目に、稲穂はにっこりと茜に笑いかける。

 すると茜はびっくりしたように目を丸くした。


「稲穂ちゃん! 具合が悪いのはあなたなの? 大丈夫?」

「ええ、こちらの親切な方に介抱していただいたおかげでもうスッキリです」


「な、どういうことだ。おい、お前」

「ご謙遜なさらないで! わたしは大丈夫だと言ったのですが、見捨ててはおけない、ここで会ったのも何かの縁だと、お医者様にまで診せてくれようとなさって……!」

「まぁ! なんて慈悲深い」


 明らかに怪しい言い訳にも関わらず、茜は心底感動したように何度もうなずいた。稲穂が彼女を好きな理由は、こういうところにもある。

 しかし、彼女の何気ない一言は稲穂にとって爆弾にもなる。


「さすが一等貴族の方は違いますね!」

「い、一等貴族!? そんなに偉い方なんですか!?」


 今度は稲穂があわてる番だった。


 カミタチの人口の約三パーセントを占める貴族だが、その中でもさらに一等・二等・三等の三つに分けられる。

 実のところ三等貴族ならば稲穂も見慣れている。彼らは豪商に劣ってしまうほどの金と権威しか持ち合わせていない場合が多く、そういう者にかぎって大枚をはたいて自分の栄誉を願って祈祷しにくるのだ。


 しかし、一等は神の末裔である王族との血のつながりが特に濃い栄誉ある一族に与えられる称号だ。つまり貴族の中の貴族、稲穂の無礼を理由に首をはねることだって容易にできる立場なのだ。


 稲穂の背中に冷たい汗が流れる。


「あ、あの……。では、わたしはここで失礼を……」


 逃亡を決意した稲穂に、茜はさらなる無情な言葉を投げかける。


「稲穂ちゃん、具合がよくなったのなら緋桐様を会議場の大神官様のところへご案内してくれないかしら」

「え」

「緋桐様のお連れ様は応接室でお待ちなの。ここから応接室を通って会議場へ行くと遠回りになってしまうから」

「あー……」

「はい、彼女に頼みますのでお気になさらず。お願いします、茜高等神官」

「お気遣いありがとうございます。じゃあよろしくね」


 ためらう稲穂の肩を、離すつもりはないとばかりにがっしりつかむ緋桐。

 今度こそ逃げられそうになかった。




 にこやかに茜の背を見送ると、緋桐は険しい声で言った。


「で? どういうことか説明してもらおうか」

「……これまでのご無礼、お許しください」

「神々のための場所において、俗の身分など意味はない。気楽に話してくれていい、罰したりはしない。俺が聞きたいのはお前が何者なのかについてだ」

「はい……」


 詰問というには優しい言葉に、稲穂はしおらしくうつむいた。

 しかし何を説明すればいいのかわからない。

 事実といえば、自分は神々など一切信仰しておらず、酒場での言は心底本音で、今この場においても考えていることは逃げる方法だけということだ。

 打ち首だけはまぬがれそうだが、何を言ってもこの信心深い一等貴族を怒らせてしまいそうだ。


 一方で、甘いとは思いながらも、緋桐はさっきまでの憤りが消えていくのを感じた。稲穂がまるでいたずらをした子どものように見えたからだ。これでは怒るに怒れない。

 緋桐はしかめていた顔をゆるめ、稲穂の背を軽く押した。


 足を進めながらも口を開こうとしない稲穂のかわりに、緋桐は気遣うように言う。


「……お前はやはり神官だったのだな。占い師などおかしいと思った。おおかたバレないようにあんなふるまいをしていたのだろう」


 神官というのもなかなか気苦労が絶えないのであろうな、といたわると、稲穂は即座に首を振った。


「いえ、わたしは本当に神官ではないのです」

「ん?!」

「まあ占い師でもないんですけど」

「なに? どういうことだ?」


 せっかく落としどころを見つけたというのに、緋桐はまたもや困惑した。

 稲穂としても心苦しいが、ここは正直になるしかない。

 このわずかな時間ではあるが、緋桐はとてもいいヒトだとわかったからだ。


「わたしは神に仕える神官ではなく、神官に仕えるただの民間人なんです」


 そういうと、緋桐はまじまじと稲穂の顔をのぞきこんだ。見惚れているのではなく、観察する目つき。稲穂が気まずくなって目を伏せると、緋桐は眉根を寄せて言い切った。


「いや、ありえない」


「あ、ありえないっておっしゃられても」

「その顔で神官でないなんて、ありえない。俺は酒場で見たときから妙に思っていたんだ」

「確かに神官は容姿が良いものが多いですが、それだけでなれるワケではありません」


 稲穂が若干の呆れを交えて答える。だが、緋桐はより一層真剣な顔つきで言った。


「そうではない。はぐらかすな」

「はぐらかすつもりはありません……。つきました、こちらです」

 

 会話を断ち切るように、稲穂は重厚な扉を前を手で示した。

 こんこんこん、とノックをすると、中から「どうぞ」と返事が聞こえた。


「……あとで必ず話をさせてもらうぞ」


 低い声でつぶやく緋桐に聞こえないふりをして、稲穂は扉を開ける。

 そこにはいつも通り奥の席に座る大神官と、茜をのぞくすべての高等神官がそろっていた。

 相手が相手なだけに、神殿側も最高の礼を尽くすのだろう。


 一瞬目があった風見は、稲穂の背後にいる緋桐を見ても微動だにしなかった。

 しまった、緋桐のほうは風見に気が付くか。肝が冷えた稲穂だったが、緋桐は体をこわばらせただけで耐えてくれた。ここで騒ぎ立てるようなマネは控えてくれたらしい。


「稲穂です。お客様をお連れいたしました」

「一等貴族、夏野なつの家緋桐と申します」


「大神官を務めます柊でございます。ようこそおいでくださいました」

 大神官は立ち上がり、歓待の意を示す。


 稲穂は緋桐のために椅子を引いて座らせたのち、そのまま頭を下げて部屋を出ようとする。しかし、それを大神官自らが止めた。


「稲穂。ここにいなさい」

「え?」


 聞き返しても大神官は黙ったままだ。説明することはないらしい。稲穂はそれ以上余計な口は利かず、部屋の隅で待機することにした。


「このたびは栄誉ある役にお選びいただき、感謝の極みです」

「こちらこそ快く引き受けてくださり、ありがたく思っております。こうして直にお会いするのは初めてですが、あなた様でしたら例大祭において立派に神々の憑代をこなしていただけるでしょう」


 大神官に追従するように、高等神官たちも頷いている。


 その様子で稲穂は緋桐がなんのためにここいるのか気がついた。


 大神殿における最大の祭祀が、五年に一度の例大祭である。

 神官の祖とされるヒトは、神々と出会い、これからヒトの生が続く限り崇め敬い続けることを誓ったという。例大祭はそのシーンを再現し、また新たに神々に対し誓いをたてることを目的としていた。


 そこで必要なのは二人の役者。神官の祖と神の役だ。

 神の役にはその血を引く王族が最も望ましいといわれているが、ここに緋桐がいるということは、彼も少なからず貴い血を持っているのだろう。


 そうか、今年がそうだったか。

 珍しい客に納得する一方で、わからないのは稲穂をここにとどめた理由だ。

 さすがに話題の女神官であっても大例祭への出席は許されないだろう。


 ならば、なぜ?


 風見をうかがっても、彼はおだやかにほほ笑んで緋桐と会談しているだけだ。あの様子からすると、緋桐が誰なのかを酒場で会ったときから見破っていたのではないだろうか。

 まったく意地が悪い、教えてくれてさえいれば、こんなにあわてることはなかったのに。


 心の中でそんな恨み言を並べていると、外からノックの音がした。


「ご案内が遅くなり申し訳ございません。さあ、どうぞ」


 遅れてきた茜が連れて入ったのは、やはり酒場で会った浅黄という男だった。反射的に顔をふせるが、浅黄はめざとくも稲穂を見て、そして次に風見を見た。この男は緋桐よりも物わかりが良いらしく、にこやかな笑みをつくったまま表情を崩さない。


 そしてそのあとに続く小さな人影かもう一つ。 


「一等貴族夏野が次男、緋桐の従者でございます。大神殿の召喚に伴い、自領からこの者をお連れいたしました」

 

 頭からすっぽりとマントをかぶった人間を、浅黄が舞台役者のようなしぐさで紹介する。


 いったいなんの茶番だろう。

 稲穂は眉をひそめるが、気づけば大神官たちの目線は小柄な謎の人物へと集まっていた。よほどの重要人物らしい。


「あ、あの……ご挨拶申し上げます。小桃こももです」


 意外にも細くかわいらしい声に、稲穂はそのヒトが女の子であることに気が付いた。自分と同じか、少し下くらいか。


「顔を見せてもらえるだろうか」


 大神官に頷くしぐさをみせると、彼女はゆっくりとフードを上げた。


 その瞬間、稲穂は愕然とした。

 

 肩口までの髪と同じ茶色の丸い目は、好奇心の強いリスのよう。

 小さな鼻はつんと上をむいてちょっと小生意気。

 唇は丸く口角がきゅっとあがっている。


 幼さが残るかわいらしい女の子だ。


 しかし、この場においてそれは単なる後付の評価でしかない。

 目鼻、口元、そのほか耳や眉、頬の高さに至るまで、彼女の顔立ちは完全なる左右対称を描いていた。


 つまりそれは、稲穂の顔立ちの最たる特徴と同じ。


 稲穂に感じ取ることはできないが、きっと大神官たちは違うのだろう。まばたきも忘れて目を見張り、茫然と彼女に見入っている。


「これが、『本物』の『神代の相貌』か……!!」


 黒風の感嘆の声がすべてを示していた。






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