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優越感、劣等感




「稲穂には悪いけどさ、けっこう楽しかったよ!」

「それは何よりです」


 小桃はにこにこと機嫌よく雑巾を持つ手を動かしていた。今日の掃除場所は祭具置き場。広さはあるのだが、次々に棚が追加された結果、室内はまるで迷路のようだ。こまごまとしたものであふれかえっている。

 稲穂は柔らかい布でそれらを一つ一つ丁寧にふいていく。


「ああいうふうに話すのって今まであまりなくて。村にいた女の子って、あたしより十歳年上か年下かって感じだったから」

「わたしたちより閉鎖的な空間にいたんですねぇ」

「そうだよ、とにかく田舎なんだから!」


 小桃はいつもより声が大きく、早口だ。興奮する気持ちはよくわかる。稲穂にとって女友達は『山猫のしっぽ』のメジロだけ。彼女との他愛のない会話はとても楽しいものだ。きっと同じ気持ちを味わっているに違いない。


「みんな親切だね。新参者にいろいろ話ふってくれて、いろいろ教えてくれて。あの友江さんって子、こわいのかと思ったけどそうでもなかったし」

「ええ。国中にある神殿のうち大神殿に配属されるというのはそれだけで栄誉なことなんです。三等神官といえど、彼女たちは間違いなく優れた方々なんですよ」

「ふえっ」

 

 小桃の奇妙な声に、稲穂はゴブレットを磨く手を止めた。何を言いたいかはわかっている。

 友江たちにさぞかし自分の悪口を吹き込まれたに違いない。その上で彼女たちを評価することが信じられないのだ。

 稲穂は意識的に口の端を上げて言った。


「友江様は頼りになる方ですよ。わたしに対しては私情をはさみすぎるから過激に見えますけれど」

「ああ、風見高等神官のせいだね!」

「あら。思ったより鋭いんですね」

「思ったより?」

「お気になさらず」

「……ええと、そこはあえて聞かないけど。それよりさ、稲穂ってほんとのところ風見高等神官とどうなの?」


 小桃は苦笑いを浮かべると、熱にうかされたように稲穂に問いかけた。まだ興奮は冷めないらしい。もしくは、稲穂ともそういう話をしたいと考えているのか。

 けれど稲穂には楽しい話題ではない。


「どうって」

「や、だってさ。ちょっと見ただけだけど、稲穂と風見高等神官ってすごく近いというか」

「くだらないですね。わたしはあくまで風見の従者です。あの男はわたしをそんなふうに見ていませんよ」


 今まで何度も聞かれたことなので、稲穂の答えに迷いはない。

 風見は稲穂を大事に思ってくれている。それは間違いない。

 だが、風見が稲穂をおかしな目で見たことは一度もなかった。

 稲穂が誰よりわかっていることだ。


「まあ、わたしが風見に一番近いのは確かです。好いた方の側に異性がいれば、気にかかるのは自然なことでしょう」

「そういうのってアリなの? あれだけわかりやすく焼きもちやいちゃうとかさァ」

「神官として、ですか? もう少し神々のことを学べばすぐわかります。神々は恋も愛も大好物です。もちろんそれに付随する妬みも嫉みも、スパイスの一つです」


 稲穂はゴブレットに刻まれた単純な直線で描かれた文字を指でなぞった。それは神官に古くから伝わる古い文字だ。力ある言葉には力が宿る。ここにはある女神の名前が刻まれていた。彼女はヒトに対しとても慈悲深い行いをした。しかし愛する男を想うあまり、可憐な花の茎を用いて彼の胸を貫いたこともきちんと経典には残っている。

 つまりそういうことだ。


「小桃様は?」

「え?」

「小桃様は、想いを寄せる方はいらっしゃいます? たとえば、あの緋桐様とか浅葱様とか」

「えええっ!?」


 小桃がそうしたいのなら話を続けてやろう、と稲穂は彼女自身のことを聞いた。ただそれだけなのだが、小桃は稲穂が驚くほど顔を真っ赤に染め上げる。


「や、緋桐さんはないよ! 確かにかっこいいし、優しいし、村じゃ図抜けて人気だったけど」

「……へぇ?」


 わざわざ緋桐の名だけを出すか。

 おもしろいおもちゃを見つけた猫の目で小桃を見る。小桃は案外敏感にそれを察して稲穂に背をむけ、棚をふく手に力をこめた。


「あ、あたしはやっぱりただの庶民だし、釣り合わないのわかってたしィ。だからそういうの考えてなかったって言うか……」

「まあこのまま小桃様が神官の道を歩まれるのでしたら結ばれる可能性は低いですが。神官の中ではより取り見取りですよ。それこそ、風見様も」

「うぇっ!?」

「神官には美男が多いのです。わたしには未来が見えます。数多の男性神官が小桃様の寵愛を求めてさまよう滑稽な姿が……」

「えええええっ!?」


 つい酒場の占い師見習いのノリがでてしまう。稲穂が思っていた以上にそのマネは板についていたらしく、小桃は目に見えてあわてている。


「大神殿にいるたいていの三等神官は、二等神官に昇格すると同時に地方都市に異動になることが多いのです。ゆくゆくはその神殿のトップになるためですね。なので、年が近い相手がお望みならこの三年ほどが狙い目ですよ。一番人気は涼也様です」

「ちょっと待ってよォ!」


 小桃には、ついついからかいたくなってしまうところがある。反応のひとつひとつがおもしろい。稲穂はこの短い間で小桃に対して警戒を緩めつつあった。この方とならうまくやっていけるかもしれない。小桃は地方になど出されることなく、この大神殿で大切に大神官になるまで育てられるはずだ。親しくしていて悪いことは何一つない。そんな打算的な考えもあった。


 だが、少しばかり、それとは違う感情も芽生えつつある――――ように、思えた。




「小桃さんはここか!?」


 血相を変えて飛び込んできたのは黒風高等神官だった。

 いつもなら眉間にしわをよせ、泰然と構えて事の次第をみている男だ。そんな黒風がどうしたというのか。

 稲穂はぱっと立ち上がり、すぐさま入口に走り寄った。小桃もあわてて後に続く。


「黒風高等神官、何か」

「小娘、お前は黙っていろ。小桃さん、あなたは御神々の声が聞こえるというのは本当か」

「え?」

「事実なのかと聞いている!」


 詰め寄られた小桃はびくっと体を震わせるが。黒風の勢いは揺るがない。それに小桃は震えながら首を小さく縦に振った。

 黒風は鋭く舌うちをすると、唸るように言った。


「あなたは事の次第をよく考えていないようだ。これがどれほどのことか! この事実は何よりもはやく伝えるべきだった。三等神官たちの噂話で聞かされることになるとは、神殿というものをバカにしているとしか思えない!」


 その内容にぎょっとしたのは稲穂のほうだ。


「小桃様、まさか誰にも言っていなかったのですか!?」

「え!? だ、だって、そんな大事なことだなんて知らなかったし……! 神官さんたちならふつうにできることじゃないの!?」


 ざあっと血の気が引くのがわかる。稲穂はてっきりすでに大神官たちが小桃の異様な才を知っていると思っていたのだ。

これにはなんの反論もできず、稲穂は頭を下げた。まさかここまで小桃が自国の宗教、それを統べる神殿というものに無理解だとは知らなかった。


「小娘、お前も知っていたのか」

「申し訳ありません、わたしからご報告すべきでした」

「……お前はある意味神官よりも神殿に馴染んでいる身だ」


 言外に稲穂に責はない、と言う黒風に思わず下げていた頭を上げてしまったが、彼の興味は稲穂にはなかった。


「とにかく、今すぐ大神官様のところへ」

「は、はい……っ、ごめんなさい」

「謝罪する気持ちがあるのならば、ここですべきではない」


 ばっさりと小桃を切り捨てた黒風は、足早に小桃を連れ去ってしまった。




 さきほどまでの、ちょっとうるさくて、ちょっと心躍る時間がウソのようだ。


 ぽつりと残された静かな部屋でまた思い出す。

 結局、小桃と稲穂はちがう。


 わたしは稲穂。

 ただの稲穂。

 神々の相貌も持たず、神力も持たず、神官のマネゴトをするしかできない役立たず。


 稲穂は取り落していた布を拾い、ゴブレットをまた磨き始めた。




 頭で納得しているのに、なんだか呑み込めないモヤモヤがある。

こんな気分のとき、稲穂がすることは決まっている。


「お前ってホントわかりやすいなァ」

「……」


 小桃の件で呼び出しを受けていたのであろう風見が部屋に戻ると、奥の寝室に誰かいた。当然心当たりは一人しかいない。

 風見の寝室にはベッドが二つある。もともとあったものと、後から無理やり入れた小さい簡易ベッド。小さい方が稲穂の寝床だが、稲穂はそこではなく風見のベッドの中にもぐりこんでふて寝を決め込んでいた。

 シーツにこんもりと大きな団子ができている。

 

「これからいやってほど思い知らされることになるんだ。今のうちから拗ねるな」


 さすがに声が聴けるってのは驚いたけどな、と風見は勢いよくベッドに座り、そのまま稲穂がうずまっているあたりへ背中を預けた。すると団子から悲鳴が上がる。


「重いですっ!」

「ここは誰のベッドだ、あァ?」

「今日はここで寝るんですっ! わたし決めましたから」

「決めるってお前ね……」


 風見は呆れたように大きく息をついた。


「まったく、あのオヒメサマにも困ったもんだな。茜高等神官は自分の教育が足りなかったって半泣きだったぜ。かわいそうに」

「そんなっ! まだ三日しかたっていないのに」


 がばりとシーツから抜け出た稲穂は小さく悲鳴をあげた。あの優しい女性が嘆くさまは見たくない。

 同感だ、と風見もやるせない表情でうなずいた。


「これも田舎まで教えが浸透していない神殿の落ち度だ。あの人だけが嘆くことじゃないんだが、あれほどまでとはな。おかげで教育係が黒風高等神官へと変更だとよ」

「ううっ。小桃様には同情します」

「ま、これでより一層勉強に励んでもらえることだろ」


 たしかにやる気も根気もなさそうな小桃だったが、あの黒風相手ではさぞ苦労することだろう。稲穂は面倒な感情抜きにして、心底小桃を哀れに思った。


「で、だ。俺は忙しい。こっちのお姫様の機嫌もとらなくちゃいけない」

「ん」


 風見の大きな手が青ざめたままの稲穂の頬をなでた。


「それも面倒だってのに、教育係になる黒風高等神官の分の仕事も俺にまわってきやがった。おかげでストレスたまりまくりだ。これは飲んで発散するしかない」

 

 その言葉に、ぱっと稲穂の目に光が宿る。


「ここで寝てたいっていうならそうしろ」

「いーえっ! お供しますっ!」

「お前、ホントわかりやすい」


 自分を押しのけてベッドから抜け出した稲穂に、風見は優しく笑った。





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