1. Regain; Michael Faraday; or the Second Prometheus [F]
1. Regain; Michael Faraday; or the Second Prometheus [F]
(回復; マイケル・ファラデー あるいは第二のプロメテウス)
That heard the Adversary, who roving still
About the world, at that assembly fam'd
Would not be last, and with the voice divine
Nigh Thunder-struck, th' exalted man, to whom
Such high attest was giv'n, a while survey'd
With wonder, then with envy fraught and rage
Flies to his place, nor rests,
その頃世界をくまなくさ迷っていたサタン(敵)も
この評判の高い集会に集会に遅れてはならぬと参加し、
この神の声をきき、そのあまりの荘厳さに
まるで雷電に撃たれたように驚き、しばらく
尊い証を与えられたこの人を驚異の思いで、
眺めていたが、やがて嫉妬に駆られて怒り狂い、
休息も取らず、我が家へ帰った。
John Milton ”Paradise Regained” Book I 33-39 line
ジョン・ミルトン 『復楽園』 第1巻 33-39行
1813年3月某日、深夜。
怪物は、自然哲学の伏魔殿(王立研究所)の屋根裏部屋に忍び込んだ。
王立研究所の屋根裏部屋にいる実験助手を脅し、王立研究所の情報を得て内部から崩壊させるのが目的だった。脅すのが目的だから、俺は外套や兜で醜い顔を隠す事もしなかった。
物音に気付き、中で作業をしていた実験助手が俺の方を向いた。互いの顔を見た二人は驚き、同時に声を上げていた。
「君は…あの時の…」
俺は意外な人物との再会に動揺し言葉が出来なかった。一年ほど前に、この王立研究所をにらみつけた帰り道に、水溜りにおちそうになった本を俺が拾ってあげた青年だった。
先に驚きから立ち直ったのは青年の実験助手の方だった。
「あ…あの時は、本を拾ってくれてありがとうございます。本当はあの時にお礼を言うべきだったのに言えなくて…」
「あの時の怪物だ!」と忌み嫌われ、どんな罵詈雑言を聞かされるかと身構えていた俺は、青年から感謝を述べられて面食らってしまった。
「…ああ、あの時の事は覚えている…」
青年は俺にまぶしい笑顔を向けて、話を続けた。
「私の名前はマイケル・ファラデー(Michael・Faraday)です。王立研究所(Royal Institution)の実験助手をしています。あなたの名前を教えてくれますか」
サタンを打ち負かした天使ミカエル(Michael)と同じ嫌な名前だ。名字で呼ぶことにしよう。
俺の名を尋ねるか…俺に名前など誰も付けてくれなかった。怪物、悪魔となら呼ばれたが…。醜い姿をさらしたのだから、別にいまさら偽名も名乗る必要はない。ここは少し脅してやろう。
「俺は…怪物だ(I,m … Monster)」
ファラデーは一瞬キョトンとしたが、すぐに理解した顔つきになった。
「え…ええと、Mr. Mont・Stael(山鋼さん)ですか。 変わった名前ですね」
ファラデーは考えていた。Monster(怪物)と聞こえた気もするが、多分、聞き間違いだろう。少しフランス訛りっぽいし、英国の人ではないのかもしれない。
怪物もまた考えていた。俺は、脅しも込めて怪物と言ったのに、何故この青年は怯えないのだ。それも、「怪物さん(Mr. Monster)」と呼ぶとは俺を罵倒してるのか尊敬しているのか分からない。
「ところで、モン・スタールさん、どういった用件でここにいらっしゃったのでしょうか?」
お前を脅して、自然哲学の伏魔殿を壊滅させるためだ。だが、この感じでは今から言っても通じそうにはないだろう。どうしたものか。
「有名な王立研究所を見に行こうと思ったが、迷ってしまってここに辿り着いたんだ」
ファラデーは少し訝しんだ顔をした。
「それでしたら、昼間にいらっしゃれば…」
「そ…それは何だ?」
俺は話をそらすために、近くにあった赤茶色と銀色の金属が交互に何そうも並んだものを指さした。
俺が指差した変な装置を見ると、ファラデーは笑顔で話し始めた。
「それはボルタ電池です! 亜鉛と銅の金属板の間に硫酸を含んだ紙を挟むと、電気が流れるんです!」
電気だと! 俺を生み出したきっかけの一つ。忌まわしき新しい自然哲学か!
俺は衝撃のあまり、沈黙していた。
だが、ファラデーは自分の話に夢中で俺の変化には気づかなかった。
「この電池を使って、デービーさんは色々な物質の電気分解をしたんです。そこにある、カリウムやナトリウム、カルシウム、マグネシウムなど皆デービーさんが発見したんです!」
そういって、キラキラ光る色々な金属を見せてくれた。中には液体の入った瓶に入っているものもあった。
「これらの金属は、空気と強く反応してしまうので取り出せないんです。そうだ。マグネシウムならその反応がどの位強いか分かります。見せてあげましょう!」
そういうとファラデーは、銀色の粉末を近くの棚から取り出し、ロウソクで火をつけた。
その瞬間、昼間の太陽よりも眩しい閃光が俺の目を貫いた。魂を抜かれた様な気分だった。
目くらましか! 狡猾な自然哲学者め! 優しい振りをして俺を騙したのだな!
俺は叫び声を上げそうになった。
「ごめんなさい! そんなに驚くとは思わなくて…」
視界が戻った俺の目に入ったのは、ばつが悪そうにしているファラデーだった。
目くらましをして、俺を殺すか、逃げるかするのではなかったのだ。
途端に、こんな自然哲学者の術に驚いた俺が恥ずかしくなり、見栄を張っていた。
「…す、少し驚いただけだ。大丈夫だ。あまり、自然哲学には精通していなくてな…自然哲学の他の事も教えてくれないか」
忌むべき自然哲学の話だが、このまま話を合わせ、ここで自然哲学者の魔術の手の内を知っておくのも後で役立つだろう。
ファラデーは少し嬉しそうに首をひねって考えた。
「うーん。では簡単な実験を見せましょう。多分、言葉で説明するより実際に見た方が分かりやすいと思うので」
ファラデーは、小さな水槽の中に水を入れて、ボルタ電池の両端から伸びたケーブルをそれぞれ突き刺した。少しすると、ケーブルの表面に泡が出てきた。ファラデーは泡を両端のケーブルから出た泡をそれぞれ瓶に集めた。そして、片方の瓶を持った。
「こちらには、酸素が発生しています。なので…」
その瓶にロウソクを近づけると、炎が更に赤々と燃えた。
「炎は、さらに明るくなります。一方、反対側には水素が発生しているので…」
もう一つの瓶にも、ロウソクの火を近づけた。ポンっと音がして炎が大きくなってすぐに消えた。
俺は雷撃を受けた様に内心はかなり驚いたが、また驚いたと思われたくなかったのでわざと笑って見せた。
「ファラデーさん。面白い実験をありがとう」
一段落着いたところで、ファラデーは、ふと時計を見て気付いた。
「あ! もうこんな時間だ。実験の準備をしないと、デービーさんに怒られる! すいません。続きはまた
今度でもいいですか」
俺は頷いた。とにかくこの奇妙な状況を整理できる時間が欲しかった。
「モン・スタールさんは自然哲学をあまり御存じない様なので、この本をお貸します。新しい自然哲学・化学を学ぶのに分かりやすい本ですよ。あの時、私の本を拾ってくれたお礼です」
ファラデーは本を俺に手渡すと実験の準備のために立ち去った。
俺は一人屋根裏部屋に残され、しばらく呆然と立ち尽くしてから、我に返り、誰にも会わない様に気をつけながら帰路へとついた。
隠れ家にしている近くのハイド・パークで、俺は考えた。
王立研究所の助手を脅して利用しようとしたのだが、おかしな事になった。
まさか、あの青年がここで働いているとは予測できなかった。なんという運命の巡り合わせだろうか。創造主の悪意でも働いているのだろうか。
それにしても、醜い顔を見られたのにこんな好意を受けたのは初めてだった。まともに俺の事を見て、話してもらえたのは嬉しかった。
ファラデーとなら、友達になれるかもしれない…
だが、友達になれる訳がない!
ファラデーが俺に優しかったのも、俺が前に本を拾ってあげたからだ。多分、拾ったあの時は、恐怖でお礼を言えなかった事が、真っ当な人間として後悔しているからこそ、俺に優しく接したのだろう。
俺の本性を知ったら、俺が人間ではない、本物の怪物だと知ったら、あの青年もどうせ俺を怖がり否定するだろう。
そうだ。どうせ人間は俺を裏切る。希望を抱いた所で失望に終わるだけだ。
だが、少なくとも少しの間は、俺の本性を隠し、この本を読んで話を合わせれば、あの青年から情報が得られるだろう。いや、それどころか、彼を利用する事ができるだろう。
そう思った時、俺の心に、ジュスティーヌに冤罪を着せて死に至らしめたときの狡猾さが蘇った。
俺が、自然哲学者のアイツを騙して何が悪い?
生まれたばかりの俺を、創造主のヴィクターは見捨てた。
ド・ラセーと家族になろうとした俺を息子のフェリックスは追い出した。
溺れていた娘を救った俺の肩を、農夫の父親は銃で撃った。
創造主のヴィクターは俺を騙して、俺の伴侶を目の前で殺した。
俺と共に戦ったブノワは、平和になると仲間に裏切られて無へと還った。
俺の親友エーイーリーは、創造主ディッペルに騙されて短い生を閉じた。
ただ仲良く湖畔で娘と遊んでいただけなのに、別のウィリアムは俺を楽園から追放した。
共に戦い何度も窮地を救った俺をラダイト共は裏切った。
人間は俺を何度も騙し、裏切った。俺が助けたのに、裏切り続けた。俺の善意を人間は悪意で返した。
だから今度は、俺が受けた人間の善意を俺の悪意で返してやる。
偉大なサタンも神に反旗を翻した時、天使ミカエルとの直接対決では負けて地獄に突き落とされた。だが不屈の意志で、楽園に居たイヴを騙し神に一矢報いる事が出来た。
…そうだ。騙すのだ。人間に騙され続けた俺が、今度は人間を騙してやるのだ。
俺は、イヴを騙した悪魔の様な笑み(Fiendish laugh)を浮かべながら、高笑いを続けた。『失楽園』のサタンの台詞が自然と口からこぼれていた。
So farewell hope, and with hope farewell fear,
さらば希望よ 希望と共にさらば恐怖よ
Farewell remorse; all good to me is lost.
さらば悔恨よ 全ての善は俺から失われた
Evil, be thou my good.
悪よ お前が俺の善となれ
『失楽園』 第4巻 108-110行
***
その頃、ライン川ほとりの家に扉を叩く音が響いた。
幼いウィリアムを抱いたマリアが、扉の前に行く前に、強引に扉は開かれていた。かつて、怪物の様な盗賊が強引に開いたように。
扉にいたのは、怪物だった。
…否、怪物の様な姿となったゲンファータだった。
「マリア、ウィリアム大丈夫か?」
血走った目でゲンファータは、マリアとウィリアムを見つめた。
「あなたの方こそ大丈夫だったの? ナポレオンがロシアで負けたって聞いて心配していたのよ」
マリアの目にはゲンファータは傷だらけに見えた。
「…ああ、少し怪我をしたが命に別状はない」
ゲンファータは二人の無事を確認して少し落ち着いた様だ。
「怪物がッ……いや怪物みたいに恐ろしい奴らが来るんだ! とにかくここにいては危ない。大変だと思うが、俺と一緒に来てくれ!」
マリアはゲンファータの異様な雰囲気に圧倒されて、特に深く聞かず、家を離れる準備を行った。ナポレオンがロシアで負けて、また戦争と暴動が起きるから心配しているのだろう。
そして、ゲンファータはマリアとウィリアムを引き連れて、足早に家を発った。
その目は怪物への恐怖と復讐に染まっていた。