セクション03:キュクロプス
「キュク、ロプス……?」
聞き慣れない名前。聞く限りではラテン語のようだ。
男はラームが知らないと察するや否や、得意げに語り始めた。
「羽の生えた一つ目の魔物さ。その一つ目ににらまれた人間は、呪われて数奇な運命を辿るって言う……」
「……!」
それを聞いて、ラームの背筋に悪寒が走った。
その話が怖かったからではない。あまりにも似すぎているのだ。
一つ目。
羽の生えた。
数奇な運命を辿らせる。
そのキーワードは、まるで――
「どうもそいつは、空軍のスルーズ空軍航空学園に潜んでいるらしいんだ。ここ最近、スルーズじゃ航空事故が多発してるだろ? 特に軍の飛行機に。最近じゃ『スルーズ航空008便撃墜未遂事件』なんてのも起きてるし。それも全部、キュクロプスの仕業じゃないかって噂だよ。おお怖い怖い」
さらに加わるキーワード。
スルーズ空軍航空学園。
軍がらみの航空事故。
やはり、自分の事を言っているようにしか思えなかった。
友人ストームの行方不明。
彼女の救出に伴って起きた、ツルギの着陸失敗事故。
そして、記憶に新しいスルーズ航空008便撃墜未遂事件。
このような、ここ最近起きた事故をラームはこの目で見てきた。そして、それは自分が不幸を呼んだからだと人知れず悔やんでいた。
男が話した魔物キュクロプスの姿は、そんな自分の生き写しにしか見えなかった。偶然にしては、あまりにもできすぎている。
どういう事なの、とラームは動揺を隠せない。
「はは、怖くて言葉も出ないかい? でも続きが聞きたいなら、聞かせてあげるよ」
男はラームが怖がっていると思い込んだのか、そんな事を言う。
「……結構です」
ラームはそれだけ言って立ち上がり、男に背を向けてその場を去ろうとした。
自分の悪評のような話を聞いたからか、何か嫌な予感がしたからだ。これ以上この男と話しても、いい事はないと。
だが。
「ああ、待ってくれ!」
その腕を、がっしりと掴まれてしまった。
「つまらなかったなら、もっと面白い話してあげるよ! だからもう少し付き合わないか?」
男は、そう催促してラームを引き寄せてくる。
そこまでして自分と話がしたいのか。そこで、ラームは男の目的が最初察した通りナンパである事に気付いた。
「いいえ、いいです……!」
「まあまあそう言わずに、ほんの少しだけ!」
「いいですって……!」
「もっと面白い話があるのに、聞いていかないのは損だと思わないのかい?」
何とか断ろうとするが、男はしつこく言い寄ってくる。そして、掴んだ腕も離さない。
助けを呼ぼうかと考えたが、この野原に人気はない。自分から1人になりたくて人気のない場所を選んだ事が、完全に裏目に出てしまった。
逃げられない。周りに人もいない。
最悪の展開が頭をよぎる。
(誰か――!)
思わずそう願ってしまった、その時。
「おい、そこのお前!」
突如として、聞き慣れた声が男の背後から聞こえた。
振り返るとそこには、いつの間にか兄バズの姿がある。
彼の予期せぬ登場に、ラームは言葉を失ってしまった。
「だ、誰だお前は!?」
「誰だお前は、じゃねえよ!」
いつになく怒っているバズは、男の手を掴んで強引にラームの手から引き剥がした。
「俺の女に手を出すたあ、いい度胸じゃねえか! ああ?」
そして、ラームを片腕で強く胸に抱き寄せ、そんな事を言い放つ。
「え……!?」
堂々と言い放った、俺の女という言葉。
強く抱き寄せる腕の暖かさと、服の上からでもわかる硬い胸板の感触。
「大丈夫か、シルヴィ? 怪我してなさそうでよかったぜ」
そして、ラームに向けられる優しい表情。
何もかもが予想外で、思わず胸が高鳴ってしまった。
「な、何なんだお前……!? いきなり、何言い出すんだ――うわっ!?」
「文句があるなら、実力行使で訴えてきたっていいんだぜ……?」
バズは、腕を離すと今度は襟元を掴んで再び威嚇する。それこそ、相手を視線だけで追い詰める猛獣のように。
それには、さすがの男もすっかり怯えてしまっていた。
「ご、ごめんなさいごめんなさい! わかりましたから、許してください!」
「わかってもらえたなら結構だ」
バズが手を離すと、男は慌ててバズの前を逃げ去って行った。
言葉も出ない。
兄が、自分を助けるためにナンパしようとしていた男を追い払ってくれたのだ。それも、一切暴力を振るう事なく。
何も知らない男が、プロレスラーのような体格の男に詰め寄られれば、誰だって怯え竦んでしまうだろう。
そんな事ができる兄の姿が、ラームにはとても頼もしく見え、さらに胸の鼓動が早まる。
それこそ、先程のいざこざを全部忘れてしまうほどに。
「に、兄さん、あの――」
「はっはっはっはっは! あいつも情けない男だなあ! ちょっと脅しただけで逃げちまうなんてよ!」
ラームが聞こうとしたその時、バズは急に大声で笑い始めた。そして、そのままラームを抱く手を解く。
そんなバズの姿は、いつもの陽気な姿に戻っていた。
「あの、兄さん」
「ん、何だ?」
「その……俺の女って言うのは、どういう――?」
ラームは顔が熱くなるのを感じつつ、そう問いかけた。
まさか、自分の考えはただの思い違いだったのか。
本当は、兄も自分の事を――