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ロマンスを求めて




 大きな木桶に汚れ物を投げ入れ、じゃぶじゃぶと足踏みをする。石けん水が泡立ち、稲穂の素足をくすぐった。

 酒場の匂いのついてしまった小桃のシーツを洗うのに、うっすら汗がにじむほどの天気はいい言い訳になった。大物の洗濯は何かと手間がかかる。せっかくだから、と自分と風見の分のシーツも持ってきてしまったために、桶は満杯だ。

 さっさと洗ってしまえば、夕方前には乾くだろう。

 掛け布団も干してきたから、今日はふかふかで気持ち良く眠れるはずだ。


「稲穂ちゃん、今日はご機嫌ねぇ」

「えっ? そうでしょうか」

「ええ、そうよ。ここ二、三日はなんだかしょんぼりしてたわ」

「風見高等神官様に怒られたに違いないって噂してたのよ」


 協力してくれる奉仕活動中のご婦人方は、洗濯の手を止めずにニコニコと笑いあって稲穂をからかう。


「子どものころじゃあるまいし! 風見様に怒られたからってすねたりしませんっ」

「まあ! 一丁前に!」

「そうよね、すねるんじゃなくて泣いちゃうのよね。小さいころはす~ぐぴいぴい泣いて駆けてきて、あたしたちに抱きついて離れなくって。で、迎えに来た風見高等神官様にまたぴいぴい泣きついて……」

「も、もう! いくつの時の話ですか!」


 澄ました顔をつくるのは得意だが、幼いころを知る相手には通用しない。稲穂は顔を赤らめて抗議するが、それを上回る反撃に唇を噛むしかない。特に古株の梔子くちなしは、稲穂自身も覚えていないことを持ち出しては昔を懐かしんでくる。

 とはいえ、恥ずかしいが、いやではない。

 からかってくるのは、稲穂を案じていたためだとわかっているからだ。茶化すこともできないほどひどい顔をしていたのだろう。だから、今日晴れやかな顔で仕事をこなす稲穂を見てほっとしたに違いない。


「……皆様には隠せませんね。実は、とってもいいことがあったんです」

「あらあら、なァに? 聞かせて」

「ふふ。今、ちょっと親しくしている方がいまして」

「……あら?」


 梔子の目が、いや、その場にいたすべてのご婦人の目がギラリと光る。それに気づかず、稲穂は下を向いてじゃぶじゃぶと水を蹴りながら話をつづけた。


「ちょっと事情があってお会いできなかったんですけど、その方がわたしを恋しがってくれたそうなんです。それを人づてに聞きまして……」

「あらあら。その方はどんなヒト? どこで出会ったの?」

「えっと、風見様の供で外にでたときなんですけど」


 まさか酒場で出会ったとはいえないため、ウソはつかずとも遠回しな説明になる。


「すごく親切で、素直で、やさしくて」

「あらあらあら」

「わたしにも気軽に声をかけてくださって」

「あらあらあらあら」

「頭もいいんです。お勘定なんて、ぱぱっと頭の中でできてしまうんだそうです。あ、それにお料理も上手」

「まあまあまあまあ! 稲穂ちゃん、その方が好きなのね!?」


 そうストレートに言われるととても恥ずかしい。先ほどとはちょっと違う意味で顔が赤くなるのを感じる。だが、その通りだった。


「はい。わたし、その方が大好きです!」

「まああ! なんて素敵なの! そのヒトを風見高等神官様はご存じなの!?」

「ええ、もちろん! とっても素敵な女の子なんです!」


 稲穂は太陽の輝きもかすむばかりの満面の笑みで言い切った。 

 それだというのに、梔子をはじめとしたご婦人たちは一様に半目になって口をあけている。


「……あの? 何か?」

「女の子なの?」

「え、ええ。わたしのお友達です」

「……そうなの~……」

「ちょ、ちょっと。なんです、その反応。わたしのお友達ですよ、このわたしの! めったにヒトと親しくしない、このわたしの!」

「あ~、わかってるわ、ごめんなさいね……。そうよね、我が強すぎる稲穂ちゃんの貴重なお友達をバカにするつもりはないのよ」


そうは言っても、心の底から残念、という気持ちは隠せていない。


「あたしたちはてっきり、あのお貴族様とのロマンスを期待したんだけど」


 ねえ、と顔を見合わせながらため息をつかれ、稲穂ははなじらむ。


憑代よりしろ様のことですか? ありえません」

「だって稲穂ちゃんだもの」


 例大祭で神の役を演じる者は憑代様と呼ばれる。儀式の際は神が宿り、神官へ祝福をさずけるのだ。つまりはこの度選ばれた緋桐のことなのだが、ありえない、と今度は稲穂のほうが半目になって呆れている。 


「遠目で見たけど、凛々しい青年だったわ。神官様たちとは違う、がっしりした体つきで」

「そうそう、いい男よね」 


 夫がいようが孫がいようが、乙女心はまだまだ健在だ。神官は力仕事に縁がなく、線の細い男性が多い。そんな中、地方育ちで剣を学んだ緋桐と浅葱はよく目立つ。それでいて貴族らしく所作には品がある。彼女たちだけでなく、女性神官もきゃあきゃあ騒ぐのも無理はなかった。


「ふふ、最近は外からくるヒトが多いから、話題には事欠きませんね。もう小桃様には飽きてしまったのですか?」


 そういえば黒風から広報役を担わされていたな、と思い出した稲穂はさりげなく小桃のことをふってみる。

 

「小桃様ね。ちょっと想像と違ったけど、素朴でかわいらしい方ね。すごい神官だっていうのは噂で聞くんだけどね。ロマンス向けの子ではないのよねぇ」 

「ねぇ。ああいう神官様って初めて見たわ。変わっているというか……」

「そうね。でも、変わっているからこそ力の強い神官なんじゃないかしら」


 まだ三十半ばのご婦人の言葉に、うんうん、そうに違いない、と頷きあっている。

 好意的、しかし尊敬はない。ただ、噂のかいもあってか疑うような意識はない、といったところか。

 小桃にはかわいそうだが、神秘性を保つためにもあまり人前でおしゃべりしないよう言いつけるべきかもしれない。今のままでは、口を開けばボロしか出ないだろう。

 黒風にどう報告するか考えていると、梔子はごまかされないぞ、と稲穂をつついた。


「話題を変えようったってダメよ。稲穂ちゃん、どうなの。ロマンスは」

「そんな素敵なものありません。憑代様とお会いする機会なんてわたしでもそうそうありませんし」

「もう一人いるじゃない。あの働き者」

「え?」

「気さくで物腰のやわらかい、いい子よ。ああいうタイプ、今まで稲穂ちゃんのそばにいなかったじゃない? いいんじゃないかって思うのよねぇ」

「それって……」


 稲穂が首を傾げれば、その答えはのんびりと後ろからやってきた。 


「はっくしょん!! あれ~、今俺の話してませんでした?」

「あ~ら、浅葱様! 巻き割りご苦労様です!」

「いえいえ! こういうの女性では大変でしょう、力仕事なら何でも言ってください」


 豪快なくしゃみを飛ばした浅葱は、斧を軽々と担ぎながらこちらへ笑顔でやってきた。


「このところ毎度頼んでしまってすみませんねぇ」

「いいんですよ。主が忙しい分、俺は暇なんで」

「あらまあ、ならもう一つお願いしてもいいかしら?」

「なんなりと!」


 浅葱は長袖のシャツにベスト、ブーツにズボンといった、下町の青年のような装いだ。一等貴族の従者とは思えない。本人の性格もあって、数日の間にすっかりこの奥様方のコミュニティに溶け込んでいるらしい。


「稲穂ちゃんがもうすぐシーツを洗い終えるから、それを干すのを手伝ってほしいの。水を吸って重くなっているから」

「えっ。梔子さん、わたし一人でできます」

「いいのよ、使えるものはなんでも使うの。教えたでしょ」

「でも」


 確かにそれは稲穂の信条でもあるが、梔子のおせっかいは明らかに違う思惑がのぞいている。


「もちろんいいですよ! 稲穂ちゃんのお手伝いなら喜んで!」


 断る隙を与えずに快諾する浅葱に、梔子たちはわざとらしい笑みを浮かべて「ああ、お昼の準備をしなきゃ~」と去っていく。そのくせ後で詳しいことを教えろ、とウィンクを飛ばしてくるのだから器用なものだ。


「もう。面白がって」

「まあまあ。こういう娯楽がないとつまらないんだろう。この狭い世界に美男美女がそろってりゃ、神官同士の恋愛騒ぎも見てるとおもしろいんじゃない?」

「確かに。ある意味神々より神官の恋愛事情に通じている方々です」


 稲穂は桶から出てサンダルを履きなおしつつ、低い声を出した。


「ところで、昨日のことですが」

「う、はい」


 その声音から浅葱は何を言われるのか察したのだろう。まくれあがった稲穂のスカートからのぞくふくらはぎにくぎ付けになっていた目がそらされる。


「監督責任が風見にあったことはわかっています。ですが、どうして小桃様をあんなになるまで! おかげで朝から大変でした」

「あ~、ごめんごめん」

「昨日はずいぶん楽しかったようですね」


 たっぷり毒気を含ませて言えば、浅葱は気まずそうに口元を手で覆った。


「ああ、本人は久々のゆる~い庶民的な雰囲気を満喫したみたいだ。でもメジロちゃんにはかわいそうなことしちゃったよ」

「え!? まさか何かあったんですか。問題が?」


 食い気味に詰め寄ると、浅葱は肩をすくめる。


「いや~、緋桐様が女の子を連れてきたっていうことがまず彼女にとっては問題でしょ」  

「……あっ!」


 うっかりしていた。メジロは緋桐が好きなのだ。そんな相手が年頃の女の子と一緒に来店したら、メジロはその子のことをどう思うだろう。 


「そうなんだよ。もうポッと染まった顔が一気に青くなってさ。で、ちょっと遅れて入ってきた風見高等神官をみて、ほっとした顔するわけよ。でキョロキョロする。稲穂ちゃんがいないのに気づく。そしたらもうズドーンっとこの世の終わりみたいに肩落として背中丸めてさ。厨房にひっこんじゃった。悪いことした」

「ああ、メジロさん……!」

「今度行ったとき慰めてあげて」

「言われなくても。わたしは彼女の友達ですから」


 ああ、なんてことだろう。メジロと小桃が仲良くなってしまうのでは、という不安と嫉妬ばかりがうずまく胸には、メジロの恋心などすっかり思い及んでいなかった。

 きっと傷ついたに違いない。すぐさま自分に相談したかったはずだ。それなのに、意地を張って一緒に行くのをやめてしまったから。

 こうなれば、風見におねだりしてできるだけ早く『山猫のしっぽ』に出向かなくては。

 そう決意する稲穂の表情に、浅葱はわずかに口元をゆるめた。


「……よかった。元気出たみたいで」

「……メジロさんのおかげです」


 桶の水を捨て、シーツを端からしぼっていく。ぽたぽたと冷たい水が腕を伝っていく。袖が濡れそうになるのを、浅葱がまくり上げてくれた。

 この男は意外に目端が利いて、人の機微というものをよく見ている。稲穂が落ち込んでいた理由も、こうして元気になった理由もわかっているのだろう。


「早くメジロさんに会いたい」

「ううん、妬ける。俺が連れて行ってあげようか」

「結構です」

「切り捨て早い」

 

 

 

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