18. Reply of Modest Proposals
18. Reply of Modest Proposals
(穏健なる提案への返答)
Whether they would not at this day think it a great happiness to have been sold for food at a year old.
彼らは一歳の子供を食物として売る事を、大変な幸福だと思わないかどうか。
Jonathan Swift
“A Modest Proposal: For Preventing the Children of Poor People in Ireland from Being a Burden to Their Parents or Country, and for Making Them Beneficial to the Public”
ジョナサン・スウィフト
『アイルランドにおける貧民の子女が、両親ならびに国家にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用となる方法についての、穏健なる提案』抜粋
ヴァンセンヌの森を抜け、パリに戻った怪物は、ランフォード伯の家に潜入した。背後に何者かの気配を感じたランフォードは警戒した。
「お前は誰だ? まさかアメリカ人か?」
ランフォードは既に、アメリカ政府から王党派についた罪を許されたが、狂信的な刺客かと思ったからだ。
二人は互いの顔を見て驚いた。かつて、マリー・アンヌの家で遭遇していたからだ。怪物は言った。
「まさかあの時のお前がランフォードだったとはな。まあいい。お前はイギリスで王立研究所を作ったな。全ての人々に自然哲学を普及させるために」
ランフォードは意図が分らないまま頷いた。
「そうだが、それがどうしたのだ?」
その返答に俺は苛立った。
「どうしただと? お前は罪の自覚すらないのか?」
老いぼれたランフォードを見て俺は思った。彼はヴィクターやクレンペほど狂ってもいないし、ラプラスの様な冷酷さも無かった。
「ランフォード。お前はまだ殺さないでやる。それに殺すほどの価値もなさそうだ。だが見ていろ。お前が造った王立研究所を俺が破滅に追いやってやる!」
怪物は悪魔の笑み(fiendish laugh)を浮かべて、消え去った。ランフォードは、怪物なら本当に王立研究所を成功しそうな気がして恐ろしかった。
パリを発った俺は、海沿いの都市カレーに辿り着いた。ここからドーバー海峡を泳ぎイギリスに渡るつもりだ。しかし、岸辺は厳重に警備されていた。どうやらナポレオンが大陸封鎖令を出した影響らしい。もしかしたら、あのランフォードがナポレオンに告げ口して俺をイギリスに渡らせないように警備しているのかもしれない。
俺は警備の隙を縫ってドーバー海峡に飛び込んだが、その時に気付いた見張りに、何発か銃撃を受けた。それでも俺は精神力で泳ぎ続けていたが、巨大な船にぶつかって気絶してしまい、そのまま海を流されていった。
気がつくと俺はどこかに漂着していた。訳も分らず放浪した結果、小さな島で岩だらけだと分った。海を隔てた遠くに大きな島が見えたから、そこがグレート・ブリテン島だろう。怪物は痛みを我慢して、大きな島に泳いでいった。
しかしその大きな島も奇妙だった。畑では小麦が多く育てられているのに、農民が食べるものはジャガイモだった。一体、小麦はどこに行ったのか? 皆、貧しそうだった。
岸辺から見えた町の手前まで歩いた所で、俺はついに疲労と空腹で倒れてしまった。
そこに少年が現れたので、俺は身構えた。次に彼等が取る行動は攻撃か威嚇しかなかったからだ。しかし少年は俺をじろじろと見つめて徐々に近づき、驚く事に俺に話しかけた。
「妖精さん、大丈夫? 具合が悪いの?」
俺は驚きながらも空腹を訴えた。
「何か、食べ物を…」
少年は、持っていた小さなジャガイモを俺に差し出した。ジャガイモを受け取り、感謝の言葉を述べると、少年の父母が呼ぶ声が聞こえ、少年は立ち去った。
ジャガイモを食べて体力が回復した怪物は、放浪の末に今いる島がアイルランドと分り、首都ダブリンを目指した。
ダブリンに大分近づいた頃、ブルーム橋(Broom Bridge)で、少年と鉢合わせてしまった。ちょうどウィリアム位の年頃だった。少年は俺の顔を見て驚いたが、意を決して俺に向かって言葉を放った。
「Quis es tu?」
俺には、何を言っているのか分からなかった。呪詛にしては、俺に質問している様な口ぶりだった。俺が首をかしげていると再び少年は別の言葉を呟いたが、またしても分からなかった。その後、何種類かの言葉を聞かされたが、理解できなかった。少年はイライラして顔を赤くして俺の元をそそくさと離れていった。
少年ウィリアム・ハミルトンは、怪物の元を去った後、自分の力不足に腹を立てていた。今まで見た事もない存在に会ったので、自分の知っているラテン語やヘブライ語などあらゆる言語で会話をしようとしたが、全然通じなかった。
まだまだ勉強が足りない。もっと他の言語も学ぶんだ。
それとも、あの存在は現実の言葉では会話できなかったのだろうか。
ハミルトンがImaginary(虚数、想像上の産物)について考え始めたのはこの時が始まりだったのかもしれない。
ダブリンに辿り着いた俺は、エーイーリーが貸してくれた『ガリヴァー旅行記』の作者スイフトの墓を見つけた。『ガリヴァー旅行記』は、エーイーリーが俺に薦めてくれた本だ。小人国と巨人国で、エーイーリーと二人で、それぞれの国の住人の振りをした事もあった。だが一番の衝撃は、最後の馬の国だった。ある日、エーイーリーがいった言葉は今でも忘れない。
ヤフーは、地球上から根絶すべきかどうか?
Whether the Yahoos should be exterminated from the face of the earth?
エーイーリーは更に続けた。
「私としては、ヤフーを即座に根絶すべきだと思いますが、あなたはどう思いますか?」
ヤフーとは、馬の国に出てくる汚らわしい生物だ。だが、それは人間の比喩でもあった。エーイーリーの言うヤフーとはどう考えても人間の事だった。
その時のエーイーリーは冗談めかして微笑んでいたが、目だけは笑っていなかった。
俺は、ぞっとして、本気で、ヤフー根絶案を否定していた。その意見を聞いて、エーイーリーは笑うのをやめた。
「あなたは優しいのですね。人間はあなたを否定したのに」
俺は、自らの汚れた手を見つめながら、それを否定した。
「俺は優しくなんかない。悪魔だ。かつては俺も同じ思いを抱いて実際に罪のない人々を殺した。だが残ったのは後悔だけだ」
俺はイギリス本土に向かうため、ダブリンの港に停泊していたリヴァプール行きの船に隠れた。
船が出港して少しすると、船員達に貧しい人々が虐げられている様子が壁越しに聞こえてきた。俺は見て見ぬ振りをしていたが、段々と怒りと憐憫が湧いてきた。壁の隙間から覗いて見ると、虐げられていたのは空腹の俺にジャガイモをくれた少年だった。
それに気付いた次の瞬間には、俺は壁を蹴破っていった。
「黙れ。赤い髪やそばかすが、どうしたというのだ? 下らない違いだ! 俺を見ろ! だったら俺は何だ? お前の様なクズこそがこの世界に要らない存在だ!」
憎しみに任せて、その船員を吹き飛ばしていた。他の船員達は驚いたが、大勢で俺を取り囲んだ。
多勢に無勢で、俺は捕まり、目隠しをされ手を縛られて甲板へと運ばれた。俺の手には、どさくさに紛れて少年から渡された短刀が密かに握られていた。
俺は隙を狙って、短刀で手の縄を切り目隠しを下げると、短刀を胸の前で構えた。俺は銃を構える船員達の中から、船長を見つけ、少年を一目見て言った。
「Farewell (さらば)」
それと同時に、俺は短刀を船長めがけて投げると、海へ飛び込んだ。そして、彼方に見える半島を目指して泳ぎ始めた。
投擲されたナイフは、一直線に船長の左腕に刺さった。船員達は、船長の負傷に混乱した。その隙に、アイルランド人達は船員の武器を奪っていた。船員達を小船で追い出すと、アイルランド人達は、新天地アメリカへと船を向けて旅立っていった。
***
後にイェイツがアイルランドの神話、伝説を集め編纂した『ケルト妖精物語』には、一人で暮らす妖精達(Solitary Fairies)の一人として、ある妖精の伝説が載っている。
ファー・ゴルタ (Fear Gorta)
これは痩せ衰えた妖精で、飢饉の時に国中を巡り歩きながらもの乞いをする。そして食べ物を恵んでくれた人に幸運をもたらす。