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祈りの言葉




 翌朝、神官服を身にまとい午前の祈祷の準備をする風見に、稲穂はおずおずと話しかけた。


「怒ってます?」

「なにに?」

「……わたしが、昨日あの身なりのよいヒトにつっかかったこと」


 酔いもすっかり覚めてみれば、稲穂は自分の軽率さを情けなく思った。『山猫のしっぽ』にとってもメジロにとっても大切なお客様に対しひどいことを言った。他の常連客たちも迷惑だったことだろう。

 そして師匠という立場にいる風見にも。


 もう風見はあの大好きな場所に連れて行ってくれなくなるかもしれない。

 そんな不安から切り出した稲穂だったが、意外にも風見はお仕置きのげんこつ一つも落とさなかった。


「怒ってねェよ」

「え?」

「山猫の連中は神殿嫌いだ。だから占い師なんてのが受け入れられるんだ。あの熱血漢、お前がからかわなくても誰か他の客につっかかってたさ。矛先がお前にむいたおかげで穏便に済んだ」


「で、でも。皆さんの迷惑になってしまいました」

「まァ挑発しすぎってのはあるな。山猫はみんなお前びいきだから守ってもらえたんだ。外じゃどうなるかわからない。多少は我慢を覚えるんだな」


 一部のすきもなく身支度を整えた風見は、ぽんぽんと稲穂の頭をなでた。


「近々また連れて行ってやる。メジロちゃんだって怒っちゃいねえよ」

「……はい」


 風見は稲穂が一番気にかかっていたことを言ってくれた。風見はいつもこうだ。いつもはつまらないことで怒るくせに、本当に稲穂がへこんだときにはさっとすくいあげてくれる。

 おかげで沈んでいた気持ちが少し浮上する。


「じゃあ、俺は行ってくる」

 風見は一つ目をつぶり、高等神官としての顔をつくった。

「いいですか。大事なのは忍耐です。他の神官たちともめることのないよう過ごすのですよ」

「はい、風見様」


「神官とも適当な距離をおき、男を便利に使わないこと。挑発されたからといって過剰攻撃しないこと。いいですね?」

「……ン?」

「返事しろ、返事!」




 神官の一日は祈祷に始まり祈祷に終わる。

 祈祷の目的は神々へ世の安寧を願うことが主だが、それと同時に自分の持つ神力を高めることにあった。


 神力とは神々の声を聞き、こちらの言葉を伝え、神々の力を受け取る力のことだ。それは個々人によって大きく異なる。ほぼ先天的な才能で、鍛えてどうにかなるものではない。


 そのため位を上げるには神官として徳を積んだかどうかが重要視される。

 しかし三等神官、二等神官、一等神官と順調に昇格していったとしても、そのうえの高等神官になるには一定以上の神力が必要であるとの暗黙の了解があった。


 神力の有無は神官によって判断される。各地に点在する神殿では、毎年生まれた子に祝福を授ける。その場で神力が見いだされればその子の将来はほぼ確定だ。

 とはいえ、選ばれた子たちが持つ神力の量までは計れない。力が強い者と弱い者、最初から限界量の力を出せる者とそうでない者、様々だ。


 神官たちは一心に祈ることで、自分にまだ眠っているはずの力を引き出そうとしているのだ。

 実際に日々の祈祷中に神々の言葉を受け取り、大神官まで上り詰めた神官の逸話もある。




 しかし稲穂にはまったくもって関係のないことである。




 掃除、洗濯、炊事といった仕事は三等神官の役目だ。しかし万年人手不足の上、ただでさえ広い敷地を有する大神殿においては、その雑事の多くは民衆の奉仕によって支えられていた。

 稲穂は風見の従者ということになってはいるが、風見が神官として忙しくしている間はこの奉仕活動に励んでいる。いくら信徒とはいっても大神殿の内部に入れる者は限られるので、その制限のない稲穂は重宝されているのだ。

 

 箒とちりとりを手に稲穂が向かった先は中庭だ。


 この大神殿はカミタチが成り立ってすぐに作られたといわれる大がかりな石造りの建物だ。

 もちろん後年新たな技術を使い、よりヒトの住みよい空間に作り替えた部分が多い。しかしどういうわけかこの中庭は、設計ミスの産物としか思えない妙な場所にあった。

 通路と通路の隙間、四方を囲まれているので、真上から日が当たらない限りいつも陰っている。生き物のいない丸い池があるだけの狭い庭だ。


 それでも稲穂はここが大のお気に入りだった。

 誰も来ないし、静かだし、庭に降りるための廊下とつながる階段はちょうどいい椅子になる。


 稲穂は箒を投げ出し、さっそく腰を下ろして目を閉じた。

 ここには掃除をしにきたのではない、休憩に来たのだ。


 遠くから聞こえてくる祝詞は、まるで歌のようだった。神官は嫌いだが、これを聞くことは別だ。

 ゆったりとした調子で水の波紋のように広がる古い言葉。

 とろとろとまどろむように心地いい。


 大ホールには大神殿にいるすべての神官が集まり、口ぐちに祈りの言葉を唱えてはご神体である宝玉にひざまずいていることだろう。

 

 そんな姿を想像しつつ、稲穂はきちんと背筋をのばし、両手の指をからませあった。

 きちんと習わずとも毎日聞いていたらいやでも覚える祝詞を、稲穂も口の中で転がすようにを唱えてみる。

 すうっと頭の芯に何かが走る。

 自分と世界の境界線があいまいになる。


「……ふっ」

 そのまましばらくじっとしていたが、稲穂は自嘲気味に息を吐いて目を開けた。

 何も聞こえない。

 何も届かない。

 何の奇跡も起きなかった。


「神様なんて、どうせこんなものです」


 だってほら。神罰だってあたらない。

 神々なんてとうの昔に消え去ったものなのだ。


 まったく、それをわかっていながらどうしていまだにこんな無駄なことをしてしまうのだろう。


 稲穂は息をついてから立ち上がった。これ以上仕事を投げておくわけにはいかない。


 箒を拾って立ち上がると、誰もいないはずの廊下からコツコツと硬質な足音が聞こえてきた。

 神官は柔らかい皮の編み上げサンダルを履いている。こんな音は響かないはずだ。

 不審に思いつい立ち止まると、足音はどんどん近づいてくる。


 身を隠す間もなくまがった角から現れたのは、詰め襟の簡易礼服をまとった背の高い若者だった。

 きりりとした意志の強そうな眉、がっしりとした体つき、神官でないのは明らかだ。


 正面切って会ってしまったのだから今更逃げるわけにもいかず、稲穂は静かに声をかけた。


「もし。こんなところへどのようなご用件でしょう」


 仮にも神聖な場所とされているため、一般人は神殿の内部には入れない決まりとなっている。役人を通す場合も手前の応接室で応対するのが通例で、こんな奥まで来る客人はいないはずだ。

 いぶかしむ稲穂にイヤな顔ひとつせず、若者は鋭い目を恥ずかしそうに細めて言った。


「ああ、すまない。迷ってしまった。申し訳ないが案内を頼めないだろうか」


 ちょっと威圧的な容姿のわりに実直な人柄がうかがえる。嘘をついている様子はない。

 立派な身なりと上に立つことに慣れた物言いからして、彼はいわゆる上流階級の人間に違いない。さらなる名誉を求めて多額の寄進をしていく貴族は少なくない。彼もきっとその類だろう。

 つまりは金づるだ。

 ならば精一杯愛想良く振る舞うとしよう。そう決めた稲穂はにこやかにほほ笑んだ。


「さようですか。どうぞ、こちらへ。表までご案内いたします」

「ありがとう……………んっ?」


 素直に稲穂のあとに続こうとした若者だったが、いきなり動きを速め正面に回り込んできた。

 稲穂は若者の奇行に思わずビクっと肩をすくめてしまう。


「あの、何か」

「お前、あのときの!」

「はい?」

「なぜこんなところに……!? なぜお前はここにいる!?」


 若者は突如鬼気迫る表情で稲穂の華奢な肩をわしづかんだ。


「なんのためにもぐりこんだのかは知らないが、即刻出ていきなさい」

「出ていけ……とは。あの、おっしゃっていることの意味が」

 わからない、と続けようとしたところで、彼は稲穂に大きな爆弾を落とした。


「ここはお前のような不信心な者がいていい場所ではないぞ、占い師」


「………えぇっ!?」


 まじまじと顔をみれば、赤い瞳と目があった。昨日酒場で出会ったおかしな二人組の片割れだ。不恰好な眼鏡がないせいでまったく気づかなかった。


 予想だにしない事態に稲穂の頭は真っ白になる。


 それを正体を見破られた衝撃と見たのか、臙脂と名乗っていた若者は大きなため息をついた。


「しかたない、俺が一緒に謝ってやるから来なさい」

「あっ、ちょっと、ちょっと待ってくださいっ」


 このままでは本来彼をもてなすはずの神官に見つかることは必至だ。

 そうなれば自分と風見が占い師と名乗って遊び歩いていることも暴露されてしまう。

 ヒトのいい茜であればなんとかごまかせるかもしれないが、万が一黒風にでも見つかれば神殿にいられなくなるかもしれない。


 身一つで追い出されるみじめな姿が脳裏に浮かび、最悪のシナリオを避けるために稲穂は必死で言い募った。


「ひ、人違いですっ」

「なんだと?」

「わたしは神殿の人間ですよ、占い師などとよくわからない言いがかりをつけないでください」


 しかし臙脂はしかめ面で首を横に振った。


「バカなことを言うな。正直に白状せねば、かばってやることもできんぞ」

「何を根拠にそんなひどいことをおっしゃるのです。わたしは神々にご奉仕する身だというのに」

「下手な芝居はやめろ! お前のような容姿の人間が他にいるわけがないだろう」

「あー、もう、確かにわたしの美貌は稀有ですけれどォ!」


 神官として人前に出るときは厳重に顔を隠すため、あえて素顔をさらしてうろついていたのだが、そんなことが今首をしめるとは。


 うまく言い逃れることもできず、稲穂は臙脂に廊下を引きずられる。

 どうしよう、どうしよう!


 なんとか自分の腕をつかむ臙脂の手を外そうと試みるが、倍はある大きい手はびくともしない。子猫がひっかいているほどの痛みも受けていないだろう。


「いやです、いやです! 離してください」

「おとなしくしろ! 俺が無体を働いているようだろう」


 もはや逃げることしか考えられず、騒いで見つかるという危険を稲穂はすっかり忘れていた。






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