祈祷会の裏側
祈祷会が終わるや否や、稲穂は早々にホールを後にした。
月に一度の大嫌いな時間がおわり、うんざりとしながらも息をついたところだ。大勢の前にあのような形で出ていくのはまったくもって稲穂の本意ではない。そもそも自分はそんな役目を担う資格などないのだ。
フードとマスクの下はひどいしかめ面だ。十六という年相応の反抗心が入り混じった態度からは、さきほどの祈祷会で見せた背筋が震えるほどの神秘性は見つけられない。
まったく、次こそは何か理由をつけてサボってしまおう。
そんなたくらみをしながら私室へ戻ろうとしていた稲穂を、後ろから呼び止める声があった。
「おつかれさま、稲穂さん!」
「おつかれさまです」
稲穂は即座に振り返る。そこにはさきほど一緒に檀上に並んでいた三等神官の姿があった。彼はすでにフードを取り払い淡い金色の髪をさらしながら、穏やかな笑みをたたえていた。
「やっぱりあなたの振る舞いは見ていて感心するよ。所作の一つ一つがとても美しい。今度僕にも教えてくれないかな」
「そんな、めっそうもない。大神官様のお手伝いをした涼也様こそ堂々たるお姿でした」
「そう言ってもらえるとうれしいな。持つよ」
涼也は稲穂の持つ祭具をスマートに奪うと、二人は自然と並んで歩き出した。
「ご親切にどうも」
「気にしないで」
さわやかに言う涼也には悪気はないのだろう。しかし、稲穂にはこの後の展開がすべて読めていた。だからこそ再び大きくため息をつく。
「どうしたの? 疲れた?」
「いいえ、別に」
「おつかれ!」
「涼也、おつかれさま!」
通路奥からやってきたのは祈祷会の裏方をつとめていた他の三等神官たちだ。皆一様に顔を輝かせている。
「かっこよかったわ、涼也」
「いいなあ、高等神官様たちのお手伝いが直接できて。さすが神官学校主席卒業者」
「今回もうまくいってよかった」
口ぐちに誉めたたえる仲間たちに向かい、涼也は「ありがとう、君たちのおかげだよ」とお手本のような態度で応えている。
対して稲穂はといえば。
「稲穂さんもおつかれさま。あの、のど乾いていない? 水差しをもってきたんだ」
「ご親切にどうも、でも結構ですよ。それよりこの式典が重くって……」
「資料庫に戻しておくよ! き、今日もとてもきれいだったよ」
「わたしの美しさは存じておりますが、膝をついたからローブが汚れてしまいました」
「そのローブは僕が預かるよ! 洗濯にまわしておくから」
「助かります。ああ、でもお水も汲みに行かなくてはいけないから……」
「そんなの僕がやっておくよ!」
「まァご親切なこと。お願いいたします」
近寄ってくる同年代の少年たちとろくに目もあわせないまま、稲穂は次々に用事を押し付けていった。
当然反感は買う。
「ちょっと、稲穂さん?」
「あら、なんでしょう」
「ご自分のことくらいご自分でやったらいかが? その高等神官様よりも偉そうな態度はどうかと思うわ」
つっかかってきたのは同じく補佐を務めていた友江だ。稲穂たちの後ろから追いついてきた彼女の手には、いまだにしっかりと祭具と式典があった。
稲穂をとげとげしい目で見てくるのは友江だけではない。ありていに言えば、この場のすべての女性神官たちだ。
友江は今季の女性新人神官の中でトップの卒業成績をもつ。そのため何かとリーダー扱いされているのだが、それはこんなときでも同じだった。
「わたしが無理をいっているような物言いはおやめください。ああ、ですがさすが神官様、皆様とても紳士的なんですねェ」
かしげた首に細い指を添えて感嘆の息をもらすと、その色香にあてられた少年たちはくらくらと顔を赤くした。しかしそれには惑わされず、友江は語気鋭く稲穂を糾弾する。
「そういう態度がよくないのよ。神々の御前で恥知らずな。ここにいる以上、もっと敬虔であるべきだわ」
「はァ、熱心でいらっしゃいますねェ、友江様は」
友江が稲穂を嫌うのはいつものことだが、それは祈祷会の日にピークに達する。その理由は十二分にわかっているつもりだ。だからこそ稲穂はこれ以上の言い争いを避け、退散することにした。
蜂に刺されるのはごめんだ。
「すばらしいお志です。わたしはとても友江様のようにはできません。なにせ、わたしは神官ではありませんから」
稲穂がそう言って再び歩き出すと、友江はカッとなってその背に怒鳴りつけた。
「覚悟もなくて神官のマネゴトなんて笑わせないでよ! こっちは真剣に御神々にお仕えしているのよ! 顔だけがとりえの娼館あがりのくせに!」
稲穂はぴたりと足をとめ、ゆっくりと振り返る。そしておもむろにマスクを下げた。
完全な左右対称を描く美しい目鼻と淡い色の唇、細い頜。
大神官をして『神々の時代の造形』と称される稲穂の素顔だ。並はずれて美しいその顔には隠しようもない嘲笑が浮かんでいる。
「笑わせてくれるのはどちらでしょう」
ぞわり、と空気が動く。
「これほど真剣な友江様が、どうしてわたしのような下賤な身の『代わり』も務められないのでしょう……。神々というのもよくわからないものですねェ。この顔だけのわたしをお選びになるのですから」
稲穂の言葉に、友江は顔を真っ赤にして黙り込んだ。
三等神官の中で祈祷会に出られるのは、神官学校卒業成績上位者五名のみ。祈祷会の進行を檀上で行うのが主な仕事だが、もっとも重要なのは、それぞれが大神官と高等神官の五人とペアを組み祈祷の補佐をすることだ。しかし、友江だけがその役割を持たなかった。
稲穂が三等神官という枠を飛び越えて、一人の高等神官の専属補佐を務めてしまっているからだ。
反論しようとすればそれは友江を選ばない神殿上層部への不満か、先ほどののしった相手に自分が劣ることを認めることになってしまう。
そんな友江に、稲穂はさらに追い打ちをかける。
「ねェ、そんなにあの方のお手伝いをなさりたいなら、わたしからお伝えしましょうか。聞くだけは聞いてくださるでしょう……くっ!」
どうなさいます、と意地悪く身を寄せる稲穂だったが、その首根っこをひっつかむ者がいた。
「まったく、お前は目をはなすとすぐに騒ぎを起こしますね」
「苦しい! 風見様! お放しくださいませ!」
「いいえ、離しませんよ。友江さん、稲穂がまた意地悪をしてすみません」
「あ、あっ、風見高等神官様!」
子猫でもつまむかのように稲穂を捕えたのは、稲穂が補佐をつとめていた高等神官風見だった。彼こそが祈祷会の最後に祝詞をあげ、歓声を一身にあびた男だ。
背の高い美丈夫は儀礼用の仰々しいローブはすでにとりさり、簡素な神官服に着替えていた。それでも彼の輝く白皙を引き立てるばかりだ。
風見はおだやかな物腰で友江に頭を下げる。
「わたしからよく言い聞かせますので、許してください」
「頭をお上げくださいっ、わたしは気になどしていませんから」
「なんと心優しい。ありがとうございます」
先ほどとは違った意味で顔を赤くする友江に、稲穂はべえっと舌を出す。それを見逃す風見ではない。
「こら、稲穂。これからお説教です、来なさい」
「苦しいです~っ、自分で歩きます! 怒らないでください、風見様~っ!」
軽々と抱えられたまま連行される稲穂に、さきほどまでの迫力はない。
ぽかんとする新人神官たちを置き去り、騒がしくも麗しい彼らはさっさとその場を後にするのだった。
どさりと稲穂が投げ捨てられたのは硬いソファの上だ。
高等神官と大神官には、居室が別に与えられている。集中して強い神力を発し、祈りを捧げるためだという名目だ。しかし地位があがるほど面倒になる事務作業を行う仕事部屋というのが実際のところだ。
両手を広げられるくらいの大き目な机と椅子、それに本棚があるだけの質素な部屋だが、防音性にだけは優れている。奥の戸はちょっとした寝室につながっていた。
重い音を立てて閉じる扉に、稲穂は多くの恐れとちょっとの安堵を覚えた。
「おい稲穂、余計なことすんじゃねェって何度言わせるんだ」
ドスの聞いた声とセリフは、まるで巷の悪党のようだ。おまけに眉間にはシワがより、口元はへの字に歪んでいる。少なくともあの感動を巻き起こした人物だとは思えない。
しかし稲穂は気にしたふうもなくむうっと頬をふくらませた。
「だって」
「お前が祈祷会嫌がってんのは知ってるけどよ、仕方ないだろう。こうしなきゃお前メシ食えねえんだから」
そういう風見もああしんどかった、と肩を大きく回している。彼もこの祈祷会が大嫌いなのだ。
稲穂はせめてもの意趣返しに、と風見に憎まれ口をたたく。
「そのひどい猫かぶり、どうにかなさったらどうです。お優しい人格者の風見高等神官様」
「ばァか、これも仕事の内なんだよ。神官だからな」
「わたし、神官ではありませんから。どうせ下賤の身ですから」
「……またソレ言われたのか」
風見ははあっとため息をつくと、稲穂の隣に腰かける。大きな手が稲穂の頭を優しく抱き寄せた。
「……わたし、娼婦ではありません」
「そうだな」
「ただ、娼館に買われそうになって、買いとってもらえなかっただけです」
「そうだな、それでお前は俺に買われたんだもんな」
「わたしは風見様に買われた時からわたしです」
「お前はお前だ。卑賤関係なくお前だよ」
こてん、と甘えるように稲穂が体を風見に預ける。風見はそのわずかな重みを許した。
………しかし。
すぐさまがしっと掴んだ稲穂の頭をグラグラと強い力で揺さぶり始める。
「だからってイチイチ波風起こしてんじゃねェよ! 何年ここにいるんだ? こうして怒られるの何回目だ、あァ?!」
「もー、怖い! 怒らないでください! それよりご褒美はァ?」
「なんでもらえると思ってんだ、このバカ!」
きゃんきゃんと言い合う二人には、少しばかり複雑な事情があった。
稲穂は神官ではない。彼女がこの神殿に住まうのは、ひとえに自分の主が神官であるからだ。
そして風見は神官という清廉な身でありながら、いたいけな少女を買い取ったという異例の経歴の持ち主だ。
ふたりに共通するのは神をもうらやむたぐいまれな美貌と、外見を裏切るその中身。
これはそんなおかしなふたりから見る、一つのお話。
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