9. Re; Frankenstein; or the Modern Epimetheus
9. Re; Frankenstein; or the Modern Epimetheus
(再;フランケンシュタイン あるいは現代のエピメテウス
/フランケンシュタイン あるいは現代のエピメテウス について)
They were dead, and I lived; their murderer also lived, and to destroy him I must drag out my weary existence.
彼等は死んだ。だが俺は生きている。彼等を殺めた者もまた生きている。そいつを滅ぼすために、俺は倦み疲れた生を続けなければならない。
Mary Shelley ”Frankenstein; or The Modern Prometheus” Chapter 24 Victor's words
メアリー・シェリー 『フランケンシュタイン』第24章 ヴィクターの言葉
「忌まわしい怪物め!(Abhorred Monster!)」
ある船の中で、ゲンファータは、叫びと共に目覚めた。どうやら俺は、悪夢にうなされていたようだ。
「ようやく目覚めましたか」
健康的な青年が、ベッドに横たわる俺を心配そうに見下ろしていた。おそらく、この船で重要な地位にあるのだろう。
「…ここは一体?」
叫び過ぎていたのか、俺の声はかすれていた。
「ここは、私の船の中です。これから元来た場所へ帰る所です」
俺は、室内を見回して危険がない事を確認すると、少し緊張を解いた。
「そうですか。俺は確か、病気にかかって、そのまま意識を無くしてしまったようですね」
船長の青年は頷いた。
「ええ。本当に重症で、一度は死んでしまったかとさえ思いました。ですが無事に回復したようで、まずは一安心です」
「まだ、本調子ではありませんが、大分体調は良くなりました。ありがとうございます」
二人の間に穏やかな空気が流れ始めた頃、強風が吹き荒れ始めた。嵐が近づいていた。
「あなたをハイチで見つけた時は驚きましたよ。死体と一緒に、燃やされそうになっていたんですから」
そうだ。俺はハイチで倒れてそのまま、意識を失ってしまったのだった。
「そういえば、名乗るのが遅れました。私は、ロバート・ウォルトン。イギリスの探検家です。あなたは、フランス軍の方ですよね? 名前を教えてくれますか?」
イギリスという事は、俺は捕虜になったのだろうか。捕虜だとしても名前を隠す必要は感じなかった。
「アーネスト…」
俺がそこまで言った時、ウォルトンは目を輝かせた。
「…ゲンファータだ」
しかし、俺が名字を名乗るとその目の光は失われた。
「…そうですか。君によく似た人を前に見かけまして。アーネストとウィリアムという弟がいると語っていたから、親戚かと期待したのですが…」
ウォルトンの残念そうな表情に加えて、俺にも同じウィリアムと言う弟がいたから、少しだけ気になって尋ねていた。
「その方の名前は?」
「ヴィクター・フランケンシュタインです」
その名前に、俺は衝撃を受けた。ベッドから身を起こして叫んでいた。
「兄さん! ヴィクターは、ヴィクター・フランケンシュタインは、俺の兄です!」
今度は、ウォルトンが驚く番だった。
「でも、あなたの苗字はゲンファータと…」
俺は答えた。
「訳あって、フランケンシュタインの名前は捨てました。今は、ゲンファータと名乗っています」
ウォルトンは、フランケンシュタインの
「そうですか。私はあなたの兄ヴィクターの最期を看取りました。数年前に親族の方を探してジュネーヴを訪れたのですが、その際にはフランケンシュタイン家の者は、誰もいませんでした。皆、まるで何かの呪いにかかった様に、立て続けに死んでいったと近くの人々から聞きました。ただ一人の生き残り、アーネスト・フランケンシュタインも、行方不明だと」
「すいません。兄さんがジュネーヴを出た後、俺も傭兵になって各地で戦っていたんです」
ウォルトンは事情を察し、深くうなずいた。
「あなたを拾ったのは、何かの運命だったのかもしれませんね。あなたに、ヴィクターの最期について語らなくてはいけません」
俺は固唾を飲んで続きを待った。ウォルトンは真剣な面持ちで尋ねた。
「まず、あなたは、ヴィクターが創った怪物を知っていますか?」
「怪物? それは兄さんの妄想の話ですか?」
俺は兄さんが失踪する前に、頻繁に口にしていた怪物の妄想の事は知っていた。しかし、それが兄さんの最期と何の関係があるのだろう?
「その様子だと知らない様ですね。怪物はヴィクターの妄想ではありません。私も、この目で見るまでは半信半疑でした。しかし、実際にこの目で見たのです。実在しています!」
そして、俺は真実を知った。兄ヴィクターが造った人造人間、怪物の存在とその悪行。そして、フランケンシュタイン家と兄さんに訪れた不幸の原因を。
怪物! 全てお前のせいだ!
「それで、怪物はどうなったのですか?」
ウォルトンからすべての真実を聞いた後、俺は問いかけた。
「怪物は北極の果てで、炎に包まれて死ぬと告げて、姿を消しました」
俺は憎悪に駆られ、詰問する様な目でウォルトンを見た。
「なぜ、アイツを追わなかったのです。兄さんはあなたに怪物を殺せとお願いしたはずだ」
ウォルトンは俺が声を荒げた事に少し驚いているようだった。
「私たちの船はもう北極点に向かう事はできず、引き返すしかなかったのです。今でも北極点に到達した者はいません」
「じゃあ怪物は今…」
まだ生きているのかもしれない。いや、なぜか生きている気がしてならなかった。
その瞬間、俺の中で、まだ見た事のない怪物に対する憎しみが沸き始めた。
しばらくして、船はようやく、嵐を切り抜けた。
嵐が収まった海面を窓から眺めながら、ウォルトンが問いかけた。
「フランケン...ではなくて、ゲンファータ(Genfather)さん、これからどうするつもりですか」
俺は、「フランケン」という言葉に少し身体をこわばらせたが、答えた。
「一度、故郷のジュネーヴに戻るつもりです」
「そうですか。では、最寄りの港で、あなたを降ろしましょう」
「ウォルトンさん、色々とありがとうございます」
俺は、船長であるウォルトンに改めてお礼を言いながら考えていた。
怪物を探そうにも年月が経ちすぎていた。一度、手がかりを見つけなければならないだろう。そもそもまだ生きているのだろうか?
北極海の底で、眠りにつくヴィクター・フランケンシュタイン。あるいは現代のプロメテウスは、いまだ苦痛を受け続けている。怪物が存在する限り。
俺はプロメテウスを救うヘラクレスにはなれない。何もかも終わってから、後悔するしかできないエピメテウスに過ぎない。
ウォルトンは、ジュネーヴの最寄りの港で降ろしてくれると言っていたが情勢的にそれは難しかった。
平時ならば、フランスのボルドー辺りで降りて、大陸を横断するのが一番近いだろう。
しかし、アミアンの和約は破れ、イギリスとフランスは敵同士となっていた。近くのスペインはフランスの同盟国であったし、オランダ、ベルギーは衛星国と化していた。
敵国のイギリス人であるはずのウォルトンは、わざわざ遠回りして、ハンブルク辺りで俺を降ろしてくれた。
何故ここまで親切にしてくれるのか尋ねた俺に、ウォルトンは、イギリス・フランスの国の問題よりも、ヴィクター・フランケンシュタインとの関係の方が重要だからと答えてくれた。
俺は、大陸を南下して、久しぶりに故郷ジュネーヴへ戻る事にしたが、その途中、先にインゴルシュタットに向かうべきだと考えを改めた。兄さんの恩師ヴァルトマンとクレンペを尋ねれば何か情報が得られるかもしれないからだ。しかし、ヴァルトマンの方は旅行中で、クレンペの方は何かトラブルがあって大学を数年前に辞めて、住居を探すのが困難だった。
夜になってようやく見つけたときには、クレンペの家は燃えていた。俺は家に飛び込み、クレンペを救出した。
「クレンペ先生。大丈夫ですか?」
煙を吸い込んで意識不明だったクレンペが目を開け、俺を虚ろに見つめた。
「君は……ヴィクターか? ずいぶん傷だらけになりおって。君もアイツにやられたのか? わしもあの怪物にやられてこのざまだ」
意識が朦朧としていた彼は俺を兄さんと間違えているのだろう。それよりも、何故こんな痛めつけられている? それに怪物とは何だ。
「どういう事ですか? 一体何があったのですか? 怪物? まさか、あの怪物が、あなたを襲ったのですか?!」
しかし返事はなく、クレンペは既に事切れていた。
後日、クレンペの葬儀が行われたが人はまばらだった。そこにヴァルトマン教授が現れ、俺を見て驚いた。
「君は、フランケン……」
俺はヴァルトマンの言葉をさえぎった。
「その名は捨てました。今はゲンファータ(Genfather)と名乗っています」
兄さんが狂った後、一度ヴァルトマンと話した事があった。ヴァルトマンもフランケンシュタイン家の不幸を知っていた。
「そうか…色々あったからな。名前を捨てると言うのも一つの方法だろう」
その後、ヴァルトマンは、クレンペの経緯を話してくれた。
それを聞き、俺は確信を持った。
多分、クレンペは、兄さんの部屋に残された書類などから、怪物を創造した研究に気付いたのだ。
そして怪物の方も、おそらく兄さんの日記か何かの情報から、クレンペの存在に気付き、家に火を放ったのだ。クレンペの言葉はそうとしか思えなかった。それに、俺は燃え盛るクレンペの家から出てきた巨大な人影を見ていた。
怪物は生きている!
俺が確信を抱いたのは、1804年11月の事だった。兄さんが死んでから5年ほど経っていた。
俺も、兄さんが亡くなった年齢に追いついてしまった。クレンペが俺と兄さんを間違えたのも無理はないだろう。
俺はそのままジュネーヴに戻り、フランケンシュタイン家の墓の前に跪いていた。
もはやフランケンシュタイン家の生き残りは俺しかいなかったので、花が供えられていた事は今まで無かった。しかし、そこに花は供えられていた。
墓の前に供えられた紫色の花を見て、俺は怪物がまだ生きている事を確信した。
それは、トリカブトの花だった。その花は、家族を、知人を、俺を、愚弄していた。
復讐の意味を持つ花を、ここに捧げる存在など人間ではないアイツしかいない。
近隣の人々に聞きまわるとすぐに裏は取れた。数週間前に外套で顔を隠した巨人が、ここに花をささげたという。
怪物は生きていた! 俺が死の底から蘇ったように!
俺は、墓の前にあった復讐の花を蹴散らすと、家族に復讐を誓った。
Cursed, Cursed, Creature! Why it live?
呪われた、呪われた創造物よ! 何故、アイツは生きている?
I swear to kill the Monster! Revenge for you.
俺はあの怪物を殺す事を誓う! あなたたちの復讐の為に。
見ていてください。クラーヴァルさん、ジュスティーヌ、エリザベス義姉さん、ウィリアム…そして兄さん。
復讐を誓った俺はジュネーヴの近くを探したが、怪物の手がかりは見つけられなかった。
仕方なく、怪物探しを中断してパリに戻り、スイス傭兵として大陸軍に復帰する事を決めた。
軍隊に所属する事で得られる情報量は桁違いだったし、凶暴な怪物を倒すためにもまだまだ軍人として経験を積む必要があったからだ。
それだけではない。真実を知ればなおさら、兄さんの果たせなかった自然哲学の夢を、ナポレオンに貢献する形で果たさなくてはならないとも思った。
その時の俺は、怪物への復讐と兄さんの夢の成就が両立できるのだと思っていた。
大陸軍にとって、指揮官のルクレールを始め多くの者が死んだ過酷なハイチの遠征から、俺が生きて帰った事は驚きだったようだ。ブードゥー教の秘儀で復活させられた死者ではと冗談半分に言われたりもした。
俺がいない間に、ただの指揮官だったナポレオンは、皇帝となっていた。それに伴い、かつて俺の上官だったマッセナやヴィクトール・ぺランを始め、多くの見知った者は元帥の称号を与えられていた。
ナポレオンは、あのジェンナーの表彰や自然哲学を学ぶ軍人を養成するエコール・ポリテクニークを創ろうとしたりと、自然哲学にも力を入れ始めていた。
ナポレオンによる自然哲学の帝国が築かれようとしている時代だった。
大陸軍に復帰した俺は、1805年9月にウルムでオーストリア軍を破った。
そして、ウルムでこの目で実際に怪物を目撃した。
目を見張る様な巨人で、継ぎはぎだらけの黄色い皮膚に、黒い髪、茶色く潤んだ瞳。
フードで隠していたがその醜い顔は見間違えようがなかった。
怪物の方は遠かったせいもあってか、俺には気づかなかったようだ。多分、兵士に不審者と間違えられるのが嫌で逃げ出したのだろう。
俺は怪物を追いかけたが、オーストリア兵の横槍が入ってしまい見失った。
それから、俺は怪物を再び見つける事が出来なかった。ただでさえ手がかりが少ない事に加え、戦争の混乱が、怪物の探索を悪化させていた。
同年12月のアウステルリッツの三帝会戦に参加し、1806年10月のイエナ・アウエルシュタットの戦いにも参加したりといった忙しさだった。
そんな中でも俺は軍務の間を縫いながら、ライン川沿いやインゴルシュタット辺りを中心に不審者の噂を集め、その現場を捜索した。不審者の噂が間違いで誰もいない時もあったが、住んでいたのは、盗賊、犯罪者、冤罪者等だった。盗賊や犯罪者の中で明らかな悪人は捕らえて引き渡した。
そういえば、俺がアジトを突き止めて、追い払ったアイゴールとか名乗っていた盗賊はとても手強かった。人間の癖に怪物の様な肉体をしていた。その時は分からなかったが、怪物、お前も知っているはずだ。
ゲンファータの問いを受けて、怪物は、親友エーイーリーの元にいたディッペルの助手のイゴールの成れの果てなのかもしれないと考えていた。
ゲンファータは再び言葉を続けた。
だが、怪物は見つけられなかった。
イエナ・アウエルシュタットの戦いの時に、ヴァイマルのゲーテの家でも怪物を目撃したという噂も聞いた。だが、多分酔った兵士がゲーテの家で暴れた、自分の罪を隠すために言った嘘だろう。
そんな調子で、俺が戦いと怪物探しに明け暮れる内に、数年が過ぎた。
怪物、お前はその間、どこで何をしていたんだろうな?
そして1809年、俺も参加したヴァグラムの戦いで、ナポレオンはオーストリアを降伏させた。
長年にわたるオーストリアとの戦いも終わり、俺はパリへと戻った。
そこで、パリに駐在してた仲間から、こんな噂を耳にした。
パリで幾人かの自然哲学者が得体の知れない化物に襲われかけたというものだ。襲われた自然哲学者が異口同音に、人間じゃない化物と主張するので、自然哲学者らしくないと笑われていた。これを聞いたとき最初に思い浮かんだのは兄さんの言動だった。
俺も兄さんが怪物の話をした時、兄さんがおかしくなったと思っていた。兄弟ですら嘘だと思うのだから、もし自然哲学者が本当に化物を見たとしても世間は信用しないだろう。
俺は、その化物が俺の探している怪物と同じではないかと思い、詳しく調査をした。その結果、極秘にラプラスが怪物を捕獲して実験をしているという情報を得た。
俺はパリ郊外のアルクイユに向かい、ラプラスに会った。
そして、ラプラスの口から、怪物が死んだ事を告げられた。始めは疑ったが、ラプラスの語る怪物の描写は、兄さんの造った怪物に完全に一致していた。
更に、死亡時の書類を見て、真実だと確認せざるを得なかった。砲弾によってばらばらになっていたが、こんな巨大な身体を持つのは怪物しかありえない。
少し拍子抜けしたが、これで復讐は終わったはずだった。
同じ頃、オーストリアを下したナポレオンの帝国にも平和が訪れていた。その中で、俺は、エピメテウスの様に、目先のパンドラという偽りの幸福をむさぼった。パンドラの箱が開けられるとも知らずに。




