セクション01:サプライズ
紐を思いきり引っ張ると、ぶるんぶるんとエンジンが動き出し、プロペラが羽音を立てて回り始めた。
調子は至って良好。おかしな音は全くしない。
それを確認してから、ラームは骨組みだけのマイクロライトプレーン、クイックシルバーの操縦席に座った。
ベルトを締めつつ、気付かれないように軽く深呼吸し、気持ちを落ち着かせる。
実は、今回はいつものフライトと少し違う。
このクイックシルバーには、席が2つあるのだ。横並びに配置された、所謂サイド・バイ・サイドと呼ばれる方式で、ラームはその左に座る。
「じゃあ、行きますよ兄さん。今日は私がパイロットですからね」
「おう。お手並み拝見させてもらうぜ」
そして右の席には、兄バズが座っている。
今日は遂に、念願叶って兄妹2人でマイクロライトプレーンに乗る事になったのだ。
いつにも増して慎重にスロットルレバーを押し込むと、クイックシルバーはゆっくりと滑走路の上を加速し、ふわりと浮き上がった。
離陸は問題なし。とりあえずは一安心だ。
そのまま、飛行場周辺をゆったりと遊覧飛行。
今日は天気も良好。風もそれほど強くない。絶好のフライト日和だ。
あらゆるものが小さく見えてしまう地上の景色と、風と一体になった感触が、今自分は飛んでいるという実感を与えてくれる。
「結構うまくなったじゃねえか!」
「は、はい」
「いやー、年の初めのフライトってのも悪くねえな!」
「そ、そうですね」
「おいどうした? 聞こえねえぞ?」
バズの言葉を聞いて、返事が通じていない事に気付く。
エンジンがすぐ後ろにある関係でやかましく、大声でないと話ができないのだ。
「ご、ごめんなさい!」
どうも声が出ていなかったらしい。これも緊張しているせいだろうか。
今日は新年最初の日。
誰もが新年を祝うこの日は、ラームにとっては特別な日でもある。
この飛行場では、新年になると『ニューイヤーズフライト』と称して、新年初のフライトをしようという企画を毎年行っている。それにラームもバズを連れて参加したのだ。
ちなみに、今飛行場にストームとツルギはいない。ツルギ曰く、「正月は外出する日ではないから」らしい。
今、ここにいるのは2人だけ。
故に、伝えるべき事を伝えるには絶好の機会なのだが――
「あ、あの、兄さん――」
気持ちを落ち着かせて兄に話しかける。
だが、どうしても言葉が途切れ途切れになってしまう。
「ん? 何だって?」
そして、聞こえていない。
声が小さい。話しても聞こえなければ意味がない。
何とかして、大声を出そうとするが。
「えっと、その――」
「んん?」
「な、何でもありあせんっ!」
結局、話せないと判断して場をごまかしてしまった。
ぐらっ、と姿勢が少し崩れる。
それほど大きなものではなかったので、すぐに立て直す事ができた。
しかしその後、ラームはフライトの間ずっと、バズに話しかける事はできなかった。
* * *
話せないまま、1日が過ぎていく。
帰りのバスの車窓から、赤く染まった空をぼんやりと眺める。
しかしそうしてばかりいるのも退屈なだけなので、スマートフォンを取り出した。
何度かやってみたけど、全然うまくできない。どうすればいいかな?
シルヴィア
慣れない指さばきでそんな英文をメールフォームで打ち、送信する。
「なあシルヴィ、聞いたか?」
すると。
隣に座るバズの方から、話しかけてきた。
「聞いたって、何をですか?」
「『キュクロプス』の話。あれ、まだあったんだな」
キュクロプス。
その単語を聞いて、胸がどきり、と高鳴った。
一度広まった噂は、簡単には消えない。キュクロプスの話は、今なお根強く残っている。
ラームも何度か耳にしているが、その噂話を聞くのは、今でも平気ではない。
「……そうか、すまねえ。聞いてなかったならいいんだ、忘れてくれ」
ラームの心情を察したのか、バズはすぐに話を止めてしまった。
そう謝るのは、バズが責任を感じているからだろう。汚名を誇りに変えられればと、わざとキュクロプスを名乗った事への。
あの時、確かに兄も言っていた。
なら――
「あ」
そう考えていた時、スマートフォンが震えた。
メールの返事が来たのだ。
1対1じゃダメなら、思い切ってたくさんの人前で告ってみるとかどうだっ!
周りに聞かれてるからには、兄さんも断りにくくなると思うぜっ!
マリー
「ええっ!?」
メル友からの衝撃のアドバイスを読んだラームは、思わず声を裏返してしまった。
「ん、どうした?」
「あっ、ごめんなさい何でもないです」
ラームはメールを見られないよう、すぐにスマートフォンをしまい、その場をごまかした。
すっかり日が暮れようとしていた頃、バスはファインズ基地に到着した。
今日のファインズ基地は静かだ。実戦部隊がいないこの基地は、年中無休という訳ではない。生徒の多くも帰省しており、ここでの新年初フライトは、まだ先の話になるだろう。
帰り際という事もあり、帰路に着く2人に会話はない。そのまま寮の部屋の前に到着。
いつの間にか兄の先を行く形になっていたラームは、たくさんの人前でって言われても、と先程のメールの内容に困りつつ、部屋の鍵を開ける。
そして、いつものようにドアをゆっくりと開けた。
「ただいま――」
瞬間。
ぱん、という火薬の爆発音と共に、目の前が紙ふぶきに包まれた。
「サープラーイズッ!」
「え!? え!?」
頭は真っ白。
何が起こったのか、理解できない。
明かりが点いた玄関には、なぜかクラッカーを手にしたストームとツルギ、そしてゼノビアの姿がある。
「誕生日おめでとう、ラーム!」
「え!? え!?」
揃って言われた言葉を聞いて、ようやく状況が理解できた。
実は今日、ラームの誕生日でもあるのだ。
とは言っても、生まれて間もなく捨てられた故に正確な誕生日がわからないため、あくまで暫定的なものではあるのだが。
つまり、これは――
「びっくりしたか、シルヴィ? 俺達が出かけてる間に準備してもらったのさ」
どうだ、とばかりに得意げな顔を見せるバズ。
そう、間違いなくこれはサプライズパーティー。自分の誕生日を祝うための。
サプライズパーティーなんて、生まれて初めての経験だ。そもそもラームは、誕生日が暫定的なものである故、あまり祝ってもらった思い出がなかった。
「ごめん、そういう意味じゃラームに嘘ついちゃったな……」
「いいじゃない、我が息子よ。びっくり度が増すんだから」
この場でも律儀に謝るツルギと、そんな彼をなだめるゼノビア。
「ま、そういう事! さ、入って入って!」
そして、ストームに引っ張られる形で、居間へと案内された。
テーブルには、既に料理が並んでいる。
中央には、17本のろうそくが立てられたバースデーケーキ。
そして、その隣には。
「……あれ、これは?」
誕生日会の雰囲気に似合わぬ、奇妙な料理が置かれていた。
黒く塗られた重箱に複数の料理が入っている。見るからに、どれも和食のようだ。
「オセチだよ、オセチ!」
「オセチ……?」
ストームの説明を聞いて、ますます訳がわからなくなる。
「いや、元々うちで食べるつもりの正月料理だったんだけど、ストームがどうしても持って来ようよって言うから……変だったら片付けるよ」
ツルギの説明を聞いて、納得した。
これは、ツルギの故郷、日本伝統の料理だ。見慣れないのも当然である。ツルギは時折、こうやって故郷の料理を用意して食べているのだ。
「はは、いいじゃねえか。いつもと違うって感じが出てさ――あ、そういえば、あいつらはどうした?」
ふと、バズが思い出したように問いかけた。
「あの3人なら、少し遅れてくるそうよ」
ゼノビアが応える。
どうやら、まだお客が来るらしい。
しかし、一体誰が来るというのだろう――
そんな時、玄関のチャイムが鳴った。
「おっ来たな。シルヴィ、出てやれ」
「えっ、私がですか?」
言われるまま、見知らぬ来客を出迎えるべく玄関へと向かうラーム。
いつにも増して、慎重にドアを開ける。
「はい、どちら様で――ええっ!?」
そして、現れた予想外の顔に絶句してしまった。
そこにいるのは、白い覆面を被った謎の人物。
その上からさらに眼鏡をかけており、不気味さを際立たせている。
まさか、強盗!?
一体どうしてこんな寮の一室にそもそも盗まれてもおかしくないようなものなんてないし民間人が簡単に入り込める場所でもないし何が一体どうなって――