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アストラル・クロック ~天球の歯車と神の保守点検~  作者: 如月妙美


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第7章:総点検(オーバーホール)の預言 ——黙示録の警告

7-1:紅蓮のシステム・ダウン

 季節は、逃げ場のない過酷な真夏へと到達していた。大気からは湿度が完全に消失し、代わりにオゾンと焦げた電子回路の臭いが街を包み込んでいる。  しかし、その空は不気味なほどに燃え上がるような紅蓮ぐれんに染まり、沈まない夕焼けが二十四時間以上も街を焼き続けていた。その色は、大気による散乱などという甘い物理現象では到底説明がつかない。それは、演算限界に達した宇宙という名の巨大なディスプレイが、末期の「液晶焼き付き(バーンイン)」を起こしているかのような、暴力的なまでの、そして救いのない赤だった。

 徳永隆明は、汗で不快に張り付いたツイードのジャケットを路上のゴミ箱へ投げ捨て、ワイシャツの袖を肩まで捲り上げていた。大学生時代の土方仕事で巨大な鉄骨を担ぎ、灼熱のアスファルトを素手で均して鍛え上げた基礎体力。以来三十年以上、一日の欠かしもなく鉄の重みに抗い続け、自らの実存を筋肉という重力に刻み込んできたその逞しい前腕には、絶え間ない緊張と低酸素状態での激闘の名残として、太い血管が怒れる蛇のように浮き出ている。

「……見ろ、玲子。空の輪郭が六角形ポリゴンに歪んでいる。運営が、描画リソースを極限まで削りやがったな。テクスチャの解像度を強制的に落として、空間の総ポリゴン数を最小化しているんだ。世界の『美しさ』を維持する余裕すら、もう管理者には残っていない。システムリソースの枯渇だ」

 玲子は遮光グラス越しにその凄惨な光景を見つめ、震える指でタブレットの解析ログを追った。彼女の紺のスーツは、極限状態の連続でもはやボロボロに裂けていたが、その瞳だけは以前にも増して冷徹に澄んでいる。 「先生……世界中で同時多発的に発生しています。空が『鉄格子』のようなマトリックス・グリッドに侵食され、そこを不用意に歩こうとした人々が、座標の不整合で次々とデジタルノイズとなって消滅しています。これはもう、パッチを当てて済むレベルではありません。完全に、システム全体が『オーバーホール(総点検)』モードに入ろうとしています。管理者による全データの監査が始まったんです」

「オーバーホール? いいや、玲子。それは楽観的すぎるな。これは意図的な『強制終了(SIGKILL)』だ。管理者は、この宇宙というシミュレーションの失敗作を一度解体して、不要な部品(我々人類)をすべてスクラップにして、白紙の状態に戻すつもりなんだよ。設計図の書き直しだ」


7-2:黙示録という名のマニュアル

 二人は、機能不全に陥った都市の混乱——空中で静止した車や、重力の消失で逆流を始めた下水道——を避け、廃墟と化した大学の地下講義室に身を潜めた。ここは現実の「壁」がまだ厚く、システムの消去プロセスから辛うじて隠れられる、キャッシュ領域のような場所だった。  非常用電源の青白いライトが不規則に点滅し、古い空調が死に際の喘ぎのような異音を立てる中、徳永は埃の積もった教卓の上に、一冊の古びた、しかし重厚な装丁の聖書を広げた。

「玲子、ヨハネの黙示録を工学書として読み返してみろ。……『小羊が第一の封印を解いたとき、私は四つの生き物の一つが、雷のような声で「来なさい」と言うのを聞いた』。これは封印なんかじゃない。宇宙という巨大なマシンのシャットダウン・コマンドの発効手順プロシージャだ。雷のような声とは、全サーバーの冷却ファンが一斉に最高速オーバーブーストで回り、唸りを上げている際の、ハードウェアの悲鳴だよ」

 徳永は、モニターに映し出された、ノイズだらけの衛星画像に目をやった。  地球の極点から、不自然なほどに無機質な純白の「壁」が時空を削り取るように押し寄せ、地表のすべてのデータを物理的に一掃しているのが見て取れた。

「管理者は今、宇宙のメイン電源ボタン(リセット)に指をかけている。だが、一気に電源を落とすとデータの整合性が完全に崩れるから、一つずつ慎重にプロセスを終了(Kill)させているんだ。我々人類という名の動的なデータは、その過程で『不要な一時キャッシュ』として、真っ先に削除対象に指定されているに過ぎない。……ふん、創造主様よ。バックアップも取らずにサービス終了とは、あまりに無責任が過ぎるぞ。ユーザーサポートはどこに繋がっているんだ? 苦情を言ってやる」

 7-3:カウントダウンの咆哮

 突如、大学の建物全体が、巨大なスピーカーがハウリングを起こしているかのような不快な共振に見舞われた。耳の奥で、現実が「割れる」音が、ガラスが砕けるような不吉な音響を伴って響いた。  窓の外を見上げると、燃えるような紅蓮の空に、巨大な十六進法のヘックスコードが光速に近い速度でカウントダウンされている、天の死のログが浮かんでいた。

宇宙システムの終了を告げるプログレスバーだよ。目に見える形でカウンタが表示されているということは、もはや一般ユーザーに対してシステムの健全性を隠蔽カモフラージュするリソースすら残っていないということだ。管理者は今、なりふり構わず実行プロセスを強制終了させているんだ。ヨハネが見た死の馬、青白い馬の正体は、この全消去プロセスだったんだな」

 徳永は、自らの頑強な胸板を拳で叩き、筋肉が力強く波打つのを確認した。彼の肉体は、情報の激流による微細な共振を受け、異常なまでの熱を発し始めていた。その熱は、彼がこれまでの人生で積み上げてきた「実存の重み」そのものであり、デジタルな消去プロセスに抗う唯一のアナログ熱源だった。

「玲子、最後の場所へ行くぞ。宇宙空間のラグランジュ点、あるいは物理的な終着点。そこに隠された、宇宙のメインテナンス・ハッチだ。創造主がシャットダウンの最終入力を完了し、実行キー(Enter)を叩きつける前に、そのコンソールに私のこの拳……アナログな執念の固まりを叩き込んでやる。物理的な質量こそが、今のこの世界で唯一、計算不能な変数なんだ」

「……先生、そんなことが本当に可能だと思っているんですか? 宇宙という名の巨大な機械をハックして、神の指を止めるなんて。数式の上では、私たちはゼロに等しい存在なのよ! 私たちの努力は、奴の計算リソースの端数にすらなれない!」

「いいや、不可能だ。論理的にはな。……だがな、玲子。どんな完璧な、あるいは傲慢なプログラムにも、必ず『タイムアウト』がある。管理者が『はい(Yes)』という実行キーを押す直前の一瞬、システムが応答を待つ空白の数ミリ秒……。その隙間に、私のこのアナログな執念と、物理的に鍛え上げられた筋肉の質量をねじ込んでやる。論理回路が追いつけないスピードで、因果律を物理的に殴り飛ばしてやるんだ。ついてこい、お嬢様! 君のその高いヒールを脱ぎ捨てて、全速力で走れ!」

 外では、蝉の声が狂ったような超高音に達し、一斉に、そして不気味なほどの完全な無音となって鳴き止んだ。  世界の色彩が一段階薄れ、街の輪郭が曖昧に融け始めた。遠くのビルが、まるで溶けたロウソクのように歪んでいく。  システム・クラッシュの足音が、目に見える絶望となって、二人の足元、床の境界線まで迫っていた。


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