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秘密の時間




「なあ、知ってるか? 今話題のものすごい美人の神官」

「あぁ? 男にゃ興味ねぇよ」

「いや、男もだけど、女もいるんだよ。いわく、女神のごとしって評判なんだぜ」

「へぇ、そんなのいるのか」

「なんでもこの春から出てきたって話だ。神力も強くって、いずれは大神官かもなんて言われてるんだぜ」


 オレンジ色のランプの光がすでに赤くなりつつある男たちの顔を照らしていた。老いも若きも、今日の仕事の満足感とこれからのお楽しみに笑みが広がっている。

 噂話を肴に酒を飲んでいると、不意に涼やかな声が邪魔をした。


「美人神官ですか? そんなの知ったことではありません」


「おっ、待ってましたぁ!」

 アルコールがまわり始めた頭でが鳴り声をあげる客たちは、威勢のいい美少女にグラスを掲げた。

「そうだそうだー! 我らがお弟子ちゃんの敵じゃねーぞー!」

「お弟子ちゃんのがよっぽど美人だー!」


「神様なんてよくわからないもの拝むより、即実現実、いまこのときを有意義に過ごしたほうがいいのです!」

「そうだそうだー! 高い金だして頭下げても助けてくれない神様なんて知るかぁ!」

「そこの占い師のがよっぽど役に立つぞー!」


 どれ一杯、そら一杯、と貢がれる蜂蜜酒に、少女は丁寧に頭を下げて受け取りながら次々に杯を干していく。


「ありがとうございます。お師さまが大サービスしてくださいますよ。占ってもらうなら今です!」


 びしっと少女が指さした先では、見目の良い若い男がのんびりと杯を傾けていた。


「よっしゃあ、頼むぜ占い師! 今朝カミさん怒らせちまったんだ、なんとかしてくれェ!」

「俺は護符書いてほしいんだよォ、今度買い付けがあるんで旅守りがほしんだ」

「へいへい、占いも護符もなんでもやるよ。だがなァ、報酬の酒は俺にまわせよ。なんで弟子のほうばっかいってんだよ」

「そりゃ男に貢ぐよりかわいい子に貢ぎたいだろ」

 至極当然とばかりな返事に、占い師―――――風見は苦笑した。


「ごもっとも。だがまァとりあえず俺にも麦酒追加! あとベーコン出してくれ」

「あっ、わたしも食べたいです」

 ひょいと口をつっこんだ稲穂に、夫婦喧嘩中の仕立て屋は脂下がった笑みを浮かべた。


「お弟子ちゃんが食べたいなら仕方ねェなァ」

「お師さま、占いがんばってください!」

「まァったく、ここの連中はァ……」


 グラスのぶつかる音、おぼつかない足音、笑い声。雑多な音が散乱する狭い店内の奥からは、看板娘の気の抜けた返事が返ってくる。

 王都のメインストリートから何本も外れ、奥の通りのそのまた奥にある場末の酒場『山猫のしっぽ』はいつでもこんな具合だ。


 会議の結果、次回の稲穂の祈祷会出席を回避できなかったことがバレ、稲穂は盛大にふてくされた。

 そんな稲穂の機嫌をとるために、風見は久々のお楽しみに彼女を連れてきたのだ。

 ここでは風見は謎の占い師、稲穂はその弟子ということで通っていた。神殿での堅苦しい日々をひと時忘れ、好き勝手に過ごせる唯一の時間だ。


 国の信仰の拠り所である王都神殿のおひざ元では怪しすぎる二人組だったが、この粗末な酒場にはお似合いだった。


 肌を出さない神官が、あえて顔をさらす。そうすると意外とばれないものだし、こんなところに来る連中はそもそも神殿に顔を出さない。


 月に一度か二度の頻度で訪れては、占いの報酬として酒を飲んでいく。ここ数年ですっかりなじみになった彼らは酒場の密かな名物として扱われていた。


 稲穂は常連客に一通りあいさつを終え、定位置であるカウンター席に落ち着いた。

 樽をひっくり返しただけの椅子だが、なかなか安定感があって座り心地は悪くない。

 この席からにぎやかな店を見わたし、風見が占いをしたり賭けた料理を奪ったりしてくるのを待つのが稲穂は大好きだ。


「ねぇお弟子さぁん、あたしの恋占いしてよ。どうせまた向こうは占いほっぽりだして賭けカードはじめちゃうんだから。はい、前払い」

 中身があふれそうなグラスを器用に持って寄ってきた看板娘のメジロの姿に、稲穂は機嫌よく彼女を招いた。

「えぇ、もちろん! メジロ様、どうぞこちらへ」

「きゃー! うれしいっ」


 メジロは稲穂と同じくらいの年の女の子だ。夜の仕事の手伝いをするためあまり友達がいないらしく、稲穂にはいつも好意的に接してくれていた。

 友達がいないのは稲穂も同じだ。客と店員という立場ながら、二人は特別仲が良い。


 あかぎれだらけの自分と同じ人間のものとは思えないほど滑らかな手にひかれ、メジロは興奮気味に稲穂の隣にすわった。なにやら蜂蜜とは違う甘やかな香りが漂ってくる。

「失礼します」

 稲穂はメジロのこげ茶色の目を覗き込んだ。


 そして開口一番、稲穂はずばりメジロに言い切る。

「ふむ。今、気になる方がいらっしゃるのですね」

「えっ!!」

 ソバカスのちった頬がぱっと赤らんだ。


「それはあなたの生きる道の近くにいるのに、交わったことのない遠い存在……」

「きゃああ、どうしてわかるの?!」

「わたしの目は力を宿しているのです。ふむ……。なるほど、出会いはあなたの生活に密接する場所、そうですね?」

「そう!」

「ずばり、この店! そして相手はお客様!!」

「きゃああああ! すっごおおい!」


 なんてね。

 感激のあまり抱きついてくるメジロをあやしながら、稲穂は内心舌を出していた。

 若い娘がわざわざ風見ではなく自分に占いを頼んできたことから、その内容はすぐさま恋愛事情だと知れる。

 それに酒場の娘であるメジロは昼夜逆転生活を余儀なくされており、まず昼間の人が多い時間帯に出会いはない。となれば、おのずと条件は限られてくるのだ。


「おー、さすがだなぁ、お弟子ちゃん!」

「師匠におとらずよく当たるよなぁ」

「俺も見てもらいてぇなぁ、メジロ、早くかわれよ」


「うるさいわね、まだいいでしょ!」

 メジロは野次に言い返しながらきゃあきゃあと騒いで自身も酒をのんだ。こうなるとアルコールと恋心、どちらではしゃいでいるのかわからない。


「ねえ、どうしたらいいのかな。うまくいく? それとも悲恋で終わってしまう?」

「それは先が幾重にも分かれていて、まだ先はわたしの目でも曇っています……。しかし、あぁ、向こうはあなたの恋心をご存知ない。それどころか、あなたをよく知らない」

「うっ、やっぱり……」

 しょんぼりとうつむいたメジロの肩をつかみ、無理やり視線を合わせて稲穂はわざとらしい演技で言いよどむ。


「うん? これは……。見えます、彼がメジロ様のことを知らないのも無理ありません。あなたが隠しているからです」

「ああっ、そうなの! 恥ずかしくってとてもじゃないけど言えないよ……。声もかけられないし」


 より深くうつむいてしまうメジロに、稲穂は優しく笑いかけた。

「相手がお客様ならチャンスはたくさんあります。まずは注文を聞くついでに声をかけることから始めてください。あなたという存在を認識させるのです」

「認識……」

「そうです。いい天気ですね、とか、今日のおすすめはシチューですよ、とか」

「そうか……、わかった! ありがとうお弟子さん! やっぱりあなたって頼りになるわァ!」

「とんでもない」


 しおれたかと思えばぱあっと咲き誇る若い少女の花は見ていて飽きない。稲穂は一仕事終えた満足感からまた杯を煽る。

「お礼に上物のチーズも出すわ、待ってて!」

「嬉しい! いただきます」


 こうして薄汚れた場所で時を過ごすことで心のモヤが晴れていく。稲穂はこの時間に何よりの充実感を覚えていた。

 やはり自分に神官は向いていない。こうして神殿から抜け出し、場末の酒場で飲んだくれているのがいい証拠だ。だが、こんな占い師の真似事で生きていけると思うほど世間知らずでもなかった。


 稲穂は顔が特別いいだけの普通の人間だ。

 できることは、酒を飲みながら周囲の話をよく聞き、よく話すだけ。アルコールを摂取した人間は口が異様に軽くなり、喜びも怒りも悲しみも楽しみも吐き出してしまう。しかもここに来るのは常連の客ばかり。そうなれば、どんな悩みを持っていてどんな解決を望んでいるかくらい見通すことができるのだ。


 神官としての力を悪用している風見とは違う、正真正銘のインチキ占いだ。


 そんなインチキ占いも最近ではすっかり板についていた。たまに外すこともあるがどうせ報酬は蜂蜜酒だし相手は酔っ払い、笑いの種に変わるだけ。ちょっと酒をふるまったと思えば安いものだ。文句を言う者は誰もいない。

 ここにいる者はみんな稲穂自身を求めてくれているからだ。


 目元と額だけをだして神秘性をただよわせ、神官のフリをする愚かな女など、もてはやされてなんになる。

 しかし「いずれは大神官になる」とは、噂とは恐ろしい。どこまで尾ひれがついてしまうのか……。

 稲穂はひたすらに現実とかけ離れていく虚像を頭からかき消そうと、グラスを傾ける。


「しかし、メジロちゃんの恋ねぇ」

「ま、ダメだろうな」

「ありゃ相手が悪いぜ」


 また聞こえてきた蜂蜜酒(占い)の種に、稲穂はぴくりと反応した。

「お店のお客とのことですけど、今この場にはいませんよね」

「おう、わかるかい、お弟子ちゃん!」

「そりゃわかるだろ、本人の前であれだけ騒ぐかよ」


 がはは、と酒をこぼす勢いで笑いながら客の一人は言った。

「いやな、近頃顔を出すようになった若い男がいてな。そいつにお熱なんだよ」

「若い男? この店で新参者とは珍しいですね。どこの方でしょう」

「さァなァ。でも、こんな店にゃ似合わない上品な顔してたよ」


「そうだっ、言っておかなきゃ! お弟子さん、お願いだからその人奪わないでね!」

 だんっと勢いよくチーズの乗った皿を置いたメジロは必死な顔で言った。

「とおってもステキな人なんだよ。うまいこと会わないですんでるけど、もしお弟子さんと会ったらあの人絶対惚れちゃうよ~!」

「そりゃそうだ、全員が全員お弟子ちゃんを選ぶだろうな」


 客のからかいにあせるメジロは、悲しそうな目を向けてくる。

「大丈夫です、メジロ様。わたしの美貌に見惚れてしまうのは万人における常識ですが、そこからどうこうなる、というのは有り得ません。わたしに釣り合う方って古の神とかですから」

 稲穂は気負うことなく胸を反らした。


「だーっはっはっは!! あんたの顔じゃ大げさって言いきれねぇよ! こんな場所にいなきゃ恐れ多くて近寄れねぇ類の女だからな!」


 あんたがただのお弟子ちゃんでほんとうに良かった、と口々に賛同の声が挙がる。

 それに稲穂は優雅なお辞儀で答えた。


「ううん、古の神かどうかはおいといて。ちょっとだけね、その人占い師さんに似てるの」

「お師さまに?」


 驚いて聞きかえすと、まじめな顔でメジロは言った。

「うん。なんとなーく、雰囲気がね」

「メジロ様、まさかああいう男が好みなんですか?」

 続けて同じくまじめに聞き返した稲穂に、メジロはぷっとかわいらしく噴出した。


「やァだ、安心してよォ! 占い師さんのことは狙ってないって! 憧れはしてもお弟子さんがいる時点で本気で恋するのもバカらしいわ」

「えっ? いつそんな話をしましたか」

「気にしないでいいってば。でもでも、あの人って本当にかっこいいのよ。神様と並んだって違和感ないんじゃないかな」


 メジロは首をひねりながら神様なんてみたことないけど、とつぶやいた。惚れた欲目もあるだろうが、稲穂は何となくひっかかるものを感じた。

「ふぅん。気になりますね」

「ここに来るお客さんたちみたいに骨抜きにしちゃダメだからね! お弟子さん、お願いねっ!」

「はいはい……」

 何度も念を押すメジロに苦笑しながら、稲穂はチーズに手を伸ばそうとした。しかし、その手は目の前に置かれたアツアツの鍋の前に止まってしまう。


「おーい不肖の弟子、勝ったぞー」

 戦利品を抱えた風見が席に戻ってきたのだ。

「ふとっちょソーセージ入りのポトフ! これ大好きです」

「メジロちゃんの親父さんにはいつもごちそうになって悪いねー」

 風見はさっそく椀によそいながらメジロに片目をつぶってみせた。こういう仕草がいやになるほど様になる。


 稲穂に言ったことを忘れてついぽっと目元を染めたメジロだったが、あわてて厨房へ逃げ去る父親の背中を追おうと席を立った。

「あっ、父さんってばまた勝てないカード遊びしてたのねっ!? それで毎回タダ酒タダ飯ごちそうしてどうするのよ!」

 ぼんやりしているようで実はしっかり者の娘の怒りに、武骨で無口な店主は冷や汗をかいている。


 そんな喧騒をこのときばかりは無視し、稲穂は風見にぺこりと頭を下げた。

「お師さま、お疲れ様でした。いただきます」

「おうよ、これくらい朝飯前……いや、晩飯前だ。いただきます」

 そろって食事の前の祈りを捧げると、二人は優しい味わいのスープに夢中になった。

「おいしい! あー、丸ごと煮込んだ玉ねぎ、とろとろです。おいしいー」


 人形のように整っているが故に近寄りがたい雰囲気が一気にとろけ、稲穂の白い頬は赤く染まる。

 眼福、とばかりに見入る客の男たちだが、稲穂に近寄ろうとする豪の者はいない。稲穂にちょっかいをかけるということは、正体不明ながら力ある占い師らしい風見を敵にまわすことになるのだ。


「ほれ、おかわりよそってやるから器出せ」

「お師さま、さきほどチーズをいただきました。どうぞ」


 きゃっきゃと睦まじく食事をとる二人。そんないつもの光景を、なんともいえない微笑ましい気持ちで常連客達は眺めている。

 親子というには年が合わず、夫婦というには艶が足りず、兄妹というには距離が近い。

 だがそれでも、彼らは家族だった。






ご意見、感想をお待ちしております。


※ 十六から成人扱いで飲酒可、ということで。



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