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告白と預言




 朝のお茶を用意し、必要な書類を机に並べ、神官服のシワを伸ばす。稲穂自身はすでに黒のワンピースに白いエプロンといういつもの仕事着に着替え、自分のベッドも整え終わっていた。

 テキパキと慣れた手つきで働く従者を、風見はベッドに座ったままぼんやり眺めている。


「午後はご祈祷のあとにお茶会を兼ねた会議がありますから、忘れずに参加してくださいね。お昼の給仕には戻りますが、あとは小桃様につきっきりになってしまいますから。わたしはもう出ますが、大丈夫ですか?」

「ほー……」

「……なんです?」


 風見は部屋着を変えようともせず意味深な目を向けてくる。


「お前がそんなに熱心になるとはなァ……」

「大神官様と風見様が言いつけたんでしょう」

「適当に済ませるかと思ったってこと」

「ん」


 風見の言いたいこともわかる。稲穂としても最低限の世話を焼き、それで済ませるつもりだった。もしくはいじめる。

 しかし、あの小桃はそういう存在ではないのだ。

 稲穂は渋い顔をしていることを自覚しながら、もごもごと言い訳を口にした。


「別に熱心とかじゃなくて。あの子はほうっておくほうが面倒なんです。何かやらかす前に止めておかないと、わたしに迷惑がかかってきそうっていうか」

「ふうん。ま、いいけどな」


 風見のニヤニヤ笑いにさらに顔をしかめた稲穂は、さっさと部屋を後にした。

 風見に言われるまでもない。

 稲穂としても自分の気持ちを持て余しているところなのだ。

 わざわざあんな子に時間を割くことはない。

 そう思ってはいるのだが……。


「小桃様っ、何していらっしゃるんですか」

「あっ、稲穂! おはようございまーすっ」


 回廊を行く途中、中庭の井戸の近くを通りかかると大ぶりな水瓶をかかえる小桃がいた。

 自分の身の丈を全く考えていないのだろう、細い腕はぷるぷると震え、今にも水瓶に押しつぶされそうだ。


「はやく下ろしてください、なんでそんなもの持ってるんですか!」


 稲穂はあわてて庭へ下り、小桃と協力しながらゆっくりと水瓶をやわらかな草の上に下ろした。


「ありがとう! 朝だから水が欲しくって」

「それはわかります。そのために昨日井戸の場所もお教えしました。でも、どうしてこんな大きな瓶を持ってくるんです!」

「え? だって、朝に必要な分用意しといたら一日楽でしょ?」

「それをご自分で運べなきゃ意味ないでしょう?」

「持てるよ、これくらい! 力ならあるんだから」


 みくびらないでよねー、と笑う小桃に、稲穂はがっくりと肩を落とす。


「さっきフラフラしていたのはどなたです?」

「んー、でも、ここでは自分のことは自分でしないと。村のヒトたちいないし」

 

 なるほど、たしかに今までと違う環境に置かれ、小桃としては慣れないことのほうが多いのだろう。狭い世界で協力し合って暮らしていた彼女の認識では、ここに頼れる相手はまだいないのだ。

 しかし、神殿はわざわざ小桃に力仕事をさせるためにここへ連れてきたのではない。


「むしろ逆です。小桃様はいずれ、自分では身のまわりのことは何もしないでいい身分になれるのです」

「へ?」

「お水なら別の者がくみます。お部屋にお戻りください」

「でもォ」

 

 まだ納得しきれていない小桃を、稲穂はじろりと睨む。


「いいですか、小桃様。この瓶ですが、本来適当に扱えるものではありません」

「へ?」

「まがりなりにもここは国の信仰の総本山。ここにあるものは国中からの寄付でまかなわれています。この瓶とて例外ではありません。加えて田舎町の神殿への寄進ならともかく、大神殿への寄進ともなれば生半なものは贈られません」

「……つまり?」

「これ、とっても値打ちある水瓶です。落として傷でもつけたら、壊しでもしたら、簡単に弁償できるものではありません」


 わかりやすく教えてやれば、小桃はざあっと青ざめて瓶から手を離した。


「朝食はもうとりましたか? 鐘が鳴ったら茜高等神官様の講義です。あまり時間はありません」

「で、でも、この水瓶戻さなきゃ」

「こちらでやっておきます」

「稲穂が!? それこそ無理だよ、腕が折れちゃうよ!」

「ご心配なく」


 自分こそその細腕で何をするつもりなのか、とあわてる小桃。そんな彼女をよそに、稲穂はぐいぐいと背中を押して食堂へ行くよう促した。


「こんな重いものわたしが運ぶワケありません」

「じゃあどうするの?」

「わたしは使えるものはなんだって使う主義です。……ああ、ちょうどよいところに。おはようございます、神官様方」


 稲穂がうやうやしく頭を下げた先には、早朝の雑事を終えた三等神官たちが食堂へ向かう集団があった。

 その先頭には彼らのリーダーともいうべき涼也がいる。涼也は稲穂を見るなり輝かしい笑顔を見せた。


「おはよう、稲穂さん! いい天気だね」

「ええ、とっても」

「風見高等神官様といないのは珍しいね。朝食は? もしよかったらいっしょにどうかな」


 にこやかに誘いかけてくる涼也の後ろでは、色めき立つ男性神官と露骨に眉をひそめる女性神官に真っ二つに分かれていた。

 稲穂はそのわかりやすい反応に内心苦笑しつつ、あくまで優雅にさりげなく、かつ強引に小桃を彼らの前に差し出した。


「わたしは大丈夫です。かわりにこちらの小桃様を案内していただけませんか」

「小桃様?」

「昨日新しく来た、わたしと同じ神官仕えの者です。預かりは……大神官様」


 稲穂がそういうと、ハッと神官たちの顔色が変わる。

 噂が広まるのは早いもの、ましてや俗世と離れ娯楽に飢えている神殿だ。この大ニュースは一晩の間に知れ渡っていたらしい。


「ということは、彼女が……!」

「今はわたしの同輩ということになりますが、どうぞよろしくお願いいたします」


 稲穂がまた頭を下げると、小桃はあわてたように「よろしくお願いします!」と勢いよく後に続いた。

 そんなごくごく普通な小桃の態度に、噂と違うぞと首をかしげる神官たちのなか、涼也はなんてことないように言った。

 

「小桃様、ではぼくたちと行きましょうか」

「はいっ! えっと、あの、様、とかつけなくていいので……」

「ふふ、では、小桃さん、と。稲穂さんはどうするの?」

「わたしは、この瓶を片づけてから向かいます」

「え? これを?」


 稲穂が指で示した大きな瓶に、崩れなかった鈴也の笑みが曇る。


「それは無理だよ。こんなに大きい、しかも水が入っている瓶なんて」

「あら、みくびらないでください。力ならあるんです」


 完全に否定されたばかりの自分のセリフを吐く稲穂に、小桃はドングリ眼をより丸くするが、そんなのは無視だ。

 また先ほどの繰り返しのごとく涼也も稲穂を否定する。


「僕が手伝うから。一人では絶対に持たせられない」

「まあ、ご親切にどうも」


「それならぼくが行くよ!」

「いや、力なら俺のほうがある。手伝うよ!」

「いやいや、ぼくが!」


 稲穂の常套句に、我も我もと志願者が名乗りでる。稲穂はにっこりと麗しく微笑んだ。


「男手が三人もいるならば楽々運ぶことができますね。本当に神官様ってお優しい。小桃様のご案内はもともとわたしの役目でしたし、ここは甘えさせていただきます」


 さ、行きましょうか。

 ぺこりと頭を下げたあとは瓶に一切見向きもせず、稲穂は小桃を連れて歩き出してしまう。

 『稲穂と二人での共同作業』を望んでいた面々は、あれ? と束の間動きを止めた。しかし。

 

「東の棟の一番奥の客室が小桃様のお部屋です。正直なところ、運ぶには少し自信がなかったのです。ありがとうございます」


「あ、ああ! まかせてくれ!」

「これくらいなんてことないよ!」

「すぐに追いかけるから!」


 名乗り出てしまった三名は稲穂からの礼にあっさりと頬を染め、意気揚揚と水瓶を運びだしたのだった。


 なにアレ、最低! ひどい人! これだからあの子は!


 神官らしからぬ罵声を背後に聞きながら、ちゃっかり水瓶運びに参加しなかった涼也は颯爽と去っていく稲穂の後ろ姿をじっと見つめていた。




「稲穂ってすごいね」

「何がです?」

「いつもああなの?」

「だから何がです」


 要領の得ない小桃に、稲穂は呆れ気味に箒を動かす手を止めた。

 小桃の一日のスケジュールは単調で、しばらくは午前に講義を受け、午後は稲穂とともに神殿内の雑事をこなすこととなっている。まずは神殿という特殊な環境に慣れてもらうことが目的だ。


 朝食の時からなにか言いたげな目を向けているのはわかっていたが、人目もあるため遠慮していたらしい。

 神官たちが祈祷に励むこの午後のゆったりとした時間を狙っていたのだろう。膨大な歴史ある資料を納める書庫は少しひえてかび臭いが、こそこそ話にはぴったりだった。

 稲穂がまっすぐに、わずかに下にある小桃を見つめる。小心者はそれだけで萎縮してしまうような強さがその目にはあるが、小桃は臆することなくあっけらかんとして言った。


「男を手玉に取ってるって感じ」

「………ふふっ」


 これには負けた。

 ここまであけすけに言われたのは初めてだ。小桃の言葉に嫌悪や侮蔑といった感情が混じっているのなら話は別だが、小桃はだた思ったことを口にしただけなのだ。それほど素直な響きだった。

 怒る気にもなれず、稲穂はくすくすと笑いだしてしまう。


「わたしのここでの立場はとても低いのです。うまく生活するための処世術ですよ」

「うまくっていうけど、女の子からめちゃくちゃ睨まれてた。怖いねぇ」

「まあ一長一短があるのは認めます。でも便利ですよ。小桃様にもできます、重要なのはさじ加減です」

「無理無理! アレは稲穂だからできるんだよ!」

「そうでしょうか。小桃様のお顔でしたら数多の男がひざまずくでしょうに」

「それ嫌味?」

「事実です」


 さらりと流す稲穂に納得がいかないような小桃だったが、息を一つついて塵取りを投げだし床に座り込んだ。もう真面目に掃除をする気をなくしたようだ。

 実を言えば、こういうところが稲穂には好ましい。


「……案外神官って普通なんだね」


 ぽつ、とつぶやく。稲穂は小桃の言う意味を正確に理解していた。


「ええ、その通りです。国と民草の安寧を祈るなんて大層なことを言っていますが、しょせんは同じ人間です。色欲や嫉妬といった下世話な心を抱えているくせに、清廉潔白なのだと自分を偽る類の人間です」

「まあ、おかげで安心もできたけど。ああいう姿でいていいなら、あたしも神官になれるかな」

「自分が人間であるという自覚がある分、きっと『いい』神官になれます。世間一般的にはどうかわかりませんけれど」


 稲穂も箒を手放し、すりガラスのはめられた窓によりかかる。少しまぶしい。


「稲穂ってさ」

「はい」

「ほんっとーに神官嫌いなんだねぇ」

「はい、嫌いです」

「あたしより嫌いって思っている人がいてよかった。ここに稲穂がいてくれてよかったァ」


 そうでなければ、昨日のうちに逃げ出していた。

 小桃は稲穂を見上げて力なく笑う。稲穂はそれに微笑を返した。




 そう、小桃は神官が、いや、正確には神殿が嫌いなのだ。




 狭い村で数少ない子どもであった小桃は、周りの大人たちから盛大にかわいがられてきた。どこへ行ってもお菓子をもらえ、誰と会っても頭をなでてもらえる。特に体の小さかった彼女は甘やかされる対象だったのだ。自分に優しい村が小桃は大好きだ。

 その唯一といっていい例外が、丘の上にある小さな古びた神殿だった。十人も入ればぎゅうぎゅうづめになって、嵐がくるたび倒れそうになっている。在住する神官はおらず、年に一度か二度、他の村からやってくる程度だ。


 そんな形だけの神殿だというのに、小桃は神殿が大嫌いだった。


「だって、うるさいんだもん」

「うるさい、ですか」

「そう。聞いてもいないことをぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。キンキンワンワンうるさいの。耳をふさいでいても頭に響くの」


 神殿に近づくと、小桃は時折声ならぬ声が聞こえたという。内容はたわいもないものばかりだ。次の日の天気、川の魚の成長具合、土の中のミミズのすみか。

 

「でもそれを言ったら母さんに気味悪がられてさ。黙ってることにした。神殿に近寄らなければいいだけの話だし。でも年明のお祈りだけは欠かせないんだ。それに行くの毎年嫌がって、そのたびに親と神官にこっぴどく怒られて、罰が下るって脅されて」


 幼いころ植えつけられたイヤな思い出というのは後を引く。年々小桃の神殿への嫌悪感は増していった。

それだというのに、小桃は何の因果か今ここにいる。


「お祈りだってまともにしたことないのにねぇ」

「なんとまァ……」


 まったく、世の神官が聞いたらさぞ嘆くことだろう。

 小桃の言ううるさい声とは、神官が願ってやまない神々の声に間違いない。その一言を聞こうと日々祈っているというのに!

 この諧謔!


 稲穂が小桃に構いたくなってしまう理由がコレだ。


 信仰が熱心ではない土地で育ち、無知ゆえに大神官への畏敬を持たず、栄誉ある生まれを厭う姿。

 稲穂が『同類』であると判断する材料は十分にあった。

 それを指摘すれば、小桃はまさか大神殿で仲間に会うことができるとは思っておらず、一気に稲穂に心を開いてしまったのだ。


「稲穂は自分を偽物っていうけど、こんな力あったっていいことないよ、ほんと」

「ううん、そうなのでしょうか」

「っていうかさァ、今朝の! あの男神官たち見たァ!? あたしのこと見てコイツが例の神の? 顔だっけ? とにかく例のアレかよって顔したよ!」

「神代の相貌です。何を言いますか。どう見たってそうでしょう」

「ちーがーうーよー!!」


 小桃は茶色の髪を振り乱しながら言った。


「あいつらが想像してたのは、もっと神秘的で完璧で女神みたいな美貌なの! そういうヒトが身近にいたからそれ以上の美貌を期待してたの!」

「わたしですか」

「そう! あーもう、そういうところしっかり認めてるのがまたスゴイよね、稲穂は」

「事実ですから。でも、本当に小桃様はわたしに劣らない容姿だと……」

「お世辞はいらないのっ! これから先が思いやられるよ……。あっ、いたた」

「小桃様?」


 頭を抱えてしまった小桃に、稲穂はあわててしゃがみこんでその背をなでた。

 するとちょうどその時、ゴーン、と鐘の音が鳴り響く。祈祷の開始時間だ。


「ア――――、始まっちゃった」

「やはり、この時間に聞こえるのですね」

「そう。昼過ぎだとはわかってたんだけど……」

「太陽が最も高く上る時間に行う祈祷が、最も力あるものとされています」


 正しかったのか、と稲穂はろくに信じていない経典を思い返していた。


「……ううう」

「辛いのですか」


 稲穂がのぞきこむと、小桃は苦笑いで応えた。


「いやー……。そんなにはひどくない。うるさいのは変わりないけど。稲穂、なんでもいいから話してて。そっちの声に集中していたい」

「え? え、えーと」


 突然そう言われても。稲穂は戸惑いつつも、こめかみを抑える小桃を見てはいられず、なんとか話題を思いつく。


「き、今日のお夕食は白身魚の餡かけです。それとジャガイモが丸々一つ付きます。大きくてほくほくとしているんです。いつも卸してくれている野菜屋さんがいて……」


「違う」


 懸命に口を動かす稲穂を、小桃はやけにハッキリと遮った。まるでヒトが変わったような調子に、稲穂は気圧されるほどの威圧感を覚えた。こめかみに手をあてたまま、小桃はゆっくりと顔を上げる。




「今日の夕飯は、鶏肉のソテーだよ」




 その日の夕食は甘く味付けされた鶏肉のソテーが出された。

 予定されていた白身魚は、市場から運ばれる途中でちょっとした事故があり道端でひっくり返してしまったとのことだった。





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