16. Release of Agonized Agonistes
16. Release of Agonized Agonistes
(苦悶に塗れた闘士の解放)
This one prayer yet remains, might I be heard,
No long petition, speedy death,
The close of all my miseries, and the balm.
もしまだ一つだけ願いが聞き届けられるなら
長くは無い願いがあります。速やかな死です。
死は全ての悲惨の終結であり、慰めです。
John Milton ”Samson Agonistes”649-651 line Samson's words
ジョン・ミルトン 『闘士サムソン』 649-651行 サムソンの台詞
怪物はラプラスに捕まり、地下牢に閉じ込められた。そして、重労働と苦痛を伴う実験の繰り返しの日々を過ごし続けていた。ラプラスへの憎悪は日に日に激しくなったが、それよりも、苦痛の無い死を願う事が多くなった。
しかし死ぬ事は出来なかった。ラプラスが貴重な実験材料である俺の死を許さないからだ。アイツは致命傷になる場所を常に避けて実験し続けていた。
今日は、一段と辛い実験で牢獄に戻ってからも体から血が流れ続けた。その時、大勢の足音が聞こえた。その音は段々と大きくなっていた。
多分、敵が俺の苦痛を眺め、俺を虐げようと近づいているのだろう。俺を更に苦しめる事が奴等の日課なのだ。
(Perhaps my enemies who come to stare at my affliction, and perhaps to insult,thir daily practice to afflict me more.)
足音は更に大きくなり、ついに止んだ。俺は次に来る苦痛に耐えようと身構えた。しかし、俺が感じたのは温かさだった。温かさを感じた背中の方を振り返った。傷口を舐めている鹿とその後ろに数多の動物たちがいた。更にアルバトロスが肩に留まった。俺は本当の意味で一人ではなかった。その事に気づき、俺は語りかけた。
「友よ。お前たちが来て、私を生き返らせてくれた。(Your coming, Friends, revives me)」
怪物は中でも、あるアルバトロスと鹿の二人と特に仲良くなった。俺は、アルバトロスにサム、鹿にウィルと名付けた。二人もその名前を気に入ったようだ。
友が出来た事は、俺の心に希望を与えた。俺は友達と共にこの牢獄から出たいと強く思う様になった。
ある日、自然哲学というダゴンの祭典があるらしく、俺は牢獄から連れ出される事になった。捕まった最初の方こそ、鎖につながれる事に抵抗していたが、最近はおとなしく従った方が痛い目にあわない事を知り、あまり抵抗しなくなっていた。
しかし今回は作戦があったため、わざと抵抗した。その隙を縫い、俺は綱を長めに隠し持つと叫んだ。
「彼らの策謀を試せるのなら本望だ。少なからぬ人に害を与えるだろうが。(I could be well content to try thir Art, which to no few of them would prove pernicious.)」
ただの強がりと思い、誰も怪物のいう事を気にしなかった。
怪物は天井に吊るされていた。来客用のいつものモンスターハンティング(Monster Hunting)だった。縄が緩められ怪物が下に落ちていくのと同時に、銃弾が発射されるのだが、いつも避けられなかった。未だに仕組みは分らなかった。俺は、縄を長くすれば銃弾より重い自分の方が早く落ちるため銃弾を避けられると考えた。更に地面に足を着ける事も出来る。
ついに縄が緩み、同時に銃弾が発射された。俺は隠し持っていた余分な縄を緩めた。これで銃弾は当たらないはずだ。そう思った直後、体に痛みが走った。何故だ? なぜ銃弾が当たるのだ? 予想外だったが、大した傷ではなかった。怪物は『慣性』を知らないが、痛みには『慣れていた』(Monster don't know Inertia, but remains inertia of pain.)怪物は地に足をつけた。
怪物は驚いたラプラスに向かって叫んだ。
Hitherto, Lords, what your commands impos'd
I have perform'd, as reason was, obeying,
Not without wonder or delight beheld.
Now of my own accord such other tryal
I mean to shew you of my strength, yet greater;
As with amaze shall strike all who behold.
族長ども、今までは訳があって、
つとめて 命ぜられた事をやってきた。
観衆の驚嘆と歓喜の的となるように。
だが、今からは こちらから進んで、すべての観衆が驚愕して
振るえ上がるような別の力業をやってのけ
もっと凄い、怪力を見せてやるぞ
John Milton ”Samson Agonistes”1640-1645 line Samson's words
ジョン・ミルトン 『闘士サムソン』 1640‐1645行 サムソンの台詞
そして繋がれた縄を怪力で回し、天井にあったものを下に落とした。人々は逃げまどい、その隙をぬって、俺は実験動物の檻をこじ開け、鹿やアルバトロスと共にラプラス邸を脱出した。遠くに木々が生えている場所が見えたので、とりあえずそちらに向かって走り続けた。
怪物が逃げた後の混乱が収まった後、ラプラスはゆったりと椅子に座り直し、懐中時計を取り出した。懐中時計の文字盤には、一から十までの数字しか書かれていない。フランス革命期に制定された十進化時間に基づく時計だからだ。
ラプラスは革命当時に思いをはせ、ラボアジェの処刑も思い出した。そういえば、あの時もさっきの怪物みたいな自然哲学は悪だとほざく馬鹿がいたな。自然哲学を馬鹿にするのなら、その力で処刑してやろう。ラボアジェの復讐だ。
「あの囲みを突破したか。予想外だったな。怪物を今から追っても間に合わないだろう。大砲を使って怪物をしとめる」
人々が大砲の準備を始めた。ラプラスは望遠鏡で怪物の行方を追った。片目で望遠鏡を覗き、もう片方の目で懐中時計を眺めた。
「目標は、近くのヴァンセンヌの森へと向かっているな」
ラプラスはそうつぶやくと、傍らにいた兵士に望遠鏡を渡して言った。
「あの化け物の行方を望遠鏡で追え。もし進路を変えたら連絡しろ。頭の良い人間でさえ、慌てると直進しかしない事が多いのだから、あの愚者が進路を変える事はないだろうが」
ラプラスは机に向かって、弾道計算を始めた。すぐに計算し終えると仰角と火薬量を指示した。数十秒後、大砲の準備が終了した。
「あと、5秒。4、3、2、1、発射!」
大砲から砲弾が発射された。
怪物は近くの森に向かって逃げた。ようやく森の入り口に近づいた時、誰かとぶつかった。ぶつかった方は俺の姿を見て驚き逃げて、俺は驚いて立ち止まってしまった。その時、目の前で逃げている人間が砕けた。
ラプラスの前に、砲撃地点を調査した報告が来た。
「目標はバラバラに砕けて死んだと思われます」
彼は興味を失った。
「そうか。あの囲みを突破したほどだから、危険だと思ったが所詮その程度か。もう下がっていいぞ」
ラプラスは高笑いを上げてラボアジェに語りかけた。
「ハハハ、ラボアジェ、科学に抗う愚かな存在を処刑してやったぞ! 砲弾による即死だ。君が殺されたギロチンと同じく、人道的だろう」
森に隠れた怪物は叫んだ。
「なんて強さだ。アイツは全知全能の神の様だ。そしてサタンの武器である大砲すら持っている。アイツには勝てそうにない。俺にあの『失楽園』の天使達の様に力があれば、大砲を撃ってきたアイツに向かって、モンブラン山を投げられたのに。俺と共に自然哲学を破壊してくれる仲間が欲しい。とりあえず今は傷が回復するのを待とう。それが終わったら、今度こそランフォードに裁きを下す」
***
それから数ヵ月後、ゲンファータはラプラスの元に現れて問いかけた。
「ここに怪物が来たはずだ。そいつの行方が知りたい」
ラプラスは白を切った。
「怪物とは何の事でしょう?」
しかし、その声は何かに怯えている様に少し震えていたため、ゲンファータは不信感を抱いた。
その夜、ゲンファータは密かにラプラス邸に忍び込んだ。しばらく調べまわった後、地下から何か物音がする事に気付き、彼は地下へ降りていった。地下の奥の部屋の扉が開いたままで、中から明かりが漏れていた。彼が近づくと中からの声が聞こえた。
「あれは得がたい逸材だったのだぞ! 何故、それを大砲で木端微塵にした?」
別の怯えた声が聞こえた。それはラプラスの声だった。
「申し訳ありません。…あんな怪物を生かしておいては危険だと思ったのです」
声の主はその返答が気に入らなかったらしく、ラプラスが罰を受け苦しむ叫び声が聞こえた。ゲンファータは覚悟して部屋の中に入った。部屋にいたのは、苦しんでいるラプラスと生きている首だった。首はゲンファータを見つけると言った。
「おや、客人かね? ラプラス、お前の知り合いか?」
ラプラスは弁解した。
「いきなり尋ねてきて、怪物を探していた男です。もっと警備を厳重にすべきでした」
首は怪物という単語を聞いて、ゲンファータに強い興味を抱いたようだ。
「あの怪物を探しているのか。何故だ?」
ゲンファータは答えた。
「俺の周囲に不幸を撒き散らした怪物に復讐するためだ」
首は残忍な笑みを浮かべた。
「君とは馬が合いそうだ。君は隠しているが私と同じ、知識への欲求を持っている。私に協力してくれ! 共に完全な知識を得て神に等しい存在になろうではないか」
ゲンファータは否定した。
「お前と一緒にするな。俺は、そんな知識を望んでいない!」
首は呆れた顔をした。
「ならば仕方ない。消えてもらおう」
その言葉と共に、ラプラスが立ち上がり、近くにあった剣を取ると、凄まじい勢いでゲンファータに切りかかった。とっさの出来事に、彼は避ける事ができなかった。彼の頭上に剣がきて、切られるかと思ったがそこで止まった。ラプラスが剣を振り回そうとしている片手を反対の手で強引に押さえつけたからだ。ラプラスはまるで二人の人間が喋っている様に言った。
「あの首を…オマエヲ…撃って下さい…コロス」
ゲンファータは、そのチャンスを活かし首に銃弾を放った。首は血を流しながら呻いた。
「ホムンクルスの次は、こんな愚かな傭兵に殺されるとは…」
首が絶命した後、正気に返ったラプラスは過去を話し始めた。
恐怖政治の時代に、多くの人々がギロチンで殺された事は、君も知っているだろう。ギロチンで殺された人々の中に、ラボアジェがいた。私は彼とは知り合いで、自然哲学上の仕事を共同で行った事もあった。
ラボアジェは処刑の時に、最後の実験を行った。ギロチンで首を切られた後、どれ位意識が続くのかを調べるため、意識が続く限り瞬きを繰り返すというものだ。弟子に聞いた所、彼は十数秒ほど瞬きを続けていたようだ。
私はその話を聞き、切られた首の蘇生が可能ではないかという妄想に取り付かれた。それから私は密かに、首が切られた死体を見つけては蘇生実験を繰り返していた。ラボアジェの頭脳は、ラグランジュが嘆いた様に百年に一度の逸材だった。そんな優秀な頭脳が消えた悲しみと、自分自身もギロチンで処刑されるのではという恐怖が原動力だったのだ。
しかし何回やっても蘇生には成功せず、諦めかけていた。その時、ライン川近くで見つかったという奇妙な首が私の元に届いた。
まるで生きているかのようにつやがあり、髪も伸び続けているという。
実験した結果、その首は目を開け喋りだした。蘇生に成功したのだ! その首はディッペルと名乗り、知識を得る実験に失敗して首だけになってしまったと語った。更に彼は知識について力説し、自らの野望を述べた。
「自然を動かす全ての力と全ての存在の状態に対する知識を得れば、全知全能の神になれる」
私はディッペルの知識の多さと彼の野望に強烈に引かれ、彼に協力した。最初は、私が彼に協力していたが、しかし彼は巧みな話術や催眠術で、私のもう一つの人格を呼び覚まし、彼の命令に服従する様にしむけていた。いつの間にか立場は逆転し、私はディッペルに隷属する様になった。そして、彼が再び肉体を得るための実験に私は従事させられていたんだ。
ラプラスは話し終えると改めてゲンファータに感謝を述べた。ゲンファータは本来の目的に戻り、怪物について尋ねた。ラプラスは今度は正直に真相を告げた。
「あの怪物なら本当に死んでいる。逃げ出した時に、砲弾に当たって木端微塵になった。特別に記録を見せよう」
ゲンファータは、着弾現場をスケッチした記録を見た。怪物と思われる死体はバラバラに砕けていて、全体を把握する事は難しかったが、残った手や足の部分は異常に大きく、人間のものとは思われなかった。人間でないとすると怪物しか考えられず、ゲンファータは怪物の死を認めざるを得なかった。
怪物の死を知り、少し不本意な形で復讐を終えたゲンファータは途方にくれた。
彼はふと、マリアがヴァンセンヌの森近くの修道院にいる事を思い出し、そちらへと足を向けた。