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酒場での一悶着



 騒がしくも和やかに時間が過ぎる中、不意に稲穂は異変を感じた。


「んっ」

 急に頭に走った鋭い痛みに、稲穂はフォークを取り落してしまったのだ。


「稲穂?」

「お弟子さん? どうしたの?」

 たまらずこめかみを抑えた稲穂を、風見とメジロが気遣うが、その痛みはすでに消えていた。

「……いえ、なんでもありません」


 飲みすぎたか、と稲穂は目をしばたたかせる。それを不思議そうに見ながら、メジロは扉の開くベルの音に素早く反応した。


「はーい、いらっしゃー……いっ!!」

 ばっとメジロは稲穂の背にしがみつくようにして隠れこむ。

「お、お弟子さん、お弟子さん! あの人、あの人!」

「おや、噂をすれば、ですね」


 きらりと目が光った稲穂に、風見はうんざりした様子で問いかけた。

「なんの話だ?」

「お師さま、メジロ様の恋の応援ですよ」

「ああ、そういう……」


 戸口には二人の若い男が立っていた。不格好なほど大ぶりな眼鏡の男と、女好きのするやわらかな笑みを浮かべて手を振る男。二人とも背が高く、こんな酒場に場違いなほど身なりがいい。

 この二人であれば、ふさわしいきれいな酒場がいくらでもあるだろうに。

 そんな疑問をよそに、彼らは慣れた様子で隅の席に座った。


「堅物そうなほう? 軽薄そうなほう?」

 こそこそと問いかけた稲穂に、メジロは小声で言い返した。

「もうっ、変な見分け方しないでっ! まじめそうなほうよ」

「ふぅん。ほら、行ってきてはいかがです」

「うぅ、緊張するぅ」


「あっ、メジロちゃーん! 麦酒二つねー!」


 もたもたしている間に軽薄そうなほうがさっさと注文を出してしまった。気取ったところはまるでなく、こういった場所での過ごし方を心得ているように見えた。


「は、はーい! すぐに!」

「気負わずにさりげなく。でも愛想はよく、ですよ」

「うんっ」


 メジロはよしっと意気込むと厨房へ駆けていった。

 ハラハラしてしまうが、それは気のいい他の客達も同じなようだ。誰もかれもがメジロを目で追っている。


「ひっくり返すんじゃないか心配だな」

「えぇ、まったくです。お師さま、なにか恋愛成就のいい呪い(まじない)御存知ありません?」

「基本恋愛禁止の神官がそんなの知るワケないだろ」

 呆れたように言う風見をつっつきながら、稲穂はメジロの背中を見守った。


 ちょっとじいっと見守りすぎてしまったのだろう、熱視線に気づいた軽薄そうなほうがこちらを向いた。


「あれー? 君、初めて会うね」


 そして稲穂の顔を真正面からみとめて、外見にあわない下品な口笛を鳴らす。

「うわぁお、こんなとこに不釣り合いなほどの美人だねぇ!」

「こら、浅葱あさぎ! 失礼だろう」

「いやだって見ろよ、臙脂えんじ。やぁ、古の女神さながらの美しさ。よければこちらで一杯どうかな?」

 臙脂と呼ばれたまじめそうなほうが浅葱を叱るが、彼は反省どころかナンパまでしかけてきた。


 それに怒ったのはメジロだ。

「こんなとこで悪かったわね! お弟子さんに迷惑かけないでよねっ」

「あぁっ、ごめんごめん! メジロちゃん、機嫌なおして!」

「すまない、俺からもよく言っておく」

「あっ、えっ、その……!」

 取りなす臙脂にうろたえるメジロの露骨な態度に、浅葱は稲穂にむかって肩をすくめた。そして自分の麦酒を手に立ち上がると、カウンター席に近寄ってくる。

 

「あっちはあっち、こっちはこっち! ねェ君、お弟子さんって?」

「俺の弟子だよ」


 ごん、とわざと音を立ててジョッキを置いた風見に、ようやく彼の存在に気づいたらしい浅葱は目を丸くした。


「おおっと、失礼。ちょっと女性しか俺の目にはうつらないもので」

「そりゃ難儀な目だな」

 浅葱はナンパが大失敗に終わったというのに、まったくもって明るい笑顔でこたえてみせた。


「えェ、まったくで。ところで、お兄さんはなんの師匠なんだい?」

 風見もことを荒立てる気はないようで、稲穂をはさみつつ和やかに会話を続ける。

「占い師だよ」

「へェ、占いか。そういうのって神官がやるもんじゃないの?」 

 浅葱は不思議そうに首をかしげた。そうすると彼の茶髪がさらりとゆれて切れ長の形の良い目にかかる。


「地方の町の神官はそういったことも行うと聞くがな」

「へ~! 俺田舎者だから知らないんだよ。ね、お弟子さん、いろいろ教えてくれない?」

 さりげなく手をとろうとしてきた浅葱をかわし、稲穂はベーコンを噛みながらうなずいた。


「ここの方々は皆親切ですから、喜んで教えてくださいますよ」

「君のその甘い声で教えてほしいんだよ。俺のところじゃ神官ってのは子どもに勉強教えたり占いやったり祈ったりしてるけど、王都の神官は何してるの?」


 稲穂が口を開く前に、さきほど風見に占ってもらった仕立て屋が不満そうに言った。

「気位の高い王都の神官にはもっと大きな仕事があるんだとよ。日がな一日お祈りさ。ちっともこっちのためになることはしちゃくれねぇよ」


「そう、その通り! 自分を高めるための祈祷をして、神の声を聞こうとするばかり! ご立派な神官様よりお師さまのような一占い師のほうがよほど役に立っています」

 うんうん、と稲穂がうなずく。


「それは聞き捨てならないな」


 ぱんっと空気を断ち切るような鋭さで会話に立ち入ったのは、一人で酒を飲んでいた臙脂だった。


「神官とは創始の神々に仕える崇高な役を担う者だ。ましてやその最高峰たる王都の神殿の神官に対しあまりにも非礼が過ぎる」

 席を立った臙脂は、大股で稲穂たちに歩み寄りながら語気荒く言った。


 間近で見れば見るほど衣服の質は高く、感情がたかぶっていながらも振る舞いには品がある。この辺りをうろついている若者ではありえない。

 通った鼻筋、形の良い唇、これなら女はほうっておかないだろう。だが、それも眼鏡で台無しだ。メジロの古の神々に並ぶ、というのはやはり言い過ぎだった。

 そう思えばクスリと稲穂の口からかすかに息が漏れる。


 悪い癖だとはわかっている。

 だが稲穂の神殿嫌い、神官嫌いは筋金入りで、こうして神々を盲信している者を見ると我慢が利かなくなるのだ。


「おい」

 また問題を起こす気だな、と風見が視線で咎めてくる。

「ごめんなさい、お師さま。でも、つい」


 その含みのある態度がまた臙脂をあおる。


「何がおかしい?」

「いえ、とんだ失礼をいたしました。熱心な信者の方でいらしたんですね」

「カミタチの民ならば誰もがそうだろう。あなたは違うようだが」

「ええ、ですので占い師の弟子なんてやっております」

「嘆かわしいな。それで誇りはないのか」

「誇り! ふふふ、あっははは!」

 稲穂はこらえきれなくなった笑いを爆発させた。


 さきほどから聞いていればこの男は、お手本のようなカミタチ国民らしい。神々への感謝と祈りを忘れない。その体現者たる神官を尊敬している。

 実態を知る者からすればこれほどおかしいことはない。

 これが素面であれば適当にいなしているところなのだが、今はしこたま杯を重ねていた。稲穂の舌は止まらない。


「今までさぞやすばらしい神官たちにお会いしてきたのでしょうね! ああ、うらやましい。そうすればわたしもあなたのような考えが持てたでしょうか」

「王都にいながら何を言う。最近では強い神力を持つ女神官も現れたと聞いている」

「ああ、美人って評判のね。でも占い師さんには及ばないと思うな」

 浅葱の軽口に稲穂は苦笑いだ。

「そうですね、わたしには及ばないでしょうね。……実力も」

「貴様っ!」


 よほど腹が立ったのだろう、臙脂は稲穂のローブの襟口を掴み無理やり顔をあげさせた。見下ろされる屈辱に耐え、稲穂はひるむことなく臙脂の目を見返す。眼鏡の厚いレンズの奥には、赤い炎のような瞳があった。


「聞いていれば、貴様はなんという不敬な、こと、を、ぺらぺら、あ、い?」


「……はい?」

 先ほどまでの舌鋒はどこへやら、臙脂はとたんに口ごもり、視線をうろうろと彷徨わせ始めた。

「あー、いや、失敬。女性にする振る舞いではなかった。すまない」

「いえ……」


 離れた手に、襟口を直しながら稲穂は咳払いをした。

 どうしたものか、と風見を仰ぎ見るが、なぜか風見は何か思案しているような顔で稲穂を助けようとはしなかった。自業自得だといいたいのだろう。


「こほん。えー、別に痛くもなんともありませんので、どうか穏便に」

 ちらりと稲穂が周りを見れば、店中が俄かに殺気立っていた。


 客はもちろんのこと、店主もいつの間にか厨房から出てきて睨みをきかせている。その手には不気味な肉切り包丁がある。


「おい、あんたは新参者だからまだのここのルールがわかっちゃいないんだろうが、次はないぜ。この占い師とお弟子ちゃんに手を出すようなことがあれば、店の連中全員で叩き出すからな」

 大工の棟梁として鍛えたどら声に不穏なひびをこめて常連客の一人は言った。

 これが店の総意だとでも言いたげに、店内の雰囲気はものものしいものに変わっている。


「あーあ、まったく臙脂は失礼なやつだ。ごめんね、お弟子さん。こいつ、ちょっと熱心すぎる信徒でさ。酒の席で話すことじゃないってのに」

 とりなすように言った浅葱に、稲穂は便宜的に頭を下げた。


「いえ、こちらこそ失礼なことを。申し訳ありません」

「えっ! あ、いや、申し訳ないのはこちらで……」

 どもりながら言う臙脂はまるで別人だった。短い髪からのぞく耳が、名前と同じく真っ赤になっている。


 不振な顔をする面々に、浅葱はハハッと軽く笑う。

「挙動不審だけど大丈夫、こいつ女に耐性ないだけだから! あんたがあんまりきれいなんで見惚れちゃってんだよ」

「浅葱っ!!」


 詰め寄っておいて何を今更、と稲穂は呆れてしまう。しかしすぐに意識はそれた。

「ううう、お弟子さぁーんっ」

 メジロがうらみがましくおぼんに歯を立て、こちらを睨んでいたからだ。


「わたしに見惚れるのは自然の摂理ですからお気になさらず……」

「騒ぎ立てたお前が悪いな。さて、引き上げ時だ」

 そう言って杯を干した風見は腰をあげた。


 気づけば真夜中、明日も朝から神に祈らなくてはならないことを考えれば、帰らなくてはならない。


「うわあ、もうそんな時間か! 占い師、おれはかみさんになんて言えばいいんだっけ?!」

 重たい空気を吹き飛ばすように、おどけた声を上げてあわてる仕立て屋に笑いが集まる。風見はぴたりと相手を見据え、唇の端を吊り上げる。


「明日仕事に出る前に一言、ありがとう、と。それであなたの未来は明るく指し示されるでしょう。では皆様、ごきげんよう」


 風見は芝居がかった仕草でローブを翻し、稲穂を従え俳優のように一礼した。






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