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山猫のしっぽ



 珍しくあまり日を置かずに現れた占い師とその弟子は『山猫のしっぽ』連中からあつく出迎えられた。


「おーっ、来たかァ!!」

「待ってたぜー、お弟子ちゃん!」


 がやがやとうるさい歓迎に頬をゆるめながら、稲穂はすすっといつもの指定席へ向かう。


「お弟子さん! よかったァ、来てほしいなって思ってたの!」


 すぐさま飛んできたメジロに、稲穂はびくっと体を震わせる。ずっと気にかかっていたことがあったのだ。


「メジロ様! わたしもお会いしたくて! あ、あの……そう、この前、皆様にはご迷惑をおかけしてしまい……」

「へ? なんのこと?」

「え?」


 稲穂としては、臙脂もとい緋桐との一悶着を謝罪させてほしかった。いくら風見は気にすることはないといっても、やはりきちんとケジメをつけなくては気持ちがおさまらない。それだというのに、メジロはきょとんと首をかしげていつものように蜂蜜酒を置いてくれるだけだ。

 何と言っていいかわからなくなった稲穂に、メジロはようやく察したらしく小さく鼻を鳴らした。


「あのねぇ、言っとくけど、ウチじゃ少しの喧嘩やいさかいなんて日常茶飯事なんだからね?」


 メジロは稲穂の背中を押して座らせると、当然のようにどっかりとその隣に腰を下ろした。


「椅子がひっくり返って酒瓶が空飛んで料理がぐっちゃぐちゃになるのも見慣れてるの! だからお弟子さんのこの前の口喧嘩なんてかァわいいものなんだから!」

「そ、そうなのですか? でも、ここでそんなところ見たことがありません」

「そんなのみんなネコかぶってるに決まってるじゃない! お弟子さんの前でカッコ悪いとこ見せたくないから。ねー、みなさーん!?」


 メジロが呼びかけると、客たちは腕を振り上げて、おー!と声を合わせた。そのタイミングのぴったりさに、店内の全員がこちらに意識を向けていたことにようやく気がついた。


「だからね、ぜーんぜん気にすることないんだからね!? それよりあたしはお弟子さんが来てくれなくなるほうが困るんだから!」

 

 そうだそうだと騒ぎだてる周りを無視して、友達でしょ、とメジロは笑う。

 不覚にも稲穂は胸がじいんと熱くなってしまった。オレンジ色の明かりに照らされ、蜂蜜酒がいつにも増して美しく輝いている。スパイスのきいた肉の焼ける匂いが急に稲穂のおなかを刺激した。


「わたし、ここに来なくなったりなんてしません。メジロ様は友達ですから」

「そうよね、そうよね! あ、そうだ。あたしはお弟子さんにお礼を言わなきゃいけなかったのよォ」


 えへっと目じりを下げたメジロは、稲穂の耳元に口を寄せた。


「あの後ね、お弟子さんはいい子なんだから、そんなに悪く思わないでくださいねって臙脂さんについ言っちゃったの。そしたら『あなたは優しい方ですね』ってェ!!」


 こっそり言うフリだけの声高な報告に、ついつい稲穂の目じりも下がる。恋する乙女って強い。関係のないこちらまで元気になってくるようだ。

 会話のテンポはあっという間にいつも通りになっていく。


「それはよかった! わたしも暴れたかいがあったというものです。ところで、今日のおすすめはなんでしょうか。お師さまにってきてもらわなくては」

「今日は父さんはカードに参加させないからね? 相手は他のお客さんからにしてもらわないと!」

「あら? わたしの目には見えます。マスターが渋い顔でカードをめくり、さらに顔をしかめさせている未来が……」

「ええっ!?」


 ばっとメジロが振り返ると、そこにはすでに丸いテーブルについてカードを切っている店主の姿があった。


「まったく、父さんってばァ!」

「まあまあ。お師さまだって鬼じゃありません、きちんと他の方からまきあげて売り上げに貢献させていただきますから」

「も~っ!」


 娘の心、親知らず。

 その日の風見の戦利品である手羽の煮込みは、ほろほろと骨から肉がほぐれてやわらかい。ちょっと濃い味付けが酒との相性もぴったりの一品だ。

 くるくると忙しげに動き回るメジロを飽きることなく見つめながら、稲穂は自分の愚かさを思い知っていた。

 こうしていると、昼間の焦燥や寂寞なんてどうだってよくなる。

 山猫のしっぽの人々は、稲穂が偽神官だなんて知らない。神代の相貌なんて聞いたこともないだろう。

 毒にも薬にもならないただの占い師の弟子として見てくれて、受け入れてくれる人々。


「おいおい、メジロにばっかりとられちゃたまらん。お弟子ちゃーん、俺のこと占ってくれよ!」


 近くのテーブルから声をかけられ、稲穂はたまにはいいか、と普段は定位置から動かない重たい腰を上げた。


「ええ、もちろん。そっちにあるナッツがおいしそうだったのでお邪魔したいと思っていたんです」

「おお! おいでおいで!」


 初老の男に愛娘を呼ぶように空いた席を叩かれる。目の前には山盛りのナッツの器が置かれた。すかさず追加の甘い酒が頼まれる始末で、至れり尽くせりもいいところだ。

 促されるままさっそく一粒つまみ、口に入れる。


 なんだかとても幸せな気分だ。

 これは酒のせいだけではない。おいしい食事と楽しい友人、すてきなものに囲まれてゆったりと過ごす時間。


「なんだかご機嫌だなァ、お弟子ちゃん」

「はい。とっても!」


 少しばかり気にいらないことがあるとすれば、すべてわかっている、とばかりにふんぞり返ってカード遊びに興じている風見の含み笑いくらいのものだった。


 この場所があれば大丈夫。


 稲穂は蜂蜜酒といっしょに、あふれでる幸福感で胸を満たした。




 ちょっと幸せに浸りすぎてしまったのは否めない。


 稲穂は重たい頭をグラグラさせながらとれたてのトマトを洗っていた。冷たい井戸の水は最初こそ気持ちがよかったが、今は少し手が痛いほどだ。

 食事作りの手伝いは嫌いではないが、朝食ばかりは別だった。特にこうして夜遊びした次の日の朝は辛い。

 いまごろ風見は惰眠をむさぼっているのだろう。ギリギリまでベッドからでないくせに、起きるとなると五分とたたずに身支度を整え完璧な高等神官の皮までかぶれる男だ。

 うらやましい、とまだねぼけたまま今度はキュウリを洗う。


「ねえ、稲穂ちゃん! なんだか昨日はお偉い方が騒がしかったみたいね」


 そこへ話しかけてきたのは、いつも奉仕活動に来てくれるご婦人、園枝だった。世話焼きの彼女は息子二人を独り立ちさせたあと、神官たちの面倒をみてくれているのだ。   

 家庭にしばられがちな女性たちが、誰に咎められることなく出かけられる場所が神殿だったりする。料理や裁縫といった趣味を活かし、サークル活動のように楽しんでいる者も多い。


 幼いころから神殿暮らしでありながら一般人の稲穂は、彼女たちにとって慣れ親しんだ気安い存在だ。


「例のあの方ですよ。小桃様、知ってます?」

「あら! あの子? やっぱり? すごいの?」


 稲穂がわざとらしく声をひそめると、園枝もノリノリで身を寄せてきた。


「ええ。もう未来の大神官様コース間違いなしのすごい才能らしいですよ。黒風高等神官がもう張り切っちゃって!」

「やだー、すごいわね! まだお顔見てないのよねぇ。結局わたしたちは中に入れないからねぇ」

「今日食事を取りにいらしたら声かけますよ」

「ほんとう!? ありがとう、稲穂ちゃん! うふふ、こういうのは役得よね」


 純粋な親切心から奉仕活動に参加する者がほとんどだが、中には見目麗しい神官たちとお近づきになりたい、という欲を持った者もいる。しかし実際のところ彼女らが神官と接触することはほとんどない。

 その唯一の例外が、食事の配膳だった。高等神官以上は当番の下級神官が給仕をするが、それ以外の神官は厨房とつながるカウンターで食事を受け取る。


「ねえ、それわたしもいいかしら」

「ああっ、そうね、今のうちよね。稲穂ちゃん、こっちにも教えて!」

「どんな子かしら」

「きっと素晴らしい子よ、心清らかで頭が良くて」


 信心深いといっても好奇心には勝てない。朝食を作る手を止めないまま、楽しげに未来の大神官について語り合っている。


「ええ、とてもすてきな方です」

「まあ、やっぱり!」


 稲穂は彼女たちを後押しするように言った。するとご婦人方の間でどんどん話は盛り上がり、小桃がどんな少女であるのか想像がふくらんでいく。それがどんなに本物とかけ離れていようが、止めるようなマネはしない。


 やれやれ。これで一応役目は果たせたでしょうか。


 その様子を眺めながら、稲穂は内心ため息をついていた。

 何を隠そう、稲穂にそういう指示をだしたのは黒風だった。




「おはよう、小娘」

「……おはようございます、黒風高等神官様」

「いい朝だな」

「……ええ、とっても」


 寝ぼけ眼で炊事場へ向かう稲穂を、自室の前で待ち構えていた黒風は朝から不機嫌そうな調子で呼び止めた。

 さっさと通り過ぎたいところだが、会話が続いてしまえば逃げられない。稲穂はあくびをかみ殺す。そんな様子にふん、と鼻を鳴らしながら、黒風は稲穂を見下ろして言った。


「今日からお前は内部広報係りだ」

「……」

 

 いまいち動きの悪い頭では理解できない一言に黙り込むと、黒風はさらに続けて言う。


「つまり、奉仕活動に来てくださる方々に新しく来た神官仕えの者の宣伝活動をすればいい。とりあえず持ち上げておけ」

「……つまり、小桃様をほめたたえればいいのですね?」

「その通りだ」


 重々しくうなずくが、その真意は実に俗だ。


「そこまでする必要がありますか? すでに小桃様の噂はたっているでしょう」

「まだ身内で騒いでいる程度だ。もっと外へ出してもらわねば困る」


 神殿がまさか広告を作って小桃を見世物にするワケにはいかない。そうなれば頼れるのはヒトの口からもれる噂だけ。

 ただでさえ麗しい男神官と女神官のコンビで騒がれているというのに、特大の目玉ができたのだ。

今年の例大祭はかつてないほどにぎわいそうだ。そしてお布施の金額も。


 黒風はその効果を狙っているのだ。

 奉仕活動者たる彼女たちの口を通じて、謎めいた時期大神官の少女に注目が高まっていくことだろう。


「かまいませんが、わたしがよくお話しする方は限られています。そんな小さな輪から効果がみこめるほど話が広まるでしょうか」

「効果はでる。女性のコミュニティというものをお前はわかっていないな。それに、お前が褒めることに意味があるのだ」

「わたしが?」


 女性のことをまさかこの男に説かれるとは、と目を丸くしていると、黒風はもう伝えることはない、とばかりに神官服をひるがえした。

 朝の祈祷に行くのだろう、風見にも見習わせたい。


「わからないならそれでいい。お前はお前の役目を果たせ」




 キュウリを洗い終えるころになってようやく目が覚めてきた稲穂は、黒風の言いたいことがなんとなくわかってきた。


「きっととびっきりキレイな子よ、女神様に並ぶくらい」

「稲穂ちゃんが言うんだから間違いないわ」

「それに気品があって、動きがとびきり優雅なのよ」

「そうよね、稲穂ちゃんが言うんだもの」

「歩くそばから花が咲くわ」

「小鳥が集まってきそう」

「すべてを魅了してしまいそう」


「だって稲穂ちゃんがステキっていうんだもの!」


 ほんの数分のうちに、未来の大神官『小桃様』像がとんでもないことになってきている。

 それはなぜかといえば、自尊心が高く、ちょっと高慢で、それが許されるほどのたぐいまれな美貌をしっかりと自覚している稲穂が認めた相手だからだ。


「わたしが言うことに意味がある、とはこういうコトですか……」


 稲穂はウソは言っていない。小桃はなかなかの好人物だ。しかし、こうなると小桃には負担が大きすぎるのではないだろうか。


 稲穂はなんともいえない気分を味わいつつ、おしゃべりに興じるご婦人たちから逃げて包丁を握るのだった。





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