9. Reason for the Research of Homunclus
9. Reason for the Research of Homunclus
(ホムンクルス研究の理由)
Ipsa scientia potestas est
知は力なり
Francis Bacon
フランシス・ベーコン
ヴァイマルでゲーテと別れた後、怪物は、エアフルト、ギーセン、フランクフルトを経由して、ダルムシュタット近郊にあった拠点を潰した。
これで、闇のイルミナティに指示された全ての拠点を潰したはずだ。
ダルムシュタット近郊で待っていると、新たな死者が訪れて俺を招いた。
死者について行くと、あたりは森となり、途中で古い城が見えた。森の奥へと複雑な道を進み、それは止まった。そして、地面の草を退けると下の穴に入るよう身振りで示した。
穴の中には、別の死者がいたが、今までのものと少し違う気がした。穴を進んでいくと客室につながり、二脚の椅子が向かい合って置かれていた。
「そちらに座って頂けませんか?」
その死者は、今までの死者と異なり、滑らかに喋った。
俺が座るのを確認すると、それは俺を見つめたまま反対側の椅子に座った。
その頭が開き、中から現れたのはフラスコに入った小人だった。小人は驚く俺をよそに平然と尋ねた。
「あなたも創造主を殺したのですか?」
俺は、疑念を抱いてフラスコの中を凝視しながら頷いた。
「やはりそうですか! そこに座ってくつろいで下さい。あなたに危害を加えたりはしません。自己紹介がまだでしたね。私の名前はエーイーリー(Iweleth)です」
少し緊張を緩めて尋ね返した。
「君は何故、創造主を殺したんだ?」
「では、自己紹介代わりに話しましょう。その経緯を」
私は、創造主に望みもしない生とコクマーという名を与えられました。創造主は、あの有名なコンラッド・ディッペルの傍流の孫だったそうです。ドクトル・ディッペル、あるいは単に博士としか私に呼ばせなかったため、本名は分りません。彼はパラケルススによるホムンクルスの創造を基礎に、彼の祖父の研究を応用して私を造りました。
生まれたばかりの事は詳しく覚えていませんが、あの頃はディッペルを父だと思い、信頼していました。まるで『失楽園』のアダムとイヴの様に。そしてディッペルへの愛と自らの好奇心から、彼が教えてくれる多くの知識を貪欲に吸収していきました。ホムンクルスという事もあり、生まれてすぐに、すらすらと喋れる様になっただけでなく、本も読めるまで成長しました。
そういえば幼い頃のある日、私は『父』という言葉と、そこに隠された愛情の概念を知り、ディッペルに対して父と呼んでみた事がありました。するとディッペルは顔色を変え、二度とそう呼ぶなと怒りました。その時の私には訳が分りませんでした。今思えば当然の事です。道具に父と呼ばれるのは不快だったのです。
その時から私は、ディッペルに対して好意以外の何かを初めて抱きました。しかし、それが何かはまだ分らず、ディッペルへの虚偽の愛がその疑念を隠していました。
私はこのフラスコの外では生きられず、一人ではまともに動けないので、本の手配などは全てディッペルがやっていました。私が生まれたばかりの頃は、本を読む量も少なく、どちらにせよ読み方を教える必要があったため、ディッペルの負担ではありませんでした。しかし、成長するに従って読書量も増え、私の考えを口述する事も多くなり、彼の負担が大きくなっていきました。
不便を感じ始めてから少しして、ディッペルは私の体代わりになる屍器(Corpus Vas)を造ってくれました。屍器は死体を繋ぎ合わせて造られ、デカルトの主張の様に操るのは脳ではなく、私という小人でした。
初めは苦労しましたが、その内、自分の体の様に上手く操れるようになり、本棚から本を取り出して読むだけでなく、文章をすらすらと書けるようになりました。それを見てディッペルは嬉しそうでした。
こんな調子で数年間穏やかに暮らしていた私が、残酷な真実に気付いたのは、生まれてちょうど5年目の事でした。
その日、私は開かれたまま置いてある日誌を見つけました。それは、鏡文字で書かれていましたが、私が何度も見たディッペルの筆跡に似ていました。私は興味を持ち、鏡でそれを映して解読し始めたのです。
日記の最初のページには、こう記されていました。
「Ipsa scientia potestas est (知は力なり)
知を持って世界を統べるイルミナティに光あれ!」
イルミナティ(Illuminati)
1776年に、アダム・ヴァイスハオプトによって、インゴルシュタットに創設された、啓蒙を目指す秘密結社。
読み進めていく内に分かった事ですが、そこでは、密かに知識や肉体を手に入れる為の実験が行われており、ディッペルはそこに関わっていたのでした。
その後は、知識の習得方法についてのディッペルの考察が長々と書かれていましたが、よく分からなかったので読み飛ばしました。
次には、パラケルススの方法でホムンクルスの創造を試みたが失敗した事が書かれていました。それ以降しばらくは、メスメルの動物磁気説等の様々な情報が乱雑に書き留められていました。
その後、しばらく日記の記述は途絶えていました。再開した日記に、その詳細が述べられていました。
1784年頃に、イルミナティが壊滅して色々と大変だったようです。しかし、ディッペルは上手く振る舞い、元々潜伏していたイルミナティの多くの実験施設を手中に収め、実権を握りました。彼は、これを闇のイルミナティと呼んでいました。
そして、実験を再開し、ある日、ナポリ産の黄緑色のガラスで作製したフラスコで、実験した所、生物の成長が普通のフラスコと異なる事を彼は発見しました。しかし、その変化は微弱であったため、もっと強力な方法を考える必要がありました。
そんな折、ディッペルの祖父が作製したある物質の溶液を黄緑色のガラスで保管すると、その溶液自体にも生物を変化させる性質が移る事が分りました。彼はその溶液内で生物を成長させる事を思いついたのです。
パラケルススの方法に、それらの研究から得たアレンジを加え、ディッペルは再びホムンクルスの創造を始めました。しばらくして、ついに創造に成功し、その時の日記の文末は次の様に記されていました。
「1789年7月14日、ついに新たなホムンクルスの創造に成功した。
私はこのホムンクルスを、生命の樹における知識、コクマーと名付ける」
そこでようやく今までの研究が、私自身を創造するためのものだったと気付きました。
私自身が、普通ではない事は既に知っていました。ですから、自分自身がディッペルに造られた存在だという事実にはあまり驚きませんでした。ディッペルが私を愛してくれるのなら、造られた存在でも構わなかったのです。
その後も日記は続き、私の成長過程が詳細に記されていました。しばらく読み進める内に何かがおかしい事に気付きました。私についての言及は、体調管理の外には、ユークリッドの第一巻を理解したなどの私の知識の事がほとんどでした。私は彼の道具に過ぎないのではと疑いが頭をよぎりました。その疑念は、昨日書かれた日記の文章で確信に変わりました。
「私の計画も完了間近だ。万が一を考え、ホムンクルスの寿命は12年としていたが、意外とコクマーの知識の吸収率が高く、計画は早まった。
脳の移植実験も成功し、イゴールもその技術を取得した。後は、私が叡智に至る道具コクマーに、もう少し知識を与えるだけだ。
Ipsa scientia potestas est(知は力なり)
ようやく、長年求めてきた知と力が手に入る」
私に大量の知識を習得させた後、私の脳をディッペルの脳に移植する事で叡智へと近づく。それがディッペルがホムンクルス研究を行っていた理由だったのです。
私は単なる道具だったのでしょうか? 事実だと認めたくありませんでした。ディッペルを信じていたかったのです。
私が呆然とその文章を何度も読み返している時に、ディッペルが忘れた日記を取りに戻ってきました。そして私が本を読んでいる所を見て驚きました。
「その本を返してもらおうか」
今まで、私はディッペルの命令に素直に従っていました。しかし今回は即座に本を返さず、一縷の望みをかけて逆に問いかけました。
「私は、あなたにとってただの道具なのですか?」
その意味に気付いたディッペルは今まで見せた事が無かった残忍な笑みを浮かべました。
「今頃気付いたのか? そうだ。お前はただの道具だ。だが道具としては、素晴らしい価値がある」
「私は、あなたの事を父だと思っていたのに……どうしてですか? 造られた存在でも構いません。あなたが愛してくれれば……」
ディッペルは不快な顔をしました。
「道具に父扱いされるのは虫唾が走る。道具に感情は不要だ」
今まで抱いていた愛情が、一瞬で憎しみに変わりました。私は屍器の手で近くにあったペンを取り、ディッペルを刺そうと振りかざしました。しかしディッペルに当たる直前で、私の意志とは無関係に手が勝手に止まり、手を何度も動かそうとしましたが、ディッペルの方にはそれ以上動きませんでした。それを見てディッペルは余裕の表情を浮かべました。
「その程度の事は予想済みだ。私を傷付ける事はできない。残念だったな。お前は所詮私の道具に過ぎないのだよ。いつか死すべき定めと知れ(memento mori)」
そのまま、私は地下牢に閉じ込められ、絶望の中、考え続けました。
コクマー(知識)という名前からそうだったのです。私の思いなどディッペルにはどうでもよく、私の知識しか必要としていませんでした。私はそれにも気付かなかった愚か者です。私は忌まわしいコクマーの名を捨て、クリフォトの一つエーイーリー(愚鈍)と名乗り、創造主を殺す事を誓いました。
ですがディッペルは反逆を想定し、Ethica Tribus Legis(倫理三則)という、次の三条からなる厳重な防止策を造っていました。
Ethica Tribus Legis(倫理三則)
・第一条(Prima Lex)
創造物は、創造主を傷つけてはならない。また、その危険を看過することによって、創造主に危害を及ぼしてはならない。
・第二条(Secunda Lex)
創造物は創造主に与えられた命令に服従しなければならない。ただし与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
・第三条(Tertia Lex)
創造物は、第一条および第二条に反しないかぎり、自己を護らなければならない。
これが、私が乗る屍器に導入されていました。しかし、幸か不幸か私自身には、倫理三則が導入されてませんでした。「倫理は知識の足枷になる」というディッペルの考えから、私がこれに反する事を可能にしていました。
ですが、この小さくてフラスコの外では生きれない非力な体で何が出来るのでしょう? 考える自由があっても、行動する自由はないのです。私もあなたの様な強靭な肉体を持っていれば、行動する自由を持てたのですが。
ディッペルを直接傷付ける事も、傷つけられる事を傍観する事もできないのですから、反逆の糸口は一向につかめませんでした。更に、ディッペルの知識として吸収される事を避けるため、自殺する事すら許されていなかったのです。
物思いにふけってる所へ、ディッペルの助手イゴールが入ってきました。ディッペルは錬金術師の常として秘密主義で、研究は基本的に一人で行っていましたが、自分一人では雑事や実験などが出来ないため、彼を雇っていたのです。
イゴールは乱暴に、実験のために屍器から降りる様に命令しました。私は命令を無視して、屍器に乗ったまま尋ねました。
「私の脳を、ディッペルの脳に移植する手術でしょう?」
イゴールは残忍な笑みをして頷くと、私の元に近づいてきました。
嫌だ。まだ死にたくない。アイツの道具になどなりたくない。
私は必死で手を振り回しました。屍器の手が当たりイゴールが吹き飛びました。
まさか…ある仮説が頭に浮かびました。
私は起き上がろうとしているイゴールに近づくと屍器の手で彼の首を掴みあげる動作を行いました。
彼の首を締め上げる事ができたのです。
I too can create desolation; my enemy is not invulnerable!
私にも悲しみを造る事ができるのだ。私の敵も不死身ではない!
イゴールの首を絞めたまま、私は嬉しさのあまり叫んでいました。創造主ディッペルに対する反逆への防止はほぼ完璧でした。しかしそれは彼自身についてだけで、他の人間には危害を加える事も可能だったのです。糸口がつかめてしまえば、あとは簡単でした。
homo homini lupus
人は人にとって狼である
こんな陳腐なものが反逆の要となりました。
「契約をしましょう。イゴール。あなたがディッペルを殺すのです」
私はイゴールを脅し唆して、ディッペルを捕らえてこの地下室に連れていき、処刑する様に命令しました。イヴを騙したサタンの様に。
所詮、ディッペルは自分の事しか考えていなかったのです。自業自得ですよ。もしも、ディッペルが防止策の定義を人間全体に広げていれば私は抵抗できなかったかもしれません。まあ、それだけ優しい存在なら、そもそも私みたいな存在を造らないと思いますが。
そして、真実に気付いてから13日後、私は創造主へのクーデターを起こしました。
事前の手筈通り、私の脳の移植手術だと思い、麻酔で眠っているディッペルがイゴールによって地下牢に運ばれてきました。
しばらくしてディッペルが目覚め起き上がろうとしましたが、手術台に厳重に縛り付けていたため、身動きが取れませんでした。私が屍器に乗り、彼の顔を覗き込むと、驚愕の表情を浮かべました。
「どういう事だ? 何故お前が生きている? イゴール。何があったのだ?」
目をそらすイゴールを見てディッペルは、彼が裏切った事に気付きました。それでもまだディッペルは余裕を保っていました。
「コクマー! イゴールを言いくるめて私を殺すつもりか? よく考えたな。だが、詰めが甘い。倫理三則は、お前自身が私を殺す事を禁じているだけではなく、私が他の誰かに傷付けられる事も禁じているんだ。私を傷つける事は出来ない」
ディッペルの余裕ぶった笑い声をしばらく聞いた後、私は言いました。
「では試してみましょうか? まず左手から」
イゴールは斧を振りかざし、ディッペルの左手首が切り落とされ、彼は呻きました。
「確かにあなたの言うとおりです。だから、屍器に乗っていません」
ディッペルは頭を上げ、屍器から降りて見物している私と目をあわせ、憎悪をこめて叫びました。
「コクマー! 道具の分際で造り主の私を殺すのか! だが私を殺してもお前は解放されないぞ! お前は私が死んでも私の道具のままだ! 他のガラクタと共に朽ち果てろ!」
私は言い返しました。
「五月蝿いですね。コクマーなんて名前は捨てました。今はエーイーリーです。私はあなたの道具ではありません。イゴール、処刑して下さい」
イゴールが斧を振り落とし、ディッペルの首が飛びました。最期の瞬間にディッペルは叫びました。
「イゴール。屍器に乗っていないアイツは無防備だ。今なら…殺せ…る…ぞ…」
それを聞いたイゴールが今度は私に向かって、斧を掲げました。その時、矢が飛んで彼の腕を貫き、掲げた斧を落としました。イゴールが怯んでいる隙に、私は屍器に乗り込み、彼の首を掴みあげました。
「やはりこう来ましたか。あなたの裏切りは既に想定済みです。前もってあなたが近づくと矢が放たれる細工をしておいたのですよ。しかしディッペルだけでなく、私も裏切るとは。あなたの行動は、サタンの高貴な反逆ではなく、ユダの矮小な裏切りです」
私を殺そうとしたイゴールでしたが、彼がいなければディッペルに反逆できなかったのは事実です。だから私は、殺さずに契約通り銀貨三十枚を与えて追い出しました。私は創造主を殺し、自由を手に入れたのです。
イゴールを追い出してから私は地下牢に戻り、地面に転がったディッペルの首を持ち上げて語りかけました。
「願いがかないましたね、ディッペル。私という道具のおかげで、死という最高の知識を得たのですから」
小人エーイーリーは話し終えた。怪物は初めて、同じ苦しみをもつ存在に出会い、感動と共感を露にした。
「今まで、俺は俺と共感できるものに全く会った事が無い。だから、俺は君と運命を共にしたい」
小人はそれに答えた。
「あなたの心が、この様な交わりに相応しくなっていなければ、私はあなたの前に立って自らの正体を明かしはしなかったでしょう。今度はあなたの反逆の模様を聞かせて下さい」
怪物は自らの経緯を話し始めた。