3. Revaluation from Residents on the Rhine
3. Revaluation from Residents on the Rhine
(ライン川ほとりの人々による再評価)
They are kind--they are the most excellent creatures in the world; but, unfortunately, they are prejudiced against me. I have good dispositions; my life has been hitherto harmless and in some degree beneficial; but a fatal prejudice clouds their eyes, and where they ought to see a feeling and kind friend, they behold only a detestable monster.
彼等(ド・ラセー家)は優しくて、世界一素晴らしい創造物です。ただ不幸な事に、私に偏見を持っているのです。私は善良な性格で、今まで害もなさずに生き、人助けも少しはしました。それなのに致命的な偏見が彼等の目を曇らせ、心ある優しい友を見るべき所に、忌まわしい怪物しか見出さないのです。
Mary Shelley ”Frankenstein; or The Modern Prometheus”
Chapter 15 Monster's words for Mr.De Laceys
メアリー・シェリー 『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』
第十五章 怪物が、ド・ラセー老人に話した台詞
怪物がインゴルシュタットに辿り着いた数日ほど前の事。
ドイツ・ライン川のほとりのある家で、ド・ラセー老人は、いつもの様に、一人で留守番をしていた。
その家の扉を、誰かがせわしなく叩いた。
「誰じゃ?」
尋ねながら、老人は扉に近づいた。
「旅の者です。重傷の人がいるんです。ひとまず、手当が出来そうな場所はここしか見当たらなくて」
扉の向こうから聞こえる声はとても焦っているようだった。
ド・ラセーは、持ち前の親切心から、すぐに扉を開けようとした。しかし、息子のフェリックスに何度も言われた数年前の事件が心に蘇り、開ける事を躊躇した。
「わしは、目が見えなんだ。だから、お主が本当は何者なのか分からん。お主の声は誠実そうに聞こえるが、本当は強盗かもしれん。息子から、知らない人が来たときは扉を開けない様に言われていてな」
扉の向こうの人物は、予想外の返事に少し戸惑っていたが、新たな提案をした。
「…だったら、せめてこの子だけは入れてくれませんか?」
その姿勢に、老人は、扉の向こうの人物をもう一度信じてみようと思った。
「そこまでいうのなら、お主を信じよう。それに、わしでは手当ても出来ぬから、そなたも一緒に入るんじゃ」
老人は扉を開けた。扉の向こうにいたのは、怪物……。
…ではなく、気絶した少女を抱えるゲンファータだった。
ゲンファータは、少女を空いていたベッドに寝かせると、容態を確かめた。今は気を失っているが、命に別状は無いようだ。
一段落着くと、ド・ラセーは、ゲンファータと会話を交わしながら彼の手を握って、その存在を確かめた。
次に、ド・ラセーが、ベッドに横たわる少女の手を握って確かめた時、少女が目を覚ました。
ゲンファータも、心配して少女の顔を覗き込みながら尋ねた。
「君は、この近くのライン川で溺れていたんだ。君の名前は?」
マリアの瞳は、ゲンファータの瞳や髪を見て少しだけ揺れていたが、すぐに、しっかりとした表情となった。
「…マリアです。助けてくれてありがとうございます」
「溺れる前の事を思い出せるかい?」
「はい。お父さんと二人で、小さなボートに乗ってライン川を下っていたんです。そうしたら急に、ボートがひっくり返ってしまって。溺れかけたけれど、すぐにお父さんが私の手を握って、どうにか流されない様に、もう片手で石をつかんでくれたの。でも、私は、そのまま意識をなくしてしまって…」
マリアは、話を途中でやめて、周囲を見回して、誰かを探し始めた。
「…お父さんは?」
その言葉に、老人とゲンファータは凍り付いた。
ゲンファータは、ド・ラセー老人にマリアを任せると、ライン川に戻り、マリアの父親を探し始めた。
日が暮れた頃、ゲンファータは、再び扉を叩いた。
応じたのは、先ほどの老人ではなく、若い男だった。
「誰だ? すまないが、聞いたことがない名前だ。知らない人には扉を開けない事にしていてな。すぐにここから消えなければ、鉄砲で撃つぞ!」
ゲンファータは、先ほどと違って、警戒心だらけの態度に面食らった。家を間違えたのだろうか? 周りには、一軒も家は無いから間違えるはずがないのだが。
ゲンファータが立ち尽くしていると、中で、聞き覚えのある老人の声がした。
「フェリックス。彼は、マリアを助けてくれた人じゃよ。声で分かるから、扉を開けてあげなさい」
扉が開いた。中には、マリアとド・ラセーの他に、先ほどはいなかった人物が三人いた。
最初は、警戒していた三人だったが、少し話すうちに警戒は解けていった。彼らは、ド・ラセーの家族で、ゲンファータが訪れた時は、老人一人で留守番をしている時だったのだ。
それにしても、彼らは、何にそこまで警戒していたのだろうか?
落ち着いた所で、ゲンファータはド・ラセー達に、マリアの父親が亡くなっている事実を話した。
マリアの父親は、マリアを発見した場所から少し離れた川下で、溺死していたのだった。
マリアの母親も大分前に亡くなっており、他に身寄りもいなかった為、ド・ラセー家で彼女を引き取る事になった。
夜も更けようとしている頃、マリアも、ド・ラセーの娘アガサに付き添われて、ようやく眠りについていた。
静かになった家の中で、ド・ラセー老人がゲンファータに呼びかけた。
「ゲンファータさん。マリアを救ってくださって、ありがとうのう」
ゲンファータは、感謝を素直に受け取れず、真相を話す事にした。
「…いえ。俺は、マリアを川で溺れた所を救ってはいません。俺が辿り着いた時、すでにマリアは、溺れた所を誰かに救われ、一命を取り留めていた所でした」
老人は、驚いた。
「不思議な事もあるものじゃのう。要するに、少なくとも二人、マリアの救済者(Rescuers of the maria)がいるという事になるのう。じゃが、どちらにしろ、お主がここまで運んで来なければ、マリアは森の中で亡くなっていたじゃろう。お主も、救済者の一人なのだから、それを誇ればよいんじゃ」
「はい。ありがとうございます」
ゲンファータは、老人の言葉で少し肩の重荷が取れた。
その後、老人は、何日か泊まっていかないかと薦めたが、ゲンファータは急いでいたため、その誘いを断った。
帰り際に、老人はゲンファータに呼びかけた。
「また機会が出来たなら、ここを訪ねてはくださらんかのう。マリアの気晴らしにもなるじゃろうし」
ゲンファータは、再びド・ラセー家を訪れる約束をすると、その地を後にして、インゴルシュタットの方へ向かった。ジュネーヴに向かうはずだったが、何故か胸騒ぎがして、先にインゴルシュタットに向かう事にしたのだった。
それから一月ほど経ち、最初は父親の死に落ち込んでいたマリアも、ド・ラセー一家との新しい生活に慣れて元気を取り戻し始めていた。
そして、今日は、ド・ラセー老人と共に留守番をしていた。
「おじいさん、なにかお話をきかせて」
二人で留守番をしている時に、老人が知っているお話をするのが、この頃の日課となっていた。
「じゃあ、『闘士サムソン』はどうかの?」
「その話は前に聞きました。それに、サムソンより、ゲンファータさんの方が強そうです。ゲンファータさんがいれば、こんな事をしなくてもいいのに」
マリアは、不満そうに扉に、幾重にもかけられた鍵を見つめていた。
そういえば、なぜこんなに、警備を強化しているのか、マリアに話した事はなかったと老人は気づいた。せっかくなので、老人は、それを不思議な話として、話す事にした。
「じゃあ、こんな話はどうかの、マリア。わしが実際に体験した不思議な話じゃ」
わしらは、ここに来る前、もう少し東の方、インゴルシュタットやミュンヘンがある辺りに住んでいたんじゃ。
ある日、わしは一人で留守番をしていた。すると、誰かが戸を叩いた。
わしはまれにこの地を訪れる旅人(stranger)だと思い、戸を開け家の中に招いた。
旅人は、この土地では珍しく、わしと同じくフランスの言葉を話す人でな、同じ言葉を話す事もあって、わしも親切にしてあげたいと思ったんじゃ。
旅人は、わしに救いを求めてきたのじゃ。多分、何か大変な事があったののじゃろう。
そういえばその旅人は何度も、わし達人間の事を創造物(creature)と言っておった。よほど信心深い人なのじゃろう。少し話していたが、わしは目が見えないからもてなす事もちゃんとできんし、途方にくれておった。
その矢先、外から足音が聞こえた。多分、息子達の足音だろう。これでちゃんとこの旅人をもてなせるとわしは喜んだ。だが、旅人はその足音を聞くと、声が怯え、焦っているようじゃった。
足音が家の前で止まった時、旅人は叫んでいた。
「今がその時です! 私を救い、守ってください! あなたとその家族は、私が探し求めた友達です。試練の時に、私を見捨てないでください!」
わしは、旅人に手を掴まれていた。その力は、とても強く放す事が出来なかった。じゃが、それでいて、子供が怖いものを見て親に抱き着くみたいに、小刻みに震えていたんじゃ。
わしは、訳が分からず、「何じゃって! お主は誰じゃ?」と尋ねていた。しかし、それに旅人は答えなかった。掴んだ手がビクッとしたから、聞こえていなかったわけではないのじゃろう。
そこからは、目の見えないわしにはますますわからない状況が続いたんじゃ。
まず、扉が開く音がすると、アガサの悲鳴が響いた。
何かが駆け抜ける音。何かを叩く音。その音がするたびにわしの手を握る力が強まった。時々、かすかなうめき声が聞こえた。
いきなりわしの手が自由になった。助けて…と小さな声が聞こえがそれは息子が叫ぶ罵倒で消された。悪魔、怪物…。更に叩く音が続く。叩く音が止んだ。扉が閉まる音がした。そして誰かがわしに語りかけたんじゃ。
「お父さん。大丈夫ですか?」
それはさっきの旅人ではなく息子の声じゃった。
わしは訳が分からなかったが、しばらくして落ち着いた息子が事情を説明してくれた。どうやら、わしは怪物と話していたらしく、わしを襲おうとしていたから息子が助けたらしいのだ。
息子はまだ近くに怪物が潜んでいるかもしれないといって、家の周りを探索しに出かけた。息子はしばらくして帰って来ると落ち着かない様子じゃった。家の近くの無人の小屋に誰かが住んでいた形跡があり、更にその小屋からはわしらの家を覗く事ができたんじゃ。息子は、この場所から引っ越す事を決め、その日の内にわしらは家を出たのだった。
それ以来、引っ越してからも、息子たちは、知らない存在に対して警戒する様になってしまってのう。
わしも、できるだけすぐに人を信じないで、開けない様に気を付けてるんじゃが。
溺れたマリアを抱えたゲンファータが助けに来た時も、一度は追い払おうとした。じゃが、やはり、わしは人を信じたくて、扉を開けてしもうた。結果的に、マリアを助けられたわけだが、それでも息子は不用心だと少し怒っていたのう。
息子は何度もあの旅人は怪物だったと言っておった。だが、わしには姿こそ分からんが、そうではないように思えるのじゃ。それにこの事件が起きる一年ほど前から、誰かが薪を拾ったりしてくれて、皆で妖精の仕業だとか喜んでいたんじゃが、それが引っ越してから全くなくなってしまったんじゃ。今思うと、怪物こそがわしらの家族に親切にしてくれた妖精かと思っておるんじゃ。
老人は、話を語り終えた。マリアは、話の意外な展開に驚いていた。これは、怖い話なのだろうか、それとも何かと勘違いした面白い話なのだろうか?
「じゃあ、優しい怪物さんだったの?」
「そうかもしれんのう」
老人の優しそうな表情を見ながら、マリアは考え込んだ。
…優しくて、怖い。どんな怪物なんだろう? 優しいもの、おじいさんの笑顔。怖いもの、お父さんが怒った時、お父さんが溺れて死んだ時、私が溺れた時、水……水…たくさんの水
Water, water, every where,
And all the lights did shrink;
Water, water, every where,
Not any boards to seize
Water, water, every where,
Nor any air to breathe.
水、水、周りは水ばかり
そして、光は縮んでく
水、水、周りは水ばかり
掴む船板はなく
水、水、周りは水ばかり
しかし空気は少しもない
『老水夫の歌』第二部改
沢山の水の中で私は、何かに体を掴まれた。息がまた吸えて苦しくなくなった。ぼうっとしながら、目を開けた。光がとてもまぶしかった。光の向こう側で、おとぎ話に出てくる悪魔の様な怖い顔が私を見ていた。けれどもその黄色い目は優しかった。また目覚めると、怖い顔は消えて、心配そうなお父さんの顔があった。
わたしも、優しい怪物さんを見た事がある。
「おじいさん。私、その怪物を小さい頃に見た気がするの」
「何じゃと? マリアは優しいから、わしに話をあわせてくれておるのかのう?」
老人は、マリアの言った事に半信半疑の様子だった。
「本当よ。その怪物って、黄色い顔で継ぎはぎだらけで、黒い髪をして、茶色い目をしていたでしょ?」
老人は、驚きのあまり、息を飲みこんだ。
「…何故知っておるんじゃ? わしは目が見えんが息子達がそう言っておった」
「小さい頃、お父さんとかけっこして遊んでる時に、川に落ちて溺れそうになった事があったの。その時に、誰かが助けてくれて、はっきりとは見てないけど、怖い顔なのに優しい瞳をしていた。でも、お父さんは凶暴な怪物が襲ってきたところを自分が助けたと言って聞く耳をもたなかったの」
老人は話を聞いてから一息ついていった。
「わしは声を聞き善人と思い、マリアは目を見てそう思った。じゃがフェリックスやアガサなど、きちんと目と耳で見聞きした人たちは怪物だと思った。…一体どちらが正しいのじゃろう? どうもわしたちの意見は、他者の恐怖をなくすには不十分なようじゃ」
マリアは、新たに思い出していた。
「昔だけじゃなくて、ゲンファータさんが私を救ってくれた時にも見た気がするの」
ド・ラセー老人は更に驚いた。
「それは、どういう事じゃ?」
「でも、おかしいよね。私を助けてくれたゲンファータさんは、そんな姿をしてないのに。見間違えちゃったのかな」
ド・ラセー老人は、マリアに以前聞いた真実を告げた。
「マリア、お主には話し忘れていたかもしれんが、実は、ゲンファータさんは、お主を運んだだけなんじゃ。もう一人、マリアを川から救った人がいるんじゃが、誰か分からなかったんじゃ」
今度は、マリアが驚く番だった。
「じゃあ、溺れた所を救ってくれた後に、『俺は怪物だ。さらば!(I'm monster. Farewell!)』と言ってたのは、やっぱり怪物さんなの? よく覚えていないけれど、その言葉が耳に残っていて。でもゲンファータさんが言うにはおかしい内容だし、気になっていたの」
「もしかしたら、その怪物さんは、二度も、マリアを助けてくれたのかしれんのう。じゃが、ゲンファータさんの前でこの話はしない方がいいぞ。ゲンファータさんも自分が溺れた所を助けていない事を気にしてはいたが、怪物が救ったなんて聞いたら流石に気分は良くないじゃろう」
「はい…わかっています。ゲンファータさんも私を救ってくれた事に変わりはありません」
老人は、提案した。
「これはわしらだけの秘密にしよう」
マリアは頷いた。
「はい。私は、その怪物さんは優しい人だと思います。だから、怪物さんは、二人だけの秘密の友達ですよね? もし、怪物さんに、また会ったら、助けてくれたお礼をきちんと言いたいな」
「秘密の友達か…。いつか、秘密じゃない友達になりたいがのう。わしもフェリックス達の分まで、怪物さんに謝らないといけないのう。怪物さんは、今頃、どうしておるのじゃろう? 一人でも友達がいればいいのじゃが…」